スキル
不思議なもので、彼女と会っていると痛みも渇きも忘れることが出来た。
それは、擬似的にとはいえお腹が満たされるからかもしれないし、心の充足の為なのかもしれない。
ただ、何にせよ……やっぱりアレはもう辞めようと思う。
でなければきっと、彼女と目を合わす事は出来ないし、胸を張ることも出来ないから。
張るほどの胸なんか、ないけれど。
そんな冗談を思い浮かべることが出来るようになったのも、やはり彼女と出会えたおかげだろう。
以前の生活に、仲間に未練はあるけど、もういい。
それは諦めるから……どうか、この穏やかな生活が、ずっと続きますように。
それだけを、願った。
冒険者……というよりは、魔物と戦うということにおいて、最も重要なこととは何であろうか。
身体能力か、いい武器や防具を揃えることか、或いはポーション等の備えをしっかりとしておくことか。
そのどれもが重要なことではあるが、一番ということはない。
では何なのかと言えば、答えは一つ。
即ち、スキルである。
そもそも和樹の身体能力も、その八割ほどはスキルの恩恵によるものだ。
常時発動型――厳密には、戦闘時のみ常に効果を発動し続けているパッシブスキルが山ほどあるからこそ、あれほどの身体能力を発揮出来るのであり、同時にそれこそが、和樹が日常生活では何の問題もない理由でもある。
要するに和樹の問題というのは、スキルの制御が上手くできていない、ということなのであるが……ともあれ。
極端な話ではあるが、相応のスキルさえ覚えていれば、身体を鍛える必要もなければ、武器や防具を揃えることも、ポーション等を準備する必要すらもないのである。
その全てが、スキルによって補えてしまうからだ。
勿論実際にはそれでいいわけはないものの、スキルはそれだけのことを可能にする、と言えばその重要性は嫌でも分かるというものだろう。
そしてそんなスキルではあるが、これを覚える方法というのは単純だ。
それぞれに設定されている条件を満たせばいいという、それだけである。
まあ、達成することそのものが簡単であるかどうかは、また別の話ではあるが。
ちなみに当然と言うべきか、それは和樹達がプレイしていたゲームの話ではあるのだが……どうやらこの世界でも、それはそっくりそのまま通用するらしかった。
――アクティブスキル、ソードスキル:グラン・ブレイク。
「おお、本当に使えるようになってるじゃねえか……! はっ、まさかこんな方法でスキルが覚えられるなんてなぁ……!」
地面が爆ぜる音と共に、高笑いするレオンの姿を眺めながら、和樹は小さく息を吐き出した。
問題がなかったということに対する安堵であり、同時に呆れによるものでもある。
まあ呆れの方は、調子に乗って地面の形を変え始めている馬鹿や、隣でなるほどなどと頷き納得している様子の男に対して向けられたものではあるが。
「ふむ……まさかこんな方法で覚えられるなんて、盲点だった、と言うべきかな? いや、でも……」
「考え事をするのはいいが、そういうのは余所でやってくれ。端的に言って邪魔だ。ついでにあそこの煩いのも連れてってくれると助かる」
「そうですね……この状況は、さすがに少しやりづらいですし」
「はは、はっきり言ってくれるね……でも無理して付いてきた以上は、従っておくべきかな。分かった、大人しく見学させてもらうよ。レオンの方は……まあ多分しばらくしたら飽きるだろうから、そこまで我慢してもらうしかないかな」
出来ればそっちをこそ何とかして欲しかったのだが、まあ仕方ないだろう。
周囲の邪魔な魔物の相手をしないで済むと思えば……むしろ呼び寄せている気もするのだが、それも含めて何とかするはずだ。
してくれないと困るとも言うが。
それに一応、来た意味がないというわけでもないようであった。
「すっげえ……俺達にも、あんなことが出来るようになるってのか?」
「なる……いや、なれるん、だろうね。それが可能だっていうのは、今目の前で見たばっかりだし」
「……ん、すご、い」
何となくそうではないかと思ってはいたのだが、どうやらこの世界では、スキルを覚える手段というのが知られていないらしい。
そのせいもあってか、スキルを覚えるということにテオ達は半信半疑といった様子だったのだが、レオンの行動はいいデモンストレーションになったようだ。
これならば、この後のこともやりやすくなっただろう。
そのことを考えれば、レオン達には感謝すべきなのかもしれないが……まあ、スキルも教えたことだし、必要ないのではないだろうか。
ちなみに何故レオン達がこの場に居るのかと言えば、今日はテオ達にスキルを教えようと思っている、ということをポロッと口に出してしまったせいで食いつかれてしまったからだ。
レオンはスキルを覚えるということに、マルクは方法そのものに興味を持った、というところだろうか。
マリーやミアも興味は持っていたようなのだが、今日は済ませなければならないことがあるとのことで来てはいない。
まあ、ランク五が二人も居るという時点でテオ達は萎縮してしまっていたので、来れなくてよかったと言うべきだろう。
今は多少慣れたのと、後は本当にスキルを覚えることが出来るという興奮からか、一時的に忘れているようではあるが――
「とりあえず、今のうちに先に進めてしまうべきかね」
「そうですね。鉄は熱いうちに打て、などとも言いますし」
「うん? ああ、僕のことは本当に気にしないでくれていいよ? 黙って見学に徹してるから」
「最初からそのつもりだっての」
見られている、ということで多少のやりづらさはあるが、言っても仕方のないことだ。
なるべく気にしないようにしつつ、三人へと話しかけた。
「さて、というわけで、スキルは狙って覚えることが出来る、ということは分かったとは思うが」
「あ……は、はい!」
それで今の自分達の状況に思い至ったのか、レオンに向けていた顔を慌ててこちらに向き直す三人に、つい苦笑が漏れる。
別にそこまで畏まる必要はないのだが……まあ、彼らからすれば、覚えることが出来るのかすら分からなかったスキルというものを、今から覚えることが出来るというのだ。
そうなってしまうのも、仕方のないことなのかもしれない。
それにそれは、何となく和樹にも理解出来ることである。
その瞳が、期待に輝いていることにも、だ。
「ま、とはいえ、何事にも順序ってのがあるからな。まずは何を覚えてるのかが分からないと、何から教えていいのかすらも分からないんだが……今自分達が何のスキルを覚えてるかは、分かってるのか?」
「あ、はい、それは大丈夫です。えっとですね……」
そうして一先ず三人分のスキル構成を聞き出すことになったのだが……直後、和樹は眉を潜めなくてはならなくなった。
雪姫の方を見てみれば、雪姫も同じような顔をしており、同じようなことを考えているということが分かる。
だが和樹達は顔を見合わせると、互いに苦笑を浮かべ合った。
和樹達からすれば有り得ないのだが、状況を考えれば仕方ないのかもしれないと、そう思ったからである。
端的に結論を言ってしまえば、三人のスキル構成はどれも妙だったのだ。
スキルの系統が偏っていたり、そもそも数が少ないということはこの際いいだろう。
むしろ、スキルを狙って覚えることが出来る、ということを知らなかったのだということを考えれば、これが自然だ。
問題なのは、基礎の中でも本当の意味での基礎的なスキルを、誰も覚えていなかった、ということである。
三人が三人共剣を得物にしているというのに――
「誰一人としてソードマスタリーを覚えてないとか、何らかの縛りプレイでもしてるのかと疑いたくなるレベルだな……」
「え、今日は緊縛をお望み、ですか? 分かりました、今日は縄を買ってから帰りましょう」
「やかましい」
雪姫の戯言を切って捨てつつ、溜息を吐き出す。
仕方ないのだということが分かっていても、それは和樹達からすれば、本当に有り得ないことなのであった。
ソードマスタリーとは、文字通り基礎中の基礎のスキルであり、剣を使った全ての攻撃にプラス効果を与えるというものだ。
単純に言ってしまえば、剣を装備している場合の攻撃力、もっと言えば、与えるダメージの底上げがされるのである。
勿論基礎であるからしてその数値は少ないが、パッシブスキルであることや、取るのが容易な点から考えても、これを取らない理由の方がない。
さらにはそこから発展していくスキルもあるし、それを前提としたスキルなども存在している。
剣を使うのであれば、真っ先に覚えるべきスキルであるし、覚えることになるという、そういうスキルなのだ。
「ま、とりあえず、最初に覚えさせるスキルは、ソードマスタリーで決まりか」
「ですね。損がなく、得しかないというのもありますが、それがなければまず先に進めませんし」
「……もしかしたら、そうなんじゃないかとは思ってたんですけど……やっぱり、ソードマスタリーも狙って覚えることが出来るんですね」
「そりゃな。というか、今言ったみたいに本来基礎中の基礎なスキルだしな」
「マジっすか……? 確かソードマスタリーって、余程の高ランク冒険者か、剣豪にでもならないと覚えられないって話だったはずなんすけど……」
「むしろこっちからすれば、それの方がマジかよ、だな。本当にここのスキル事情はどうなってんだ?」
「ふむ……とりあえず僕の認識からすると、彼らの方が正しいんだけどね。レオンがソードマスタリーを覚えたのも、ランク四に上がった時のはずだし」
「偶然……いえ、覚えている人の共通事項を纏めたら自然とそうなった、というところでしょうか?」
「だろうな。ソードマスタリーは確かに基礎中の基礎だが、実際には覚える方法を知らなければ、中々覚えることが出来ないもんでもあるし……いや、そう言われてる、って言うべきか? 俺は普通に覚えられたしな」
「和樹さんは和樹さんで少し常識がおかしいので、そこを基準に置かないでください。普通は知っていてもそこそこ大変なんですから」
「解せぬ……」
何やら微妙にディスられた気がしたが、別に和樹とてそれを単純に簡単だと言うつもりはない。
ただ、どちらかといえば面倒なだけなので、他と比べれば十分に簡単だといっただけなのだ。
「ですから基準がですね……まあ、いいですが」
「えーと、それで僕達は具体的に何をすればいいんですか? 魔物を倒すのが条件となると、さすがにここら辺では無理ですが……」
「別に魔物を倒す必要はないぞ? というか、言った通り本当にやることそのものは簡単だ。素振りをするだけでいいからな」
「素振り、っすか? え、そんなことで覚えられるんっすか?」
「基礎ですからね。ただ、八方向プラス突きで、それぞれ千回ずつする必要がありますが」
「……なるほ、ど?」
確かに大変、と呟くフィーネに、肩を竦める。
実際のところ、本来であれば、そこまで大変なことではないのだ。
いや、大変であることに違いはないのだが……剣を振るって攻撃していれば、自然と回数は増えていくからである。
ただしそれはテオ達には当てはまらない。
何故ならば、メニュー画面を表示させることが出来ないからだ。
厳密に言うならば、そこからスキル画面の詳細情報を表示させることが出来なければならないのだが……まあ要するに、そこを表示させることが出来れば、現在それぞれの方向を何回振っているのか分かるのである。
しかしそれが分からない以上は、当然のようにどの方向をあと何回振ればいいのかということも分からない。
一応一振りするごとに、逐次スキルを覚えたかを確認するというやり方もないではないが、そちらの方が余程面倒だ。
結局のところ、全部を千回ずつこなすというのが、最も手っ取り早い方法なのであった。
「ま、というわけで、とりあえず、これからは空き時間には常に素振りだな。ちゃんと今どの方向を何回やってるのか数えておけよ?」
「あとは、そうですね……さすがに一日二日じゃ終わらないでしょうから、私達と一緒に居る時以外にもやっても構いませんが、程々のところで止めといた方がいいですよ? 疲れを残して翌日筋肉痛とかになってしまったら、笑い話にもなりませんから」
「……確かにそうですね。気をつけます」
「気をつけるっす」
「……つまり、筋肉痛にならないな、ら、ずっとやってても、問題な、い?」
「いや、そういう話じゃねえだろ。程々で止めて休んとけって言われてんだよ。まああれだ、経験者は語るってやつだ」
そこで和樹と雪姫が顔を見合わせ、つい苦笑を浮かべたのは、厳密には和樹達は休んでいたわけではなかったからだ。
まあ当然のことだろう。
ゲームの中にも疲労といったパラメータは存在していたが、それは簡単に癒せるものでしかなかったのである。
正確に言うならば今もそれは可能ではあるのだが……さすがに費用対効果を考えれば推奨できることではない。
不自由を楽しめ、という言葉は割と聞くものではあるが……生死のかかった状況でそれが可能かと言われると、何とも言えないものであった。
「ま、先は長い。少しずつ進んでいけばいいさ」
「ですね。私達もそうして、ここまで来たんですから」
ゲームの中でだけどな、という言葉は口に出さずに、和樹は肩を竦めた。
まあとはいえ、和樹達にだって、やるべきことがないわけではない。
さしあたって今は――
「おいカズキ、もう十分楽しめたから、そろそろ次のスキル教えろや! 次は何すりゃいいんだ!?」
あの馬鹿を何とかしなければならなそうだなと、溜息を吐き出すのであった。