解体と運搬
気が付けば、口の中が血で満たされていることが珍しくなかった。
あれを……あの人を探している最中のことが多いため、そろそろ諦めた方がいいのかもしれない。
そもそも何が気になっているのかも、よく分かってはいないのだ。
……分かっていない振りをしているだけなのかも、しれないけれど。
それでも分かったことは幾つかある。
とりあえず陽をなるべくならば浴びないこと。
これが一番重要であり、これを守るだけでかなり痛みと飢えを抑えられることが分かった。
日向ぼっこは割と好きだったのだが、もう諦めるしかなさそうだ。
しかし死ぬ気はないし、死にたくもない。
以前までとは色々な意味で違うのだから、そういったことも受け入れるしかないのだろう。
見上げた先にあるのは、ただの闇。
不意に皆で陽の下で並んで眠ったことを思い出してしまい、床に一つだけ、染みが増えた。
自分達の家を手に入れようとも、基本的にやることに変わりはない。
つまりのんびりと休んでいられる余裕はなく、魔物退治をする必要があるということだ。
二週間ほど金策をしたとはいえ、実質その大半は内装やら何やらを揃えるのに使い果たしている。
最も値段が高かったのは実は調理器具なのだが……その分の価値はあっただろうから問題はないだろう。
だがそのせいもあって、ちゃんと金を稼がなければ日々の飯を食うことは出来ず……しかも、内装は全て揃えられたというわけではないのだ。
まだ欲しいものは多く、余計に金を稼ぐ必要がある。
ただ、そういった必要がないはずのマルク達の行動も似たようなものなので、これはもう冒険者は全てそのようなもの、と言ってしまってもいいのかもしれない。
何にせよ、今日も今日とて魔物を倒し、金を稼ぐ日々である。
もっとも、今日をいつも通りと言ってしまうと、それはそれで語弊が生じてしまいそうではあるが。
「ふむ……なるほど」
眼前の光景を眺めながら、和樹は一つ頷きを得た。
それはそのまま、納得を意味するものではあるが――
「何がなるほどなんですか?」
「いや……解体と運搬を完全に人に任せられるようになると、確かに楽だと思ってな」
「……確かにそうですね。今まではいちいち屋敷周辺にまで戻る必要がありましたし」
言いながら、二人して同じ場所を眺める。
視線の先に居るのは、少年が二人に少女が一人の三人組。
和樹にとっては見覚えのある少年達であり、その三人が協力しながら、一生懸命に魔物の解体を行なっているところであった。
「テオ、そっちはどうだ!?」
「うん、もうちょっとで……フィーネの方は?」
「……ん、今、終わっ、た」
「あれ、早くない? フィーネのとこが一番大変そうだった気がするんだけど……」
「さすがテオとはちげえな!」
「ラウルだってまだ終わってないんだから、人のこと言えないじゃないか……ああそうだ、ならフィーネは、続いて爪とかの方やってもらっていいかな?」
「……ん、分かっ、た」
マルク達から解体屋の話を聞いたのは昨日の話であり……つまり和樹達は、早速とばかりに解体と運搬を手伝わせる者達を雇い、討伐に同行させているのだ。
とはいえこれは、半ば偶然の結果ではあるのだが。
「それにしても、和樹さんにサティアさん以外の知り合いがいたとは少し驚きでした」
「強ち間違ってないからやめろ。まあそもそも、他人と交流する余裕なんて碌になかったしな」
「それでもあの人たちとは知り合いなんですよね?」
「と言っても、実際に会ったのは一回だけだし、偶然助けたってだけだからな。知り合いとはいえ、本当にほぼ知ってるだけの関係だぞ?」
そう、彼らは和樹が雪姫を買い取ることになったあの日、ホワイトラビットに襲われているところを助けた冒険者であった。
だから厳密に言うならば、彼らは解体屋ではない。
ランク一の、所謂見習いなどと呼ばれる、ただの冒険者だ。
ぶっちゃけランク的には和樹達と同等なのだが、彼らもこちらのことは覚えていたらしく、指示などには素直に従い働いてくれている。
ちなみに彼らを雇う切っ掛けとなったのは、主にサティアだ。
解体屋を一度雇ってみようか迷っている、という旨のことを話したところ、ちょうどいいとか言われ彼らを紹介されたのである。
何でも、ランク一や二の者を、解体や運搬を手伝わせるために雇うというのは珍しくないらしい。
解体屋ではないため技術的には不安があることもあるが、その分払う金は安く済む。
雇われる側としても、解体等の技術を磨きながら自分より上の冒険者の戦い方等を身近で見られるため、悪くない話であるようだ。
とはいえそこで彼らを雇ってみようと思った理由は、そもそも和樹自身としてはあまり解体屋を雇う気にはなれなかったからである。
誠実ではないことが最初から分かっている相手を雇うことに、躊躇があったのだ。
まあだから、一応顔を知っているということと、サティアの紹介だという理由により、とりあえず一度雇ってみよう、ということになったのである。
そういった事情があるため、正直に言えば彼らの解体速度は遅い。
むしろ拙さすらも感じるほどだ。
だが精一杯頑張っていることなどは見ていれば分かるし、助かっているのも事実である。
そこに文句を言う気などは、二人とも欠片も起こらなかった。
「うし、こっちは終わりだ」
「こっちも終わったよ」
「……こっち、も」
と、などと言っている間に、解体の方は終わったらしい。
ついでに言うならば、こちらは次なる獲物を発見した。
別に和樹達は彼らに任せ何もしていなかったわけではなく、周囲の警戒と索敵を行なっていたのだ。
彼らがただのランク一の冒険者でしかない以上、これを怠るわけにはいかない。
何せ接近されたが最後、その瞬間に彼らは殺されてしまうのである。
それを考えれば緊張感も湧くが、むしろ鍛錬にはちょうどいいとすら言えた。
自分が失敗したら、他人の命が奪われる。
それで真剣にならないと言ったら嘘だろう。
ともあれ。
「さて、それじゃこっちも仕事を果たすか」
「ですね」
その声に反応したのか、顔を上げた少年の一人――テオがこちらを向くが、それには視線だけを向ける。
ただ、既に数度あった故に、それが何を意味するのかをすぐに理解したのだろう。
傍の二人に何事かを話すと、三人の身体が僅かに緊張で硬くなったのが分かった。
それは未だ三人がこの場で戦闘が行われるということに慣れていない、ということでもあるのだろうが、同時に和樹達があまり信頼されていないということの証左でもあるのだろう。
十分に信頼されているのであれば、緊張する必要などはないからだ。
それも今度の課題だななどと思いつつ、雪姫に視線を向けると互いに頷き合う。
こちらに向かってきている魔物の数は、三体。
やってくるのは森の方からであり、接敵までに要する時間は五秒ほど。
迷いも恐れも必要なく、姿を現す直前に地を蹴る。
景気づけとばかりに、先頭の首を刎ね飛ばした。
「ふむ……牙が五十組に爪が五十一組、毛皮が一部損失してるものも含めて五十三組、か」
「あ……す、すみません! 毛皮は、その……最初の頃は慣れていなくて……」
「ん? ああ、いや……こっちこそ悪い。今のはただ確認のために呟いただけで、特に他意はなかったんだ」
実際のところ、それ以上の意味は本当になかった。
それぞれで数が違うのも、力加減を間違えて頭を吹っ飛ばしたり、ちょっと彼らが危ない場面があって、そこでやはり加減を間違えて上半身ごと吹っ飛ばしたりしたことがあったからであり、つまりは主に和樹が原因だ。
少なくとも和樹が自身で数えていた数と違いはなかったし、念のために雪姫に視線を向けてみるも頷かれる。
どうやら運よくと言うべきか、さすがサティアの紹介だけはあると言うべきか、彼らは当たりだったようだ。
解体屋に属していなくとも、相手が誠実であるとは限らない。
まあ、当たり前の話だろう。
何せ何だかんだ言っても冒険者であることには変わりないのである。
助けた際に多少のやり取りはあったものの、その程度で相手の人柄が分かるものでもない。
サティアの紹介という時点であまり心配もしていなかったが……とりあえずは問題なさそうだと、小さく息を吐き出した。
「ま、そもそも毛皮が一部ボロボロになった原因は俺にもあるしな」
「ある程度制御出来るようにはなってきたみたいですが、やはり咄嗟の状況などにまだ問題があるみたいですね」
「だな。次の課題はそこら辺か……まあそんな感じだし、次から気をつけてくれたらそれでいいさ」
「え? 次って……次も雇ってくれるんですか!?」
驚きにテオが声を上げるが、和樹達としてはそのつもりであった。
確かに一度試しでという話で雇ったものの、要するにそれは問題があれば次は雇わないというだけなのだ。
問題がなければ続けて雇うのに躊躇う理由はなく、今回かなり楽が出来たことを考えれば尚更である。
既に雪姫ともそういう形で話を纏めており、後は彼らの意思次第だ。
「別に無理にとは言わないし、先約とかがあるんならそっち優先でいいけどな」
「い、いえっ、是非やらせてください! ……って、二人とも、それでいい、よな?」
「……ん、任せ、る」
「そりゃ断る理由がねえどころか、むしろ積極的にお願いすべきだろ。報酬の方だってかなり旨い……っと、すんません」
「いや、別に気にしてない、っていうか、正直で結構なことだ。……ところで一つ聞き忘れてたんだが、運搬ってのはギルドまでやってくれるのか?」
「そっすね。というか、普通はギルドで換金しないと金がないんで、そうしないと報酬貰えないっすし」
「だからラウル、言葉遣いをだね……」
「るっせぇな、そういうのよく分かんねぇ、っつってんだろ……! だからいつもお前に任せてんだろうが……!」
「ならちゃんと今回も後ろに下がっててよ……ったくもう、少しは治まるかと思えば、相変わらず何か無駄に元気だし」
「んだと……!?」
そんなことを目の前で言い合っている少年二人に対し、和樹は苦笑を漏らした。
本当はしっかりと怒るべきなのだろうが、何となくそんな気も起こらない。
それはおそらく、何処となく懐かしさを覚えるからだろう。
自分が、ではなく、友人達が、ではあったが……あのゲームで遊んでいた頃は、こんな光景は珍しいものではなかったのである。
すぐに冷静さを取り戻した彼らが揃って頭を下げてきたが、それにもやはり苦笑を返した。
「さて、それじゃあそろそろ行くとするか。これ以上ここに居る理由もないしな」
「ですね」
「それで、俺達はまたアレを引っ張ってけばいいのか?」
「あ、はい……すみませんが、お願いします。すぐに積み込みますから。二人とも」
「……ん、分かっ、た」
「それはいいんだが、またアレで行くのか……? 俺アレに関してだけは若干憂鬱なんだが……」
「それには同意するけど……まあ、仕方ないことだしね。とはいえ、ラウルがどうしても嫌だって言うなら止めないよ? 頑張って歩いて帰ってね」
「……頑張っ、て」
「いやいや、そこは止めてくれよ!? 普通に考えて、こんなとこ歩いて帰ったら死ぬだろ!?」
「……大丈、夫……最後まで、立派に頑張ってた、って、伝えと、く」
「全然大丈夫じゃねえし気を使う場所がちげえ……!」
賑やかな様子で素材を運んでいく三人の姿に、和樹の口元に三度苦笑が浮かぶ。
どうやら、本当の意味で当たりなようだった。
「嬉しそうですね?」
「ん? そうか? ……いや、そうかもな。何だかんだで、こういう光景を見てるのは嫌いじゃないしな」
「そうですか。……よかったですね?」
「……そうだな」
そうこうしている間に、素材は全て積み終わったらしい。
何処にかというと、荷台の上に、だ。
勿論というべきか、和樹達のものではなく、彼らのものである。
解体屋のような仕事をする上では必須のものであり、彼らはほぼ全財産をそれにつぎ込んだらしい。
そのせいで色々と苦労もあったようだが……まあ、今はどうでもいいことだろう。
「積み終わったみたいだな」
「あ、はい。確認してみましたが、全部間違いなく載っています」
「そうか……じゃあ、覚悟はいいか?」
その言葉に、テオの顔が若干引き攣った。
後ろに控えているラウルの顔も同様に引き攣り、平気な顔をしているのはフィーネぐらいのものだ。
「何でお前は平気そうなんだよ……?」
「……慣れ、た?」
「マジかよ……」
そんな言葉を耳にしながら、テオへと視線を向ける。
だがテオは顔を引き攣らせながらも、気丈に見つめ返してきた。
「だ、大丈夫です……に、二度目ですし……」
正直あまり大丈夫そうではなかったが、そう返してきた心意気を尊重してあげるべきなのだろう。
分かったと頷くと、和樹は雪姫に視線を移した。
「さて、んじゃ行くか」
「了解です。……ところで、私はどうやって和樹さんに運ばれればいいのでしょうか? ここはやはり王道のお姫様抱っこでしょうか?」
「何故そういうことになったのか小一時間程問い詰めたいところだが、都合のいいことにちょうどそれぐらいの時間がある。じっくりと話し合いが出来そうだな?」
「そうですね、和樹さんがお望みとあらば仕方がありません。イチャイチャしながら街まで向かうとしましょう」
「お前は本当に無敵だな」
さて、荷台に積み込んだ以上は当然ながらそれを運ぶことになるわけだが……生憎とそれには馬が繋がっていたりなどはしない。
つまり正真正銘、手押しだということだ。
まあしかしそれも当たり前のことだと言える。
ただの荷台ならばともかく、馬などは非常に高価なものであり、また仮に借りるとなった場合でも同様に非常に高価だ。
もっとも厳密に言うならば、冒険者以外が借りるのであればそれなりに安く済むのだが、冒険者が借りようとすると途端に跳ね上がるのである。
その理由の単純であり、冒険者が馬を連れて行く場所など限られているからだ。
即ち戦場のど真ん中であり、馬が巻き込まれてしまう可能性が非常に高い。
この世界には保険などという概念は一部を除いて存在していないし、そもそも冒険者が賠償責任などを負うはずもなく、さらには冒険者も死んでしまう可能性だって否定は出来ないのだ。
そのため、ほぼ売るのと同じ値段となっているのである。
大体荷台は買えるとは言っても、あくまでも買うことが可能な値段というだけであり、決して安いものではない。
どっちにしろ彼らにそれ以上のものを買うことは出来ず、和樹達に至ってはそもそも必要がない。
というよりは、こう言うべきだろうか。
馬などが引くよりは、和樹達が引いて走った方が遥かに早い、と。
「じゃあ行くが、しっかり掴まってろよ? まあ、分かってるとは思うが」
そうして、ここに来た時と同じように、三人の少年少女を載せた荷台は、二人分の押し殺した悲鳴を引き連れながら、走り出すのであった。