少年達の見る光景
道行く人並みの中を、溜息が一つ吐き出された。
それは人そのものや、或いは人の動きが作り出す空気の流れによってすぐに掻き消され……しかし当然のように、それが消えたからといって放った者の気分までもが晴れるわけではない。
その気分の赴くままに、もう一つ溜息が吐き出される。
端的に言ってしまえば、テオは辟易としていた。
だがそれは別に、現在の境遇に対してのものではない。
そもそもこうなってしまっていることの半分程度は自分達の行いが原因であるし、つまりは自業自得だ。
その原因を省みることはあっても、それそのものに不満を抱くなどは有り得ず……では結局のところ何に対して辟易しているのかと言えば――
「いや、アレは本当に凄かったよなぁ……何したのか見えなかったけどよ、一瞬でこう、な!」
「いやだからもう分かったから……その話するの、今日だけで何回目か覚えてる?」
「……二十八回、目?」
「そこで普通に数えてるフィーネはフィーネで、何かもう本当に凄いと思う」
まあ、つまりはそういうことである。
同じ内容の話をそれだけの回数されていたら、それがどんなものであろうとも辟易するのも当然だろう。
しかもそれが起こったのは、もう二週間以上は前のことなのだ。
二、三回程度ならばともかく、それだけの期間それだけの回数を笑みで聞き続けているのは、さすがにテオでは無理なことなのであった。
「んだよ……テオはそう思わねえってのか?」
「いやそうは言わないけど……まあ、実際のところ、僕はその光景を見れてないってのもあるしね。もっともどっちかと言えば、ラウルの話を聞き飽きた、っていう方が強いけど」
「……ん、でも、凄いの、は、同意」
「だよな!? やっぱフィーネは分かってるぜ!」
「いやだから、僕もそこには異論ないってば」
その光景そのものを見れてはいないものの、傷の治療をしてもらった時のそれは目にしているし、何よりもフィーネを助けてくれたのだ。
そのことに悔しさはあれども、凄いと思わないなどということは有り得ない。
ただそれを何度も口にするラウルが鬱陶しいだけで。
だがそう言ったところで、ラウルがその話を止めることはないだろう。
というか、実際そう言ったにも関わらず、未だこうなのだ。
落ち着くまで待つしかないのだろうが、この調子だとそれもいつになるやら、というところである。
まあ或いは、もう一度あの人に会えるようなことがあれば多少は治まるのかもしれないが――
「にしても、あの人まったく見かけねえよなぁ……」
「まあ、どう考えても僕達とは住む世界が違う人だったしね。そもそも行動範囲からしてまったく被ってないんじゃない?」
「いや、そりゃそうだろうけどよー、偶然ギルドで会う、ぐらいはあってもいいんじゃね?」
「確かにあってもおかしくはないけど……あれじゃないの? ラウルがあまりに鬱陶しかったから、見つからないようにしてるとか?」
実際あの時のラウルは、相当に鬱陶しい感じであった。
村に居た頃から、強い冒険者、というものに憧れを持っていた節のあるラウルのことだ。
ある意味ではそうなるのが当然なのかもしれないが……何事にも限度というものがある。
傍から見ていたテオでさえ鬱陶しいと思ったのだ。
それを受けていた本人がどう思ったのかなどは、考えるまでもないだろう。
「はっはっは、何言ってんだテオ。そんなこと言ったって俺は……え、冗談だよな?」
「何で冗談だと思ったのかを聞いてみたい程度には本気だけど?」
「嘘、だろ……?」
どうやら本気でそんなことは微塵も考えていなかったらしい。
愕然としているラウルに溜息を吐き出すも、それ以上何かを言うことはなかった。
完全に自業自得である以上、かけられるフォローなどはないのである。
「……ん、でも、確かに、会いた、い」
「……え? えっと、それは……どういう、意味で?」
フィーネの放った言葉に、テオは変な緊張を覚えながらも、その意図を問い返す。
だがフィーネにとってその返答は予想外だったのか、その首が小さく傾げられた。
「お礼、言えてない、から。……変?」
「あ……あー、いや、うん、確かに、そうだよね。お礼、言えてなかったんだもんね。なら、会いたいと思うのは普通だよね」
フィーネは助けられた直後に気を失ってしまい、目が覚めたのは翌日になってからであった。
そのため、テオ以上にその時のことは話に聞いただけなのである。
勿論直接礼を述べることも出来てはいないため、それを伝えようとするのはむしろ自然なことだ。
が……まあ、会いたいとか言われてしまったこともあり、ついつい変な方向に考えてしまったのである。
そのことに、自分でもないなと思いながら小さく息を吐き出し……ふと視線を感じたので、そちらへと顔を向けた。
視界に映ったのは、当然のようにラウルの顔。
だがいつの間に立ち直ったのか、こちらのことを眺めながら、その口元は吊り上げられていた。
さらには音にこそならなかったものの、その唇が動き……おそらくは、間抜け、とでも言っていたのだろう。
そんなことは言われるまでもなく分かっていることではあるが、生憎とラウルに言われる筋合いはない。
そっちこそ何も言えないでいるくせに、という意味を込めて見詰めてやれば、向こうからも睨みが返される。
そのまましばし睨み合い――
「……二人とも、仲良、し?」
フィーネの言葉に、そっと視線を外した。
すぐに戻せば、その口元にはこちらと同じく苦笑が刻まれており……言葉に直すならば、互いに様ないなと、そういったところだろう。
まったく以ってその通りである。
「……ま、同じ街に居るんだし、そのうちばったり再会するようなことも、あるんじゃないかな?」
「……だな。その時を楽しみにするとして、それまでは反芻でもし続けてるしかねえな」
「止めはしないから、せめて自分だけでやってくれないかな?」
と、そんなことを言っている時のことであった。
「んあ? なんだ、どうかしたかー?」
「……フィーネ?」
唐突にフィーネが歩くペースを乱し、その場に足を止めたのだ。
二人も立ち止まり、後方に振り返るも、フィーネはこちらを見ようともしていない。
顔は横を向き、何処とも知れない場所をジッと見詰めたままだ。
「……フィーネ?」
もう一度呼びかけてみるも、やはりこちらに向き直ることはない。
ただ。
「……ん、先行って、て」
それだけを告げると、またジッと見詰め続けた。
その様子に、テオはラウルと顔を見合わせ、小さく息を吐き出すと肩を竦め合う。
こうなったフィーネは何を言ってもその場を動かないということを、二人は知っていたからだ。
稀にあることではないが、珍しいというほどでもなく、さらにはそういう場合は、大抵何かしらそうする意味があった。
ただしフィーネはそれを感覚的にしか理解していないらしく、理由を聞いても明確な答えが得られることはない。
手伝おうとしても邪魔になることばかりであり、いつしか二人は、こういう時のフィーネは放っておくと決めたのである。
「そっか、じゃあ僕達は先にギルドに行ってるけど……そこで待ってる?」
「……宿に戻って、て、いい」
「了解。じゃ、また後でね」
「後でな」
「……ん」
そうして二人は、本当にフィーネをその場に置き、歩き出した。
場所が場所だけに若干気にはなるが……今までの経験上、気にしても無駄だということぐらい分かっている。
とはいえ、それでも気になることがあるとするならば――
「ギルドで合流しないってことは、それなりに時間がかかるってことかな?」
「そうなんだろうな。今回は一体何をすんだか」
しかし先にも言ったように、それは多分何か意味のあることなのだ。
ならばテオ達に出来ることは、その報告を楽しみにしながら、一先ず今日の成果を換金することであり――
「っと……んー……なんか今日は人が多くない?」
危うくぶつかりかけた人を避けながら、テオはふと首を傾げた。
ここは広場に近いために、元より人通りは多いが、それでも今日は人が多いように思えたのだ。
「確かにな……なんだ、なんかあったのか?」
だが二人で考えてみたところで、答えが分かるわけもない。
一先ず気にせず先に進み……明確に何かがあったのだと理解出来たのは、人垣を発見したからであった。
「あそこが原因、かな?」
「だろうな。こっからだと何があんのかはわかんねえけど……なんだ、どっかの露天でトラブルでもあったか?」
「あそこは位置的に露天が出てるような場所じゃなくない?」
「それもそうだな。路地裏の先を見てるようにも見えるし……ちとそこら辺にいるやつに聞いてみるか?」
「別にそこまで気になってはいないけど……まあ、フィーネも戻るのに時間がかかるみたいだし、話を聞いてみるぐらいはいいかな?」
「お、ちょうど話を聞きやすそうな位置に人がいるじゃねえか。テオ、聞いてみろよ」
「言いだしっぺじゃなくて僕が聞くの? 別にいいけどさ……」
溜息を吐き出しながらも、テオは人垣から少し離れた場所に居る人へと近付いていく。
警戒させないよう、敢えて少し離れた位置から声を掛け――
「あの、すみません、ここで何が起こったのかって、知ってますか?」
「うん? ボクかい? そりゃ勿論知ってるけど……っと、おや?」
「あれ?」
こちらへと振り返ったのは、見知った人物であった。
というよりは、普段世話になっている人物、とでも言うべきかもしれないが。
しかしその事実よりも、テオが驚いたのは、その人物がここに居るということである。
何せ本来ならば、こんな場所にはいないはずの人物なのだ。
「サティアさんが、どうしてこんな場所に?」
「どうしてと言われてもだね……ちょっと彼らが面白そうだったから出歯亀に――おっと間違えた、ちょっとギルドの備品が切れたからね、買いに来たのさ。その途中でここに遭遇したと、そういうことだよ」
「……そうですか」
前半部分で何やら不穏な単語を聞いたような気がしたが、テオは何も聞かなかったことにした。
どうせ余計なツッコミをすれば、その分の被害は自分にやってくるのである。
ならば最初から聞かなかったことにするのが一番いいと、そう判断出来る程度にはテオも学習しているのだ。
そのことに、何やらサティアが笑みを浮かべているような気がするが、多分気のせいだろう。
というか、今気にすべきはそんなことではなく――
「それで、一体何があったんですか? 妙に人が集まってますけど」
「そうだね、まあある意味で珍しくないと言えば珍しくもないんだけど……どうやら冒険者が襲われたらしいね」
「冒険者が、ですか?」
確かにそれは、頻繁にあることではないが、それほど珍しいことでもない。
冒険者同士の諍いなど、それこそよくあることだからだ。
それが発展し襲われるようなことになることも……まあ、珍しくないと言えてしまえる程度には、起こることである。
だが。
「なら、何でここまで人が集まってるんですか?」
「うん、どうやら襲われた冒険者は奴隷の娘を連れていたところを襲われたらしいんだけど、その奴隷の娘が助けを求めたらしくてね。すぐにそれに応える人はいたんだけど……そのせいで、無用な注目を集めることになっちゃった、ってところかな?」
「……なるほど」
確かにそれは、納得のいく話であった。
そもそも冒険者を助けようとする人がいるという時点で、かなり珍しい話だ。
だからあの人以外にもそんな人がこの街にはいるのかと、そんなことを思いながらそっちの方向を覗き込むようにして眺め――
「……あれ?」
「どうかしたのかい?」
「ええ、はい、少し……ちょっとラウル?」
「んあ? なんだよ、どうかしたのか?」
完全に話の方はテオに任せるつもりだったのか、離れた位置に待機していたラウルを手招く。
ラウルもサティアのことには既に気付いていたのだろう、軽い目礼だけをサティアにすると、テオの方へと近付いてきた。
そして。
「で、何だって?」
「いや、ちょっとあっちの方見てみたらいいと思うよ? 多分いいことがあるから」
「何だいいことって? 何かいいもんでも――って、あの人は!?」
その姿を目にした瞬間、ラウルの目が見開かれた。
少し大げさじゃないかとテオは苦笑を浮かべるが、しかし同時にそうなるのも無理はないかとも思う。
何せ、先ほどまで話していたその人が、そこには居たのだから。
だがテオとしては、納得した気分であった。
冒険者を助けるような人が早々居るとは思えなかったが……自分達を助けてくれた人と同じ人であるならば、納得である。
「おや? もしかしてキミ達は、彼のことを知っているのかい?」
「あ、はいっす。俺達、あの人に助けられたんす。むしろそれより何でサティアさんがあの人のことを……って、当然だったっすね」
「そりゃボクはギルドの受付嬢だからね。知らないわけがないさ。でもそういえば、そうだったね……まさかボクの担当してるキミ達が、ボクの担当してる彼に助けられるなんてね」
「へー、そうだったんすか。それはまた凄い偶然っすね」
「そうだね」
ラウルが敬語……いや、敬語にすらなっていない変な言葉でサティアと話しているのを眺めながら、テオは溜息を吐き出した。
テオとしてはあの変な言葉遣いは止めさせたいのだが、サティアが気に入ってそれで構わない、むしろそれで積極的に話しかけてくれなどと言っているのだからどうしようもないだろう。
せめて他の場所では使わないでいてくれると嬉しいのだが……ともあれ。
「んー、ある意味でいいタイミングだったわけだけど……どうしようかな」
「うん? どうしようかなとは、どういうことだい?」
「ああいえ、あれからラウルがずっとあの人にもう一度会いたいって煩かったんですけど、フィーネもちゃんとお礼を言いたいって言ってたんですよね。それで今なら合えそうですけど、フィーネが今いないのでどうしようかな、と」
「なるほど……そういえば、確かにあの娘がいないね。どうしたんだい?」
「ちょっと用事があるらしくて、別行動を取ってるんです」
「ふむ、別行動、か……なるほど。そういう流れになるわけか」
「……サティアさん?」
「うん? いや、何でもないさ。そう、ただの独り言だよ」
そんな意味深な笑みを浮かべながら言われても説得力がなかったが……テオは問いかける代わりに、溜息を吐き出した。
どうせ何かを言ってしまえば、碌な目に合わないのである。
ならば疑問は飲み込む以外に、方法はなかった。
まあ勿論、気にならないと言えば嘘になってしまうが……。
「あー、くっそ、どうすっかなぁ……。フィーネに悪い……いやだがここを逃したら次はいつになるか……」
隣から聞こえる呟きと、眼前に存在している笑み。
そのどちらからも逃れるように視線を逸らしながら、テオは先ほどフィーネを置いてきた方へと振り返る。
勿論その姿はとうに見えはしないのだが――
「……今頃何してるんだろうなぁ」
そんなことを思いながら、溜息を吐き出すのであった。
「……?」
一方その頃、当のフィーネはというと、不思議そうに首を傾げているところであった。
別に何らかの電波を受信したわけではない。
単純に、目の前で発生したことに対しての疑問だ。
まあ正確に言うならば、そこに何もなかったことに対するそれではあるのだが――
「……ん、いな、い?」
さらに厳密に言えば、見失ったということだろうか。
眼前にあるのは壁だけであり、そのことにフィーネは落胆するかのように息を吐き出した。
今フィーネが居るのは、路地裏の一角だ。
ただしそこが正確に何処になるのかは、フィーネ自身も知ってはいない。
自分の意思でここまでやってきたわけではないからだ。
いや、自分の意思ではないと言ってしまうと語弊があるかもしれないが、別にそこに来たくてきたわけではないのである。
フィーネはそこにまで、とある人物を追ってやってきたのだ。
とはいえ、フィーネはそれが誰なのかを知っているわけではない。
というか、知っていることなど、その人物が自分とそう年の離れていない少女だということぐらいだ。
では何故そんな少女を追いかけたのかといえば……別に大層な理由があるわけではない。
そもそもその少女を見かけたのも、偶然だ。
偶然適当な場所を眺めていたら、その少女がふらふらと視界を横切って……その姿が、ただ気になった。
それだけであった。
つまりは、それだけの根拠で一人の少女を追いかけたということになるが……フィーネの中でそれは、十分な理由なのだ。
そうしなければならないと、少女を見た瞬間に、そう思ったのである。
結局こうして見失ってしまったわけではあるが。
「……ん、帰る」
しかしフィーネはその状況を確認すると、特に拘泥するでもなく背を向けた。
見失ってしまった以上、そこに居ることは既に意味がないし……何よりも、また会う事が出来ると、そう感じていたからである。
しかも、割とすぐに、だ。
それもまた、根拠などまったくない、何となくというものでしかなかったが……それでもフィーネはそのことを疑うことなく、確信を持ちながら歩き出す。
あの少女はこんなところにまで何をしに来たのだろうかと、そんなことを考えながら、その場を後にするのであった。