少し昔の話と少し未来の話
「そういえば、和樹さんはいつ頃からあのゲームをやっていたんですか?」
それは本当に突然のことであった。
家の内装や必要な家具などなど、そういった類の準備――厳密には準備の準備と言うべきではあるが、今日見てきたものを踏まえた上でのその話し合いも終わり、暇を持て余していた時のことだ。
既にギルドで聞いたことの方は話し終えている。
だからこそ、そういった話し合いになったとも言えるのだが……そうしたことが終わった以上、和樹達に今すべきことはない。
勿論金を稼ぐ等幾らでもやることはあるのだが、少なくともそれは今するべきことでもなければ、出来ることでもないだろう。
何せそろそろ夜の闇が迫りつつある時間であるし、何よりあのゾンビ達と戦った後で、さらに討伐を行なうほど和樹は元気が有り余ってもいない。
あとは宿でのんびりと休み、明日以降への英気を養う。
今はそんな時間であり……雪姫がその言葉を発したのは、そんな時のことだったのである。
ともあれ。
「また唐突だな……何かあったのか?」
「いえ、ふと疑問に思いまして……もっとも、言ってしまえばただの好奇心ですから、言いたくないのでしたら、別にいいのですが……」
「いや、別に言いたくないってわけじゃあないが……」
それでも言葉を濁すというか、口が重たくなってしまうのは……何というか、ある種の自慢のようにもなってしまうからだろう。
後悔などは微塵もしていないが、それが聞いて楽しい話なのかどうかはまた別の問題なのである。
が、聞きたいというのであれば、話すのはやぶさかではなかった。
「まあ、というか、以前にも少し話したし何となく分かってるとは思うが、俺が始めたのは最初期……まあ、濁さずに言えば初日からだな」
サービス開始日は、約五年前。
それからつい先日の間まで、あのゲームに触らない日はなかった。
それはある面から見れば、確かに廃人と呼ばれても仕方のないことではあるのだろう。
もっとも、きちんと収入はあったので、どちらかと言えばワーカーホリックと言うべきかもしれないが……まあ、どっちだろうと大して変わりはないかもしれない。
大抵の場合、そういうと引かれるという意味で。
ある程度市民権を得たとはいえ、やはりそういうところでは、大して昔と変わっていないのだ。
だがそれに対し雪姫が見せた反応は、納得、であった。
やはりですかと頷くと――
「ということは、和樹さんはマゾ、ということですね」
「いや何でだよ」
素っ頓狂なことを言い出すのは今に始まったことではないが、今回のは殊の外酷い。
何をどう理解したらそういった結論になるのか。
しかしどうやら、何も無根拠でそんなことを言ったわけではないようであった。
「私も話でしか聞いたことはありませんが、最初期は文字通りの意味で何もなく大変だった、ということではありませんか。なのにずっと続けていたということは、その苦痛が快楽に変わっていたからなのではないかと思いまして」
「飛躍しすぎだろ」
ただしそれが素っ頓狂であることには、やはり違いはなかったが。
もっとも、それが完全に一部の隙もなく否定されるべき事柄かというと、そうでもない。
少なくとも、最初期の頃はほぼ苦痛しかなかったというのは事実だ。
が、当然ながらそれが次第に快楽へと変わっていった、などということの方は事実ではなく……そもそも、苦痛しかなかったというのが間違いである。
「まあ、同時に、おそらくは最も自由に何でも出来た時期だからな。それこそ、文字通りに。むしろそれが楽しかったからこそ、ずっと続けられてたんだろう」
あの頃は本当にあそこを楽園だと思っていたし、信じてもいた。
勿論それが完全に消え失せたわけではないが、やはり時間が経つごとに、あの頃の万能感は薄れていってしまったものである。
……のだが、どうやらそこのお嬢さんにはいまいちその言葉は通じなかったらしい。
――或いは。
誤解を恐れずに言うならば……最初からそんなことは、どうでもよかったのかもしれないが。
「ふむふむ。つまりは、やはりマゾ、と。分かりました……それで和樹さんが満足するのでしたら、苦手ではありますが、これから頑張ってサドとしての技能を身につけたいと思います」
「何も分かってない上に何を言ってるんだお前は」
「ところで話は変わりますが、ということは、かなりお知り合いの人の数も多いんですよね?」
さすがにその話題転換は、幾ら何でも強引に過ぎたが……和樹は敢えて肩を竦めることで流した。
そこまで無粋ではなく、また特に聞かれて困る話題でもなかったからだ。
その意図するところが、どこにあれ、である。
「ふむ……まあ、そうだな。俺はあんま社交性の高い方じゃなかったが、それでも色々な繋がりとかもあったしな。途中で止めたやつとかもそれなりにいるが」
「その全員のことを覚えているんですか?」
「んー……どうだろうな。……まあ、大体は覚えてるか、さすがに。初期組で途中で止めたやつらは微妙なところだがな。顔を見れば思いだすかもしれんが」
何せ五年だ。
リアルの都合で止めざるを得なくなった者もいるし、単純に飽きたと言った者もいれば、気が付けば見なくなっていた者もいた。
その間に幾つかの大型アップデートなどと呼ばれるものもあったし、その時に起こった仕様の変化で止める者もいれば、逆に入った者もいる。
本当に様々な人が、出たり入ったり、または留まり続けていた。
実際に数えたことがあるわけではないが、おそらく関わった者の数は四桁では足りないだろう。
或いは、数え方次第ではもう一桁増えるかもしれない。
年齢、性別、人種、職業。
互いに共通点はほとんどなく、それこそ本当に、そのゲームをやっているということぐらいだっただろう。
切っ掛けが異なれば、関係性も異なる。
偶然助けるような形になった人も居れば、野良パーティーで出会った人もいるし、リアルで会うようになった人も居れば、一度だけしか会わなかった人も居る。
ただ、結局のところ、その大体の人を覚えているというのは、それだけアレが楽しかった、ということなのだろう。
楽しかった出来事を覚えていて、そこに関係していた人達のことが紐付けされる形で覚えている。
おそらくは、それだけのことなのだ。
「……凄いですね」
「そうか? さっきも言ったが、俺はあんま社交性が高くなかったしな。ほとんど交流がないようなやつのこととかは、さすがに覚えてないぞ?」
「ということは、一度会った程度の人のことなどは覚えていない、ということですか……」
「それは誰だってそうだろ? 会ったばかりとか、名前ぐらいならともかく、一度会った程度のやつのことをちゃんと覚えとくのは無理だろう」
「そうですか? 以前大規模戦闘に参加したことがあるのですが、その時にはそれ以前の大規模戦闘でのみ一緒になったような人達が交流を暖めていましたが」
「そりゃ一度だけでも、それなりのインパクトとかがあれば話は別だろうよ。野良パーティーを組んだ、程度じゃさすがに微妙だろうけどな」
和樹が覚えているのは、あくまでもそれが切っ掛けになったり、そこでかなりインパクトのあることをした場合のみである。
印象深かったことと人物とがセットになっているのであれば、印象のあまりなかった出来事に関わった人物のことを覚えていないのは道理だろう。
勿論例外もあるし、接した時間がある程度あればそれが理由になったりもするが。
「……そうですか」
「で……結局どういう意図があった質問なんだ?」
さすがにそれをただの雑談だと判断するほど、和樹も鈍くはない。
明らかに何らかの理由があってのことなのは間違いなかった。
「いえ、先ほども言いましたように、ただの好奇心ですが。ですが、そうですね……敢えて他の意図があったとするならば、和樹さんが色々な人のことを知っていたら、私達のようにこの世界に来てしまった他の人のことを見つけ出せるかもしれない、というところでしょうか?」
「あー……なるほど、確かに。俺が知ってるやつが居たら簡単に見つけることが出来るか」
「はい。私は始めてから日が浅かったので、あまり知っている人がいませんから」
それは自分達以外にも、同じようにこの世界に来てしまった人達が居る、という想定を前提とした会話ではあったが、そう考えるのはむしろ自然なことだろう。
何せ和樹達には共通点など碌にないはずなのに、そこだけは見事に嵌っているのだ。
ならば同じような状況から他にもこの世界に来てしまった者がいると考えるのは、当然の思考である。
だがだからといって、それをどうやって判別するのか、ということだ。
和樹が雪姫を見つけたのは……というよりは、雪姫が和樹を見つけたのは、あくまでもただの偶然である。
同様の方法で見つけることも不可能ではないが、あまり現実的な方法ではないだろう。
そもそもアレは、若干約一名の余計な手も加わっている。
しかし顔を知っているのであれば、話は別だ。
顔を見ればいいだけなのだから、それ以上の判別法は必要がない。
とはいえ、それはそれでいいとしても、そこでもっと根本的な疑問がわき上がってくる。
即ち――
「ふむ……まあそれはいいんだが、ところで探してどうするんだ?」
「え? どうする、ですか? それは……そうですね。正直あまり深く考えてはいませんでしたが……やはり色々と話を聞いてみたいでしょうか。色々と分からないことだらけですし」
「……話、か」
そこで何となく、和樹は天井へと視線を向けた。
幾つかの思考が重なり、ゴチャゴチャに混ざり合っていく。
ただそれでも、そこに共通して言えることがあるとするならば――
「……なあ雪姫、一つ聞きたいことがあるんだが、いいか?」
「はい? それはもしかして、逆告白、ということでしょうか? 出来れば心の準備をする時間が欲しいのですが……分かりました。いつでもどうぞ」
「残念だが、真面目な話だ」
「私も真面目ですが?」
視線を下ろし、雪姫へと向ける。
不思議そうに首を傾げている姿に苦笑が浮かび、次いで溜息を吐き出す。
出来ればその戯言に乗りかかりたいところだが、生憎とそうもいかないのだ。
これはいつか聞かなければならないことであり、この機会を逃せばいつになるか分からない。
少しだけの緊張を覚え、息を吸い、吐く。
そして。
「雪姫……お前は、元の世界に戻りたいか?」
かつて自分が結論を出したその問いを、投げかけたのであった。




