青空市場と新居
ギルドを後にした和樹は、そのまま宿には帰らずに街の中をぶらついていた。
とはいえ、何の用もなしにかというと、そうではない。
今すぐ寝込むほどではなくとも、そこそこに疲れてはいるのだ。
さすがにその状態で散策に出るほど気力が残ってはいなかったし、何よりもそんなことをする理由がない。
まあつまりはそれには何かしらの理由があるということなのだが……結局のところ何故そんなことをしているのかと言えば、今後のことを考えて、であった。
具体的にそれが何を指しているかというと、これから作る予定の家のことであり、要するに新居のための行動ということである。
だが素直にそう言うことが出来ないのは、やはり実際にはそれで間違いがなくとも、その意味するところが一般的には別の意味でとして捉えられてしまうからだろう。
特にそれによって、若干約一名がとても鬱陶しいことになることが予想される以上は、あまり認めたくはないものなのである。
まああとは、多少の義理も関わってはくるものの、そちらは所詮蛇足の域を出ないことだ。
とはいえ何にせよ、事実が事実として変わりはないのも、違いがないことではあるのだが。
ともあれ。
「ふむ……今までこういう視点で見たことはなかったから、新鮮って言えば新鮮だな……」
この街は人の流れが激しく、また冒険者の数が多いということもあって、様々な店が存在している。
それは逆に言えば、それだけ物が売れるということであるが、以前にも述べたようにこの街を訪れる人の大半は商人だ。
そんな状況とあらば、物を売らない、などという選択肢があるわけもなく、しかし流れの商人が正式に店を構えることが出来るわけもない。
ではどうするのかというところで出てくるのが、露天だ。
露天は何も食べ物しか売っていないというわけではなく、むしろその他の物を扱っている人の方が圧倒的に多いのである。
この街にはその露天が集まっている、所謂青空市場などと呼ばれるような広場が存在しており、和樹が今訪れているのも、そのうちの一つであった。
そして和樹がそこを見て回り、時に露天をのぞき込むようにして確認しているのは、要するに新しい家に何が必要なのか、ということである。
当たり前のことだが、和樹は今までに自分の家というものを持ったことはない。
住む家の内装や家具等、何が必要でどういったものがいいのか、まるで分からないのだ。
これが或いは元の世界であれば、多少は分かっただろう。
自分の住んでいた家や友人の家など、自身の知っているものを参考に補完していけばいいのである。
だがこの世界の家のことになれば、話は別だ。
何しろ参考にすべき家というものを、和樹は一つも知らないのである。
そもそも、何が一般的なのかも知らないのだ。
今まで泊まっていた場所は全て宿であり、それを参考にするのはちょっと違うだろう。
最悪お任せにしてしまえば、おそらくは一般的なものが出来上がるとは思うのだが……経緯がどうあれ自分の家を持つことに違いはない。
ならばと、出来るだけ自分達の思った通りのものを作りたいと思ってしまうのは、当たり前の思考ではないだろうか。
そしてそのための今なのだが……勿論、広間や露天を巡ったところで、どんな家が一般的なのかは分からない。
が、市場と言うだけあって、そこは様々なものが売っている場所であり……それは期待以上だったと言うべきだろうか。
ちょくちょくと家具等の参考になりそうなものを見つけることが出来たのである。
しかもそれは歩き出して、ほんの十分ほどの間の出来事だ。
広間は広く、露天は多い。
これはそれなりに情報を得ることが出来そうだと、そんなことを考え――
「おや……? これは奇遇だね」
聞き覚えのある声が耳に届いたのは、そんな時であった。
いや、というか、聞き覚えがあるも何も、それはほんの十分ほど前に聞いたばかりの声であり――
「……おい。何故ここにいる」
「ふむ……それはまた随分な言い草だね? ボクが何処にいようと、それはボクの自由ではないかな?」
振り返った先に居たのは、予想通りの人物であった。
「それは確かにそうだが、ギルドで別れたの、ついさっきだろうが……それで、何でここに居るんだよ」
「くっくっく……ボクは何処にでも居るし、何処にも居ないのさ」
「いや、意味分からんし怖えよ」
「ま、冗談はさておき、ギルドも色々と物入りだからね。そのための買い物、というわけさ」
つまり、あの後すぐにサティアも買い物に出かけ、ここで偶然遭遇した、ということらしい。
怪しさしか感じない偶然ではあるが、本人がそう主張している以上はそういうことなのだろう。
言及したところで意味はないので、一先ずそういうことで納得しておくことにした。
「まあ別に何だっていいんだが、なら忙しいんだろ? 邪魔しちゃ悪いし、俺もやることがあってここに居るんだ。というわけで、じゃあな」
「ふむ……ボクとの世間話にこうじるよりも優先される用事、か……それは非常に興味をそそられることだね?」
「そそられんでいいからとっとと自分の役目を果たせ」
というか、そもそもサティアとの世間話よりも優先されない事柄の方が少ないだろう。
だがどこまで本気なのかは分からないが、少なくともこのまま離すつもりはないらしい。
話すまでは付きまとうと、その瞳と弧を描く口元が、その意志を伝えていた。
そして和樹は、そこから逃れられないであろうことを知っている。
無駄な抵抗の代わりに、溜息を吐き出した。
「と言っても、別に面白いことはないぞ? 新しく作る家の参考になるものを見て回ってるだけだからな」
「ふむ、なるほど……新婚生活のための下調べ、ということだね」
「全然違えよ。何故そうなった」
「だってつまりは、そういうことだろう?」
「だから全然違うっつってんだろ」
「ん? いや、だけど……ふむ? ……まあ、キミがそうだというのであれば、そういうことにしておこうか」
そういうことも何も、それが事実なのだが、これ以上相手をするのも面倒なので、再度の溜息で応える。
こういった手合いは、一人居れば十分なのだ。
「で、俺がここに居る理由も分かったことだし、もういいだろ。とっとと自分の役目に戻れ」
「ふむ……これでもボクは、所謂天の邪鬼などと呼ばれるような性格をしているという自覚があるから、そういう態度を取られてしまうと、つい逆のことをしてみたくなるんだよね」
「率直に言って最悪だな」
「まあ、キミに嫌われるのも、邪魔をするのも本意じゃないし、馬に蹴られる……だっけ? そんな目に遭うのもゴメンだ。ここは素直に引いておくよ」
言うや否や、サティアは本当にあっさりと身を翻した。
間際に小さく手を振り、バイバイと口にすると、そのまま歩き去っていく。
その背中を眺めながら、和樹は何とも言えない表情を浮かべていた。
結局のところ、何がしたかったのかが分からないからだ。
まあ、目的など何もなかったと、そう言ってしまえばそれまでなのかもしれないが――
「問題は、アレがそんな真似をするかって……あ」
と、向けたままの視界の中に見知った姿が飛び込んできたのは、そんな時であった。
おっかなびっくりというか、おどおどとし、何処か不安そうに周囲を見回しながら、こちらの方向へと歩いてきている。
その姿に、サティアも気付いたはずだ。
何故ならば、間違いなくそちらの方へと一度顔が向いたからである。
だがサティアはそこで、何かをしたりはしなかった。
いや、或いは……その時には既に、やるべきことは終わっていたと、そういうべきなのだろうか。
そのままその顔が、こちらへと向けられる。
まるで、やるべきことは分かっているね? とでも言うかのように、だ。
それに対し和樹は、三度溜息を吐き出した。
言葉にするならば、大きなお世話だというところだが、おそらくは純粋な厚意でもあるので邪険にすることも出来ない。
まったくだから余計に性質が悪いのだと、四度目の溜息を吐き出し……そちらへと歩き出した。
若干シャクではあるのだが……まあ、このまま放っておくのと比べたら、さすがに比べものにすらならないだろう。
人の流れに逆行するように歩き、未だ周囲をきょろきょろと落ち着くなく見回しているその隣に立った。
「……何やってんだお前は」
「……え?」
きょとん、とした顔が、声に引っ張られるようにして上を向く。
一瞬、何が起こっているのか分からない、とでも言いたげに首が傾げられ……しかしその口元がゆっくりと緩んでいくのに、大した時間は必要なかった。
「前々から疑問だったんですが……もしかして和樹さんって超能力とか使えたりします? それか、私のストーカーだったり」
「その二つに共通点がなさ過ぎんだろ」
「だって私が困っていると、いつも助けに現れてくれますし」
「ただの偶然だ」
「ふむふむ……つまりはやはり運命、ということですね」
改めて言うまでもないだろうが、見つけた人物というのは、当然のように雪姫だ。
先ほどまでの様子は何処へやら、すっかりいつも通りとなった姿と戯言に、息を吐き出す。
もう少し静かでもよかったような気がしたが……まあ、いつも通りが一番いいのだろう。
「で、結局何をしてたんだ? というか、何をするつもりでも、言葉が通じなきゃ何も出来ないだろうが」
「あ、はい、というかですね、私もそのことに気付いたのは外に出た後でして……そういえば、言葉通じないんですよね」
気付くのが遅いが……考えてみたら、ずっと和樹と一緒に居た上に、会話をするような相手はサティアぐらいしかいなかった。
今日は他にも話す機会があったが、スキルのおかげでそこに問題はなく……確かに、つい忘れてしまうのも無理はないのかもしれない。
とはいえ、言葉のことに気が付くのに、半年以上、しかも他人を介してようやく気付いた和樹には、あまり何かを言う資格はないだろう。
ただそれでも、言えないことがないというわけではない。
「その時点で宿に引き返せよ……大体、疲れてるんだから休んでろって言っただろ」
「……いえ、そうなんですが」
もっともそんなことは、言われるまでもなく雪姫にも分かっていたはずだ。
にも関わらず言葉を濁す姿に、和樹は眉を顰める。
不審、というほどではなかったが、そこに何かを隠しているような気配を感じたのだ。
そこを問いつめるように見つめると、ついと視線を逸らされた。
こういった真似をすれば、逆に見つめ返してくるようなことをしてくるのが、雪姫だ。
それがこれなのだから、余程後ろめたいものがあるのだろうか?
まあ、究極的に言ってしまえば、どうでもいい話ではあるのだが……そう判断し諦めるよりも、雪姫が観念したように息を吐き出し、口を開く方が早かった。
「……いえ、別に大したことではないんです。ほら、これから私達、新居を構えることになっているじゃないですか? あ、えと、構えられることになったん、ですよね?」
「ああ、まあ、詳しいことは後で話すが、とりあえずそれ自体は問題がなさそうだ。で、それで?」
「あ、はい……ですが、ふとこちらの世界の一般的な家というものを知らないということに気付きまして。ここなら以前にも見た通り、色々なものがあって様々な人が居ますから、何か参考になるようなものでもないかと思ってですね……って、何を笑っているんですか? これでも真面目に話しているんですよ?」
「いや……悪い」
咄嗟に謝ったものの、笑った、というのは正確ではない。
口元が緩んでしまったのは事実だが、それは和樹がここを訪れた理由とほぼ同じであったからだ。
そのことに、考えることは同じかと、苦笑のようなものを覚えたのである。
そしてそのことを伝えてみれば――
「ふむふむ……つまり、私達の相性はバッチリだということですね?」
などと言い出すのだから、調子のいいものだ。
今度ははっきりと、苦笑が浮かぶ。
だがそれはきっと、これから先のことをきちんと考えているが故である。
ならば、それに笑みを浮かべることは、多分正しいのだろう。
「……ま、悲観に暮れてるよりは、遙かにマシ、か」
「何か言いましたか?」
「お前と居ると退屈しない、って言ったんだよ」
「えへへ……そう真正面から褒められると照れますね」
「何故今ので褒められてると思った?」
まあ実際のところは、確かにどちらかと言えば褒めてることに違いはないのだが。
しかし素直にそう認めるのは、何処かはばかられた。
だがそこまで理解しているのか、嬉しそうに微笑む雪姫に、和樹は肩を竦める。
そして。
それから二人して、新居の下調べるをするために、歩き出すのであった。