戦闘の終結
「なんていうかまあ……男の子だなぁ、二人とも」
ふと隣から聞こえた声に、雪姫は小首を傾げた。
そちらへと視線を向ければ、声の主――マルクは、その口元に苦笑を浮かべている。
まあ今の台詞からすれば、その表情は不思議でも何でもないのだが――
「そう言うということは……実はその姿は男装、ということですか?」
「いやいや、そういうことじゃなくてね」
「あら、カイトはちゃんと男の子よ? しっかりと、ついてる、もの」
「なっ……!?」
唐突な爆弾発言に驚愕の表情を浮かべ、マルクの視線がマリーへと向けられるが、当の本人は意味深な笑みを浮かべているだけだ。
しかしその様子に、雪姫は一つ頷きを作る。
「なるほど……確かめたと、そういうことですね?」
「ふふ……想像にお任せするわ」
「いやいや、そこはちゃんと否定しようよ!」
「あら、見た、ことに、違いはないでしょう?」
「あれは事故じゃないか……!」
「ふむふむ……詳しくお願いします」
「そうね、あれは確か……」
「今戦闘中! 戦闘中だからね!? 二人も頑張ってるし!」
「とはいえですね……」
言いながら雪姫は、視線を前方に向ける。
先ほどから轟音やら爆音やらを響かせまくり、激しい地響きを立て、周囲を遠慮なく破壊して回っている二人へと、だ。
「その二人が頑張りすぎているせいで、私達がすることないですし」
「いやまあ、そうなんだけどね……」
「正直わたしもそろそろ何もしなくてもいいんじゃないかしらねえ……」
三人は戦闘が始まってからこちら、ほとんど何もしていない状況であった。
最初の頃はレオンが全て一人で片付けてしまっていたし、その次はこれだ。
援護攻撃をしようにもその必要がなく、唯一マリーだけがバフとデバフをかけてはいるものの、あの様子では必要があるかは疑問なほどである。
三人は今までの時間のほとんどを、ゾンビの観察と周辺の瓦礫の撤去――厳密に言えばその破壊を行なっているだけなのであった。
「まあ正直そこは遺憾なところではあるんだけど……それだけ、彼が凄いってことでもあるんだよねぇ。レオンもかなり本気出してると思うんだけど、客観的に見て大分差があるし」
マルクの言葉に従うようにそちらへと視線を向けてみれば、そこにあったのは蹂躙だ。
乱れ飛んでいるのはゾンビであったものの一部であり、吹き荒れているのは暴虐の嵐。
無造作に、無謀にも思えるほどの動きでレオンがゾンビの群れへと飛び込めば、一瞬の後にはそれらはミンチと化し、解体されている。
勿論乱れ飛ぶ中には臓物なども存在しているのだが……何もそれは自らの力を誇示するために無意味にやっているわけではない。
きちんと意味あってのことなのだ。
そもそもゾンビとは、非常に殺しにくい魔物である。
元の存在のことを考えれば当然のことではあるのだが、何せゾンビには主要な器官というものが存在していない。
要は、頭を潰そうが心臓をくり貫こうが、その程度のことでは死なない、ということである。
しかも死なないだけならばまだしも、その傷は一分と経たない内に再生してしまう。
それは頭だろうと同じことであり……そんなゾンビを倒す方法は一つだけ。
身体の何処かに存在している、コアと呼ばれるものを破壊することである。
ただしその位置は不定だ。
常に移動しているということではなく、個体ごとに異なる、ということである。
頭にあるかもしれなければ胸にあるかもしれず、或いは足のつま先にあるかもしれない。
当然のように外からは見えず……だが判別する方法はあった。
コアは何処にあるかは分からないが、動くということはない。
また再生は常にコアのある側を基点として行なわれ……つまりは、バラバラにしてしまえば、再生しているところからコアの位置を読み解けるのだ。
あとはその再生途中のところを、諸共叩き潰してしまえばいい。
レオンのしていることはそういうことであり……だがそれは無意味ではないが、無駄ではあった。
バラバラにするという手間が発生してしまっているからだ。
そんなことをわざわざせずとも、最初から一撃で消し飛ばしてしまえばいいのである。
和樹のように、だ。
勿論そこには速度もあり、単純に言ってレオンよりも殲滅速度的には圧倒的に早い。
差があるとは、そういうことだ。
まあ当然のように、そんなことを平然と出来るような者などは、早々いないのだが。
「しかも彼の方はあれ多分、まだ全然本気じゃないみたいだしね」
「そうなの? 今の時点でもかなり凄いように見えるけど?」
「真面目にやってないってわけじゃないだろうけどね。どっちかっていうと、余力を残してる、って感じかな? 周辺の警戒も怠ってないみたいだし……おかげで僕達のやることはさらになくなるわけだけど」
「自慢のご主人様ですから」
雪姫がそう言って胸を張ると、マルクは苦笑を浮かべた。
確かに、と頷き――
「これは十分自慢するに値する……いや、自慢すべきことだろうね」
そこで雪姫がおやと思ったのは、まさか素直に肯定されるとは思わなかったからだ。
別に冗談で言ったわけではないのだが、自分の発言が人にどう聞こえるかぐらいは分かっている。
だから冗談と判断されるだろうと、そう思っていたのだが……。
「不思議そうにしてるけど、この光景を目にすれば、誰だって納得すると思うよ? まあ、一部の人達は納得しようとはしないかもしれないけどね」
「ランク五のあなた達は違う、ということですか?」
「ランク五っていうのは……いや、関係あるか。自分達がどういった位置にいるのかを理解しているからこそ、この光景の意味も理解出来るんだし」
「そうね。わたしは戦闘が得意な方ではないけど、それでも、これがどれだけ凄いことかということは分かるもの」
「それを一番よく理解してるのはレオンだろうけどね。かなり嬉しそうにしてるし」
「嬉しそう、ですか……?」
首を傾げながら眺めてみるも、雪姫にはそれはよく分からなかった。
単純に遠目だということもあるが、どちらかと言えば、楽しそう、に見えたからである。
まあそこに違いがあるのかと言われれば、ないのかもしれないが。
「まあこれは当事者じゃないとよく分からないことかもね? でも少なくともレオンと……そして僕は、そう思ってるよ。理由は違うだろうけどね」
「わたしとしては、あなたの方が分かりやすいと思うけどね。だって一目で嬉しそうだって分かるもの」
「え、そうかな? 自覚はないんだけど……でも、そうかもね。これを見れただけで、今日はここまで来た甲斐があったってものだし。正直厄介事に巻き込まれそうな予感もしてたから、迷ってたんだけどね」
「厄介事には巻き込まれている気がしますが?」
和樹が無双してるためちょっと分かりづらいことになっているが、今の状況は明らかに異常である。
何せレオンの解体以上の速度で和樹がゾンビを屠り続けているというのに、一向にゾンビが全滅する気配がないのだ。
既にその大部分は最初に見えていた人型のゾンビではなく魔物のゾンビとなっているが、目に見える範囲での数としては大して変わっていない。
それがどれほどの異常なことなのかは、改めて言うまでもないことだろう。
「まあその通りなんだけど……このぐらい安いものだよ。おかげで僕のやってきたことは間違ってなかったんだって、分かったし。代わりに自分の記憶の不確かさについても分かってしまったわけだけど。美化してたり大げさに捉えてた可能性は考えてたけど……まさか逆なんてね。まったく、記憶なんてものは当てにならないものだ」
「マリーさん、マルクさんが何やら意味の分からないことを言い始めましたが?」
「ああ、ごめんなさいね。この人時々こうなる時があるのよ。自分の考えを纏めるために口に出しているみたいなのだけど……鬱陶しいとは思うけれど、少しの間我慢してくれないかしら?」
「何か僕散々な言われようじゃない? まあそれはともかくとして……どうやら、巻き込まれた厄介事も、終わりが近付いてきたみたいだね」
言われ、眺めてみれば、すぐにその意味するところは理解出来た。
先ほどまで減っていなかったはずのゾンビ達の数が、明らかに減っていたのだ。
まあ無尽蔵ということは有り得ないので、そのうち尽きることは確定していたのだが、思っていた以上にその時は早く訪れるらしい。
「それもこれも彼のおかげだけど……彼らはさすがだね。僕達だったら、とっくに撤退してところだ」
「実際のところ、さっきも撤退しようとしていたものね」
「普通なら明らかに引く状況だったからね。いや、本当に――」
だが。
大抵の物事において共通していることだが、最も危険な時というものは決まっている。
当たり前のことではあるものの、それは気を抜いた瞬間――即ち、戦闘終結の直前だ。
つまりは今ということであり……それを証明するかの如く、その場に存在していた全てのゾンビが、一斉に弾け飛んだ。
「なっ……!?」
和樹やレオンが何かをしたというわけではない。
二人の顔に浮かぶ驚愕の表情が、その証拠だ。
まるで自爆したようであり……しかしそれは有り得なかった。
和樹達を巻き込むわけでもなく、何の意味もなかったから……というわけでは、ない。
もっと単純な話であり、ゾンビが自爆などをするはずが……否、出来るわけがないからだ。
先にも少し述べたが、ゾンビには知能が存在していない。
考えるための脳が腐り果てているからであり、行えるのはゾンビの本能によるものと、生前身体に染む込むほどに繰り返し、慣れた行動だけなのである。
だから慣れようがない自爆などを行えるわけがなく――
「ったく、最後まで面倒な……大人しくやられてろっての」
溜息交じりのぼやきを和樹が放った直後、先ほどと同じように、変化は唐突に起こった。
同時に、それは明瞭でもあり……それを眺めながら、和樹が再度溜息を吐き出す。
「追い詰められた敵の最後の手段ってか? 確かにある意味お約束ではあるが……それをお前達がやるのか」
だがそうは言っても、その場から動くつもりはないようであった。
レオンもまたその場に留まりながら、口角を吊り上げている。
「はっ……おいおい、さらに面白いことになってんじゃねえか。今日はまた随分とツイてやがる日だな……!」
「いやあ、さすがにこれを前にしちゃうと、僕はそうとは言い切れないかなぁ。かなり興味深くはあるんだけどね」
「うーん、さすがにあそこまでの大きさになっちゃうと、わたしのデバフも効果が薄そうねえ」
「といいますか、皆さん何だかんだで結構冷静ですよね? 先ほどまでのことと比べてすら、かなりの大事だと思うんですが」
「君にだけは言われたくないかなぁ。どう考えても、この中で最も冷静なのは君じゃないか」
「私は和樹さんのことを信じていますから。この程度のことで慌てろと言う方が無理な話です。大体、少しばかり相手が大きくなっただけではないですか」
「少し、ねえ……」
マルクの口元に苦笑が浮かぶが、どこかそれは諦め気味であった。
まあ、これを少しと言ってしまうのだから、そうする以外になかったのだろうが。
結局のところ、何が起こったのかと言えば、雪姫の言葉が全てだ。
敵が巨大化した。
言ってしまえばそれだけのことである。
それをそれだけと言ってしまって良いのかはともかく……また、十メートルを越すような巨体を少しと呼んで良いのかもともかくとして。
起こった事実とすれば、それだけのことだ。
もう少し具体的に言うならば、弾け飛んだゾンビの破片達が蠢きだし、一つの形を取った、ということなのだが……まあ、それはいいだろう。
何にせよ、眼前の現実に違いなどはないのである。
「だが面白そうなことは確かだが、どうすりゃいいんだこりゃ……? ぶった切ればいいのか?」
「とりあえず試してみたらいいんじゃないか?」
「それもそうだな」
言うや否や、レオンはそれへと一気に飛び込んだ。
大きいということは、それだけで脅威ではあるが、攻撃をするということを考えればこれほど容易いものはない。
地面を破砕しながら踏み込み、勢いをそのままに振り抜いた。
が。
「っ……! ちっ、なんだこいつ……硬え、だと……!?」
スキルこそ使わなかったものの、それを除けば一切の遊びのない全力の斬撃だ。
しかしそれは斬り裂くどころか食い込むことすらなく、腕に衝撃を返しながら弾かれていた。
まるで岩でも叩いたかのような……いや、今のレオンであれば、例え岩だろうと簡単に砕くことが出来るだろう。
何せ鋼鉄を叩ききったこともあるのだ。
それに比べれば、大きくなったとはいえ、ゾンビ程度ものともしないはずであり……だが結果は、無傷というものであった。
しかしそのことに、レオンの口元はさらに吊り上がる。
痺れの残る腕を無視し、さらにもう一歩を踏み込み――
「はっ、だがそうこなくっちゃな……! なら次はスキルも使って……っ!?」
そこで後方に飛び退いたのは、咄嗟の判断であった。
背筋に走った悪寒に従い、踏み込みに使うはずであった力を全て用い……その結果が、眼前のそれだ。
いつ起こったのかは正確には分からなかった。
ただ視界の端に何かを捉えたと思った瞬間、目の前の地面が爆ぜたのだ。
そしてそれに巻き込まれる形で、レオンの身体が吹き飛ばされる。
受身を取る暇すらないほど強烈に、地面に叩きつけられながら、だ。
それを雪姫達が認識することが出来たのは、離れていたが故だったのだろう。
レオンと同じ位置に居たならば、雪姫でさえも同じ結果になっていたかもしれない。
とはいえ、別に行なわれたことは難しいものではない……否、至極単純なものだ。
ゾンビがしたことは、上段からの振り下ろし。
それだけの……そう、至近からでは正確に認識出来ないほどの速度で放たれたというだけの、一撃であった。
「っ、レオン!?」
「っ……はっ、騒ぐんじゃねえよ、直撃貰ったわけでもあるまいし。この程度でやられるオレじゃ……っ!?」
「まったく……意地を張らないの。直撃してなかったって言っても、無視できる程でもないでしょ」
立ち上がろうとするレオンへとマリーの掌が向けられ、淡い光が飛んでいく。
回復系のスキルなのだろう、レオンはどこかばつの悪そうな顔をしていたものの、それを素直に受け入れていた。
しかしそれはつまり、素直に受けなくてはならない程度には、先の一撃でレオンもダメージを負った、ということであり……。
「ふむふむ……これは予想以上に厄介そうですね」
「そうだね。まさかレオンの攻撃で傷一つつかないだなんて」
「ちっ……癪だが確かにな」
「ただ大きくなっただけではない、ということかしら?」
「そういうことだろうね。もっとも、考えてみれば当たり前のことではあるけど。減ってきていたとはいえ、百体近い数のゾンビが居たんだ。それが一つに集まってあの程度の大きさにしかならないってことは、かなりの密度になってるんだろうね」
「なるほど……その密度の状態で拳を振り下ろせば、ああなって当然、ということですか」
見てみれば、先ほどゾンビが拳を振り下ろした場所は、大きなクレーターと化していた。
アレをまともに食らえばどうなるかは、考えるまでもないだろう。
しかもあの速度だ。
近寄るのは得策ではない。
「となると……お二人は遠距離からアレを倒せると思いますか?」
「相応の火力があれば出来るだろうけど……問題は、それにはどれほどのものが必要になるか、ってことかな。というか、正直僕達の中で最も火力のある攻撃を出せるのってレオンなんだよね」
「つまり無理ということね。それとやっぱりと言うべきか、アレにはいまいちデバフが効きづらいみたいだし……ちょっと有効打は思い浮かばないかしら」
「あぁ? オレはまだまだいけんぞ? あんなおもしれえの、みすみす見逃す手はねえよ」
「やれやれ、いつもはもうちょっと慎重だと思うんだけど……まあ、その心配がないってことが分かってると、そうなっちゃうのも仕方がない、か」
溜息を吐き出し、マルクが視線を送ったのは、当然のように和樹だ。
状況の悪さの割に、マルク達がまったく慌てても焦ってもいないのは、いざとなれば彼が何とかしてくれると思っている……いや、確信しているからである。
まあだから正直に言ってしまえば、レオンの好きなようにさせてしまっても問題はないのだが――
「ごめん和樹、お願いしていいかな?」
「俺は構わないが……そっちのやつは全然よさそうじゃないぞ?」
その言葉にレオンの方を見てみれば、射殺さんばかりにマルクのことを睨んでいた。
だがマルクはそれに苦笑を浮かべると、和樹に肩を竦めて見せる。
「構わないさ。無茶して武器壊されでもしたら困るしね。アレ特注品だから、色々と面倒なことになるし……だから、頼んだ」
「了解」
「おい、テメエら……!」
レオンの叫びを無視しながら、和樹は一つ頷くと一歩を前に進んだ。
相変わらずその足取りは気軽であり、重さというものを感じさせない。
当たり前の顔をして、当たり前のようにゾンビへと近付き――瞬間、それの拳が振り下ろされた。
それを認識できたのはやはり、離れた場所に居るからだろう。
あの場に居たらどうなるかなど考えるまでもなく……それを現実に映すかの如く、直後に鮮血が舞った。
そのことにマルクが思ったことは、密度が高いからか血の勢いも凄いんだなとか、そんなことだ。
腕の半ばで断ち切られたゾンビの腕が宙を舞い、血が噴き出し、その時には既に和樹の姿はそこにはない。
心配など欠片もしていなかったが、その姿は目の前どころかゾンビの真後ろにあり――
――極技・閃。
分かったのは、ただその軌跡だけ。
和樹がその手に持つ剣を、腰の鞘へと仕舞う音が、妙に高く大きく響き――それを合図とするかのように、ゾンビの身体が細切れとなり、落下を始めた。
しかしそれは地面に落ちるよりも先に崩れ落ち、消滅していく。
何とか地面に触れることの出来たものも、すぐに同じ結末を迎え……その名残すらも消え失せるのに、大した時間は必要とはしなかった。
そして。
「やれやれ……色々と面倒なこともあったが、これでようやく今回の依頼は無事終了、ってとこかね」
それが、文字通り今回の依頼を締め括る言葉となるのであった。