冒険者と魔物
和樹が冒険者となったことに、理由などはなかった。
というよりは、理由がないからこそ冒険者にしかなれなかった、と言うべきか。
幾らこの世界が剣と魔法のファンタジー世界だとはいえ、身元不明で怪しさ満点の人間が、そう簡単に普通の仕事になど就けるわけがないのである。
勿論手段を選ばず、文字通り何をしてもいい、などと言うのであればまた話は別だっただろう。
だがどれだけ落ちぶれ追い詰められようとも、人として捨ててはいけないもの、というものは存在しているはずだ。
少なくとも和樹は、それを捨てないことを選択したのである。
「……ま、真っ当じゃないって意味なら、大差はないかもしれないけどな」
それでも、同じ底辺とはいえ、最低限人としての矜持を保っていられる分、こちらの方が遥かにマシだろう。
そんなことを呟き考えながら、和樹は進めていた足を止めた。
既に街は遠く、他の人の姿は影も形もない。
例え泣き叫んだところで、誰も助けになどやってはこないだろう。
つまりは、好き放題にやれると、そういうことである。
「さて、と……」
ところで唐突であるが、この世界には魔法というものが存在している。
読んで字の如しのものであり、端的に言ってしまうのであれば奇跡の一種だ。
万人に使えるものではないし、和樹にも使うことは出来ないのだが……まあ、この世界にはそういったものが存在している、ということである。
そして人類が魔物に対抗できているのも、そういった力のおかげであった。
まあ、当然だろう。
最弱の魔物を相手にしてさえ、数人の大人でかかっても成す術もなく殺されてしまうのだ。
普通の手段で対抗できるわけがないのである。
とはいえ、厳密に言うならば、それは魔法とは別の力だ。
呼び方は様々であり、場所や種族によって異なってくるのだが……和樹に最も馴染んだ言い方であれば、やはり、スキル、ということになるだろうか。
異世界にスキル。
まるで漫画やゲームのような話だが――
「ま、そう言って現実逃避してるわけにもいかないしな。飯を食わなければ腹は減るわけだし――」
――パッシブスキル、サポートスキル:危険察知。
――パッシブスキル、サポートスキル:常在戦場。
瞬間背筋に覚えたのは、何かが這いずり回るような悪寒であった。
だが慣れていなかったかつてならばともかく、今更その程度のことで和樹が慌てるようなことはない。
予想済みであり、心構えも出来ていたとなれば、尚更だ。
一切の躊躇も停滞もなく、流れ作業のような滑らかさで、その手が腰へと伸びる。
掴むのは、そこに括りつけられた一振りの剣だ。
手に感触が返るのとほぼ同時、腰が僅かに沈むのと共に上半身が旋回した。
当然のように視界にも変化が起こるが、その先にあったのが何であるのかを確認することはない。
それよりも先に、身体は次なる動きを実行しているからだ。
或いは、その必要がないから、と言うことも出来るが。
回転に合わせて振り抜かれた腕は、その時にはもう視線の先のそれを捉えている。
そのことを和樹が認識するのと、腕が振り切られたのは果たしてどちらが先であったか。
しかしどちらであろうとも、もたらされる結果が変わることはない。
それが起こったのは、直後。
伝わった感触と共に、両断した。
「……ふぅ」
僅かな残心の後に息を吐き出すと、和樹はゆっくりと体勢を整え、後方へと振り返った。
その顔が少しだけ動いたのは、そこに広がっていた光景が予想通りとはいえ、さすがに完全な平静ではいられなかったからだ。
もっとも逆に言えば、その程度の同様で済む程度には慣れた、ということなのだが……。
「さて、いいことなのかどうか」
だが必要なことであるのは、確かである。
少なくとも、この程度のことでいつまでもいちいち動揺しているようでは、この先冒険者などやってはいけないだろう。
例えそこに広がっているのが、赤黒く染まった草原であったとしても、だ。
「ま、とりあえずとっとと済ませるか」
赤い水溜りの傍に近寄ると、和樹は躊躇いもなくその先へと手を伸ばした。
目的は、そこに沈んでいる、二つの塊だ。
元は一つだったそれを摘み上げると、眼前にまで持ってくる。
そこでつい顔を顰めてしまったのは、元は白であったはずのそれが赤黒く染まってしまっているから、というよりは、そのことを勿体無いと思ったからだ。
ホーンラビットの毛皮は果たして幾らになるのだったか、などと考えてみるも、所詮は意味のないことである。
溜息を吐き出すと、離れた場所まで移動し、地面に下ろす。
しゃがみ込み、片膝立ちの体勢になりながら、腰から引き抜いたナイフを徐に突き立てた。
魔物を倒すということが冒険者の仕事の一つだというようなことは既に述べた通りではあるものの、当然のように魔物を倒したからといってそれで金が手に入るわけではない。
厳密に言うならば、それが金を手にすることに繋がっていることは確かなのだが、魔物を倒したからといって、魔物が金を落としたり、魔物の死体が金に変わったりするようなことはない、ということである。
もっとも、後者に限って言えば、完全に否定することが出来ないのも事実だ。
ある意味で、魔物の死体が金に変わるということに、違いはないからである。
魔物というのは、どれだけ凶暴で危険であろうとも、生物の一種だ。
毛皮があり、爪があり、牙を持つ。
勿論全てが全てを持つわけではないが、それは他の生物にしたところで同じことだ。
そして他の生物のそれらが別の何かへの転用が可能であるように、魔物のそれも転用が可能であった。
要するに、魔物の身体の一部は、素材となるのだ。
しかも元が強靭な魔物なだけあり、他の生物のものよりも強度が高く、使い道が多い。
上手く解体することが出来れば、どんな魔物であろうともそこそこの金になり……魔物の死体が金に変わるというのは、そういうことであった。
ただ、当たり前のことであるが、解体というのは簡単に出来るものではない。
死体とはいえ、魔物であるならば尚更だ。
毛皮一つとっても、ほんの少し手元が狂えば無残に切り裂かれ、価値の減算どころかゼロになってしまうことも珍しくはない。
刃の入れ方、動かし方、全てに繊細さと正確さが求められ、さらには魔物によってすらそれは変わってくる。
非常に神経を使い集中を要するのが解体というものであり、それを専門にしているものが存在しているほどに、解体というのは奥が深く、重要な技術なのだ。
故にそれは一朝一夕に手に入れられるほど簡単なものではないのだが……動かし続けている和樹の手に淀みはなかった。
勿論それはいい加減に扱っているわけでもなければ、開き直って自棄になっていたりするわけでもない。
適切な手順に従い、適切な手段で以って行われていた。
明らかに素人の手付きではないが、元の世界ではただの一般人であった和樹にそんな心得などがあるわけもない。
だがこの世界に来てから身につけたのかと言えば、それも否である。
少なくとも和樹には、この世界に来てからそんなものを習った覚えはない。
では和樹は、どうやって解体の知識と技術などを身につけたのか。
それは――ゲームの中で、であった。
誤解のないよう先に述べておくが、別に和樹は現実とゲームの区別が付かないような、そんな境界性じみたパーソナリティは持っていない。
ゲームはゲーム、現実は現実ときちんと分けて考えることの出来る人間だ。
ゲームで習ったことが現実でも使えるようになるわけではない、という常識は当たり前に持っており……しかし、何せここは異世界である。
その常識がここでも通用するなどと、果たして誰が決めたというのだろうか。
というか、使えてしまったのだからどうしようもない。
そう、この世界では、かつて和樹がとあるゲームで手に入れた全ての技術、能力を使うことが出来たのである。
「……ふぅ」
そうして全ての工程を終えた和樹は、一つ息を吐き出すと手の甲で額の汗を拭った。
目の前に並べ終えてあるのは、解体し終えた素材達である。
毛皮、爪、牙……そして、最も重要なところである、角。
全てが欠けることなく揃っているのを確認すると、和樹は再度安堵の息を吐き出した。
改めて言うまでもないことだが、先ほど和樹が倒したのはこの周辺に存在している魔物の一つだ。
名をホーンラビットといい、名前の通りその外見は兎に似ている。
違いがあるとするならば、その額から生えた角程度であり……だがどんな愛くるしい外見をしていようとも、魔物であることに違いはない。
油断して近付いてしまえば、待っているのはその角で以って風通しのよくなった肉体である。
しかしそれさえ理解していれば、手強い相手ではない。
ホーンラビットはこの周辺に存在している魔物の中では最も弱い、低ランクの魔物なのだ。
先ほど和樹がしてみせたように、瞬殺してみせることさえ、可能なのである。
まあ当然と言うべきか、それもまた、先に述べたようにゲームの能力があってこそではあるのだが。
「さて、とりあえず順調に一ついけたし、次にいくか」
呟きながら、和樹はそこから爪と牙、それと角だけを拾い上げる。
毛皮と、解体したことで残った肉はそのままだ。
毛皮に価値がないわけではない。
むしろ、この中で最も価値があるのは、毛皮だろう。
だがそれは、本来のホーンラビットの体毛の色である、白のままであった場合の話である。
赤黒く染まってしまったそれには、既に価値がなくなってしまっているのだ。
こびり付いてしまったそれは洗っても完全には落ちず、どうすることも出来ない。
だから和樹はそれを見て勿体無いと思ったのではあるが……まあ、仕方のないことである。
ならば最初から毛皮を解体する必要がないと思うかもしれないが、その通りであるならば和樹もそうしているだろう。
解体したということは、その必要があったからなのだ。
とはいえ、別に解体する順序的な意味で必須だったから、というわけではない。
それはもっと個人的なものであり……端的に言ってしまうならば、慣れのためであった。
和樹はとあるゲームの能力を使用することが出来るが、それはあくまでも使えるだけに過ぎない。
簡単に言ってしまえば、身体をどう動かせばいいのかは分かるが、その通りに動くとは限らない、というところだろうか。
否……厳密に言うならば、その通りに動きすぎてしまう、という方が正しいかもしれない。
要は、加減の問題だ。
解体をするのに、必要以上の力は要らないのである。
少し力を加えるだけで、魔物の死体が爆発四散するようでは、問題外なのだ。
冗談のように聞こえるかもしれないが、決して冗談などではない。
何故ならば、和樹は実際にそれをやらかしたからだ。
というか、今でも気を抜けばやらかしかねない。
解体の際に汗を掻くほど集中していたのは、それが理由なのであった。
故に、一見すると無駄に思えるようなことでも、実行する。
今はむしろ、その繰り返しこそが、必要であるからだ。
ちなみに、肉に関しては単純に価値がないので置いていくだけである。
食べること自体は可能なのだが、ホーンラビットのそれは硬く、不味い。
買い取ってくれるような場所もなく、余程腹が減ってでもいなければ、持ち帰る者は居ないのだ。
……まあ、場所によってはこれでも、奪い合いが起こるようなこともあるのだが、ここには和樹以外の人影はない。
一度遠くへと視線を向けるが、息を一つ吐き出すと向き直る。
次なる場所へ向けて、歩き出した。