表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/68

変化していく日常

 目覚めは思っていた以上に快適だった。

 久しぶりの柔らかいベッドのおかげと言うべきか、さすがは高級宿である。

 少なくとも、床で寝ていたらこうはならなかっただろう。


「つまりは私のおかげ、ということですね?」

「否定はしないが、現状を考えるとプラスとマイナスで差し引きゼロだな」


 むしろマイナスな気さえする。


「そんなことを言われましてもですね、寝相の悪さはどうしようもないと思うんです」

「つまり寝相が悪すぎて、キングサイズのベッドの端から端にまで移動してしまった、と?」

「如何にもです」


 現状がどうなっているのかに関しては、言葉の通りだ。

 目が覚めると、逆側に居た筈の雪姫が、何故か手を伸ばすまでもなく触れられる距離に居たのである。

 いやまあ、何故かもクソも理由などは一つしかないのだが。


「その割には随分とギリギリの位置で止まってるな?」

「まあ寝相ですからね。そんなこともあるんじゃないでしょうか」

「ねえよ」


 文字通りの意味で真横にある顔から視線を逸らすようにして天井を眺めると、溜息を吐き出す。

 確かに今日も大変そうだとは思ったが、何も朝一からでなくともいいだろうに。


 だがそんなことを思ったところで、意味などはない。

 一度責任を取ると決め、言ってしまった以上は、それも含めて受け入れるしかないのだ。


 もっとも、だからといって何も感じずにそれが出来るかどうかは、また別の話だが。

 再度溜息を吐き出すと、そのまま上半身を起こした。


「あれ? 起き上がっちゃって大丈夫なんですか?」

「あん? 何がだ?」

「いえ、ほら、男の人は朝大変って言うじゃないですか? ですから、大丈夫なのかと……。あれ? まだ元気がなくなるような年齢じゃないですよね?」

「……はぁ」


 もう答えるのも面倒になったので、無視して立ち上がる。

 勿論そうすれば、下半身の状況は一目瞭然となってしまうわけだが――


「まさか躊躇なく立ち上がるとは……。これは私のことを気にしていないのか、それとも見せ付けているのでしょうか……? それ次第でこちらも……って、あれ?」


 不思議そうな声が聞こえてくるも、やはり無視である。

 その理由を理解してはいるが、わざわざ説明をする必要がない。

 気にせずベッドから降りると、軽く伸びをした。


「むぅ……もう治まってしまっていた、ということなのでしょうか? 折角辛そうなのでお手伝いします、と言えるチャンスでしたのに……」


 何やら不穏な言葉が聞こえてくるが、その機会が訪れることはないので心配する必要はないだろう。

 そう断言出来る理由は単純であり、まあ、アレだ……適用されたステータスによる補助は、単純な身体能力の上昇だけではなく、そういったことのコントロールも容易にしたと、そういうことであった。


「ほれ、くだらないことを言ってないで、とっとと行くぞ。せめて今日の宿代ぐらいは最低限稼がないと、ここ追い出されるんだからな」

「私は和樹さんと一緒ならば、街の路地裏だろうと野宿だろうと構いませんよ?」

「俺が構うわ」


 戯言を切って捨てて歩き出せば、足音と共に少し焦ったような声が背中にかかる。


「ちょ、ちょっと待ってくださいって。女の子は、何をするにも時間がかかるんですよ?」

「時間がかかるとか言われてもだな……着替えも化粧品も碌にないってのに、一体何に時間がかかるんだ?」

「それは勿論アレです……和樹さんにいつ襲われてもいいように、心の準備をする時間です」

「ならやっぱり要らんな」


 溜息を吐き出しながら、歩みは止めず……ふと、つい今しがた自分が口にした言葉を思い出した。

 何気なく口にしたものではあったのだが、化粧品、というそれに僅かな引っ掛かりを覚える。

 勿論、碌に無い着替えというものにも、だ。


 それらは生活必需品ではない。

 現に今はなくても何とかなっており……だが要らないというわけではないだろう。

 つまりそれを用意出来るかどうかは、和樹の甲斐性次第というわけだ。


 ちなみに今のところ、それは欠片もないということになる。

 さすがにそれは、男としての沽券に関わるだろう。

 そう、だから、それだけのことだ。

 少しだけ多めに稼げるように頑張ろうと思ったのは、それだけのことなのである。

 結局は自分のためであり、他意はないのだ。


 なんて、一体誰に言い訳をしているのやら、などと思いながら、肩越しに視線を後ろへと向ける。

 自身を追いかけてくる少女の姿に、和樹は本日何度目かの溜息を吐き出すのであった。









 冒険者である和樹がどうやって金を稼ぐのかなぞは、今更言うまでもないことだ。

 だからいつも通りに、朝になれば宿の外へと出、朝食を軽く食べ、その後でギルドへと向かう。

 今日まで半年以上もの間繰り返し、既に慣れと化している行動だ。


 ちなみに朝食を屋台で済ませたのは、単に食材を買っていないからである。

 買えなかった、とも言うが。

 それを揃え、雪姫の手料理が食べられるかどうかは、これからの稼ぎにかかっていると言えるだろう。


 ともあれ、故に今日の行動はいつもと変わらず……しかし時間は常に流れ、季節は移ろっていく。

 どれだけ同じに見えたところで、変わらぬものなどはない。


 まあ、要するに。

 そんな和樹の行動にも、ほんの少しの変化が生じることになったと、そういうことである。


「和樹さんはたまに、特に言いたくなかったり、認めたくなかったりした時に、妙に回りくどくなる時がありますよね?」

「言われずとも、自覚してることだ」


 だが、正論が常に受け入れられるわけではないように、正直者が常に得をするわけではないように。

 時にはそんな風に迂遠な言い方というものが必要なこともあるのだ。

 まあ、所詮はただの戯言だが。

 ともあれ。


「ふむ……キミ達はここにいちゃつくために来たのかな? もしそうなのだとしたら、ボクの精神衛生上よくないため帰ってくれると嬉しいんだけれど」

「確かにそれもそうですね……帰りましょうか、和樹さん」

「帰ろうとすんな。まだ依頼受けてすらいないだろうが」


 溜息を吐き出しつつ、目の前の椅子へと座る。

 言うまでもなく、ここは既にギルドの中だ。

 だというのに雪姫が一緒に居るのは……まあ、そういうことらしい。

 朝食を食べ終わった後に、和樹が戻るまで宿で休んでいろと言ったのだが、手伝うと言って聞かなかったのだ。


 いや、或いはもっと強く言っていれば聞いたのかもしれないが……和樹がそうしなかったのは、何だかんだでこれからしようとしていることに不安があったということだろうか。

 まあ何にせよ、和樹が折れてしまったことに違いはない。

 そこら辺のことも含めて、説明する必要がありそうだ、などと思いながら顔を上げ――にやけた顔を発見した。


「……なんだその顔は?」

「いやいや、一日しか経ってないっていうのに、随分と仲良くなったものだと思ってさ」

「そうですね。何しろ、同じベッドで寝た仲ですから」

「ほうほう、それは興味深いね……是非詳しく聞きたいものだ」

「言い訳するのも面倒だから無視するが、とりあえずちゃんと仕事しろ受付嬢」

「ふむ、それもそうだね……じゃあこの話は、仕事の話が終わってからということで」

「分かりました」

「しないからな? というか仕事しろっつってんだろ」

「とはいえ、今日もいつも通りなんじゃないのかい? まあ確かに、ちょっと違うところもあるようだけど」


 そう言って一瞬和樹の後方に視線を向けたサティアに、肩を竦める。

 確かに雪姫が居るということはいつもと違うが、それはおまけみたいなものだ。

 今日和樹がやろうとしていることは、その程度の違いなど誤差に含まれるようなことであり――


「まあ、討伐依頼を受けるってのは確かにいつもと同じだな。ただ……俺が討伐しようと思ってるのは、ランク三の魔物、だけどな」


 その言葉を口にした瞬間、サティアの目が僅かに細められた。

 その真意を確かめるように、こちらをジッと見詰めてくる。


「ふむ……キミはまだランク一の冒険者だ。つまり、討伐依頼はランク一の魔物が対象のものしか受けられない。そのことは、当然理解しているよね?」

「そりゃあな」


 ギルドには沢山の依頼が存在しているが、冒険者はその全てを受けられるわけではない。

 冒険者のランクに従って、制限を受けるのだ。

 その依頼がどのランク相応かを判断するのはギルド側になるが、最も分かりやすいのは討伐依頼だろう。

 討伐依頼は、自身のランク以下の魔物を対象としたものしか受けることは出来ない。

 つまりランク三の魔物の討伐依頼を受けるには、ランク三以上の冒険者でなければならないのである。


 もっともあくまでも、討伐依頼に関しては、だが。


「なるほど。討伐依頼そのものはランク一のものを受けて、倒す魔物はランク三にする、ってことだね?」

「それに問題はない。そうだろ?」

「確かに問題はないね。討伐依頼に関しては失敗しても違約金はないし、討伐する魔物は依頼を受けたものだけしか駄目とする決まりもない。まあ、それでも本来なら絶対に認められないものなんだけど……何しろキミだからねぇ」


 これが和樹の考えていた、金を稼ぐ方法である。

 これならば、わざわざランクが上がるのを待つ必要がない。

 討伐依頼分がゼロとなるため、ランク三でやるよりはかなり稼げる額が低くなるが、ランク一の魔物を倒すよりは遥かに稼げるのだ。

 

 もっとも、サティアが言っているように、本来であればこれは認められることはない方法である。

 理由は単純で、危険すぎる……というよりは、自殺と変わらないからだ。

 財産制限の問題もあるが、あれはどちらかと言えばこれを分かりやすく禁止するためのものに過ぎないのである。


 だが和樹であればその心配はない。

 つい先日に実績も作ったばかりだし、制限に関しても例外認定をされている。

 あれは別に先日の一件限定の例外処置ではないのだ。

 それを知っているサティアならば、最終的に反対することはないだろう。


 まあ、というか、そもそも最初にこの方法を勧めてきたのは、他の誰でもないサティアなのだが。

 だから考えたとはいっても、正確に言えば和樹がしたことは、それを実行することを決意した、というだけのことなのだ。

 当然のように当時はまだ例外認定を受けていなかったが、おそらくは和樹がそれを実行すると言えば何らかの形で例外認定する気でいたのだろう。


 ちなみに何故自分から勧めておいてサティアが悩んでいるような様子を見せているのかというと、ただのポーズである。

 つまりは、悩んでいる振りだ。

 今ギルド職員としてそこに居る以上、通すべき建前というものがある。

 そういうことだ。


「さて、そろそろいいかな? もう十分ギルド職員っぽく悩んでみせたよね?」

「いや、最後までちゃんと貫き通せよ。途中でやめたら片手落ちだろ」

「だって分かりきってることをやったところで無駄じゃないか。時間は有意義に使わないと」

「……はぁ、ま、別にいいけどな」

「えっと……いいんですか?」

「こいつがいいって言ってるんだから、まあいいんだろ」

「ま、どうせここで何が話されてるかなんて、普通は分からないしね。問題はないさ」


 なら最初から小芝居そのものをやる必要がなかった気もするが、それはそれ、ということなのだろう。


「それにしても、ようやくやる気になってくれたんだね? 今まで何度言ってもやらないって返してきたのに……突然やる気になったのは、やっぱり彼女のおかげかな?」

「さてな」


 肩を竦めてみせるも、実際にはその通りだ。

 金が必要な理由は、あの高級宿に泊まり続ける必要があるからであり、ならばそれは雪姫のためということになるだろう。


 まあとはいえ、それだけが理由というわけでもないが。

 そもそもホーンラビットを狩り続けていたのは、ただの意地のようなものなのだ。

 身体の感覚を調整するためという理由こそあれども、その相手がホーンラビットである必要なぞないのである。

 だから半年経ってもホーンラビットのみを狩っていたのはただの意地に過ぎず……今回はそれに見切りを付けるちょうどいい機会だった、ということでもあるのだ。


 それに高級宿に泊まるのは和樹にも十分な益がある。

 料理を雪姫が作るにしても、当然材料代等が必要でもあるし……結局のところは、自分の為とも言えた。


「まあとりあえずそういうことなんだが……大丈夫そうか?」

「そもそもボクが勧めてたんだし、こっちの処理としては問題ないさ。キミの方も……ま、彼女が一緒でも問題はないだろうしね。狩場のピップアップも終わってるし、あとはキミが頑張るだけさ」

「狩場の情報も既にあるのか……それは助かるな」

「ボクの役目は一応冒険者の助けになること、ってことになってるしね。それにこれは、こっちの助けにもなることだし」

「そちらの助け……ですか?」

「ギルドは魔物の素材のほぼ唯一の買取先みたいなもんだからな。それを各方面に卸せば莫大な利益になるし、それはランクが高い魔物ほどいい。だからギルドとしては、ランクが高い魔物の素材を持ってきてくれるのは、望みこそすれ忌避することにはならない、ってわけだ」

「そういうことだね。ま、あとはボクの厚意も含まれてるけどね。だから気にしないでくれていいよ」

「厚意、ねぇ……」


 本当にそれだけであればどれだけよかったか、という言葉は飲み込み、ただ肩を竦めた。

 そうしてから、立ち上がる。


「じゃ、そういうことで今日は頼んだ」

「おや、もう言ってしまうのかい? まだキミ達が昨日一緒に寝た、という話の詳細を聞いていないのだけど?」

「それもそうですね。和樹さん、もう少しいましょう」

「話さないっつってんだろ。そもそも話すようなことがないだろうが」


 戯言を切って捨て、歩き出せば、少し遅れて雪姫が付いてきた。


「あ、えと、それでは」

「うん、それじゃあ、また後でね」


 最後に挨拶を交わし、並び、歩き――ふと、その足が止まる。

 和樹がそれに気付き後ろを振り返れば、何やら雪姫は首を傾げていた。


「どうかしたか?」

「いえ、何か引っかかると言いますか……妙な違和感があると言いますか……?」


 上手く言葉にすることが出来ないのか、唸りつつもその先の言葉が出てくることはない。

 和樹が小さく息を吐き出したのは、多分それが何であるのかを分かっているからだ。

 だがそれは敢えて伝えるようなことでもなく、おそらくはそのうち自分で気付くことだろう。

 そのまま前に向き直ると、歩みを再開させ――


「分からないんなら、気にするほどでもないようなことなんだろ。それより、行くぞ」

「あ、はい、分かりました」


 そうして二人で、ギルドを後にするのであった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ