いつもとは違う就寝
改めて考えるまでもないことだが、まともな料理を食べたことがないという意味では和樹も同じである。
討伐等で得た金はその大部分を宿に使ってしまっていたし、そもそも冒険者というだけで食事をするにもやはりぼったくられるのだ。
自然と屋台等の、質より量、的な食事をするしかなかったのである。
もっともそれでも、話を聞く限りでは雪姫に比べればマシだったように思えるが、その感想は間違っていなかったらしい。
どんなものを食べていたのか知りたいと言われたので、途中立ち寄るだけ立ち寄ってみたのである。
遠目からちらりと眺めただけではあるが、明らかに自分が食べていたものの方が貧相でした、とのことだ。
まあともあれ、和樹としてもこちらの世界のまともな、しかも金貨が必要なような、所謂高級な食事を食べるのは初めてである。
或いはこっちならば口に合う可能性があり、それならば雪姫に作らせる必要もない、などと僅かに期待していたのだが――
「やっぱそんなことはなかったか……」
口に入れた瞬間に分かった。
この見た目に反したというか、期待したのとは僅かに方向のずれている味。
それは本当に僅かなのだが、だからこそ致命的であった。
その他の部分が慣れたそれと似通っているからこそ、ほんの僅かなずれが違和感となり、不快感へと繋がる。
まったく違うものであればそういうものだと受け入れることが出来ただろうに、半端に似てしまっているからこそ、これではないと思い、どうにも受け入れることが出来ないのだ。
とはいえ、落胆していないと言えば嘘になるが、予想通りだったのでそれほどダメージはない。
だが雪姫の方は、それなりにきたようだ。
見た目だけは美味そうであり、そんなものを目にしたのが一月ぶりだったからだろう。
齧り付くようにそれを口にし、直後に何とも言えない表情になっていた。
その場で何も言うことがなかったのは、最低限の礼儀を弁えた結果だろう。
何だかんだで最後まで食べきったのも、だ。
勿論和樹も残さず食べたが……その顔色がちょっとあれだっただろうことは、ご愛嬌である。
ともあれ。
「……確かに、あれはちょっとないですね」
「だろ?」
宿に戻ってきて早々に呟かれた雪姫の言葉に、苦笑を浮かべながらも頷く。
やはりと言うべきか、この世界の料理は雪姫の口にも合わなかったらしい。
「これでは自分で料理を作るしかないと思うのも道理ですか……ところで、和樹さんは料理の方は?」
「作れたら奴隷に作ってもらおうとすると思うか?」
「そういう願望があるならば或いは?」
「或いはじゃねえよ……そんな願望はない」
「そうですか……残念です。まあでは、頑張って作ってみることにします」
「ああ、任せた」
というわけで、次からは雪姫が作るということで確定した。
もっとも、食材に関してはあのリンゴのようなレモンの件もあるため、そっちも色々と試す必要はありそうだが……まあ、それは雪姫に頑張ってもらうしかないだろう。
その話は既に伝えてはあるので、後は雪姫次第だ。
「さて、これでとりあえず一通りのことは話したと思うが……これからどうするか」
「どうするって……寝るんじゃないんですか?」
「いや、それはそうなんだけどな」
何だかんだで色々なことをし、話し合ったりした結果、気が付けばとうに夜の帳が下りていた。
眠気もそこそこ襲ってきているので、寝るにはいい頃合である。
が。
「問題は、上で寝るか下で寝るか、だが……」
「……え? 上か下か、ですか?」
「ん? 何か問題あるか?」
「いえ、問題はないんですが……私が言おうと思っていたのに、まさか和樹さんが言うとは思わなかったので。……それにしても、一体何処でルートに入ったんでしょうか? 特に選択肢を選んだ記憶は無いんですが……。まあ、私としてはバッチコーイ! なので、やはり問題はありませんが」
戯言をほざいている少女からは視線を外し、考える。
まあ、普通に考えればやはり――
「下、だな」
「つまり私が上、ですか。……うーむ、最初だというのにそれは……いえ、最初だからこそ、私が自分のペースで動くことの出来る上がいいんでしょうか? 確かにそういったパターンもありましたが……」
何事かを呟いている少女をやはりスルーすると、和樹は自分で定めた場所へと向かう。
そしてそこに腰を下ろすと、そのまま横になった。
「さすがにちょっと硬いが……まあ、別に問題はないか。虫が湧かないってだけで十分天国だしな」
「それはもうただの地獄だと思います……って、あれ?」
不思議そうな声が聞こえたが、既に天井に視線を向けている和樹にはその表情は見えない。
特に見る気もないので、身体の力を抜くと、瞼を下ろし視界を閉ざした。
「あの、えっと……もしかして下で寝るって、そういう意味……床の上で寝るってことですか?」
「むしろそれ以外にどんな意味があると?」
「てっきり騎乗位をご希望なのかと」
まさかの直球に一瞬言葉が詰まり、代わりとばかりに溜息を吐き出す。
いい加減にしないと襲われても文句が言えないぞ、などと忠告をしたいところだが、言ったところで聞く耳を持ちそうにないので無駄に終わるだろう。
それにそんなこと、言われるまでもなく理解しているだろうし。
おそらく今は、こちらを見極めている真っ最中なのだろう。
自身の立場。
求められていること。
踏み込みの境界線と、こちらの度量。
その他諸々といった、要するに、どこまでが許されるのかというところの、判別だ。
自らの身を呈しての行動ではあるが、何せ彼女は奴隷であり、昨日今日知り合ったばかりの関係である。
この世界での奴隷がどういったものであるかは既に説明済みではあるが、それが建前であることなど誰にだって分かることだ。
だからこそ、自分で自分の身を守るために、多少の危険を覚悟の上で調べているのだろう。
勿論そんな必要はないのだが、口で説明したところで疑念を完全に払拭させることは不可能だ。
ならば自分で納得するまで、好きにさせておくしかない。
まあもっとも、それもこっちの勝手な想像でしかなく、的外れな可能性だってある。
今までの行動は素であり、或いは本当にこっちに対して――などと考えたところで、さすがに都合がよすぎると自嘲と苦笑の混じったようなものを浮かべた。
一回や二回顔を合わせた程度惚れられるなど、自意識過剰にもほどがあるだろう。
「むぅ……まあ、考えてみれば寝る場所にこだわりとかはありませんし、別にどこだって構いませんか」
そんな風に、寝入るまでの暇潰しとして戯言交じりの思考を垂れ流していると、ふと身体に違和感を覚えた。
否、違和感というのは正しくない。
むき出しの肌から伝わってくるのは、僅かな圧迫感と微かな感触。
すぐにそれが何であるのかに検討が付いたのは、覚えがあるからであり――
「それでは、私も寝ますか。おやすみなさい、和樹さん」
耳に届いた声が思っていた以上に近くから聞こえたことで、反射的に目を開いた。
視線を真横に向け――
「おや、と思ったらもうお目覚めですか? おはようございます」
「おや、じゃねえよ……何してんだ」
「何と言われましても、見たままですが?」
文字通り眼前にある顔が、不思議そうに傾げられる。
咄嗟に溜息を吐き出しそうになったが、何せその程度の息すらも相手にかかりかねない距離だ。
強引に止め、代わりとばかりに唾を飲み込み……顔を天井へと向けた後で、溜めた分も込めて盛大に吐き出した。
「あのな……何してんだお前は」
「まあ、何を言いたいのかは分かっていますので、誤魔化さずに正直に答えますと、さすがの私も一人でベッドで寝る、という選択肢を選べるほど傍若無人ではありません。ついでに言うならば、毛布は一枚しかないので、必然的に二人が一緒に場所で寝る以外に選択肢はないです」
「別に毛布ぐらいかけないでも問題ないだろ……」
それは強がりではなく、ただの事実だ。
ステータスが適用されているということは、肉体そのものが強化されているということである。
今が冬の真っ只中の外だというのならばともかく、今更この程度のことで風邪を引くとは思えない。
どころか、或いは今の肉体であれば、その状況で寝ても平気なのではないだろうか。
時期がまったく違うし、わざわざ試そうなどとは思わないが。
「例えそうだったとしても、こちらの心象が変わるわけではないですから。もう一度言いますが、私は自分一人でぬくぬくと休んでいられるほど傍若無人ではないのです」
まあ実際のところ、それは理解出来ることではあった。
例えば立場が逆だったとしたら、和樹もそう思ったに違いない。
とはいえ、和樹は男であり、雪姫は少女であり、男女七歳にして席を同じうせず、などということわざもあるわけであり――
「……はぁ、分かった分かった。俺もベッドで寝ればいいんだろ」
幾ら言ったところで無駄になる未来しか見えなかったので、素直に諦めた。
それにベッドのサイズを考えれば、おそらくはまだそっちで寝た方がマシだろう。
「はい、では私も、和樹さんの上に跨ります」
「も、ってなんだ、も、って……おかしいだろ」
「確かに、言われてみればそうですね。言い直します。では私は、和樹さんの上に跨ります」
「直すのはそこじゃねえよ」
若干のごたごたはあったものの、結局ベッドの端と端で寝ることになった。
横になり、天井を見上げたところで、妙に疲れを覚え溜息を吐き出す。
だが不思議と嫌な感じがしなかったのは、さて何故だろうか。
しかし余計な思考が浮かぶ前に目を閉じ、思考も閉じる。
雪姫もさすがにこれ以上何かをするつもりはないのか、途端に周囲には静寂が満ち、ただ互いの息遣いのみが耳に届く。
とはいえそれは、先ほどまでの出来事を無に帰すわけではなく――
――やれやれ、明日も大変そうだな。
そのことを思えば、そんな感想が浮かんだ。
もっともその口元には、僅かな笑みが浮かんでおり……それから大した時間が経つまでもなく、和樹の意識は夢の中へと誘われていくのであった。