魔物と少女
少女は飽きることなく、メニュー画面の操作を続けていた。
まあその気持ちは分かるので、和樹は何も言わずにその様子を眺め続け……だがそれに思うところがあり、一つ頷く。
「……ふむ」
「……あっ。す、すみません。つい、こっちに夢中になってしまいました」
「ん? ああ、いや、別にその気持ちは分かるしいいんだが……何となくそうだろうとは思ってたが、やっぱ初級者なんだなと思ってな」
「え? どうしてそれを……ああ、いえ。なるほど、メニューを指で操作しているから、ですか」
「そういうことだ。初心者にしては手馴れてるし、中級者以降は視線か思考で操作するのが基本になるしな」
和樹達がプレイしていたゲームは、メニュー等のシステムを操作する方法が三種類存在していた。
それが、指――というよりは、タッチでの操作と、視線での操作、それと、思考での操作だ。
後半につれて操作方法は難しく、慣れていないと誤作動が起こりやすいものではあるが、その分行動とのタイムラグが少なくなる。
そのため、始めたばかりの初心者や、多少慣れ始めたばかりの初級者はタッチで操作し、それなりに慣れ始める中級以降になると途端に視線や思考での操作が増えるのだ。
勿論中級でもタッチで操作をする者もいるが、それはかなり珍しいと言えるだろう。
何故ならば、初級等といった区分を行なう基準となるのは基本レベルであり、中級ともなれば一瞬の隙が命取りになるような相手と戦うことになるからである。
そんな中でいちいちタッチでメニューなどやってはいられないのだ。
逆にそういった先のことを見据えて初級の頃から視線や思考での操作を身に付けるような者も居るのだが……まあ、余談である。
ともあれ、肯定した時点で明らかではあるのだが、どうやら彼女のレベルはあまり高くはない……というか、どちらかと言えば低い方らしい。
もっとも別に問題はないが。
最初から戦力にしようなどとは考えていないし、そもそも和樹一人の時点で十分である。
和樹の問題は、別のところにあるのだから。
「まあそれでも、ランク三の魔物ぐらいなら普通に倒せそうな気もするが……どっちにしろあんま意味はないか」
「ランク三、ですか? そういえば、私は確かランク一の奴隷、と言われていた気が……」
「そうだな。ランクが何なのかは……まあ、まんま分類するためのものだ。分類基準は色々だけどな。例えば奴隷なら、どれだけ奴隷として使えるか、みたいな感じだ」
「む……それでいきますと、私は使えないと判断された、ということですか?」
「言葉が通じなきゃ使える使えない以前の問題だろ」
「……それもそうですか」
「ちなみに魔物のランクは……まあ、ほぼレベル帯で分けられてると考えて問題ないだろう。厳密には倒せる冒険者のランクによって変動するんだが、冒険者のランクの基準がほぼ同ランクの魔物を倒した数みたいなもんだから、そこまで差は生じないだろうしな」
「それは完全に魔物のレベルで分けてしまっては駄目なんでしょうか? 問題ない気がしますが」
「問題以前の問題というか、根本的にレベルを知る手段が存在しないからな。そもそもレベルってものが存在していることすら、大部分は知らないんじゃないか?」
「え……そうなんですか?」
「まあ普通はメニュー画面とか呼び出せないからな」
和樹が普通にレベルという言葉を使っているのは、あくまでもそれが少女に通じ、分かりやすいだろうと思ったからだ。
和樹達の遊んでいたゲームでは、プレイヤー側にも魔物の側にもレベルというものが存在していたのである。
だから少女にとってそれは馴染みやすいものであり……だがこの世界にとっては未知だ。
何せメニュー画面が呼び出せないということは、今の自分のレベルも、ステータスも分からず、そもそもそんなものが存在しているということすらも分からないのである。
スキルだけは知る方法があるのだが、それにしたって自分一人で知ることが出来ない以上大差はない。
「なるほど……あなたがこの世界の魔物にもレベルがあるということを知っているのは、スキルのせいですか?」
「まあな。冒険者の方も見れるから、そこからの推察って感じだ」
「ふむふむ……ということは、私のレベルも確認したんですか?」
「いや、それはまだだな。ランク三でもいけるだろうって判断したのは、あくまでもこっちのランク三の冒険者と向こうの初級者を比べての話だしな」
「……なるほど。ですがそうなりますと、こちらのランク三……つまり本来中級者でなくてはならない人達が、向こうでの初級者と同等、ということになりますよね?」
「厳密に言うと、こっちのがもう少し低いな。ランク三の魔物っていうのは、ランク三の冒険者が六人がかりで倒せるレベル、だからな。対して俺が換算したのは、お前一人でだし」
「ということは……こっちでのランク三の人達は、下手をすれば向こうでの初心者を抜けたあたりと同等、ということですか?」
「まさにそんな感じだな」
「ふむふむ……ところで、ランクの話に戻りますが、先ほどランク五の冒険者が人類最強、と言っていましたよね?」
「そうだな、ランクは一から五まであって、五が最大でそれより上は存在しない。四より上は全て五になるらしいからな」
「それですと、ランク五の魔物に若干の矛盾が生じそうな気がするのですが?」
「ああ、基本的にそういった関係上ランク五だけは例外らしい。つまり魔物のランク五は、ランク四の冒険者では倒せなかった魔物のことだな。ランク五で倒せるとは限らない」
その言葉に、少女は何かを考えるように視線を落とした。
何を考えているのかは……何となく、和樹にも分かる。
その話を聞いた時、和樹も同じことを思ったからだ。
「それで、私一人でランク三の冒険者六人とほぼ同じぐらい、なんですよね?」
「レベル見たわけじゃないから、冒険者の方が下の可能性も高いけどな。あと、実戦経験がないだろうってのも考慮してるから、実際の戦力差はもっとあるはずだ」
「なるほど。……大丈夫なんですか、この世界?」
「さあな。大丈夫かもしれないし、駄目かもしれない。まだ俺もランク五の魔物を見たことはないからな、何とも言えん。ただ、ランク四までの冒険者から考えてみると、どうしたもんかってところだがな」
「……そうですか」
少女の不安を言葉にするならば、つまりはこういうことである。
この世界の人類のレベルが、魔物のそれに比べ圧倒的に低い可能性がある、ということであった。
それが示すこととは……まあ、そういうことだ。
「ま、実際のところ、俺はそこまで悲観的に考えてもいないけどな」
「どうしてですか?」
「人類全体で相手にしてもどうしようもないような魔物が向こうから襲ってくるようなら、とっくにこの世界の人類は絶滅してるだろうしな。そうなってないってことは、そこまでのはいないか、居ても自分の縄張りから出てこないかのどっちかだ」
「先ほど、現在の人類ではどれだけ束になっても太刀打ちできないような魔物が存在している、と言っていませんでしたか?」
「ああ、言ったが、まああれはちょっと大げさに言い過ぎたな。要は現ランク五の冒険者でも勝てないってだけだ。とはいえランク五の冒険者はランク四以下の冒険者全てが集まっても勝てないらしいから、ある意味じゃ間違ってもいないんだが」
「どっちにしろ同じ事な気がしますが……」
「ランク五とは言っても、あくまでもそのランク五では無理だった、ってだけだしな。冒険者のランク五も魔物のランク五と同じように、ランク四以上の冒険者ってだけであって、その強さはバラバラだ。最強のランク五はこの街にいないらしいし……それに、その話は本人から聞いたって話だ。つまり逃げれたってことで、そこまで圧倒的な差はなかったってことでもあるだろうし……まあ、何とかなるんじゃないか?」
「……本当に楽観的ですね。どうしてそこまで言うことが出来るんですか?」
「まあ俺もこの世界に来て半年程度しか経ってないが……それでも、多少その人達の成果とかを見てるしな」
「成果、ですか?」
「さっきこの街の先に進むほど魔物が強くなるってことも言っただろ? どうしてだと思う?」
「尋ねるということは、自然とそうなっている、というわけではないんですね? となると……」
思考に集中するように、少女は顎に手を当てると僅かに視線を落とした。
移動中にそんなことをすると前が見えず危険ではあるのだが……まあ、気にするのは余計なお世話だろう。
何せ彼女は、初級者、である。
そこらの冒険者よりも余程強い人間が、人ごみ程度で余所見をしたところで人にぶつかるはずがないのだ。
「……ああ、なるほど。確かこの世界の魔物のリポップは、倒した場所を基準に行なわれるんでしたっけ?」
「出現地点と離れすぎると、そこまで戻っちゃうらしいけどな」
「ふむふむ……つまり、現状のようになっているのは、それだけ冒険者が頑張ったから、ということですか」
「そういうことだ」
顎から手を離し、視線を戻した少女が、なるほどと頷く。
和樹が楽観的というか、冒険者を信じているのは、要するにそれが理由なのだ。
この街が開拓の最前線であり、未だ開拓地と呼ぶことが出来ているのは、冒険者の頑張りのおかげなのである。
奥に進むほど魔物が強くなるということは、冒険者がそうなるように魔物を倒す位置を工夫し続けたということであり、またそれが崩れないように今もそれを気をつけているということなのだ。
確かに冒険者は底辺の存在だ。
その名に相応しい者達も、正直なところ少なくない。
だが底辺ではあっても、底辺なりに意地がある。
全てがそういった人達ばかりではないが、そういった人達も居るのだ。
ならば何とかなると考えるのは、決して根拠のない妄想ではないだろう。
「まああなたがこの世界の冒険者の人達を信じる理由は分かりましたが……それでも、どうしようもないレベルの魔物の巣に足を踏み入れ、藪を突いてしまったとしたら、どうするんですか?」
「それはさすがに不可抗力だろうしな。その時は……まあ、その時考えるさ」
「……考えてないんですか?」
「無駄に暗くなりそうなことを考えても仕方ないしな。嫌な予感ほどよく当たるっていうし、なら最初からそういったことを考えなければそんな予感も来ないだろう?」
「それは何か違う気がするんですが……」
「細かいことは気にするなって」
呆れたような溜息に、肩を竦めて返す。
しかし直後に漏れた苦笑は、随分と慣れてきたものだと、ふと思ったからだ。
勿論彼女と会話をすることに、である。
色々なことを話したからかは分からないが、まあそれなりに気楽に話せるようになるのであればそれでいいのではないだろうか。
「……ところで、随分と話が横道に逸れていっていた気がしますが、最初はどんな話をしていたんでしたっけ?」
「あー、何だったか……確か、祭りみたいだ、とかいう話じゃなかったか?」
「ああ、そういえばそうでしたね。……それにしても、この賑わいを見ていると、とても開拓が上手くいっていないとは思えませんね」
「ま、上手くいっていないとはいっても、失敗してるわけではないしな。皆それがどれだけ難しいかってことは理解してるってことだろうさ」
何せ魔物がリポップしてくる以上、それを駆逐する術は存在していないも同然なのだ。
少しずつ少しずつ、時間をかけて進めていくしかないのである。
「さて、ところで大体どんなものがあるかは見れただろ? なら、そろそろ俺達も祭りに参加するとするか? 見てるだけの祭りも楽しいだろうが、やっぱり参加してこそだろうしな」
和樹の言葉に、少女は苦笑を浮かべた。
さすがにちょっと強引すぎないかと、そんな表情ではあるが、それがふと何か悪戯を思いついたような顔に変化する。
「そうですね、やっぱり祭りは参加してこそですから。もっとも私は奴隷ですから、楽しめるかはご主人様のご機嫌次第ではありますが」
そんな返答に、今度は和樹が苦笑を浮かべた。
それはある意味言葉通りではあるが、要するに、楽しませたかったら金を出せと言っているのである。
正しくもあるのだが、まったく以って逞しい奴隷だ。
もっともそれは別に和樹にとっては問題のあることではないし、どちらかと言えば好ましくもある。
少なくとも、奴隷だからと遠慮し他人行儀にされるよりは遥かにマシだろう。
ただ、問題があるとするならば、正直懐に余裕はあまりないということだろうか。
宿の件からも分かるように、冒険者というだけでぼったくられるのは日常茶飯事なのである。
むしろそれが、冒険者に対する適正価格とでも言おうか。
服を買うともなれば、尚更だ。
中世ヨーロッパ風の世界なのが原因なのかは分からないが、この世界では服とは大量生産し大量消費されるものではないのである。
基本オーダーメイドであるために一着一着が高く、時間がかかる。
さすがにそれでは今回は駄目なため、古着屋へと向かうことになるとは思うが、値段が高いのは新古品であっても変わらない。
完全な中古であればまだ安く済むかもしれないが……そこは和樹にも意地がある。
そのことを考えれば、さてどうしたものかと思うが……まあたまにはいいかと、思い直す。
そんなことを気にするあまり少女を楽しませられないとなったら、それはそれで沽券に関わるだろう。
せめてそれぐらいは持つだろうと、願望混じりに思いながら、和樹は一歩先に進んでいった少女の後を追いかけるのであった。




