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宿と少女

 この街にとっての宿というものは、少し特殊な立ち位置にある。

 その理由の一つは、この街の存在理由からいって、短期の宿泊客というのが見込めない、というのがあるだろう。

 人の流れが激しく、朝に来て夜に出て行くどころか、朝来て朝出て行く、というような者が珍しくないのだ。

 泊まるなど以ての外である。

 逆に長期の者ならばそれなりの数がいるのだが、そういった者は基本的にその手段を予め用意している場合がほとんどである。

 つまりは、宿を利用する者、というのがほぼ存在しないのだ。


 だがそれにも関わらず、この街は宿で溢れている。

 宿屋のみが軒を連ねている一角すらも存在しているほどに、だ。


 しかしその理由は単純である。

 この街へと訪れる者達は宿を利用しないが、それ以外に宿を利用する者が存在しているからだ。

 その数は、推定で約一万人ほど。


 そう、冒険者である。

 この街にある宿は、そのほとんどが冒険者の為に作られているのだ。


 いや、厳密に言うならば、冒険者を狙ってと、そう言うべきか。

 冒険者の為にあるならば、法外な宿泊費を吹っかけられたりはしないだろう。

 とはいえそれも一応理由があってのことだが……ともあれ。

 最底辺と呼ばれ、街の住人に疎まれている冒険者ではあっても、宿に普通に泊まることが出来るのはそういった理由からであった。


 そして高級宿とはいえ、結局のところ冒険者向けのものであることに変わりはない。

 故に金さえ用意できれば、誰でも泊まることが可能なのだ。

 もっとも当然のように、高級というだけあってその宿泊費は高い。

 具体的には金貨が必要であるあたりからして、それがどれほどのものであるかが知れようと言うものである。


 とはいえ常に空き室が存在しているのは、別に高いからというのだけが理由でもない。

 単純に宿泊費にそれだけの金額をかけられるような冒険者は、自分の家というものを手に入れてしまうからだ。

 故に和樹達も空いている宿を探す必要もなく、スムーズに入ることが出来たわけだが……まあ、ただの余談である。


 ちなみに当然だが、きちんと金は払っている。

 ではその金は何処から出てきたのかというと、ホワイトラビットの素材を換金したことによって、だ。


 ホワイトラビットはランク四に近いランク三の魔物であったらしく、その換金額は全部で金貨二十枚ほどになった。

 これで最も高い毛皮の分は入っていないというのだから、皆が必死になって上のランクへと行こうとするのも納得がいこうというものだろう。

 要するに、ランク三や四になれれば、この程度の金はいつだって稼ぐことが出来るようになる、ということだからだ。


 まあそれもまた、ただの余談ではあるのだが。

 少なくとも、現在の和樹の心境からすれば、そんなことはどうでもいいことであった。


「ふむ……ふむ? んー……ふむ?」


 そんな和樹の現在位置は、その宿に備え付けられているベッドの上だ。

 尻の後ろに久しぶりの柔らかいと思えるベッドの感触を覚えながら、しかし和樹はそれを堪能するでもなく首を傾げている。

 そうしている理由は単純であり、ふと現状というものを冷静に省みた結果であった。


 ちなみに風呂が付いている宿とは言っても、所謂大浴場しかないところと個室ごとについているところがあるのだが、ここは後者である。

 まあ大浴場であっては意味がないので当然ではあるものの、要するに風呂までの距離が物理的に近い。

 その場に少女の姿がないことからも分かる通り、彼女は今入浴中であり……さて、先ほどから聞こえる水の音は一体何をしている音なのか。


 ところで、その部屋は高級宿の一室なだけあってそれなりに広い。

 そもそも一人で泊まることを想定していないのか、或いは単に二人だから広めの部屋を案内したのかは不明だが、少なくとも二人が泊まることを考えても十分な広さであることだけは確かだ。

 しかし問題は今和樹が座っているベッドにあり……何故部屋の広さに比してこのベッド一つしかないのだろうか。

 いや確かにキングサイズのベッドではあるのだが、そういう問題ではない。


 現状を改めて考えてみれば、現在位置は宿の一室――つまりは密室だ。

 そこに一組の男女が居て、少女の方は入浴中である。

 ついで言えば少女は奴隷であり……横切った邪な思考を全力で投げ捨てた。

 溜息を吐き出す。


「ったく……確かにある意味そんな風に見える状況ではあるけどな」


 落ち着くために、敢えて口に出して独りごちた。

 確かに傍目にはそう見えてもおかしくはないし、そんな状況であるのも事実だ。

 だがそんなつもりで少女を買ったわけではなく、そんなつもりでここに来たわけでもない。

 いやまあ汚れていても尚少女の容姿は優れていたし、是か否であるかを問われれば勿論是と答えるわけだが……と、またしても碌でもない方向に逸れそうになった思考を投げ捨てる。


「やれやれ……溜まってんのかね」


 自虐するように呟くも、当然その程度のことで何がどうなるわけでもない。

 ベッドに倒れこみ、天井を眺めてみたところで、やはりそれは同様だ。

 まったく、考えるべきことは他に幾らでもあるというのに……まあ、その途中でこのことに気付いてしまったわけだが。


 思うに、やっぱりちょっと勢い任せすぎたかもしれない。

 半ば嵌められたような形だったとはいえ、もう少し考えるべきだったのではないだろうか。

 まあ今更そんなことを言ったところで、手遅れでしかないが。


 異世界にもクーリングオフがあったりしないだろうか。

 駄目か。


 再度溜息が漏れ……だが、そう悪いことではないのかもしれないと、そんなこともふと思う。

 勿論余計なことを考えてしまうのはアレだし現状は何も解決していないが、それはつまりそれだけの余裕が出てきたということだ。

 今までは何だかんだで、そんな余計なことを考える余裕すらなかったように思う。


 或いは、同じような境遇の相手と出会えたことが理由なのかもしれないが、まあ原因などはどうでもいいことだろう。

 既にこの世界に来てしまってから、半年。

 いい加減落ち着くべきだ。

 勿論冒険者などをやっていれば常にそんなわけにもいかないが、常に張り詰めていては疲れてしまう。

 だからこれはきっと、いい傾向なのだろう。


 まあこの世界で心穏やかに過ごすためには、まずはあの少女とこの部屋で二人きりで過ごすことや、このままだと一緒のベッドに寝ることになってしまうことをどうにかしなくてはならないのだが……その前に一つ、乗り越えなければならない壁が存在していそうであった。


「すみません、お先にいただきました」

「……おう」


 風呂から出てきた気配は感じていたものの、先ほどまでの思考のせいか天井を眺めたまま視線を向けることすら出来ない。

 だがそのままでは不自然だし、何よりも色々と不都合も生じる。

 一つ息を吐き出すと、意を決して視線を向け――すぐに戻した。


 はて、記憶が確かならば、少女が着ていた服というのは、あんな真っ白で布切れ一枚、というものではなかったはずだが。


 などと現実逃避をしようとしたところで、生憎とそれは許されない。

 視線はそのままに、冷静を装いつつ問いかけた。


「あーっと……なんでタオル一枚なんだ?」

「あ、すみません……服を着ていた方がよかったですか? 汚れていますから、こっちの方がいいかと思ったんですが……」


 その言葉に若干の違和感を覚え視線を向けるも、やはりすぐに戻した。

 さすが高級宿だけあってバスタオルは真っ白なんだなとか、肌の白さが映えるのはそのせいだろうかとか、どうでもいい思考が頭を過ぎる。

 しかしすぐにそれを遠くに投げ捨て、その問題があったことに思い至った。


「あー、そうか、それがあったな……しまった、先に服を買いに行くべきだったか」


 考えてみれば当たり前である。

 サティアから正式に受け渡されることになった時も荷物などは何一つなかったわけだし、他の服などがあるわけもないのだ。


 そして折角風呂に入った後だというのに、汚れている服をまた着たいと思うだろうか?

 さすがに和樹ですらそうは思わないが、当然ながら買わなければ服が勝手に手に入るなどということはないのだ。


 ここの支払いを考えれば懐には余裕があるというほどではないが、それでも衣服程度であれば買えないほどではない。

 そこに至らなかったのは、和樹があまり服装にこだわりがなく、そもそも興味がないからではあるが、少女に対して風呂以外に何かないかを聞かなかったせいでもあるだろう。

 困っていることが一つとは限らない。

 当たり前のことだが、その当たり前のことに思い至らないあたり、何だかんだで自身も軽く混乱していたというか、単に気が利かないと言うべきか……何にせよ反省すべきことであった。


 まあ何にせよ買わなくてはならないことに変わりはないが――


「さすがに俺が買いに行くわけにはいかない、か……というか、よく分からないから無理だしな。かといってその格好で行くわけにもいかないから、汚れてる服を一旦着てもらって……いや、そっちを洗って乾くまで待ってから、という手もあるか?」

「洗う……となると、手洗い、ですよね?」

「さすがに洗濯機なんてものはないからな。かといって専用の洗い場があるわけでもないから、適当な場所で洗えば問題はないが……むしろ問題は乾かす方か」


 当然乾燥機などというものもない以上は自然乾燥しかない。

 しかし今はまだ昼前ではあるが、陽が落ちる前までに乾くかは何とも言えないところだろう。

 仮に乾いたとしても、それまでの時間をどうするのか。

 幾らなんでもそれまで半裸の少女と一緒に居るのは――


「……いや、それまで寝てればいいのか?」


 口から思考が漏れた瞬間、ふと僅かに何かが擦れるような音が耳に届いた。

 聞こえた方向から考えれば……というか、普通に考えればそれを発したのは少女であり、おそらくは僅かに身体を動かしたのだろう。

 その原因は当然今の言葉なのだろうが……同じことを考えていた故に、つい反応してしまったというところだろうか。


 ちなみに先ほどからずっと天井を見続けているので、どんな表情を浮かべどんな様子であるのかは分からない。

 というか、その格好のままで言葉を交わしているので、もしかしたら不快に思われている可能性もあるが、さすがにあの格好の少女と向かい合いながら話をするわけにもいかないので仕方がないだろう。

 まあ背中を向けるだけでよかった気はするが、それも今更だ。


 ともあれ、少女今何を考えているのかは分からないが、少なくともその顔に先ほどまでは小さくない疲れの跡が見えたのは事実である。

 ならば、次に少女が希望していることが休みたい、というものであったとしても不思議ではないだろう。

 時間的に考えて仮眠程度にしかならないかもしれないが、それでも多少の疲れは取れるはずだ。

 風呂にも入ってさっぱりしたこともあり、ここで一旦休むというのも悪くはない手ではないだろうか。

 勿論半裸のまま寝ることになってしまうわけだが……そこは我慢してもらうしかないだろう。


「ふむ……とりあえず服を洗濯して、乾かしてる間に寝ておく、ということをふと思いついたんだが、どう思う?」

「どう、というのは……私がどうするのかを決めていい、ということでしょうか?」

「まあ、お前のことだしな。汚れた服をまた着てもいい、っていうんなら、そっちでもいいが」


 ん? 今何か言葉が足りなかったような気がするな、とは思ったが、意味は通じるだろうと思いスルーする。

 まあ、言い間違いや言葉が足りないということぐらい、よくあることだ。

 実際先ほどから少女の方も、そう思われるようなことを言ってたりするし。

 何となく意味が通じるのであれば、いちいち突っ込まないことも、コミュニケーションを円滑に進める上で重要なことなのだ。


 それが本当に、その通りであればの話だが。


「えっと……あなたは、どちらの方が好み、なんでしょうか?」

「好み……? いや、別にどっちでもいいんだが……最終的には同じことだしな」

「同じ……そ、そう、ですよね……」


 休んでから服を買い、話し合いをするのでも、服を買ってから話し合いをするのでも、結局は順番が違うだけで同じことである。

 まあ和樹的には前者の場合は少女が休んでいる間暇になってしまうが、それだって大したことではない。

 そこにかかる労力もまた、同様だ。


「ま、別に細かいことは気にしなくていいぞ? ちゃんと責任は取るって決めたからな」

「せ、責任っ……は、はい……」


 あれなんかまた間違えた気がする、と一瞬思ったが……まあ、大丈夫だろう。

 奴隷として買ったのだから、その責任は取る。

 何も間違ってはいない。


「だから俺のことは気にせずに、やりたいようにやってくれて構わないさ」

「や、やりたいように、ですか……わ、わかりました」


 頷くような気配と共に、一歩分の足音が近付いた。

 やはり先に休むことを選択したのかと思い、ならばこの場から退かなくてはと考え――


「で、ですが……あの、私こういうことは初めてですから……そ、その」


 だがそうなると、洗濯はもしかして自分がやる必要があるのか? ――という思考が過ぎったところで、聞こえた声に、はてと首を傾げる。

 ようやくそこで、先ほどから気のせいだと言い聞かせてきたことが、気のせいではなかったということに思い至り――


「初めては痛いって聞きますし……あの、出来れば、優しくお願いします。私が望むのは、それぐらいですから」


 そのことに確信を持ったのは、床に何か軽いものが落ちた音を耳が拾ったのと、ほぼ同時であった。

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