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渡り人は途方に暮れる

 無駄に晴れ渡った空を眺めながら、不知火和樹は途方に暮れていた。

 吐き出した息を空に落とし、ただ呆然と一面の蒼を眺め続ける。

 頭を占めるのは、一言。

 どうしてこんなことになってしまったのか、だ。


 周囲の喧騒は遠く、そこにはざわめきだけが流れている。

 覚えるのは、まるで自分だけが世界に取り残されたような感覚であり、同時に全てから切り離されたような感覚だ。

 出来るのは空を眺め続けていることと、溜息を吐き出し続けることだけ。

 それ以外の何かをする気になど、微塵もなれはしなかった。


 そんな中で、ふと思う。

 ここまで途方に暮れたのは、この世界にやってきてしまった時以来だろうか、と。

 それはつまり、つい今しがた受けた衝撃はそれに匹敵するものだということであり――そこで、苦笑が漏れた。

 随分と適当な思考を垂れ流していた自覚はあるし、それなりに衝撃を受けたのも事実ではあるが、さすがにそれは言い過ぎだろう。


 とはいえ冗談交じりの思考ながらも、そんなことを考えることが出来たのは、それだけこの世界に馴染んできたということか。

 少なくとも、この世界にやってきてしまった直後であれば、そんなことを考えることが出来なかったのは確かである。

 まあそもそもの話、異世界転移と比較できるようなことが早々に転がっているはずもないのだが……完全にそうとは言い切れないあたりが、ここが異世界である所以だろう。


 ――不知火和樹は、所謂異世界人である。

 他人に話せば、寝ぼけてんのかこの間抜け、とでも言われかねないことではあるが、事実なのだから仕方がない。

 勿論最初からそのことに気付き受け入れたわけではなかったが……まあ、紆余曲折の末にその結論に達した、というわけである。


 だがそれはそれ、これはこれ、とでも言うべきか……何せ異世界だ。

 常識、文化、価値観。

 同じ世界でも、国どころか地域によってすら変わってきてしまうのがそういったもの達である。

 当然のように異世界のそれらが和樹の知っているものと同じわけがなく、知っていることよりも知らないことの方が圧倒的に多かった。


 もっとも、それだけであればまだマシだったのだろうが……性質の悪いことに、中には中途半端に同じものも存在していたのである。

 それが最も顕著だったのは、食事だ。

 というよりは、食べ物だと言うべきか。

 見た目は和樹の知っているものと同じなのに、味がまったく異なっていたのである。


 和樹が現在右手に握り締めているものと同じように、だ。


「……分かってたこと、ああ、分かってたことではあったんだけどなぁ」


 諦めたように溜息を吐き出すと、和樹は空から視線を下ろした。

 蒼から一転、視界に映し出された赤に、再度溜息を吐き出す。


 和樹が握り締めているものは、一般的に果実に分類されるものであった。

 色は赤く、だが毒々しいものではない。

 瑞々しさを示すようなものであり、その外見はほぼ球形のそれだ。


 リンゴ。

 和樹の脳裏にその名称が浮かび上がり、だが先ほどそれを齧った際に口内を巡った味は、それのものではない。

 ついそれを思い出してしまい、顔を顰め――


「……レモン味のリンゴとか、もはや嫌がらせだろ」


 蘇った酸味と共に、溜息を吐き出した。


 そう、見た目はどう考えてもリンゴなのに、味はレモンだったのである。

 和樹が途方に暮れていた、その理由であった。


 とはいえ、それだけであれば和樹もそこまでの衝撃を受けることはなかっただろうが……和樹にとってそれは、ただ果物を食べた、というだけのことではなかったのだ。

 半年。

 実に、半年振りの贅沢だったのである。

 或いは、初めてとすら言えるだろう。

 コツコツと貯めていた小銭が、ようやくある程度のものとなり、よし少しだけ贅沢してこれからまた頑張ろう、などと思っていたところにこの仕打ちだ。

 途方に暮れるのも仕方ないという話だろう。


 だが世知辛い世の中だ。

 いつまでもそうしているわけにはいかない。

 周囲の視線が厳しくなってきたとかいうのは正直どうでもいいのだが、ただ突っ立っているだけでは金というものは懐にやってきてくれはしないのである。


 勿論、やりようによってはそんな道も存在しているのだろうが、それはきっと色々なものを捨てた先にある道だ。

 和樹としては、そんなものを選ぶつもりは毛頭ない。

 何一つ、捨てるつもりはないのである。


 当然、この酸っぱいだけの果物も、だ。


「……はぁ。ま、仕方ない。気を取り直して、頑張りますか」


 誰にともなく呟きながら、右手を口元へと寄せる。

 そのまま齧り付くと、覚えのある酸味と僅かな苦味が、口の中を広がっていった。






 動き出した和樹が向かっているのは、街の外であった。

 理由は単純であり、今の和樹の働いている場所がそこにあるからだ。

 職場、と言ってしまうと語弊がある気もするが、まあ似たようなものだろう。

 周囲に並ぶ建造物や人々を何とはなしに眺めながら、そこへと向かって歩みを進めていく。


 視界に入るそれらは、当たり前と言うべきか、和樹がかつて見慣れていたそれらとは程遠い外観をしていた。

 ただ、まったく見知らぬ、というわけでもなく、この世界のそれらは所謂中世ヨーロッパ風のものである。

 文化的にそっちに近いらしく、建物も服装も、大体のところはそんな感じだ。

 勿論そのものではないため、二階の窓から汚物が投下される、などということはないが……まあ、典型的なファンタジー世界だと言ってしまえば分かりやすいだろうか。

 少なくとも現在和樹の視界に存在しているものから言えば、まさにそこはそういった様子であった。


 とはいえ敢えてそう表現したことからも分かる通り、それは何も建物や服装に限った話ではない。

 いや、或いはそれも服装の一部に含めてもいいのかもしれないが……それが何を意味しているのかは、街行く人々を眺めていれば一目瞭然だ。

 剣、槍、斧、弓。

 腰や背中に括りつけられているもの達こそが、それであった。


 それらがただのコスプレなどでないことは、重厚な造りを感じさせるその見た目が示す通りである。

 だがそこに誰も怯えの視線を向けないのは、これが日常の一部と化しているからだろう。

 最初は警戒を隠せなかった和樹が今は特に気にすることはないように、それはむしろあって当然のものなのだ。


 そして当たり前のことだが、彼らはそれらを無意味に持っているわけではない。

 振るう先を持つからこその武器であり、ある意味ではそれも、この世界をファンタジー世界と呼んだ理由の一つとなるだろう。

 魔物。

 そう呼ばれる存在もまた、この世界には存在しているのだ。


 魔物というのは、分類的には人を害しえる生物、といったところだが、実際のところはそこまで生易しいものではない。

 大の大人が二、三人集まったところで、最低ランクの魔物にすら殺されるだけ、と言えばその危険度が伝わるだろうか。

 特殊な結界が張ってあるために街の中にまでそれらが侵入してくることこそないものの、逆に言うならば街の外に一歩でも踏み出せば、そこはもう危険地帯だということだ。


 しかし当たり前ではあるが、人は街の中に引き篭もって生きていくことなど出来はしない。

 農作物などもそうであるし、交易などもその一つである。

 生きていくために、敢えて危険地帯へと足を踏み出す必要があるのだ。

 その時こそが、彼らの持つ武器の出番であり、何よりも彼ら自身が輝く瞬間なのである。


 そんな彼らのことを、人々は冒険者と呼んでいた。


「……ふむ。これ冒険者の謳い文句として使えそうだな……後で提案してみるか?」


 などという戯言を呟きながら、和樹は唐突に肩を竦めた。

 実際のところ、今のは戯言以外の何物でもなかったからだ。

 特に、まるで冒険者がいいものであるかのように言っているあたりが、戯言たる所以である。


 それに――


「宣伝とかする必要がないぐらい、人なんて集まってくるだろうしな」


 視線の先を眺めながら、浮かんだ感情そのままに、和樹は溜息を吐き出していた。


 気が付けば建物の群れは終わりを告げており、視界に広がっているのは草原を主とした広い空間だ。

 街の外に出たということであり、だが人の群れに関しては、未だなくなってはいない。

 それは街を出たすぐ傍にあり……その固まりを眺めながら、和樹は再度溜息を吐き出した。


 和樹が今出てきた街というのは、所謂城砦都市である。

 周囲に城壁が張り巡らされ、外敵を阻む障壁と化している街だ。

 ただ、その城壁というのは魔物に対して張られているわけではない。

 魔物に対する結界というのは物質的なものではなく、目に見えない形で街の周囲に張り巡らされているのだ。

 だからこそ、と言うべきか、結界は城壁よりも外側に展開しているのだが……その人の群れは、ちょうど城壁と結界の間に居座るようにしてそこに居た。


 その数は、ざっと眺めた限り五十といったところである。

 多い時には百を超えるので、今日は少ないと言うべきだが、とてもそんな気になれないのは何故だろうか。

 そんなことを考えていると、その中の一人の視線がこちらに向けられたが、すぐに逸らされた。

 まるでお前に用はない、などと言わんばかりであるが、それはこちらの台詞である。

 和樹もそこから視線を外すと、歩みを再開させた。


 彼らが何であるかというと、彼らもまた冒険者である。

 では魔物と戦うためにあそこに待機しているのかというと、そうではない。

 というか、そもその話、別に冒険者とは魔物を倒す者のことではないのだ。

 冒険者の別名は、何でも屋。

 あくまでも、魔物を倒すというのはそのうちの一つに過ぎないのである。


 つまり彼らは彼らで、また別の仕事のためにあそこに居る、ということなわけだが――


「さすがにああいったのと一緒にされるのは……いや」


 呟きながら、首を横に振る。

 見上げた先には、相変わらず無駄に晴れ渡った空。

 だが晴れていようがいまいが、空は空だ。

 その事実に変わりはない。


「結局のところ、他の人からしてみれば同じこと、か」


 冒険者は、所詮冒険者。

 つまりは、そういうことだ。


 冒険者とは、いいものではない。

 それは先に述べた通りであるが、正確に言い表すとするならば、こうなる。

 冒険者とは、この世界において、唾棄すべき最底辺の存在だ、と。

 そして。


 和樹は現在、その最底辺たる冒険者となって、日々を過ごしているのであった。

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