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作者: キーマカレー

 文学かどうかはわかりません。 他に思い当たるジャンルがなかったもので。

 自分では、小噺かなと思っています。


あとで聞いた話によると、彼女は自殺なんてしていなかった。 ちゃんと生きていて、ケータイショップの店員として変わらず働き続けている。 契約社員のままで、てきぱきと店内を動き、15分しかない休憩時間にお昼ご飯を食べて、明日はちゃんと弁当を作ってこうようと思いながら家路についている。 彼女はそういう人間だった。 このままの自分ではいたくないのに、変わることができないままでいる。 彼女は彼女なりにいろんな努力をしているし、イメージだってしてる。 しかし彼女はタバコをやめられないし、ジュースを買ってしまう。 トレーニングジムには会員になったまま一度しか行ってない。 カーテンの色もブラウンのまま。 

 僕は思うのだけれど、彼女の世界では時間がとてつもなく早く流れていて、それに合わせて彼女は自身の動体視力を優れたものにしていった。 しかしひとつひとつものごとを手に取れるほど彼女の体は機敏に動けないようだった。 彼女は本当に必要なものだけを拾い上げて、あとものは無視すべきなのだ。 彼女はそうすべきなんだと僕は思う。 


 

 彼女はよくリストを作った。 たとえば行きたい国。 マレーシア、オーストラリア、グラスゴー。 パスポートを作って早3年経つが、それが日本列島を出ることはなかった。 それが使われたのはトレーニングジムに入会するときに身分証明書として提示したときだった。 「自分の世界観を広げるための海外旅行10」とリストにはあった。 整った美しい文字だった。 ノートにボールペンで書かれたその文字は、彼女なりの信念を秘めているようだった。 

 僕はその整った文字を彼女の隣で眺めるのが好きだった。 彼女なりの信念を秘めており、ちっとも実行されないその哀れな信念が愛おしく思えた。 その時の僕は、どうかその哀れな信念がゆるがないことを切に願った。


 その時の僕は、日雇いのバイトを気まぐれにして、彼女のアパートに入り浸っていた。 財布の中身が1000円を切ると引越センターに電話し、明日のシフトを入れてもらう。 2、3日働きあとは彼女の家でDVDを見たり、ゲームをしたり、飼い猫を撫でたり、彼女がリストを書く姿を眺めたりしていた。 彼女と違って当時の僕の世界では、時間がとてもゆっくり動いていた。 僕の世界では、優れた動体視力もいらないし、機敏に動く体もいらない。 ゆっくり考え、吟味してごくわずかな必要なものを拾っていればよかった。 


 彼女は新しいリストを作るたびに、新しいノートとボールペンを買った。 リストをつくるたびに買ってくるので、おかげで部屋のどこにいてもボールペンは目に入った。あるときはトイレで見つかったりもした。 彼女がトイレにこもることが多いのは、きっとトイレットペーパーにもなにかリスト書いているんだろうと推測できた。 そしてそのリストは当然、流水と共に哀れな信念として流れていく。 さようなら、哀れな信念。

 ちなみにトイレでどんなリストを作ったのか聞いたら「バカじゃないの」と彼女はいった。 

 

 彼女は僕より3つ年上で、いろんなことに焦っているように見えた。 しかしそれを誰かに押し付けたりするようなことは決してなかった。 ヒステリックになったり、ヒステリックを抑えて不安定なることもなかった。 焦燥から彼女を救うのは残念ながら恋人の僕ではなく、リストだった。 彼女はリストを作ることによって自分を安定させていた。 そのリストは決して実現されはしないのに、彼女は書くのをやめなかった。 彼女はリストを作ることが目的となっていた。 タバコをやめる。 新しいカーテンを買う。 ルクセンブルグに行く。 そのリストたちは彼女を安心させた。 彼女はそのリストに理想の自分を見ていた。 そうしなければ彼女は、その早すぎる時間に飲み込まれてしまう。 自分を失ってしまう。 自分が今どこにいるのかわからなかくなってしまうのだ。 

 だから彼女はリストを書くのだ。



 「いつかあんたとも別れないといけないのよ」彼女はそういった。 それは夜が深まった11時くらいのことだった。 彼女はノートに書き終わったリストを閉じ、僕の顔を見ないでそういった。 彼女はいつもそうだった。 人の目を見て話すことができなかった。 仕事のときは別だったが、いったんプライベートなモードになると彼女は人と話すときに目を伏せた。 わざわざ目を見て話すことではないと言いたいように。 

 「それもリストに書いてあるのかな」僕はそういった。 つまりそれは、僕と別れることをリストに書いてあるかどうかということなんだけど。 僕は彼女の方を向いて、なるべく悲観的な空気を出さないようにいった。 僕はあくまで好奇心で彼女に尋ねている、といった風に。

 「書いてあるよ」彼女はそういった。 彼女も普段の会話をするかのようにそういった。 「たしかに今は大好きだし、離れられない。 きっとあんたがいなくなったらあたしはひどく戸惑う。 仕事が終わって帰ってきて、あてもなく部屋中をウロウロしてると思う」彼女は息を吐くようにそういった。

  彼女はいつか僕と別れる。 たしかにそれはありえる話だった。 結局ずっとこのままではいられないのだ。 彼女はもっと違う生き方をしたいはずだし、行きたい国や体験したい未来がある。 変わりたい自分がいる。 このままではいたくない。 だからこそ理想の自分をリストアップするのだ。 

 僕自身だって、このままではいられないだろう。 いつかはちゃんとしたところに就職して、正規社員になって、所得税を払わないといけなくなる。 自分の城を構え、10年後、20年後を考えて生きる。 あらゆる保険を吟味していかなければならない。 そういうことはぼんやりとわかっているのだが、いますぐに実行なんてとてもできない。  彼女のところに入り浸り、猫をなでる生活を自分から手放そうとは思わない。 今の僕には少なくとも責任というものを抱えることはできない。 

 「そのリストを見せてほしいな」僕はそう彼女にいった。 そのリストというのはつまり、僕と別れることを書いてあるリストのことだった。 彼女は「いいよ」といってさっきまで書いていたノートを僕に渡してくれた。 そのノートをパラパラとめくっていくと、「3年後の自分」という項目を見つけた。 その項目の3番目に「カズミチと別れている」と書いてあった。 僕は少し複雑な気持ちになったが、少し笑ってしまった。



 

 彼女が自殺したと聞いたのは、僕が彼女のアパートを出て行ってからだった。 そう、僕は彼女と別れたのだった。 

 彼女は職場の年上の上司から告白されたのだった。 彼女はとても言いにくそうにそれを僕に告げた。 彼女は自分が変わることができるチャンスなのだと僕にいった。 その上司は高い意識を持ち、仕事がよくできた。 彼女との音楽の趣味も合い、努力を怠らない人物だった。 そしてなによりハンサムだった。


 僕は居候の身だった彼女の部屋を出ていかなければならなかった。 日雇いの仕事を気まぐれにやっていた僕は、結局長期で働ける派遣の仕事を見つけ、そこの社員寮に住むことになった。 僕の荷物はあまりなく、 着替えと目覚ましと愛用の洗面器を持って僕は彼女の部屋を後にした。 


 そうやって彼女と別れて、僕なりに悲しくもあったし、途方にくれたりもした。 20数年生きて自分の性格はわりに飽きっぽく、のめり込むということができない性格だということをある程度理解していたため、自分にそう言い聞かせて数ヶ月過ごした。 どうせ彼女のことなんてすぐに忘れてしまう。 そのうち、今月は給料日まで2週間もあるのに、2000円しかないと頭を抱えているだろう。 そんな風に考え続けた。 

 けれども実際に、僕が彼女のことをすっかり忘れてしまうまでにはけっこうな時間がかかった。 自分でもよくわからないのだが、彼女のことが頭から離れない日々が続いた。 「いつかはあんたとも別れなければならないの」彼女のタバコの煙が不安定な円になって宙に浮かんでいた。「今はすっごい好きだし、大切に思っている」彼女はそんなことをいっていた。どうして彼女はそんなことをいったのだろうか。なぜ彼女は僕にそんなことを言ったのだろうか。 そう考え出すと心地のいい眠りから遠ざかった。

  彼女との思い出が再生された夢をよく見た。 それもあまり印象に残らないようなありふれた場面ばかりだった。 彼女がハードロック(彼女はオルタナティブといっていた)の海外バンドが新しいアルバムが出るたびに買って聴いていたこと。 しかもアルバムにかならずあるというスローテンポなバラードをよくリピートしていた。ヘビーなスタイルのバンドなのに、美しいバラードを奏でるところが彼女は気に入っていた。 残念ながら僕にはそのバンドの良さがさっぱりわからなかった。 何度聴いてもサビとコーラスの違いが理解できなかった。 彼女はそれについて熱心に解説するわけでも、僕に良さを理解させるわけでもなかった。 ただ純粋に気に入って繰り返し流していた。 


 彼女が自殺をしたという話を聞いたのは、僕がようやく彼女のことを忘れかけていたときだった。ことの顛末は、彼女がフェイスブックのつぶやく欄に長い長いお別れのコメントをしたことだった。 彼女はめったにフェイスブックを更新しない。 自身の写真も一枚もなく、登録している友人も少なかった。 僕はたまたま彼女と共通の知り合いからそのフェイスブックのコメントの話を聞いた。 聞いたときは驚いた。 

 彼女と別れて1年が経っていた。 僕はそのときようやく気がづいた。 僕は彼女をもう一度手に入れたいとは思っていなかったということに。 うまくは言えないが、彼女との物語が僕には忘れることができなかったのだ。 彼女がいた日常や非日常が、それほどスリリングでもなかったはずなのになぜか記憶から離れなかった。 彼女が写っている場面が、呪いのように僕の脳裏に張り付いているのだ。 しかし彼女ともう一度一緒に暮したいという気持ちにはならなかった。 僕にはただ、記憶だけあればよかった。

  

 僕は共通の知り合いに彼女の行方を聞いた。彼女は今どこにいるのかと。 しかしその知り合いにもわからなかった。 けっこう変わった子だったからねと知り合いは言い、話題をそれほど深く掘り下げなかった。 僕もそれ以上知る術はなかった。  僕はそのとき、もう彼女はこの世にはいなんだと思った。 とくに大きな悲しみは残念ながらなかった。 そのとき僕にあったのは、僕の記憶のなかに彼女はあって、いつでも再生できて、それはきっと死ぬまで生き続けるのだろうということだった。 僕がどれだけ拒んでも、その事実はゆるがないんだろうと。 そういうふうに思った。



 「みなさん、さようなら。 わたしは永遠の旅に行ってきます。 これは比喩ではありません。 これまでの人生にはわたしなりに満足しています。 誰かに傷つけられたり、裏切られたり、また裏切ったりしてきましたけど、それはきっと避けては通れない道だったのです。 だってわたしはその場面場面でちゃんと考えたつもりだし、自分なりに裏付けをしてきたのです。 多少の見落としはあったし、後悔だってもちろんしましたよ。 けどそれでいいと思えるのは、やっぱりわたしが今この時点で真っ白になることになんの見境もないからです。

 みなさんにお礼をいいたいわけではありません。 同情とか声かけとかが欲しいわけでもちろんないです。 ただ知ってほしいのです。 人間には、長い長い文章でしか伝えることができない思いがあるんだということを。 キャッチコピーのように韻を踏んだり、キレのいいフレーズで伝えられることはほんのわずかしかないのです。 そして長い長い文章のあとに、少しも理解が得られないことがあります。 呆れるほどの熱意も、信念も、志も、蚊に刺されたような感覚でしか捉えられないことがこの世には多くあるんです。 そういうことって、ただ気づかないだけ。 だって蚊に刺された感覚なのだから。 永遠の旅がどういうものか今から楽しみです。 最後にまた言います。 これは比喩ではありません。 みなさん、さようなら」




 

 彼女のことが夢に出てこなくなかった頃、僕は彼女と再会した。僕が部屋を出て行って1年半近く経っていた。 

 彼女の方から僕に会いに来たのだ。 彼女はなぜか僕の職場も、社員寮も知っていた。 いったいどうして彼女が僕に会いにきたのかまるでわからなかった。 

 けれども僕は彼女にまた会えて、最初のうちは混乱したけど徐々に懐かしくなった。

 彼女はいろんなことに腹立ってついフェイスブックにあんなコメントをしたのだという。 付き合っていたハンサムな彼とは別れたようだった。 どうやら価値観の違いらしい。 うさの晴らし方があんなやりかたとはなんともはた迷惑だと思った。 けれども、まぁ、それもつかみどころがなく、実に彼女らしかった。 

 僕は彼女にいった。 君のことはずっと忘れないよ。 君に会えてよかった。 そう思えるし、それに僕は自分が思っているほど飽きっぽい人間でもないかもしれない。 

 それは僕の人生にとって大きな発見だった。 これからの人生を乗り越えていくヒントのようなものに思えた。 そういうものがわかったときというのはとても嬉しいものだった。  諦めなくていいんだと、まだ伸びしろはあるんだと、そう実感できた。 自分が歩いている長い長い道をほんの少しだけ動きやすくしてくれたようだった。 彼女の思い出は、きっと僕にそういうことを思い出させてくれる。 彼女との思い出はきっとそのためにあるのだ。 

 だから僕は、彼女との思い出を忘れない。

  















 

 「また一緒に住むのは、どう?」そう言ってきたのは彼女だった。 けれども僕は断った。 僕は彼女がリストに書いたことを、たった一つでもいいから実現させてあげたかったからだった。







 関係ないですが、作者はレディオヘッドが好きです。 キーマカレーも好きです。

 文学も好きですが、一番好きなのはゲームです。


 この話を知り合いにしたところ、実話かな?って言われたのですが、違います。 完全に空想です。 作者自身は居候の経験はありますが、作中の主人公みたいにのんびりしていませんでしたよ。 

 

 これからもちょくちょく書いていこうと思います。

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