第五章 覇王問答
桜とゼペットは不適な笑みを浮かべ、お互いを見据える。
腹の内側のさらに深淵を覗き込むように……それでいて、表情は一切崩さずに。
これはあくまで、桜とゼペットとの対話。
互いに人の上に立つものとして、互いを推し量るためのまさに一対一のゼペットからの挑戦状。
唯の話し合いだとゼペットは言うが、唯の話し合いだとしても、話せば互いの器は知れる……。 故に、俺は話を振られない限り、俺は桜を見守ることしかできない。
ここで下手に桜の肩を持てば、帰って桜の器を貶めることになる。
……それを、ここにいる人間全員が理解しているため、桜の承諾の合図と同時に、
この空間は凍結する。
「……」
桜は無言のまま杯にコーラをくみ取り、一気に飲み干す。
「うむ……いい飲みっぷりよのぉ」
感心したようにゼペットは笑い、続けるようにコーラを口に含み、飲み干してみせる。
………これは長くなりそうだ。
そうこちらが思案すると、相手の謝鈴はゼペットに向かって短く咳払いをする。
「ふむ……して、冬月の頭首よ、主に聞きたいことがある」
「……何かしら?」
「お前の守りたいものはなんだ?」
「……簡単ね、この村よ?」
「そうか」
簡潔にそう述べて、桜はまた杯にコーラをくみ取り、唇をつける。
「……ふぅ。 で?あなたはどうなの?人形師さん」
「ぬぅ?」
桜はコーラの入った杯から唇を離し、そうゼペットを指さしてそういう。
「この森を奪うなんて戯言を吐いているそうね?奪うことのみのあなたに、守るべきものなんてあるのかしら?」
きつい一言。 その言葉に謝鈴は殺気を放つが、それをゼペットは片手で静止する。
まるで、桜の言葉を真正面から受け止めるように静かに瞳を閉じて。
「我が守る者は、人形の命よ」
そう、静かに……しかしはっきりと口にした。
「?」
桜は首を傾げる。
「主も知っておろう?仮身という兵器を」
「……えぇ。でもそれがなに?もしかしてあなた、あの兵器が守る物とでも?」
「そのまさかよ。我が守る物はギアだ。いや、正確には仮身と言った方が良いかのぉ」
「……なるほど。あなたの狙いはあの廃墟にあった仮身工場と言うわけ……。確かに、全世界に宣戦布告をした唯一の犯罪組織ならば、兵力はありすぎるということはないものね」
「ほほう?この森に仮身工場が眠っているというのは初耳よのぉ」
「……」
桜は唇を一度噛み、落ち着きを取り戻す。
「なら問うわ。 あなた兵器を手に入れてどうするつもりなの?」
あくまで冷静に、桜はゼペットにそう問いかけると、ゼペットはバカにしたような苦笑を漏らす。
「そう早まるな、兵器などはいらん。 我が守る物は仮身と言っておるだろうに」
「……言っている意味が分からないわね……私の知る限り、仮身っていうのは大量破壊兵器で、普通の人間ならば守ろうなんて思える品ではないはずなのだけど」
皮肉めいた言葉を桜は吐き、短くため息をおまけすると。
ゼペットは少しだけ目を細め、俺の方向に振り向く。
「なんだ死帝よ。主はこやつにギアと仮身の違いも教えてやらなんだか」
呆れたようなトーンでこちらに声をかけるゼペット……その言葉に反応することはせず、俺は唯一言。
「……その必要はないはずだ」
と返す。
「それもそうかのぉ」
納得したようにゼペットはうなずき、また桜に向き直る。
「ふむ、まぁ少し長い話になるが付き合え、冬月の姫よ」
そう言い、ゼペットはコーラをすくって飲み干し、杯を机の上に置いた。
その表情には、すでに笑顔は消えていた。
「仮身とはもともと人工の人間。簡単に言えば人造人間のようなものか、それを指す言葉だった」
「……ギアとはどう違うの?」
「仮身は核兵器の代用品とは程遠い、全くの人よ。感情があり、体の構造も同じ。血液から体組織まで寸分たがわず、人と同じ存在だ。 違うことは、人の手で作られたか、人の腹で作られたかの違いのみ。我が守りたいのはそいつらだ」
「……」
桜は黙ってゼペットの話を聞いている。
それにゼペットは二本の指を立てて桜に突き出す。
「……仮身の用途は二つ。人体実験用のモルモット。もしくは普通の人間では危険が伴う場での精密作業のために開発された……いわば人の代用品。仮の身体に人の心が宿っただけの紛い物……故に、仮身」
「……」
桜の表情が少し強張り、ゼペットはそんな桜の表情に満足そうな顔をして、口元を緩める。
「平均寿命は約五年。作ろうと思えば年齢を指定して作ることが出来るからのぉ、実験で死ぬこともあれば、必要がなくなって廃棄されることもある。……まだ人を救うための実験の被験者や作業員になる奴はいい。……中には兵器実験の的にされるものや、唯、快楽のための玩具として扱われる奴もいる……貴様も見ただろう、死帝よ。お前なら分かるはずだ」
「……ああ」
短く返事をして、横目で桜を見る。
その表情は硬く、唇をうっすら噛んで目を細めている。
「ふむ、その表情は、理解してくれたということだな」
「いいえ、少し突然すぎて、頭が追い付いていないだけよ」
「……ふむ、なるほど。無理もない。だがこれは事実だ。製作者、ジューダスキアリーがそういった意図で仮身を作る技術を生み出したかは知らんが、現に人間と寸分違わぬ人形を作る技術が生まれ、科学者は体のいい実験対象を手に入れた。
何分人形だからのぉ、人権どころか生物としての尊厳もない。ただ、町の玩具屋で購入した人形のように、今この時も命を落としている仮身がいる」
「……ひどい」
小さく口元を動かし、彼女は腿の上にある手を握る。
「だがのぉ、いずれはそんなことはなくなる。我はそう踏んでいる」
ここでゼペットは語調を少しだけ強めた。……桜に現在怒っている現状を伝え、同情を引こうとしているのかと思っていたが……この語り方ではどうやら違うようだ。
いや、もとよりこの男は、そんな回りくどいことをする人間でもないか。
「ユダヤ人の迫害が今では悪であるように、黒人が解放されたように、仮身もまた、人になる時が来る。かつてユダヤ人をシンドラーが救ったように、キング牧師が立ち上がったように……彼らを救い出す者が必ずや現れる」
「……それが、あなたとでも?」
「いや、まだその時ではない」
「?」
「仮身とは曲がりなりにも人道に反した隠匿された科学だ。知っているものも、世界各国の軍の上層部、もしくは主のような大富豪しか知る者はいない」
「つまりは、どういうこと?」
「……知らぬものは救えぬということよ」
「……?」
「ふむ、主は中々に器は広いようだが、頭はあまりよくないようだのぉ」
ぴくりと石田さんの眉が吊り上る。
今はまだ抑えているが、下手をしたらこのまま殴り掛かってもおかしくない剣幕だ……。
ゼペットとここで一戦を交えることになる結果だけは避けたいところであるが……。
ゼペットにはことを荒立てるような言葉は控えてもらいたいが……それは恐らく無理だろう。
「では冬月家当主よ、貴様に問おう。自分が人であるということの証明は一体だれがする」
不意に、ゼペットは桜に謎かけを始める。
「え?そんなの自分に決まってるでしょう?」
「ならば仮の話、犬が自分の事を人とだと思い込んでいたら、それは人か?」
「……いえ、それは犬よ?」
「そうだ、ならばその犬を人ではないと結論付けられるのは何故だ?」
「それは私は人の形をしているし、犬は犬の姿をしているからよ?見間違えようはないわ」
「……では何故、お前は自分が人間だと分かる?もしかしたらお前は、その犬のように自分が人間だと思い込んでいるだけで、本当は人間ではないかもしれぬぞ?」
「……鏡を見れば分かるわ。わたしは他の人たちと同じ形をしているし、誰に聞いたとしても百人中百人が私を人間だと答えるわ」
酔っぱらいかジャンキーが相手なら話は別だけど……。と桜はつけたし、鼻を鳴らす。
頭が悪いと言われたことを、少し気にしているようだ。
「……それはつまり、他人がいなければ貴様は自分が人間である証明が出来ないということだろう?」
「……あ」
「理解したようだな。たとえ救世主なんてものが立ち上がっても、仮身を人と認めるのは、赤の他人のその他もろもろよ」
「じゃあ、あなたは一体何をしようと言うのかしら?」
「……決まっている。その時が来るまで、我は一人でも多くの仮身を救う。自らの信念を貫く。たとえこの身が砕けようと、たとえ大罪人と罵られようと、この歩みを止めることはせんよ」
「すべてを手に入れんとする強欲の化身……覇王を名乗るあなたが、他人の為に生きようだなんて、随分と滑稽ね」
「ふん、何を言う。これは全て自らの為よ。仮身は皆我の民……民は皆我の血潮であり、すべてを欲さんとする覇王が、己の民をも守れんようでは聞いてあきれるからのぉ。ゆえに我は今民を守っている。すべては我の為よ」
ゼペットの言葉にはよどみもつまりもない。
彼は、他人の為に戦うことは自分の為だと本気で考えている。
自分の欲の為に戦い、その結果として、仮身が救われているのだと彼は本気で言っているのだ。
もはや、彼にとって仲間を守ることは当たり前の行動になってしまっている。
それほどに、ゼペットは仲間を大切にしている……それだけはしっかりと伝わった。
「たとえ、世界中の人間があなたに牙をむいたとしても?」
「むろん。元よりそのつもり。自らの信念を貫けぬなら、生きている意味はない」
桜はその言葉に一度息をのむ。
例え世界を敵に回しても……それは自分の命を懸けることよりも重い選択。
軽い気持ちならば簡単に言える言葉だが、ゼペットの言葉にはいペンの曇りは無く、本気で世界を敵に回す覚悟と力が……そこにはある。
「死帝よ。お前にも分かるだろう?貴様が掲げる正義ならば、仮身を守ることは正義のはずだ。いや、お前が今していることなんかより、よっぽど多くの人を救うことが出来るはずだ」
「何が言いたい?お前の仲間になれと言う意味か?」
「いや、お前のような堅物はいらん。それに、主はそのままが一番だと我は思う。我が言いたいことは、貴様の信念の中では、我を殺すことは不可能だということだ」
「ふん。俺は確定事項で無ければ他人が掲げる未来なんてものは信頼しない。今のお前は、二百人の村の人間を見殺しにして、桜を殺そうとしている唯の侵略者だ」
ゼペットは俺のセリフを聞くと、やけに困ったような顔をして頭を掻き始める。
「おいおい、確かに我は森をもらうと言ったが、村などには興味はないぞ?さっきから話に食い違いがあるようだが、我は村を奪うつもりなんて毛頭ない……第一、あれだけの資産があって世界中に注目されている村なんて、こっちから願い下げよ」
「……え?」
その言葉に、俺、長山、側近の謝鈴までもが素っ頓狂な声を上げて、ゼペットを見た。
「……」
ゼペットは本当にきょとんとした顔をして、周りを見回し、頭を掻きながら隣で驚愕している謝鈴に呟く。
「何か勘違いがあるようだのぉ?」
「あ!?当たり前です主!?私はてっきりこの村を奪うのかとばかり!」
「我が欲しいのは村ではない、森だ。我は元々お尋ね者だ。このような対話などできぬと思っていたが、話も通じずに戦いになれば奪うしかないが、対話が出来るならば交渉をしたほうがいいだろう?」
「あ……う」
謝鈴は口をパクパクさせて何かを言おうとするが、驚愕が大きすぎたのか?何も言えずにそのまま文句を飲み込んで、がっくりと肩を降ろす。
「……ふむ。すまんのぉ」
ゼペットは話を戻そうと言わんばかりにそう呟き、また先と同じような体制に戻す。
「……ゼペット。一つ聞く」
「なんだ?死帝よ」
「……この村にも遺産にも興味がないなら、お前は一体何しに来た?」
「……ふむぅ?だから前に行ったではないか、たとえ力づくになったとしても、我は雪月花村の森の一部をもらうと」
「!?森?」
「うむ、雪月花村はちと有名だが、雪月花の森はこの村の人間でさえもしらない場所がある。……あぁ、そうだのぉ、さっき主らが言っていた廃墟のギアプラント、できればそこを貰い受けたい」
……ゼペットは頼んでいるのか命令しているのか分からない態度で、そう桜に言って盃を渡す。
「……少なくとも、あなたが村人に危害を加えようとしていないことは伝わったわ」
しかし、桜は小さくうなずくと、その盃を受け取って中のものを飲み干す。
「では」
「けど……」
身を乗り出したゼペットの顔に桜は杯を突きだして制止する。
「ぬ?」
「これは交渉でしょう、人形師さん?あなたも商人なら、分かるでしょう?ギブ&テイクよ。あなたの条件は、全世界からマークされている第一級テロ組織を、私の庭で匿えと言っているような事。そんなマイナスだらけの条件で、私が納得すると思っているのかしら?
仮にまた、私を試しているのなら……あまりお勧めは出来ないわよ?」
「むぅ、なるほどのぉ」
ゼペットは桜の言葉に一度押し黙り、深呼吸をして会話を再開する。
「確かに、今のでは完全に我の我がままであったな、許せ。雪月花当主よ。試したわけではない。唯、少し興奮して失念していただけよ」
「……そう?それならいいけど。で?そっちが出す交換条件は?」
「うむ、先の話を聞くところ。主らはまだギアプラントを御しきれていない用だのぉ。まぁ、後回しにしているだろうが、まずはそのギアプラントの排除を受け持とう」
「……で?」
「次に、あの黒き仮身の破壊だ……。主らも手を焼いておろう。その破壊も約束する」
ゼペットは桜に笑いかけるが、桜はどこか呆れたような顔をしてため息を漏らす。
「人形師さん。そんなことはあなたがいなくても対処できるわ……ここにいる二人はギアを相手にするスペシャリストよ?私はあなたに森の一部を永久に渡すの。そんな一時的な条件ではなく、もっとましな条件を出しなさい?」
ゼペットは困ったような表情をして隣の謝鈴を見るが、隣の右腕も同じようにおでこに人差し指を当てて首を左右に振っている。
どうやらゼペット自身は交渉と言うものは得意ではないようだ……。
「……むぅ?中々にいい条件だとは思ったのだが……」
ゼペットは少しだけ考えるような仕草をして、何かを閃いたかのように手を叩く。
「……そうだ。では、主の寿命を人並みにまで戻してやろう」




