第五章 方針
12月8日
いつものように目が覚めたのは四時十二分。
それからしばらくはいつものようにクローバーの手入れをし、桜の眼が覚めるのを待つ。
磨かれていく銀色の銃身は、いつまでも衰えることなくその輝きを保ち続け、掘り込まれた術式は芸術性が高く、俺も見とれてしまう。
第二次大戦終了直前、ドイツで開発が進んでいた術式を搭載したハンドガン。
核兵器の登場と、ナチスドイツの崩壊によってその開発は完全に闇に葬られてしまったが、試作品に作られた二つだけは何とか生き残ったらしい。
そのうちの一つが親父が持っていたこれというわけだ。
流石はドイツの技術者たちが丹精込めて作り上げた代物……。
ごつい見た目からは想像できないほど銃身は軽く、女性でも扱えるほど。
銃を撃った際の反動は術式によって軽減されており、連射をしても手に負担はかからない。
誰にでも扱えることに重きを置かれたハンドガン……。
「むぅ~?」
銃の装飾に少しばかり見とれていると、桜が目を擦りながら起きてしまった。
「あ……すまん。起こしてしまったか?」
「ううん……らいじょうぶ、もうおりる」
全然大丈夫じゃなさそうだ。
「……おい、まだ寝てて大丈夫だぞ」
「うん……わかってるら……」
桜はたちあがり、パジャマ姿のままふらふらと俺の座っている執務用の机の前にまでふらふらと歩いてくる。
「桜?」
「ふにゃ~」
眼がほとんど開いていない。 どうやら完全に寝ぼけているらしい。
「おい、桜?まだ寝てろよ」
「……ふぁ~い」
そう桜は一度頷くと……。
「え?」
「す~、す~」
執務用の椅子を隣に持ってきてそこにちょこんと座り、頭を俺の肩に預けて寝息を立て始めてしまった。
「おい……桜?桜~?」
「す~……す~」
桜の小さく細い寝息が俺の耳元をくすぐり、俺の心臓はフルマラソンを全力疾走した後のように高鳴る。
目線を少し左に送ると、そこには桜の桃色の頬が見え……俺の頬には、白い絹のような髪が触れる。
小さい桜から伝わる熱が、俺の体に伝わっていく。
「って、何を呆けてるんだ俺は」
ついつい見とれてしまった自分にため息を突いて、俺は、桜を起こさないようにできるだけ丁寧に桜を抱きあげる。
……いわゆるお姫様抱っこと言う体制で。
「……こいつ。こんなに軽いんだ」
持ち上げた桜はとても軽かった。
「ん……」
その軽さで思い出す。桜は二週間後には、二度と目を覚まさなくなってしまう。
その幸せそうな寝顔からは想像もできない、桜の顔を見ていたら忘れてしまいそうな残酷な現実に、俺は思い出さされる。
「……何をいまさら……」
頭の中をよぎった雑念を振り払い、俺はゆっくりと桜をベッドまで運びそっと寝かす。
桜が死ぬことは分かっていたこと。それをなんで俺は、そのことを思い出すたびにこんなに苦しくなきゃいけない?
なんで、桜が死んだあとの事を想像すると、寂しさを覚えなきゃいけない?
「分からないな………本当に」
本当に分からない……この気持ちは一体何なのか?
ただ。
「ん~……シンくん」
「ったく、どんな夢を見てるんだ?」
今は、桜がこうして隣にいてくれることを大切にする。
なぜかそれだけで正解のような気もする。
「……ごめんな、起こして」
シーツを軽く握ったまま、小さく寝息を立てる桜の頬をなでて、俺はそのまま桜の部屋を後にした。
◆
朝食を終え、俺は桜と長山と石田さんに声をかけて談話室に集める。
「さて、とりあえずジェルバニスは倒し、一応は俺達が呼ばれた大本は排除したわけだが」
「……とんだ客人が、二グループも飛び入り参加しちまったからなぁ」
ジェルバニスだけだったら楽だったのに、なんて長山はため息を零し。
石田さんが入れてくれたミルク控えめのコーヒーを一気に飲み干す。
「ジスバルクゼペットと、その幹部謝鈴。そして何から何まで意味不明な黒い仮身。
……目的が分かれば対策の一つや二つは打てそうなもんなんだけど、みんな何しに来たのか分からないんだよね~」
はふぅ、と桜は息を突き、憂鬱そうな顔をしてコーラの入ったグラスに口をつける。
それもそうか。理由もわからないで命を狙われるのは誰だって気持ちのいいもんじゃない。
「シンくん心当たりない?」
「んっ?あ、いや。何もないな」
「そっかぁ」
どうやら桜は今朝の事は全く覚えていないらしく、いつものように話しかけてくれるようになっていた。
まぁ、また丸一日避けられる……なんてことになるのも嫌だからいいんだが。
「俺は一度謝鈴とは戦っているが、ゼペットとファントムと戦ったのは長山だけなんだよな?」
「……ん?まぁでも、ガチンコで打ち合ったわけじゃないし、良く分かんねーけど……ところで深紅……ファントムってなんだ?」
「ん?黒い仮身と呼び続けるのも面倒になって来たから一応つけてみたんだが」
「ぷっ……だっせ」
「な!?」
長山は噴出して笑いをこらえる。……少しショックだ。
というかすごい恥ずかしい。
「そんなにひどいだろうか?」
「ごめんシンくん。ちょっと私もフォローできないや」
「……」
石田さんに目線を合わせようとすると、あっさりと躱されてしまう。
くそ、こうなりゃ意地だ。最後まで使い続けてやる。
「とりあえず、これで二勢力から攻められる心配がなくなったわけだ。となると、ファ・ン・ト・ムをどう対処するかが問題になる」
「というと?」
「二勢力同時に責められることも考慮して、今まで全員が城で敵を待ち受けて迎撃する形でいたが、勢力は一つ減り、ファントムが負傷して一週間がたつ。
……この際に先にファントムを探し出して始末するってのもありだと思うんだが……石田さん、どう思う?」
「そうですね、確かに……先にファントムを消せればゼペットとの戦いも楽になります。
……どちらもまだ動く気配がない今、手負いの不安要素を確実に消した方がいいのかもしれません」
「でも、それはファントムの居場所を知ってることが前提の話でしょ?」
……確かにそうだ。
「桜の言ってくれた潜伏できそうな場所に長山にゴーレムを飛ばさせてみたが……どれも外れだったしなぁ」
「町に逃げたとかはねえのか?」
「あんな目立つものが町に出たら、なおの事騒ぎになると思いますが」
一同はいっせいに首を傾げている。
「ところでゼペットの居場所は割れているのか?」
「ん~?なんか古い教会に今のところいるぜ?」
夜中に部下が森の中探索してるけど、村とかこっちには近づこうとはしてなかったから放っておいたんだけどよ。なんかまずった?」
「いや、それでいい。 ってことはあっちも同じ考えのようだな」
「だけど、今の話だとあっちも見つけられてないみたい……まぁ当然だよね。
ここの森って、等間隔に木々が並んでるから、道を覚えるどころか、方向感覚さえもつかみにくいもん。来たばっかりの人じゃ全部を把握するのは無理だよ」
「やれやれ、平行線のままですか」
「だれか森に詳しい奴いねえのかね?」
『はぁ』
一同は同時にため息を突き、コーラを口に含む。
「まぁなんにしても、これからの戦いは桜ちゃんの能力を借りなきゃいけないことが増えるかもな」
「うん!任せて」
「桜様!?あまり私を心配させるようなことはしないでください!」
「別に大丈夫よ、だってシンくんが守ってくれるから」
ね~、なんて首を傾げる桜だが。
「桜。お前の能力は至近距離で術式に触れなければ意味がない……遠距離型の術式に対しては絶対的な力を持ってるが、逆に言えばお前は術式の恩恵を受けることが出来ない。
普通の人間にだって殺されるんだ……お前は体の事を大事にしろ」
「む~、シンくんはどっちの味方なの~?」
「お前を守りやすいほうの味方だ」
「……でい!」
「!?」
この返答は桜のお気に召さなかったようで、ジト目で俺の脇腹をつついてくる。
「地味にびっくりするからやめろ」
「ふ~んだ」
ふてくされるように頬を膨らませる桜に、苦言の一つでも呈してやろうかと俺は頭の中に候補を浮かべてみるも、どうやら俺の苦言は長山に対してのみにしか対応していないらしく、口を開きかけた段階で諦める。
「さて、ではこれからは、お二人がファントムの捜索と桜様の身辺警護をするということですね?」
「あぁ」
石田さんは俺達の話をまとめにかかり、三人は同時にうなずいて、グラスの中のコーラを飲み干す。
「ぷは~……しっかしうめえなぁこれ」
「当然だよ!2℃の冷蔵庫の中で凍らないギリギリのラインを保ったコーラだもん」
「……ん?桜ちゃん、2℃ってことは外よりもはるかにあったかいぜ?どっちかっていうと暖蔵庫なんじゃ?」
「んなもんあるか、あったまって春が来てんのはお前の頭の中だけだ……」
正確には温蔵庫である。
「バっ?!お前、なんで桜ちゃんには何も思いつかねえで俺に対する暴言は矢継ぎ早に出てくるんだ!?」
「桜に変な知識を与えるな。まぁ、この極寒の地で一人だけ春が来ている長山君は言ってるのかもしれんが……いいか桜。暖蔵庫っていうのはこの世には……」
「やめて!?そんなことぐらい分かってるから!冗談を真面目に否定されることほどつらいことは無いの!!」
「ぷっ……あははははは……あはははは」
「桜様、今の会話でなんか面白いことありました?」
「全部!」
桜の笑い声がこだまする雪月花村の冬対の城。昨日の喧騒と吹雪がまるで嘘のようだ。
穏やかな空気とシンシンと降る雪が1日の始まりを伝えていた。
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