第五章 涙が出るほど笑う
会話を終えて、俺は少し安堵をした反面……これからどう桜と接すればいいのか分からなくなる……。
だけど……。
「む……」
気が付けば、俺は桜の部屋の前に立っていてそのドアをノックしようとしていた。
何故だ?
分かっているはずだ、今桜と顔を合わせるのは得策ではない。
そんなこと分かっているはずなのに。
「こんこん」
俺は、桜の部屋のドアを叩いてしまっていた。
「は~い」
中から響く桜の声はいつもの声……。
「桜、入っていいか?」
「え……し、シンくん!?……だ!駄目!?」
開きかけたドアを桜は内側から押して占める。
やはり先ほどの事をまだ怒っているようで、俺はどうすればいいか分からなくなる。
「桜……誤解を解きたいんだ。アレは、カザミネが勝手に……」
「そ……そうじゃないの!さっきはごめんなさい……び……びっくりしちゃって」
桜の声が扉の裏から聞こえる。どうやら桜はこの扉の反対側に背中を預けて座っているらしく、俺は同じように部屋の扉に背を預ける。
ひんやりとして、ごつごつとしているはずの扉は……。
なぜかその時だけは、温かくてとても柔らかく感じた。
「……じゃあ、なんで開けてくれないんだ?」
「あ……えと。ごめんシンくん。 ……で……でも、私君の顔見れない……というか。
あ、別に見たくないとかそういうんじゃなくて……その、昨日のことがあるし」
「あ……」
昨日の事を思い出し、俺は鏡を見なくても分かるほど顔面を赤色に染め上げる。
「男の子に……あんなに強く抱きしめられたの、初めてで……すごい……し、胸がドクンドクンって今止まらない。 きっと、君の顔見たら……もっとひどくなる」
「あぁ……わかった」
落ち着いた風を装って俺もそう桜に返すが……俺だって心臓の脈拍が異常なまでに上昇している。
とてもじゃないが……今あいつの顔を見れそうにない。
「ねぇ、シンくん」
「……なんだ?」
桜の静かな声が、部屋の中からオレンジ色の光が煌々と輝く廊下を小さく震わせる。
「ど……どうだった?」
「何がだ?」
「えと……その……私の体」
「…………………は?」
「えと、その、ギュッてした感触……気持ちよかった?」
「ぶっ!!ななっ!?何言ってんだお前!?」
「え……あう……だ、だって。私、カザミネに比べたらスタイルも良くないし……。比べてどうだったかなって思って」
「……そんなの知らない。そんなこと考える心の余裕なんてなかった」
桜の時はほかの事で頭いっぱいだったし、カザミネの時はどうやって引っぺがそうかで頭いっぱいだった。
「そうなの?」
「あぁ……」
「そっか……」
桜は何か考えるような声を出して、しばし黙り込む。
……今、あいつはどんな表情をしているのだろうか。
それが分からないのが少しだけもどかしい。
しばしの沈黙が流れる。
確か俺は、もっとたくさん話したいことがあったはずなのだが、そのすべてが記憶の中から消去されていた。
「シンくん」
何か話題を絞り出そうと思考を回転させていると、桜が俺の名前を呼ぶ。
「ん?」
「そういえば、あだ名決めてなかったよね?」
「……あだ名?今お前が呼んでる、シンくんじゃだめなのか?」
「それはだって、他の人が付けた奴でしょ? ……やっぱりオリジナルがいいの」
……桜はさも当然のことのようにそんなことを言うが、あだ名とは一人一人が勝手につけるものじゃないと教えておくべきだろうか。
いや、まぁシンくんってのはあんまりいいあだ名じゃないし、この際呼び方を変えてもらおう。
「……ダンクシュートとかタイガーマスクとか変なのはやめてくれよ?」
「大丈夫♪音は変わらないから」
「?」
「えっとね。深紅じゃなくて、真っ直ぐの真に紅で真紅っていうのはどうかな?」
なるほど、深いのではなくて真の紅か。確かに呼び方は変わらないな。
「どうしてこんなあだ名がいいと思ったんだ?」
「だって、シンくんは正義の味方でしょ? なんか深い紅だとさ、ちょっと黒っぽくてあんまりヒーロー!って感じじゃないでしょ?」
「……人殺しには黒い方がお似合いだと思うが」
「もう。君は誰よりも優しくて、何よりも正義の味方だよ。 君は黒く汚れた深紅色なんかじゃない。誰よりも真っ直ぐ純粋に、正義の道を進む真紅色が君の本当の姿だよ」
それにレッドは正義の色だしね。と自信満々に言う桜だったが……紅はクリムゾンである。
「……不知火真紅か」
新しくつけられた名前に、少しだけ温かいものを感じる。
どうやら俺は、この名前が気に入ってしまったらしい。
「いいんじゃないか?どうせ呼び方は変わらない」
「本当?……でもあれ?そうなると私君の事シンくんじゃなくて真紅君ってよぶの?」
それはなんか不自然だろうに。
「……今まで通りでいいだろ?」
「……むぅ、なんかあだ名をつけた意味がない気がする」
「そんなことはない。真紅と言う名前はしっかりと受け取った」
「そう?ならいいや」
満足そうな声をだし、桜は楽しそうにクスクスと笑いを零す。
「そういえばさ……シンくんってどうしてはじめシンくんって呼ばれるの嫌がったの?」
「……よくそんなことを覚えてるな」
忘れてればいいものを。
「ねぇ、どうして?」
やれやれ、これは桜の記憶力の良さを呪うしかなさそうだな。
覚悟を決めて昔話をしてやるしかなさそうだ。
「恥ずかしい話だが………」
「というわけだ」
「……ぷっ!?アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハアハハ……ひ~!?お腹痛い!??アハハハハハハハハハハハ……クフフアハハハハハハ」
案の定桜は大爆笑。……俺は少しばかりの後悔と心の傷を負いながらも、ため息を漏らす。
「笑い過ぎだ」
「ご、ごめんごめん。でもそのランさんって人、面白すぎ!?」
今にでも笑い死にしてしまいそうな桜に、俺は苦笑を漏らす。
「また一つ、リストクリアだな」
「あはは……はは、そうだね。本当に涙出てきちゃった。お腹もいたい」
ここまでリストは順調にクリアできている。
俺はくしゃくしゃのリストを取り出して、斜線を引く。
「……本っ当にわたし、シンくんにあえてよかったよ」
「……どうした?急に」
「初めは少し怖い人だな~って思ったけど。命がけで私を守ってくれて……。
君のそばにいると、君がそばにいてくれると……なんだかとっても安心する。
昨日だって……本当はもっと怖くなって、死ぬのが嫌で……一晩中泣いちゃうと思ってたのに。 君に……ふえ!?や、やっぱりなんでもない!?」
桜の部屋から、何かをバンバンと叩く音がする。
多分恥ずかしさのあまりに床を手で叩いているのだろうが……こっちまで恥ずかしくなってしまったじゃないか。
「と……とにかく!私も決めたんだ……私も。君を守るって」
「?」
「私なんかじゃ君に守られてばっかりで、シンくんの助けにはならないだろうけど、私は君が正義の味方であり続けることを守りたい」
「……俺が正義の味方であり続けることを守る?」
よく意味が分からなかったが。
「うん。私が君を守るよ」
「そうか、ありがとう」
「どういたしまして」
可愛らしい小さな笑い声が俺の耳をくすぐり、同時に着物が擦れる音がする。
「……もう寝るね? 寝たら……入ってきてもいいから」
桜はそういうと、お休みと一言告げて、扉から離れていった。
「……俺を守る……か」
そんな桜の言葉を胸に収め、桜が眠るまで、時間をつぶすことにした。
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