第一章 ~仮身工場~
~2004年~
「シンク……おいシンク、起きろよ」
「ん?……ううん」
聞きなれた声で目を覚ます。
なんだかとても頭がずきずきと痛み、僕は間抜けた声を上げながら目を開ける。
「大丈夫か?」
そこには心配しているのか、あきれているのかどちらとも取れない表情をした友人が
僕の顔を覗き込んでいた。
「えーとハサン。何があったんだっけ」
友人の表情でだいたいの見当はついていたが、僕はずきずきと痛む頭を撫でて半身を起こしながら、そんな間抜けた質問を友達に投げかける。
すると、ハサンはわざとらしい大きなため息をついた後。
「あそこから足滑らせて真っ逆さまよ」
「あぁ……」
ハサンの指差した先には、廃墟になったレンガの建物の屋根があった。
思い出した、いつもどおり僕とハサンは町の屋根の上で鬼ごっこをしていて、足を滑らせたんだっけ。
ようやく僕の頭は正常に動き始めたのか、思い出すと同時にずきずきとする頭の痛みは収まりはじめ、代わりにじりじりと僕の肌を焦がす感覚が全身に広がってくる。
「立てるか?」
「うん」
ハサンは僕に手を差し出し、それをとって僕は立ち上がり、体中の砂埃を払う。
頭を打った影響はもう完全に無くなっていて、僕は口の中に入った砂を唾と一緒にレンガの壁へと吐き出す。
乾いた音がして、唾は一瞬にして乾いてなくなってしまった。
「ほら、目がさめたなら続きいくぞシンク」
「えっと、いくってどこに?」
「まだ寝ぼけてるのかシンク?今日はラマダーンさんの家のてっぺんまで行くっていったじゃないか」
さも最初からそれが目的であったような口ぶりであるが、ハサンは時々自分の心中で思ったことを伝えるのを怠る癖がある。しかし、それを指摘すると少しばかり不機嫌になる癖があるので、僕はあえて
「そうだっけ?」
と返す。
「そうだよ。ほら、いくぞ」
「あぁっちょっと待ってよ!ハサン」
いつもながらハサンの気まぐれにつき合わされている僕であったが、それでも右も左も分からないこの外国の土地で、色々と面倒を見てくれるハサンは僕にとってはお兄さんのようでとてもうれしかった。 だから、この半年間、僕はこうやってハサンのあとをくっついていって色々と楽しい遊びを教えてもらっていた。
「ほら、ここだ」
「わぁ、やっぱり近くで見ると大きいね」
ラマダーンさんはこの村で先生をしている人の名前で、この村で一番高い建物が残っている。
いつもは危ないといってとめられるらしくて挑戦したことは無いのだけど、そういえば今日はお父さんが学校の修繕の打ち合わせでラマダーンさんと一緒に出かけるっていってた……だからハサンはその間に上ってしまおうという魂胆なのだろう。
「また悪いこと考えるね、ハサンは」
「何良い子ちゃんぶってるんだよ、止めなかったら同罪だろ?まぁ、また落ちるのが怖いっていうなら仕方ないからここで終わりになるけど」
呆れる僕に少しばかり意地悪な笑い方をしてハサンは僕のほうを見てそういい、僕はむっとして言い返す。
「できるさ。落ちちゃったからここから三つ数えてから僕はスタートするよ!」
「へへへ、じゃあ始めようか!よーいスタート!」
ハサンはそういってはだしのまま、瓦礫や家の残骸を踏み越えて、ラマダーンさんの家まで走って行き、僕は三つ数えたあと、その後を追った。
ここに来てから半年間負け続けてきたけど、今日は勝てる。 そんな気がした。
「はぁ、はぁ。相変わらず成長しないなっていいたいところだけど、今日ばっかりはぎりぎりだったな……シンク」
「はぁ、はぁ……くっそーあと少しだったのになー」
ラマダーンさんの家の屋根の上で二人して横になりながら、僕達はお互いを称えあう。
ここに来たばっかりの時は、塀の上に上るだけでも足元がおぼつかなかった僕だったが、この半年間で随分と自分が成長したのを肌で感じていた。
「日本からはじめ来たときはただの軟弱者かと思ったけど、お前意外と根性あったよなぁ」
「へへ、ハサンのおかげだよ」
「え?そ、そうか?へへへ」
照れくさそうにハサンは笑うと、呼吸が整ったのか体を起こし。
「ほらシンク、見てみろよ」
と町を指差す。
僕はまだ息が切れていたが、負けじと無理矢理体を起こし、指の先を見る。
指の先には、小さくなった村が広がっていて、
村の先の太陽は半分ほどを大地に埋めており、空は真っ赤に染まっていた。
その赤色は、村をオレンジ色に染め上げていてとても綺麗で。
「わぁ」
小さな僕は、まだそれを表現するだけの言葉を持たず、ただ小さく声を漏らしただけだった。
「すごいだろ?前はもっとすごかったんだぜ?」
ハサンは自慢げに僕の肩をたたき、僕はその言葉にただただ首を縦に振る。
「っへへ、楽しいなシンク。最高だな」
「うん、ずっとこれが続けばいいのに」
「あぁ、そうだな」
「コラーっ!わしの家の屋根に登ってる悪がきはどこのどいつじゃあ!」
不意に大声が響き渡り、僕達は反射的に飛び上がるように立ち上がる。
「やっべ、もう帰ってきやがった。逃げるぞシンク急げ!」
その声は確かめるまでも無くこの家の持ち主であるラマダーンさんのもので、僕達は慌てて屋根から転げるように降りていく。
ラマダーンさんは僕達のことをまだ見つけておらず、
気付かれずに降りれれば良かったのだが、運の悪いことに降りたところで長梯子をもったラマダーンさんと鉢合わせをしてしまった。
「またお前らか!!登ったらいかんと何度いったら分かるんじゃお前らは!今日という今日は許さんぞ!」
「やばいぞシンク!逃げろ逃げろ!」
ハサンはそういうと、ラマダーンさんの家の塀を飛び越える。
「あっハサン待って!」
「逃がさんぞ~!」
梯子を捨ててラマダーンさんは僕を捕まえようと走る。
ラマダーンさんは別に巨漢というわけでもなかったが、大人の体というのはそれだけでも僕にとっては恐ろしく、僕も慌ててハサンに続いて塀を乗り越えて走って逃げだした。
「またんか~!」
塀を乗り越えたため、ラマダーンさんとの距離は十分に稼げたはずなのに、その声はとても大きく響き渡っており、僕とハサンは何度も後ろを確認しながら、声が聞こえなくなる場所まで走っていった。
「はぁ、はぁ、はぁ。撒いたか?」
「はぁ、はぁ、なんか最初から追いかけてきてなかった気もするけど」
「はぁ……どこまで声響くんだよあの叔父さん」
「……とりあえず、もう大丈夫そうだよ」
「あー怖かった」
ハサンはやっと走るのをやめて立ち止まり、僕もその少し後ろで立ち止まる。
僕は夢中で走ってきたのだけれど、ハサンはやはり僕よりは少しだけ冷静だったようで、
少し先には僕の家が見えていた。走り回っていて気付かなかったが
先ほどまで明るかったのに、もうすっかり日が暮れてしまっている。
暗くなる前に家に帰らないと、お父さんが心配してしまう。
ハサンは逃げながらも、僕のことを気遣い、ちゃんと家まで送ってくれたのだ。
「……まぁ、今日はもう暗くなってきたし、また明日あそぼうぜシンク」
名残惜しそうにだけどもとてもうれしそうに、ハサンは遊び終わった後いつも同じ台詞で一日を締めくくる。
「うん。また明日ね、ハサン」
僕はいつもの友人の言葉に半年間変わらない返答を力強く返すと、ハサンは今度は自分の家に向かって走り出す。
ハサンもあまり遅くなると両親にに心配をかけてしまうからだ。
遅くなったせいで、ハサンは怪我をしたことがある。そう前に聞いた。
「ただいまぁ……」
村の中心にある小さな家、それが僕とお父さんの家であり、僕は友人の背中が見えなくなってから振り返り、ゆっくりとドアを開ける。
と。
「お帰り」
扉の前にはお父さんが立っていた。
「……あ、えと」
「ラマダーンさんの家に登ったみたいだね、シンク」
「あ……なんでそれを」
「殆ど村中に響き渡っていたからね……君とハサンだってすぐに分かったよ。まったく、危ないから屋根の上に上るのはやめなさいといつも言ってるよね?」
「……ごめんなさい」
「……まったく君っていう子は……僕の子どもの頃にそっくりなんだから」
「!」
お父さんは少し困ったような笑みを浮かべた後、僕の頭を優しく撫でて、家の中に入れてくれた。
「怪我はないかい?」
「うん!」
どうやらちょうど夕飯の準備が終わった後らしく、お父さんの言うとおり手を洗った後
僕はお父さんと一緒に晩御飯を食べる。
晩御飯はお父さんの得意料理であるシチューで、僕はお父さんと屋根から落ちた以外の今日あったことを話しながらシチューを口にほおばっていた。
「元気なのはいいことだけど、あんまりみんなを困らせちゃ駄目だぞシンク」
「うん。でも僕もやっとハサンに追いつけるようになったから、てっぺんにどうしても上りたかったんだ」
「はっはっは、まったく。この半年間ハサン君 ハサン君。随分と仲良くなったんだねぇ、仕事の都合で無理して連れてきてしまったから……心配していたんだけど、楽しんでるみたいでよかったよ」
「うん!ハサンは何でも教えてくれるし、ハサンのおかげでいろんなところに登れるようにもなったんだよ!」
僕の話を聞きながらお父さんは満足げに食べ終わったお皿を片付けて、頬杖をつきながら僕の
話を聞いてくれていた。
気がつけば昨日も話したことや、お父さんと一緒に体験したことも話してしまっていたが、お父さんはそれでも楽しそうに時々僕の頭を優しく撫でながら、僕が満足するまで僕の話を聞いてくれていた。
ここに来る前から、この風景だけは変わらない。
お父さんは僕が眠くなるまでお話を聞いてくれて、僕が眠くなると、僕が寝るまで一緒にいてくれる。
だけど、その日だけは……少しだけ違った。
「はいはい……誰ですか?こんな時間に」
「夜分にすまんのぉ……真一」
「……ジルダ……」
「……だあれ?」
「あ、あぁ、言うのを忘れていましたね……今日は家でお仕事の話をするから、悪いけれど一人で寝れるかな?」
「……うん」
その言葉はどこか寂しそうで、僕は小さくうなずくと、一人隣の部屋で布団に入った。
いつもはすぐに寝てしまうのだけれども、その日の僕はなぜか気になって、お父さんとお客さんの会話を覗き見した。
「兵器の数は?」
「200だ暴走は見えている……しかし、すまない真一よ……わかっていても此度の襲撃、やはり止めるわけにはいかなそうだ」
「……仕方ないよ、ジューダスもこの気を逃すわけにはいかないのだ……」
「もともと、ここを選んだのは、ここだけに収めるためだよ。ここは人が少ない。被害もそう大きくはならないだろう……」
「しかし、今のお前に壊せる代物では……」
「……それでも、私はやらねばならない……こうなることは分かっていた……あなた達の野望に反対するつもりは無い……だが、私は私の意思を貫く。知っているだろう?私は頑固者なんだよ」
「……この町を落とすだけでも、恐らくこの兵器は核に代わる抑止力になろう……」
「分かっている」
「それでもやるのか?お前のやることは、無意味なのだぞ?」
「無意味じゃない……」
「何?」
「ここで食い止めることで……一人でも多く被害を減らすことができる」
「……真一」
「ただ……シンクだけは。息子だけは巻き込みたくない……勝手に出て行った身で図々しいことは承知しているが、お願いしても……いいだろうか?」
「……もう何も言うことはあるまい。お前がいかなる道を歩もうと……我らの息子であることには変わりない……何も心配するな……全て打ち倒し……お前の手で迎えに来るがいい真一」
「……ジルダ……」
「我はそろそろ帰る……お前はお前の道を行け。其は険しき道なれど、決して過ちなどではないのだからのぉ」
「えぇ分かっています。 だから……」
~私は正義を、実行する~
朝……お父さんの話が終わった後、僕は怖くなってすぐに布団をかぶった。
話の内容はあまり理解できなかったけど、お父さんがどこか遠くに行ってしまうような気がして……。
僕は目を覚ますとすぐにお父さんの姿を探した。
でも。
「おはよう、シンク」
お父さんはすぐに見つかった。まるで昨日の不安が嘘だったかのように……いつものように笑顔で朝食を作っていた。
「え、えとお父さん。昨日の人は?」
僕の質問にお父さんはあせる様子も無く。
「すこしお話した後、すぐに帰ったよ。昔からの友人でね、いい人なんだけど少し……」
「ねぇ……お父さん」
「なんだい?」
「お父さんは、どこにも行ったりしないよね?」
「………なんでそんな事を?」
「……別に……理由は無いんだけど」
「そうか。大丈夫だよシンク」
「本当?」
「ああそんなことより……」
「?」
「今日はシンクにお使いを頼もうと思っていたんだ」
そういうとお父さんは、僕に小さな封筒を手渡してきた。
「これは?」
「隣町は知ってるかい?」
「うん。ハサンにつれられて何回か行ったことある」
「良かった。それは隣町のお友達に当てて書いた手紙なんだけど、今日はお父さん仕事が忙しくて届けられないんだ、代わりに届けてくれないかな」
思えば、これはお父さんが僕に任せた最初で最後の仕事の手伝いだった。
僕は何の考えも無く、お父さんに任された仕事を二つ返事で承諾して、隣町まで駆けて行った。
その日の町は何も変わりなく……半年前に比べるととても活気付いているように感じた。
お父さんは自分の仕事を、町の人たちに役に立つものを作ってあげてみんなを笑顔にしてあげる仕事だといっていたけれど、なんだかそれが誇らしくて、同時に僕はこの町の人たちがお父さんと同じぐらい好きになっていた。
朝の不安や昨日の不安は、町の人たちの幸せそうな笑顔を見るにつれて段々と薄まっていき、町の出口付近に近づいたときには既に、そんな不安はなくなってしまっていた。
が。
「わっぷ」
僕は突然目の前に現れた人を避けられずにお腹に顔をうずめるようにぶつかってしまう。
「ご、ごめんなさい」
「大丈夫かい?坊や」
「……う、うん」
その人は、顔をフードで覆っていて良く見えなかったけれど、フードの隙間から覗くこの地域では見ない色の髪をしていた。叔父さんかお兄さんか分からなかったけれども、僕は声の感じからお兄さんだと勝手にはんだんした。
「……おや、君は確かシンクくんだったかな?」
「うん、そうだけど……貴方だあれ?」
僕の質問に、お兄さんは少し頭を下げてお辞儀をして。
「私は君のお父さんの知り合いでね、真一さんから伝言を頼まれて君を追ってきたんだよ、見つからなかったから慌ててたんだけど、偶然あえてよかった」
「お父さんが?なんて?」
「実はね、真一さん渡す手紙の内容を間違えて書いてしまったみたいで、今書き直しているんだ。 だから、悪いんだけど一度戻ってからもう一度手紙を届けなおして欲しいんだって」
「本当に?」
お父さんがそんな失敗をするのは珍しかったけれども、人間誰でも失敗はあるものとも教わった。
だからそのお兄さんの言葉は怪しかったけれども、僕はお兄さんに従って、自分の家まで引き返していった……。
「さよなら、シンク」
お兄さんが、そう僕に呟いた。
帰り道、僕はすぐに異変に気がついた。
さっきまで活気付いていた町はとても静かで、町には人が一人もいなかった。
砂嵐が近いわけでもない。 兵隊さんが来たわけでもない。
でも、町には誰も……いなかった。
「……?」
みんなどこへ行ってしまったんだろう?
そう、僕は一人考えたけれども、僕は深く考えることなく自分の家まで走っていく。
ふと、曲がり角に人影が見えた気がした。
けれども、僕がその曲がり角を曲がったときには、人はいなかった。
誰かが窓から、家に入っていくのが見えた。
でも、それは一瞬で……本当にそれが人だったのかは良く分からなかった。
……ハサンの家が見えた。少し声をかけていこうか……。
そう、考えたとき。
ハサンの家から、何かが落ちてきた。
「うわっ」
僕は危なくぶつかりそうになった花瓶に尻餅をついてしまう。
「危ないなぁ……なんだろうこ……れ」
そこで、僕の頭は止まった。
……それは、ハサンだった。 正確には、ハサンの頭だった。
僕はそれから、どこをどうやって走ったかは覚えていない。
頭が真っ白になって、自分の家を目指せば目指すほど、町は火に包まれていき、みんなの悲鳴が聞こえてきた。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
何がどうなっているのかわからない。 戦争? 訓練? 災害?
何が起こっているのかを理解するのも、何が起こっているのかを見ることさえも怖くて、僕は無我夢中で走った。
火を避けて、逃げる人たちの間を縫って。僕は家まで走っていった。
だけど。
家に着く前に、僕はそれにぶつかってしまった。
「……ガ……カ」
「あ……」
目の前にいたのは……真っ黒な人……顔が無くて、目も鼻も耳も無い化け物で
それは両手に刃物みたいなものが埋め込まれていて……そして、その先っぽには人の頭が突き刺さっていた。
ラマダーンさんだ……。
「ああああああああああああああああああああああ!?」
限界だった……何が起こっているのかも、これが現実なのかも分からなかった。
でも、お腹の中のものを吐き出す苦しさとのどの痛みが、これが現実だということをひたすらに僕に教え込んでいた。
「カ……カカ…」
その化け物は、ラマダーンさんに飽きたのか、その首をほうり捨てて、今度は僕を標的にする……。
逃げられるとは思えず、動けもしなかった。
ただなきながら、その化け物が振り下ろす刃をじっと見つめて。
その化け物が倒れるのを、ただただ眺めていた。
「シンク!!」
お父さんに抱きしめられて、僕はようやく自分がまだ生きていて、お父さんに助けられたことを理解した。
「お父さん……? お父さん うわああああああああああああああ」
「どうしてここに……隣町に行くように行ったのに…………いや、そんなこと行っている場合じゃないな」
「お父さん、これなあに?何が起こってるの!?」
「説明は後だ……」
なきながら、目の前の惨劇の説明を求めるが、お父さんは答えることは無く、僕の手を引いて走り、近くの崩れた廃墟の瓦礫の下に僕を押し込んだ。
「……いいか、ここに隠れてろ……絶対に、ここからでるんじゃないぞ!?」
「うん……うん。 でも、お父さんは?」
そういうと、お父さんは僕の頬にキスをした。
「……シンク、言いたいことはたくさんある。 やりたかったこと、教えたかったことは腐るほどある。だけど、今はこれだけしか伝えられない……シンク、私は………」
「……いなくなっちゃうの? やだよ、やだやだ!お父さん行かないで!いっちゃやだよ!!お父さん!」
そのとき……銃声が響いて、お父さんが何を言ったか聞き取れなかった。
いや、思い出せないだけなのかもしれないが。
それが化け物のものではなく、町の兵隊さん達が持っていた、アサルトライフルの音だとすぐに分かった。
「もう行かなくては……いいかい、絶対にここからでてはいけないよ、分かったね!」
「いやだ!お父さん行かないで!お父さん!お父さん!!」
僕の鳴き声も叫び声も……全部全部、爆音と銃声で掻き消えた。
お父さんは泣いていた。
きっとお父さんも僕と離れたくは無かったんだとわかった……でも
……お父さんは一人、化け物たちとの戦いを始めた。
この日で僕は、友人と家族。全てを失ったのだ。
■
紅い世界
砂と照りつける太陽によって白色に輝いていた世界はその日、たった数時間で紅に変わった。
死が充満し、伝染し、蹂躙するその空間はいとも簡単に絶望を生み、自分はその中で一人だけ命があった。
砂が紅を吸い、地が紅色に染まり、絶叫がその大気を埋め尽くす。
たくさんの死があった。
足をもぎ取られ、出血多量でだんだん弱り死ぬ者。
首を跳ねられ即死した者。
大切な人を守るように重なって肉塊へと成った者。
斬殺・刺殺・銃殺・撲殺・爆殺・焼殺・絞殺……
その中で唯一人、自分は瓦礫の陰で生き震えていた。
死にたくないからではない。
これだけの死が満ちた空間でそんな恐怖など完全に麻痺している。
震えている理由があるとしたらそれは、これだけの死に何も出来ない自分に震えていた。
自分はもう死んでいてだから何も出来ない。 それならまだ良かった。
だが違う。
自分がここから出られないのは、英雄の邪魔をしないようにするため。
力強く笑って、単身敵へと向かった英雄の顔が頭から離れない。
きっとコレでお別れだと言うことは、その表情から見て取れた。
この死を作り出した人形達を壊すため。
まだ命ある人間を一人でも多く救うため、関係ない他人のため自分の命など投げ捨てて、男は一人敵へと向かった。
勝ち目など無く、勝算など無い。
あるのは二丁の銀色のハンドガン。
敵は数分で町を地図から消した兵器200体。
だけど、男は決して退かなかった。
襲い掛かる敵に立ち向かい、全身から血を撒き散らしながらも兵器を壊し続けた。
一体壊すごとに血の量は増して行き、血を流すたびに兵器は勢いを増す。
半分を壊す頃には英雄は既に死に体。
左目は貫かれ、その片腕は既に使い物にならない。
それでも男は止まらなかった。
その姿は正に正義。
誰かのために生き、その度に裏切られ、それでも人を救うことを諦めなかった男のその姿を、正義の味方と呼ばずして何と呼ぼう?
決して救われず男は生きた。 誰かを救うために。
震えながら、決して身動きせずに、正義の味方を目に焼き付ける。
あれこそが自らの最高到達地点だと。
あれこそが自らが成らなければならないものだと。
その背中を決して目を離さず、瞬きもせずに焼き付ける。
何度も斬られ、全身を貫かれながら男は走った。
切り取られた左腕など気にもせず、抉られた両目をかなぐり捨ててがむしゃらに敵を殲滅した。
敵などもはや見えていない。 意識など当に消えて、考えることは唯一つ。
そうして彼は本当に、兵器の全てを滅ぼした。
報われることも無く、誰かに感謝されることも無く人を救い続けた男は、結局最後まで誰かの為に死んで、それでも笑って朽ち果てた。
◇
6年後……東京 新宿。
【深紅……聞こえているか深紅! 何か問題でも起きたか?】
「―― ああ。聞こえている。今武装グループを排除したところだ」
頭をよぎった昔話を一度打ち切り、俺は上司のコールに応答する。
【ふむ、ついたようだな】
無線機のノイズの中から響く聞き慣れた野太い声。
対大量破壊兵器専門部隊准将、【ジューダス・キアリー】の声が聞こえてくる。
「ああ、侵入には成功した……だが、あんな門番と大穴ががあるなんて報告にはなかったはずだが?」
【まぁそう言うな】
「何があったんだ?警察にしては武装が充実してたが……」
発砲をさせることは無かったが、手に持っていたのはP-90……。日本の軍隊には支給されていないサブマシンガンだ。
しかもご丁寧に術式付与が一つ一つなされているところを見ると外に存在していた武装した兵士達、あれは自衛隊でもなければ俺たちと同じ人間でもない、
まったくこの件に関係ない人間ということだが……。
【それがな、少しだけアクシデントが発生した】
「アクシデント?」
【ああ、我々が今回発見した巨大地下空間方仮身工場【ギアプラント】だが、我等よりも先に到達しているものがいる】
「なに?」
【RODと呼ばれる指名手配中のならず者集団だ、お前だって聞いたことくらいはあるはずだ。人形氏、ジスバルク・ゼペットの名は】
それなら聞いたことがある。
この世界で唯一全世界の政府に表立って反抗している組織、Rebellion Of Doll【反逆する人形】主に兵器開発場や、戦地に赴いて武器兵器、時には兵士でさえも強奪していく彼らは、最近急速に力を伸ばしてきた組織。
最近はよく国を挙げて討伐部隊が派遣されていると言うのを聞くが、帰って来たものはいない。
「殺すのか?」
【いや、お前は元の任務に専念しろ】
「……テロリストは放置で構わない……と?」
【我々はあくまで大量破壊兵器を専門とする部隊だ。テロリストの排除は仕事ではない】
「いいのか?初めて国から出動許可が正式に認められた任務だろ?上にいちゃもんを付ける口実与えて……」
【奴の目的は中にある兵器だ……だからお前は、中にある兵器が外に逃げ出す前に破壊すればいい。 その後ゼペットが暴れるようであれば一番隊を東京の町で相手させる。とにかく今は深紅、仮身が東京の街に足を踏み入れるのを防ぐのが最優先だ】
「了解だ」
自分のやるべきことをだいたい頭の中にいれ、俺は短く返事をする。
【いいか、お前の任務は破壊工作だ。東京新宿に発見された物を一切外に出してはならん……破壊し隠蔽するのだ。また、研究員による妨害も考えられるが、邪魔をするようならば排除してよい。
逃走した研究員の捜索および身柄の拘束はミッション終了後サットに引き継ぐ手筈になっている……つまり兵器の破壊、それが我ら対大量破壊兵器専門部隊【調律師】に与えられた最初のミッションだ、我らの価値を吟味してもらうため、サットの活動範囲は逃走中のテロリストの対策だけにしてもらった……いいか深紅。つまりは、お前の評価がすなわち我々の部隊の評価に繋がる。気を引き締めてかかれよ……】
「そう脅すなら、海外帰りの人間にそんな重要な任務を任せるなよ」
人選のいい加減さに呆れながら一応反論しておくが、当のジューダスは気にも留めないようであった。
【国防省の支持だ……もっとも活動実績がある人間を使えと言って、リストからお前を指名してきた。海外帰りで年齢も最も若い……やつらとしては我らの台頭を恐れているからな、大方任務失敗による解体でももくろんでいるのだろう……もっとも、海外での任務程度で手元が狂う我が部隊ではないはずだが?】
「まぁな……」
【まぁしかし、特殊任務ということでお前の装備も特別なものを用意した……何か変化は感じないか?】
「……確かに、少し動きやすいような……」
【そのスーツには最新のテクノロジーと術式により、最大限お前の力が発揮できるように作った特注品だ……カーボン製の強度の高い素材に加え、熱と銃撃に弱いという欠点を術式で保護した。銃弾程度ならば問題なく防げるだろう……また、修復の術式をコート全体に付与しているため、接している面の治癒、コートの破損の修復が同時に行われる。たとえ戦闘でコートが破損したとしても、防御力が落ちていく心配はない、常に万全の状態で戦闘を続けることができるはずだ。勿論、暗視機能や望遠機能といった基本的な機能も備わっている。また、こちらの情報を術式を通じて共有することもできる。今、そのトンネル内のマップをお前の術式にインストールしたところだ……後で確認してみるといい。どうだ? 前線で戦うお前にはもってこいの装備だと思わないか?】
「あぁ……大事に使わせてもらう」
【そうしてくれ、さて深紅、時間も無い命令を復唱しろ、】
「東京地下に存在する工場および兵器を外に出さないことだ」
【よろしい では、ミッションを開始しろ深紅】
「了解」
一言で返事をして、俺はそのまま無線の通信を切る。
術式によりそろそろ闇に目が慣れて来た、無駄話も終了だ。
暗い世界の中は広いトンネルであり、なるほど、地図上に描かれていた下水道などとは構造は似ても似つかない。
「人形氏……ずいぶんと暴れたみたいだな」
あたりにはまき散らされた仮身の残骸と、コンクリートに出来た無数の血溜まり。
どうやら、あらかたの敵は奴が排除してくれているらしい。
珍しい幸運に感謝をし、早速インストールされた地下世界のマップを確認する。
「距離約十キロメートル。分かれ道で動力室とは違う方向へ向かってるということはゼペットとは鉢合わせることはないか……時間も、だいたい数分で目的地にたどり着けそうだ」
今日は本当についているな。
そう思いながら俺はコートを翻し、
「これより、 正義を実行する」
疾走を開始する
■