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第四章 英雄 VS クトゥルフの呼び声

12月5日 雪月花の森


雪の降らない雪月花村の森の中央……中立の森。

静寂が降り注ぐその場所は何人を阻害することも、拒絶をすることもなく、ただなすがままにこの戦いを見つめようとしている。


風はなく、木々はゆっくりとその身を擦り合わせていく。

まるでコロッセウムの観客が、剣闘士の到着を待つまでの興奮のようだ。

殺し合いでさえも、この木々にとっては流れの一つ

俺はそんな変化することのない永遠の森にため息を一つ漏らし、クローバーをホルスターに収める。

「……長山、準備はいいか?」

「もちろん」

遠方で隠れて援護体制を取る長山は、無線越しに俺の問いにいつもの調子で答える。

まったく、お前には緊張はねえのかと問いただしたいところだが、かくいう俺も、さして緊張に近いものはないため、その言葉は飲み込み、了解と一言だけ告げて通信を切る。


雪月花の森の中、ジェルバニスとの戦いを控えた俺は、念入りに武器の最終調整を終えて、万端の準備でジェルバニスの到着を待つ。

「……大丈夫か?桜」

「うん。心配しないで、何があっても、動じない覚悟はあるよ」

どうやって石田さんを説得したのかは分からないが、赤き瞳のまま隣で

やや緊張した面持ちのまま、中立の森を見据える。

ジェルバニスが指定した時刻は正午……。

後……一分。

凍った世界がさらに凍てつき……白い息に紛れて俺は敵の気配を探る。

長山からは、ジェルバニスが森の中に入ったという連絡はない。

「……長山、ジェルバニスは来てないのか?」

この森に入ってからここまで来るのには、最低でも十分はかかる……。

もう森の中に入ってもおかしくないのだが。

「……長山?おい、長山!」

無線を鳴らし続けるも、返事はなく、ただひたすらと風の音を無線が拾い続ける。

「…………どういうことだ?」

援護体制を取っていた長山の反応が消えた……。

そして。

「!!」

同時にナイフを一斉に突き立てられたかのような威圧感が、森を震わせて俺を穿つ。

「……桜、下がってろ」

「……うん」

桜は苦しそうな表情を見せて数歩下がる。

当然だ。 ゼペットのように肌を焦がされるような殺気ではない、鉄のワイヤーで身動きを取れないようにされたかのような大量の細く鋭い殺気がこの空間を覆い、それにより先ほどまで興奮し身を擦り合わせていた森はいつの間にか縛らたようにで音を止め、静寂を生み出している。


普通の人間なら瞬きでさえも封じられてしまうだろうに、桜が表情をゆがめるだけで耐えていること自体驚嘆に値する。

「……っ」


森の奥から狼のように、気配もなく近づく一人の男。

雪を踏みしめながら、一歩ごとにその殺気の鋭さを増しながら……。 

「待たせた」

ジェルバニス・ラスプーチンは決戦の舞台に現れた。

                    ◆

「やれやれ」

目前の光景に長山龍人はため息をつく。

起こったことは二つ。

まず通信遮断の術式が行使された。

それだけならばまだ良かったのだが、その後が問題であった。

広範囲に及ぶ氷の槍の嵐。

暴風のように木々を貫きながら雪月花の森に吹き荒れたそれは、

的確に長山龍人を中心に巻き起こり、周辺にいる生物という生物を皆殺しにした。

長山の防御術式を突破するほどの威力は無かったものの、森に住まう生物は死に絶えた。

いや、もとよりこの森にはあまり生物は寄り付かないため、被害はほぼゴーレムなのだが。

―あるいはそのことを理解したうえでこの術式を放ったのか―

嵐がやむと、長山は完全に敵の知覚手段を失っていた。


長山の知覚不能な場所から長山の場所を捉えつつ、長山をピンポイントで狙った術式を発動する。

そして、威力から察するに長山への攻撃ではなく、長山龍人が自分達を発見するのを止めるための攻撃。

長山龍人がこの森に監視体制を敷いていると見破った上での攻撃だ。

以上のことから考えるに、相手は少なくとも長山や深紅たちをはるかに上回る術式の使い手であることが分かる。

恐らく、術式を中心に戦う魔導師……。 

戦士である長山が最も苦手とする相手でもある。


雪はしんしんと降り積もり、木々は災難を嫌がるように身を揺らして抗議の目を向ける。

だが、彼は今そんなものに気をかけている場合ではなかった。

「……通信もゴーレムもいかれちまったか」

あっちでは深紅の野郎が何か文句の一つでもたれてんだろうなと一人苦笑をもらし、彼は無線機を投げ捨て雪の中に埋もれさせる。

「あーあ……それつくんの結構大変だったんだぜ?徹夜に告ぐ徹夜で何百個もゴーレムゴーレムゴーレム……壊すことないじゃんかよ……はー泣きたい」

ふざけているのか、それとも本心か。 長山は大げさに語りながらゆっくりと視線を上げる。

「なぁ、お嬢さん?」

「!」

木々と木々の隙間。

存在の同化の術式を組み込み、視覚的に身を潜め、刃を光らせていた少女はその言葉に一つ舌打ちをもらして姿を現す。

「噂に違わずふざけた奴のようね……道化のつもりなのかしら?」

「いつでも真面目なつもりなんだけどなぁ、これでも」

困ったもんだ なんていいながら長山は頭を二三度かき。

「で、ここ通りたい?」

心底面倒くさそうにそう質問をする。

「……ええ。通してくださるのかしら?」

「いやいや、通すわけにも行かないんだけどね? 俺としては、ここで引いてくれたらありがたいんだよねー。ほら、ゴーレム全部壊したことここで引いたらチャラにしてあげるからさ」

「ふざけているの?」

「真面目だ真面目!大真面目。だって俺、桜ちゃんの護衛だけどあんたらと殲滅戦をする義理はねーもん、護れりゃいいの」

「死にたくないなら、あなたが道を譲ればいいだけの話よ?」

長山の言葉にいらだつ様子もなく、少女は淡々とさげすむような目で長山を見て、そう一言彼に言い放つ。

「それができりゃどれだけいいか。でもでも……そんなこと使用もんなら深紅のあれが……おっと、こっちの話なんだが。 とにかく、譲ると俺はとんでもなーく恐ろしいやつにこの世のものとは思えないほどの罰を食らうのです」

少女は考えていた。この会話に何か意味があるのかと。

奇襲。はたまたトラップ。考えうる障害に備え、少女はあたりを注視していたが、そのようなものは彼女の目にも、念のため設置しておいたビーコンにも反応はなく。

結果、彼女はこの会話をただの時間稼ぎと認識した。

「最後に一度だけ聞くわ。死にたい?それともお仕置きを我慢する?」

取り出すは一冊の本。 血の塊のような赤黒い表紙を持ったその本は少女の意思により煌煌とその文字を光り輝かせ、同時に長山に強烈な殺意を送り込む。

「……残念だけどそりゃどっちにしろ無理だな」

「なぜ?」

「あんたが引かないなら、倒せばいいだけの話しだし」

長山はにやりと口元を吊り上げ、それに呼応するようにアナスタシアは何も言わずに術式を起動する。

「ダイチェ ストラッハ!!」

~恐怖を与える~という意味の指導キーとともに、その赤黒い人皮の書物は鈍い光とともに空間全体をにごらせ……文字通りその場所すべてを冒涜的な瘴気と名状しがたい異臭が包む。


人間にとってもっとも幸福なことは、この世に存在する不可解と自らの周りの世界を関連付けられないことである。

そう、誰かが語った台詞を思いだし。


            今、それを関連付ける。


深淵の奥。 現実を非現実の世界へと侵食する……否。本来現実であると思い込んでいた世界を侵食するそれは。

ひたり。 ひたりと前に後ろにそしてすぐ目の前に気がつけば……いつでもそこにいる。

「………っち……」

しかし長山は冷静に武器を召還し対応する。

これだけの大規模な術式となれば、当然発動にもそれだけの時間がかかる。

ゆえに。

魔道術式自体を武器として扱うものに対し、魔道術式を付与するものが取れる対抗手段は一つ。


発動よりも先に、本体を叩くこと。

「おお!」

手に持つ武器は一本の剣。 それを、術式付与され弾丸を超える速度で打ち出すことが可能となった身一つで……投擲する。


もとより、剣も槍も刺突に特化した構造をしており、当てることさえ可能ならば、その攻撃方法は武器の性能を十二分に引き出しているといっても過言ではない。

「っらああ!」

槍投げのようなフォームにより、神速で敵をうがつその一撃は、術式を起動している防護術式でさえも貫通し、その神代に名をはせた武器の名誉を取り戻すこととなる。

誰もが、今の長山龍人よりも武器をたくみに操ること適わず、どんな武器でさえも彼は最高の殺傷兵器へと昇華させる。


速度は高速を超え、音速の域まで達し、少女を狙い打つ。

防護術式の展開はおろか、現在進行中の術式を発動させる暇もなく……。

思い出したように走る風切音とともに、刃は光を反射させることもなく、なすすべもない少女の腹部を貫通する。

……はずであった。

「っ!」

はじかれる。

何かに防がれたのではなく、見えない壁に覆われたわけでもない。

それを絡みとったのは、無数の刃物であった。

「!?」

いや、刃物ではない……それは牙であった。

何もない空間から、その牙は現れて少女へとあだなす刃を防ぎ、その刃をバリバリと噛み砕く。

咀嚼を開始すること数秒。

口だけの化け物は、まるで笑うかのように無残な姿になった刃を飲み込み。

その全身を、ゆるりと……まるで存在を誇示するかのように見せ、最終的に雪の上へと舞い降りる。

「……狼?」

その姿は灰色の狼。

誰が見ても見間違うことないその狼の唯一おかしな点といえば、おそらくはその体躯であろう。


全長三メートルを超えるかとも思われるその巨大な異形は、白い吐息を吐きながら主を守るように傍らに立ち、長山と主人を見比べてにやりと笑みを浮かべ。

「いやはや長らく待たされた。やっと俺の出番が出てきたってぇことかいご主人?」

流暢にしゃべり始める。

「……は……しゃべっ……」

驚愕に口をぽかんと開ける長山をよそに、その狼はさらに鬱陶しく少女に語りかけ続ける。

「そうね。この場所でなら、あなたの見苦しい食事も我慢できそう」

「オーー、狼にテーブルマナーを追求されたら天地がひっくり返っても言い返せそうにはないなぁご主人。理不尽な言動は相変わらずで安心したよ」

「うるさい愚図……さっさとあの男の首をもってこい」

「お安い御用さ……ご主人。俺はいつだって、あんたの忠実な僕なんだから……よ!」

言葉と同時に、狼は一速によりほうけている長山ののど笛へと間合いをつめる。


五十メートル離れていたこの距離は、その一速により一瞬でゼロへと縮まり、

無数の牙がジャラジャラと音を立てて長山龍人の生命を刈り取るため、一直線に突撃する。


速度は、先の投擲に勝るとも劣らない音速の域。

唯一つ違うことは。


この投擲物は……体積が広いため、逃げられないということだ。

「ちっ俺を守れ!」

どこから現れたのか、いつ現れたのかは分からないが、瞬時に長山への進撃を防ぐように

一枚の壁が現れる。

その威風堂々とした出で立ちはすでにこの世のものとは思うことはありえず、

神代の巨人の進行を阻んだそれは、狼ごときの牙などたやすく跳ね返す。

が。

其は、確実に標的を食い殺す異次元の猟犬。

牙は神の神威をも食い破り、いかなる守りも突き破る。

「嘘だろ!?」

壁は時間稼ぎにもならなかった。

狼は代わらずただ相手を追い詰めることのみを存在理由とし、目的のまま止まることなく失踪をする。

「ぐがやああああ!」

けたたましい咆哮は精神を直接ヤスリのように削り取り、その瞳はその場に小さな獲物を釘付けにする。


後は簡単。 生きることを諦めた獲物のたどり着く未来はいつも決まって。


 理不尽なほどあっさりとした絶命なのだ。


だが。

「柔よく剛を制すってか!?」

長山龍人は一枚の掛け軸を懐から取り出し開き。

闘牛をいなすように猟犬の牙を受け入れる。


瞬間。

暴風を飲み込むかの勢いで、其の異形は飲み込まれ、掛け軸に描かれていた橋と木々の中に新たに灰色の犬の水墨画が追加される。

「!?」

「中国の特別製だ。あんたの犬の存在ごとこの絵に封じた。術式を壊さねえ限りあの犬っころを呼びもどすことはできねえよ」

「……」

余裕の表情を見せながらも、次々に雪上に刃を召還する長山は、そのままアーシャを取り囲み、数秒であたり一帯を己の戦場へと変貌させる。

手を伸ばせばいたるところに刃がきらめき、等間隔に設置された刃が、少女の退路を阻む。


少女の手札はゼロ。新たな術式を起動しようとしたところで、これだけ武器を設置した状態で少女が投擲よりも早く相手をたたくことは不可能であり、チェックメイトとなる。

しかし。

「ねえ知ってる?」

しかし処女は術式を起動する様子もあわてる様子もなく。

其の立ち居振る舞いは依然優雅なまま、笑みを浮かべて目前の障害に問いかける。

「何が?」

「ティンダロスの猟犬は、時空を超えて獲物を食い殺すのよ?」

なぜ、目前の恐怖そのものを前にして、あなたはそんなにも余裕を浮かべていられるのか……と。


「いてえぇぞ!!歯ぁ食いしばれえぇ!」

「っ!?」

ほとばしる鮮血は長山の首と肩を抉り取り、流されたものであるが、猟犬の牙は其の肉を奪い、舌でその血を存分に楽しんでいる。

「っ痛ってえええ!? 時空移動とかうそだろ!?」

損傷は軽度。牙は防護術式と肉をほんの少しだけ削り取っただけであり、長山は体制を崩すも、直ぐに建て直し、正面から飛び掛り、頭蓋を噛み砕かんとする牙を後ろに飛んで回避する。


「あっぶな」

まるで巨大なプレス機を高速で打ち据えたような重く鈍い音。其の音のみで長山は自分の砕かれてぐちゃぐちゃになった体を想像させられる。

「逃がすなんて本当に使えない」

異次元から舞い戻り、主を守護した狼に向かい、少女は荘辛らつな言葉を投げかけるが。

「そういわないでくれよぉ、ってか主が言わなきゃ完全に奇襲は成功してたけど」

「言い訳無用よ、くずね」

「ああああぁ、そんな罵倒も痺れるううう!」

「……」


げんなりとした表情でため息を漏らす少女を遠めに見て、長山は何か合点が言ったような感覚を覚える。

「なるほどね、どれだけあおっても反応しないわけだよ……深紅なら真っ先に殺しにかかるぞあれ」


くねくねと異様な動きを見せるその巨大な狼を見ながら、長山は自分の傷の具合を確認する。

肩と首の損傷は軽度であるが、ファーストエイドの術式が起動せず、いまだにどくどくと血が流れ続けている。

それだけ高度の術式生命体であるか、はたまたあの狼特有の能力か……。


どちらにせよ、長期戦になればなるほど不利になることは明白である。

「……ったく、今までいろんな奴と戦ったが、まさか邪神と戦うことになるとは思わなかったよ……なぁあんた。それどこで手に入れた?」


あきれたように、首の出血を手でおさえながら長山は少女に問いかける。

「……ほう、これを知っているの?」

それに意外そうな顔をして、少女は長山の質問に質問で返す。

「あぁ、ティンダロスの猟犬……。そんなふざけた犬が出てくる話は一つしかねえ」

苦笑いを浮かべながら、長山龍人は其の名前を口にする。

存在してはならない、名状しがたき異形の文字の羅列……。

「ネクロノミコン……」

その名前に、少女はどこかうれしそうな表情を浮かべる、それが勝利を確信した笑みなのか、それとも其の忘れ去られたはずの幻想を理解している狂人がここにも存在することに幸福を感じたのかは誰も知ることはできないが、しかし、確かに少女は楽しげに。

「御名答。異形を描いた作家、ラヴクラフトが世に知らしめた異形の神の物語……そのものたちを自由に召還することが可能な唯一かつ最もおぞましい聖書……それがこれよ」

手にもたれた聖書はその言葉に呼応するかのように赤黒く生々しい光を鈍く輝かせ、そして、表紙に描かれた顔の文様の口元がにやりと吊上がる。

「……はっ……完全にノーマークだったよ。あれはヴァンパイアやフランケンシュタイン同様、架空の物語だと思っていたからな……まさか本当にそんなものが実現しているとは……ありえねえよ」

少女とは対照的に、長山は苦笑を浮かべながらも額に冷や汗を浮かべる。

その体は、わずかに震えており、その存在自体が人を蝕む経典に精神を文字通り削り取られる。

「……ありえないなんてことは、ありえない。ラヴクラフトが提唱していたように、彼の話が作り話でないということもありえない事ではないのよ……」

少女は笑みを浮かべる。可憐な少女の微笑みは、本来ならば美しいという形容の言葉を添えなければならないのだろうが、今の彼女の微笑みは、さながら生贄を前にした空腹の怪物たちの歓喜の笑みだ。

「……無駄話もお終いですね、今楽にして差し上げます!踊りなさい!長山龍人」


「そらそらそらそらぁ!踊れ踊れ踊れ踊れぇええ!」

「いやだねーー!踊るのは可愛子ちゃんとって決めてんだよ!犬と社交ダンス踊って何が楽しいんだっつーの!」

瞬間。隣の狼は爆ぜる。

速度は高速であり、二十メートルあった間合いを一瞬でゼロにする。

見えるのは巨大な口のみであり、体は陽炎のようにぼやけて輪郭を捉えることはできない。


走る牙に対し、放たれる二本の刃、ともに歴戦をはせた名刀であり、敵をうがたんと其の身を疾駆させるが。


其の猟犬の牙と爪にはそんなものは通じないといわんばかりに一撃の下に崩れ落ちる。

「ちっ、かってえな」

追撃は止むことはなく、長山は後ろへ飛んで回避するも。

「!?」

「……忘れたのかしら!!あなたは今、私の世界の中にいるのよ!」

四方から槍を持った異形が迫る。

「……ななな!なんじゃこりゃあ、気持ち悪!??」

息を呑む、四方向から跳躍するその化け物は蛙の様であり、其のすべてがわが身を裂かんと不気味な奇音を発する。

「!テセサワコ!テセサワコ!テセサワコ!」

拷問愛好者の名前そのままに、両生類は長山を○そうと、其の猛威を振るう。

動きの鈍い彼らでも、相手が避けられない状態であればはずすことはない。

「ケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケク」

にゅるりと体から製造された槍は一斉に殺意を長山に向け。

「!?」

長山は手元に鎖を引き寄せ、真上の木の幹に鎖を絡ませ、さらに上空へと逃げる。


服が裂ける音が響き、同時に四つ分ゼリー状のものに何かが突き刺さる音が響き。

「?レア」

四対のヒキガエルは、互いに互いを貫きあい、地上へと落ちていく。

「ハハッ! 間抜けだぜ!」



「はぁ……コストが安くて死んでもすぐ召還できるのは魅力なのだけど……オツムが足りないのよねぇ……まぁでも」


「お後はお任せ、やっぱり頼れるのは俺だけって事だねええぇ!!」


狼の追撃は続く。



まるで、巨大な口の化け物かの様に狼は命令どおり英雄を弑逆する。

「後ろががら空きだぜ!!」

だが、銃弾を見切る長山がその一撃を見切れぬわけなくその獰猛な牙を横に飛んで回避し、追い抜いた狼を背後から刃の投擲で破壊せんと攻勢に転ずる。

「どこがかしら?」


だが。

「!?」

追い抜いた狼の背後、陽炎のようにうつろうその体をフォローするように、巨大な術式が空中に現れる。

意味は狙撃。

長山は理解する。

この一人と一匹の戦術は、高速で相手を追尾駆り立てる猟犬と、その犬の隙を庇う為に放たれる遠距離術式の波状攻撃……。

聖書の召喚術式にばかり気を取られていたが、あの本もあの少女も……基本は魔導師なのだ……と。


だが、気づいた時にはもう遅い。

放たれるゼロ距離からの狙撃に対し、こちらは完全に投擲の構えをしてしまっている。

見事なクロスカウンター。

隙だらけの体は空しくも脳内の命令を無視して投擲を続行し。

其れを好機とばかりに術式は発動される。


「ダイチェ……シュトラッハ」(恐怖を与えましょう)

放たれるは鋭利な氷塊。

速度は高速であり、回転を加えらえた其れは容易に術式だろうがボディーアーマーだろうが貫通し、相手の命を穿つ。


反射での回避は不可能。ましてや投擲のモーションに合わせた一撃ならばなおさらだ。

なす術もなくその一撃を躱すことは出来ず、その手に持った刃で防ぐことも出来ない。

「うおあああああああ!」


だが。


長山はその氷塊に向かって、刃を投擲した。


砕ける氷塊、そして刃は問題がないと言わんばかりに当初の目的通り異形の獣を追尾し。

「ぎゃああうん!?」

其の尾を両断する。


耳をつんざくような悲鳴を上げ、狼は雪塵を巻き上げながら苦悶し暴れまわる。


「バカな」

驚愕のままに少女は身構え、目前の英雄を見る。

あの鋭利な氷塊の先端に、寸分の狂いなくあれだけの短時間で刃を投擲するなど不可能に近い……。しかし、たとえ追尾の能力を得た刃だとしたら、ティンダロスの猟犬は今頃貫かれていただろう。

つまり、あの一撃はまぐれでもなんでもなく、長山龍人の実力だという事だ。

「……人間の許された能力の範疇を超えているぞ、調律師!?」

怒りよりも驚愕。

「いってえよぉ!俺様のダンディーな尻尾がちょちょんぎれちまったぁ!これじゃまるで去勢されたみてぇじゃねえか!だがなぁ!女の子にもうもてなくなっちまったからって俺の追跡を乗り越えられると思うなよぉ!」


「あらら、ずーいぶんとトサカに来ちまってるようだな。怖い怖い」

それもそうだ。 ただただ恐怖に蹂躙され殺されてきた人間。

しかし、このような異形を駆逐するのもまた、人間だということを少女は今始めて思い知る。

だが、だからといってとまるわけにはいかない。

「!かまわないわ!そのまま噛み潰してしまいなさい!」

ただ単に一度攻撃をかわされただけ。

具体的な対抗策を講じられたわけではない。

ならば恐れることはない。

今度は武器を投擲されても破壊できない程の大魔道術式で粉砕すればいい。


そうアナスタシアは思案し。

「ティンダロス!!」

自らの僕に加速を命ずる。

「ぐぎゃああああらああ!」

返事はないが、その命令を了承したように一つ狼はうなり、目標物へさらに加速をして突撃をする。


(今度は、回避のまもなく粉砕する)

発動するは散弾。

これならば投擲では防ぎようもなく、ゼロ距離からのつぶてを避けられるわけがない。


だが。

「いぬっころ、一つ力比べといこうかい」

長山龍人は、今度は武器も出すことなく、一組の皮の手袋を手にはめてその暴風に近き異形を迎え入れる。


「狂ったか!」

回避する気配もなく、アーシャは笑みを浮かべて結末を見る。

この猟犬の一撃をその身に受ければ一瞬で粉々であり、生身の人間が耐えられるわけもない。


しかし。


長山龍人は、止めた。


「なんだ、たいした事ねぇなぁ……案外」

盾も刃も使うことなく。 

その細い二本の腕で受け止めていた。

「!?な、小僧!?てめぇ、どこにそんな力」

「ば、馬鹿な!何をしているのティンダロス!今すぐに噛み砕きなさい!?」

そうアーシャは叫ぶも、事実しないのではなくできないことはわかっていた。

鉄をも噛み砕く刃に触れて、生身の人間が無事なわけもなく、この猟犬が獲物を相手に手を抜くことはありえない。

つまり、目前の僕は、ただの人間に力比べで敗北したという事なのだ。


「ありえない……ありえないわ!あなた、いったい何を」

驚愕に目を見張る少女の悲鳴にも似た呟きに、長山は笑みを浮かべながら少女へと振り向き。

「……武器ってのは、剣だけじゃないんだよ……」

そう一言つぶやくと同時に、みしりという音が狼から響き渡る。

「!?まさか」

そう、目前の男はこの巨大な怪物を素手で受け止めるだけでなく。

口元から真っ二つに引き裂こうとしているのだ。

「っく!調子に乗らないことね!」

少女は、両手のふさがった長山に対して散弾の術式を起動する……が。

「遅い」


「きゃあ!?」

召還の術式により、地面より刃が出現し、アナスタシアの右足と左腕を貫き、

転倒させる。

「!ご主人!っぐ……てめえ!」


主人への攻撃に激昂したのか、狼はさらに力を加えて目前の獲物を食い殺そうとするが、その倍の力で己の口は根元からみしみしと裂けて行く。

もう逃れようもない死が、猟犬からは滲み出し。

「じゃあな」

先ほどまでとは違う……冷酷無比な瞳と言葉が、狩人から狼へと放たれ。

「がっ!?」

血しぶきとともに、狼の下あごがちぎれる。

「ッぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

「ティンダロス!!?」

断末魔の悲鳴は悲痛にも森に響き渡るも、木々によりさえぎられあたりに聞こえることはなく、それでも狼は助けを求めるように鳴き続け、吼えるたびに首の付け根から血を噴出させていく。


「……ちっ、やっぱ真っ二つとまではいかないか」

そんな敵に対し、もはや興味がうせたといわんばかりに、長山は下あごを投げ捨て。立ち上がることのできない少女に刃を向ける。

「チェックメイトだアナスタシアラスプーチン」

しかし。

「まだだ!!まだ終わっていない!!」

少女の戦意はうせてはおらず、氷塊が長山の首めがけて射出される。


が。

「やれやれ」

それを長山は軽く回避をし。

「じゃあな」

少女の命にさえも興味をなくしたといわんばかりにアナスタシアへと背を向け。


指を鳴らす。

「………あ……あぁ」

少女は絶望する。

なぜ私たちは、こんな化け物に戦いを挑んだのか?

後悔と恐怖に打ちひしがれ、ただ声にならない言葉を、流れる赤い血と一緒にこぼす。



……見上げれば、そこには無数の刃。

防ぐことも、回避することもできないその無数の刃は、すべてが少女に向かっている。

「は……ははは……ははははは」

力なく笑う少女は、本を投げ捨ててただただ空を仰ぎ見る。

諦めた。

そう。

生きることを諦めることがどうなることか分かっているにもかかわらず。

彼女にはそれだけの選択肢しか認められなかったのだ。

  「やれ」


「……ん?」

後は単純。

長山の合図と同時に、無数の剣はまるで見せしめと言わんばかりに、少女を貫いた。

苦し紛れに張られた最高位の防護術式は一瞬にして、まるで紙でできた幕を破るように刃に突き破られ。

少女はただただ蹂躙される。

始めは腕、次は腹部。鋭利な刃物は少しずつ少しずつ少女の体を裂き、それでも少女は防護術式をかけ続け、己の身を守る。

かければかけるだけ、苦しみが続くだけだというのに、少女はなおかけ続ける。

少女は血にまみれていき、雪は貪欲に血を吸い上げる。

まだ致命傷ではない。しかし、少女の死は確実であり少女自身もそれを知っていた。

それでも少女は生に執着する。

「……ふっ」

瞬間、少女の首に刃が走り、息が乱れる。

術式をかける指導キーが、ヒューヒューという呼吸を求める音に変わり。

防護術式は発動しない。

「………………………」

少女は瞳を閉じる。

瞳からは血が流れ、涙を流しているかのようだった……。


                    ◆

「……馬鹿な」

息を呑む。

防護術式は破れ、無数の刃は少女を穿った。

だが……少女の命を奪うまでには至らないってのか……。

「あ………なた」

目の前には、刃を背負った狼。


あの数の刃を……その身一つで受けきったのか。

顎をもぎ、頭蓋をつぶした……いかに術式で生み出された生物だといっても、ここまで破壊されてその実態を保っていられるわけが……。

「ごひゅー……ごひゅー」

もはやしゃべることもできない狼は、それでもなお命を失うことなく自らの主を守る。

もはや一歩も動くこともできず、体は雪に混じるように崩れ落ちていく。

……だが、その少女の番犬は……決して倒れることはなかった。


「………」

「…………」

にらみ合う赤き英雄と、白き狼。

まるで、寓話の一ページを切り取ったかのようなその光景。

白銀の刃を手に持つ英雄は、魔女を守る番犬に無常な刃を向け。

止めを刺せば……物語は完結する。


だが。


俺は刃を消して敵に背を向ける。


「やめだやめだ。そんなきっつい目向けんなよ犬っころ。俺だってそこまで鬼じゃねーっての!」

「……」

「いや、確かにさっきの一撃は殺す気でいたけどよ。……なんだか、そこの嬢ちゃん生きなきゃいけねー理由があるみたいだし?お前もそんなになってまでこの嬢ちゃん生かしたいみたいだし? だったら殺したら俺が悪者見てーじゃねーかよ。だから止めだ止め!あー肩もいてーしアホくさっ。まじでやってられねーぜ」


割と本心である。

「……………」


その言葉を信じたのか、狼は頭をたれるようにゆっくりと前のめりになるように倒れこみ、消える。


少女はその光景をただ黙って見つめていた。

体から血を流し、女だってのにぼろぼろになりながらも……。

倒れることも、苦悶の声一つあげることなく。

ただただ立って、俺をにらみ続ける。

「ほら嬢ちゃんも、もう限界だろ?そんな怖い顔してねーで……って」

いや、見えていない。


……この少女の意識は、すでになかった。

どこから切れたのかは分からないが、少女は気絶してもなおたち続け俺の前に立ちはだかっている。

「……見事」

賞賛の言葉を送るしかない。

このタッグは……俺なんかよりもはるかに強い覚悟と、信念を胸に抱きここに挑んだのだ……そう、戦いが始まる前から、俺は敗北していたのだ。


「っかーーー。かっこよすぎるだろ……お前ら」

そうなってしまったら、俺は深紅の助太刀をするわけにはいかない……まあ元から必要なんてねーのかもしんねーけど。


とりあえず、この勝負は俺の完全敗北だ……。


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