第四章 先天性異常者
「ん?長山。まだいたのか」
談話室に戻ると、風呂に出る前とまったく同じポジションで暇そうにチョコレートをつまんでいる長山がいた。
「見張りはもうほとんどゴーレムに任しても大丈夫だし。桜ちゃんはあの調子だしで、ここにしか居場所がねぇんだよ」
「そりゃご愁傷様だな」
カウンターの裏に置いてあるグラスを一つ手に取り、俺は一本だけ残っていたコーラの入った瓶を手に取り、グラスに注ぎ、ちびちびと口に運びながら長山の隣に座る。
しょうがない……少しの間話し相手にでもなってやるか。
「お前炭酸駄目じゃなかったっけ?」
「桜がせっかく勧めてくれたものだからな、それに。少し目を覚ましたい」
まぁ、まだ一気に飲み干すと喉が焼ただれそうなので少ししか飲めないが。
「やれやれ、お前本当にここにきてよかったな」
長山は俺の隣の瓶を取り、グラスに注ぎながら苦笑する。
「どういうことだ?」
「ん~?今のお前、なんかすげぇ楽しそうだからよ」
「そうか?」
「あぁ。殺し合いの前日なんて思えないくらいさわやかな顔してるよ」
「……そうかもな」
「昔からお前を見てたけどさ、いっつもお前はどこか他人と関わることを怖がってたっていうか、自分以外はみんな敵視してるみたいだったからさ。俺からしてみると少し心配だったんだよな……」
「……俺はお前によく面倒事に巻き込まれてあちこち引きずり回された記憶しかないがな」
「だから俺はお前をよく巻き込んだんだぜ?少しでもお前のそのシケた面を今みたいにしてやりたくてよ……まぁ、俺の力じゃ無理だったみたいだけどさ」
「……長山……」
少し悲しそうに眼を伏せる長山に、何か言葉をかけてやろうと言葉を漏らすと……。
こんこん
その言葉にかぶせるかのように、談話室のドアを叩く音が響き渡る。
「石田さんか?」
なんでノックをするのかよくわからなかったが、俺は一度返事をすると、ゆっくりと扉が開き。
「……あ、二人ともいたんだ」
目元を少しだけ腫らした桜が顔をのぞかせた。
「桜……もういいのか?」
「うん。いつまでもふさぎ込んでても仕方ないしね……。それよりも、二人に聞きたいことがあって探してたんだけど、良かった一緒にいてくれて、探す手間が省けたよ」
「ん?俺にも用事なの、桜ちゃん」
「うん……実は私もよくわからないんだけど」
桜は少しだけ困ったような表情を見せて、ゆっくりと口を開いた。
カウンターの上に置かれた一つの銀時計。 見た目はなんてことない、どこにでもある銀時計。
紛争に参加したときの仲間から貰い受けたもので、それ自体には何の仕掛けもないが、
現在この銀時計のふたの部分には、接着の術式をかけて開かないようにしている。
まぁ、大した術式ではないので、軽く一トン程度の力で引っ張れば開かないこともないが、
とりあえずは俺と長山……ましてや桜の力では到底開くことは出来ない仕様にした。
「……」
桜は深呼吸をして、その眼を閉じる。
辺りに走る少しの緊張感が俺達を包み……長山はなぜか桜よりも緊張して息をのんでいる。
「……行きます」
再度目を見開いた桜の目は、穢れも曇りもない真紅色。
その眼は透き通っていながら奥が見通せない程深く……それでいて美しい。
「……見えた」
桜はそう一言つぶやくと、人差し指で、術式が掘り込まれた場所付近を軽くなで、ゆっくりとその銀時計を手に取り。
「開いた」
あっさりと開く。
「……?何をしたんだ?桜」
俺が問いかけると、桜は難しそうな表情をして。
「文字をきったの」
ただそうわけのわからないことを言った。
「……文字を切る?」
桜の赤い目の事についてもよくわからないし、今何が起こったのかも俺は今理解できない。
「なるほど」
しかし、長山は何か納得したような顔をして銀時計の術式跡を見る。
「意味の剥奪か」
「いみ?」
「なんだ?その意味の剥奪って」
「俺も詳しくは知らないけど。桜ちゃんが見ているのは恐らく、術式の持つ意味。つまり術式が持つ能力だな。……そして今現在行ったことはその意味の剥奪すること」
「?」
丁寧に復唱されても分からんものは分からん。
「まぁ、術式以外にも科学以外のものは全て意味を剥奪できちゃうと思うけど?」
「おい待て長山……何を言ってるか分からないぞ?」
そう問うと、長山は説明が難しいんだと頭を二三回かき、しばらく考えた素振りを見せた後口を開く。
「術式ってのは、文字を使ってその能力を発動するだろ?」
「あぁ」
「それは単体では何の効力も発揮しない文字をつなげることで、意味を作り出して、それを実現させているということだ」
「……ふむ」
「……つまり、桜ちゃんはつなげられて意味を得た術式のつながりの部分を切断して、術式を唯の文字の羅列にしちまうことが出来るってことかな?まぁ本来、意味 という存在の生じる境界線とか定義とかは人間が知れることじゃないから、俺達一般人には到底理解できない領域だからな~。正確にはその領域を認識することが出来る能力とも言えなくもないかもしれないな」
「……シンくん。分かった?」
「えと…………すまん。さっぱりだ」
「要するに、桜ちゃんは術式を無効化する能力を持っているってことだよ」
最初からそう言え。
「だけどなぁ……」
しかし、長山はそう説明をした後、何か釈然としないような顔をして首を傾げる。
「?どうしたの?龍人君」
「いやぁ、桜ちゃん、加減論って知ってるか?」
「カゲン論?」
「あぁ、外国のどっかの教授が言ってたな。同種の生物は、個々が有するメリット・デメリットそれぞれを数値化してたし引きをすると、すべてがゼロになるってやつか?」
まぁ、そんなモーツァルトとゴッホはどっちが有能かとでも聞かれているかのような仮説の為、知ってるやつはそうそういないだろうが。
「そ、パブロ・ピカソは、あのすばらしい画才を有する代わりに、死ぬまでアルファベットを暗記することが出来なかったらしい。また、自閉症を患っている少年が、人並み外れた能力を開花させるという症例は、かなり報告されているだろ?」
「……サヴァンか」
サヴァン。 自閉症や知的障害を持つものがまれに有するとされている特殊能力。
たとえば瞬間記憶能力だったり、ピカソのような人並み外れた芸術性だったりと、その能力はさまざまだが、その能力を有した障害者をサヴァンと呼ぶ。
「加減論はこれを説明できる論だ。自閉症や知的障害は、脳みそが小さいわけでもどっかが壊死しているわけでもない。ただ単に、普通の人間に割り振られるはずだった分、他の場所に割り振られてしまっただけ……ってことだな」
「ん~。よくわかんないけど、要するに、私のこの眼も、サヴァン症候群だってこと?」
桜の頭はどうやらもうパンク寸前の様で、長山の説明を省いてさっさと結論を急ぐ。
「まぁそうだな」
「おい。いくらサヴァンだからって、術式を切るなんて能力があるわけないだろ?」
「いや、さっきも言った通り。桜ちゃんの能力は俺達じゃ理解できない、~意味~ってもんを脳が理解してしまっているんだ」
「その意味を理解って言うのが良くわからないんだけど龍人君」
「同じく」
「さぁ……俺もその眼を持ってるわけじゃないからよくわかんないけど。桜ちゃんの眼は多分文字同士が持つつながりを理解してるんだと思う」
「……文字同士のつながり?」
「そ。文字は人間様が読むもんだけどよ、少なくとも文字同士でも繋がっているんだよ。それのつながりを最大限に有効活用するのが、魔道術式。それはお前もよく知ってんだろうよ?」
「……まぁ、そうだが」
「だけどよ、俺達は術式間に流れる力の動きとか、そういった仕組みを知らないだろ?」
「あぁ」
「桜ちゃんの脳は、その意味を視覚情報に変換して理解することが出来るんだ」
「…………………きゅう」
桜はもう思考放棄をしたようで、目を回しながら頭をふらふらさせている。
このまま続けて桜が知恵熱で倒れても困るし、そろそろこいつの説明を終わらせてやろう。
「……なるほどな。まぁその仮設が正しいか正しくないは置いといて、お前が言うサヴァンだとしたら、桜は何かしらの障害を抱えてなきゃいけないと思うんだが?」
「そうなんだよな~……桜ちゃんは至って普通の人間なのに、どうしてサヴァンの能力を持ってるのか。 それがすっごい不思議なんだよな。どこか欠落してなきゃ、サヴァンの能力が現れる筈がないんだけどよ」
「あてにならないな」
「おっしゃる通りで」
結局、良くわからないで終わってしまった話であったが、当人である桜は、術式を無効化する能力であることしか理解が出来なかったようである。
まぁ、こちらとしてもそれだけが分かっていれば十分の為、俺は何も言わずに話を終わらせる。
「きゅ~」
頭がぐるぐる回っている桜は、どうやらまだ頭の処理が追いついていないらしく、
必死に長山の言っていたことを理解しようと思考を巡らせてはオーバーヒートを起こしていく。
おいおい、頭から煙出てるぞ……。
「桜、とりあえず部屋に戻るぞ。 ここで倒れられたら運ぶのが面倒だ」
「ふぁい」
ふらふらとした足取りで、桜は談話室の扉を開けて外に出て、俺はそれに付き添い。
「あ……そうだ長山」
言っていなかった言葉を思い出し振り返り長山を呼ぶ。
「……?なんだ」
「お前さっき、俺を変えることは出来なかったって言ったが。俺はお前がいなかったら本当の孤独だった……。お前は今俺が変わったと言ったが、変わったのなら半分はお前のおかげだ」
「え?」
「……感謝している」
俺はそれだけを伝えて、談話室の扉を閉じた。




