第三章 兄と妹
同時刻 ~ロシア~ ゴルディノヤスク
「ちっ……」
舌打ちを漏らして、俺は術式を停止する。
雪月花村から少し退いたロシアの町。ある程度の都市化が進んでいるこの町は、他の村とは違い電車が通るためか、それなりに充実した医療設備が期待できると踏んで、すぐさま医者を訪ねてボリスの治療を行った。
俺は肩を深くえぐられていたが、術式で血を止めていれば自然に治る程度の軽傷のため、
治療はせずに肩口から両断されかけたボリスの傷を俺自ら手術をすることにした。
幸いにも、軍部の人間だということと医師免許をを持っていることだけを告げるとここの医者はすぐにオペ室を用意してくれ、俺はすぐにボリスの治療を開始した。
それからほぼ丸一日たった今。何とか主要な血管を無理やりつなぎ、ボリスは失血死を免れ、一命を取り留めた。常人だったら即死の大けがだが、このバカのタフさに今回ばかりは助けられたらしい。
看護服を着せたボリスを病室のベッドにアーシャとともに移してから。
「よかった……」
俺は静かに寝息を立てるボリスを見て、そのまま倒れこむ。 さすがに限界だ。
「お疲れ様です、兄さん」
隣でサポートをしていてくれたアーシャは、自分も疲れているであろうに倒れている俺の汗を拭いてくれる。
「悪いな。アーシャ……」
「いえ、今日はRODと日本支部の人間との連戦の上、長時間の手術が続いてしまいましたから……。倒れてしまっても仕方がありません」
気を使ってくれているのか、いつも厳しいアーシャが今日はやけに優しい気がする。
「な……なんですか兄さん!私だって鬼じゃないんですから、そんなにいつもいつも怒ってばかりじゃありません!」
「何も言ってないだろ」
「っ!目が言ってました!」
ごもっともである。
「っはは、やれやれ、その怒りっぽい性格は誰に似たんだかなぁ?兄として、お前のその性格は少しばかり心配が残るぞ?」
「っつ……!」
まぁ、誰にもやるつもりはないけどな。
「に……兄さんには関係ないでしょ!?それに、似たんだとしたらきっとお父様ですよ」
「んん?親父は別にそこまで怒りやすい人間じゃなかった気もするが」
俺達にまでさん付けをして呼ぶほど腰の低い優しい人だったはずだぞ?
「お酒を飲むと見境なかったじゃないですか!」
……あぁ、言われてみればそういえばそんなことが一回だけあった気がする。
「ほほう、ってことはお前はいつもいつも酔っぱらってるってことか?」
「兄さん!!」
「なんだよ~、お前が言ったんだろ?」
「っもう、不愉快です!少し外で飲み物でも買ってきます!」
「俺コーヒーよろしく」
「知りま………はぁ。無糖ですか?」
「微糖でよろしく。あ!日本輸入のルビーヴォルケーノあったらそれ頼む!」
日本で今最もと言っていいほど売れている缶コーヒーらしく、確か去年あたりから輸入が開始され、一度でいいから飲んでみたかったのだ。
扉を閉める音がして、ようやく俺は床から立ち上がり、病室を出てエントランスへと出る。
都市部にある大きな病院とは違い、この片田舎の病院は小さい。
受付のある部屋から診察室とオペ室、そして患者用のベッドが置いてある部屋へとそれぞれ入ることができ、部屋が足りないせいで医者は受付で眠っているという状況らしい。 基本的に外科手術をすることは想定されていないらしく、手入れはされていたが手術台は数回使われた形跡しか残っていなかった。
「ふぅ」
俺は疲れもたまっていたせいか、受付前の順番待ち用の椅子に腰を掛けて一息をつく。
医者は追い出してしまったため、その部屋にある明かりは非常灯の薄明かりのみ。
薬品の臭いが鼻を突き、耳を澄ますと聞きなれた吹雪の音が耳をくすぐる。
目を閉じて考えを巡らす。俺は今悩んでいた。 先ほどの戦いを見て、俺とアーシャで雪月花の城を落とすことが出来るのか?
俺は死ぬわけにはいかない。ましてや結果の残せない死は、逃げかえるよりも悲惨な結末を生む。今逃げ帰ったとしても、だれも俺達を責めるものはいない。
……。
「兄さん?」
「!……アーシャ」
「どうしたんです?ボーっとして。ルビーボルケーノ買ってきましたよ?」
「あ……あぁ、ありがとう」
俺はアーシャの手から缶コーヒーを受け取り、軽く口に含む。
「んん……やはり、日本人はいい仕事をする」
「相変わらず日本がお好きなんですね?兄さんは」
妹は少し呆れたような顔をしながら、隣で紅茶を飲んでいる。
「まぁな……祖父の故郷だ。憧れないと言ったらウソになるだろ」
「……そう、ですか?……まぁどうでもいいですけど兄さん」
「なんだ?」
「怒られるかもしれませんが……真面目に聞いてくれますか?」
「……あぁ」
アーシャは何か思いつめたような表情をして。
「もう、手を引きません?」
そんな言葉が、俺を諭すように懇願するように病室に響いた。
「なに?」
「……ボリスがいなければ、奴らは倒せません。私は術式でしか戦えませんし、実質兄さん一人で戦うことになってしまいます!私は……私は兄さんに危険が及ぶのは耐えられません!!」
「アーシャ?」
「そ……それに兄さんが死んだら、子供たちはどうなるんです!兄さんがいなくなったら、あの子たちを守ってあげる人がもういません!ここで死ぬわけにはいかないんです!」
アーシャは必至で俺を引き留めてくれようとしているらしく、そんな心優しい妹をもてたことに感謝をしながらも、俺は覚悟を決める。
「……それを聞いて安心した」
「え?」
「これからは俺一人で戦う」
「!?に……兄さん何を言ってるんですか!?」
「お前たちに任せてももうあいつらを守っていけそうだ」
「兄さん!」
何を悩む必要があったのだろうか?俺にはこんなにも頼りになる兄弟がいるのに。
「もちろん死ぬつもりも負けるつもりもない。だけど、もし俺が死んだら、お前が全部守れ。子供たちも、弟も」
だから今は、俺が戦おう。
俺は、虐げられた人間を守る刃なのだから。
最後のときも、常に戦いに身を投じることしかなくて。
「ボリスもたのんだぞ」
そして、あきらめてはいけないのだから。
「兄さん!?私……従いませんよ!あなた、自分の背負ってる者の大きさを考えてください!私では、国も、子供たちも……守れるわけがないです!」
「ボリスならできるさ……俺がいなくなれば、俺に気を使ってバカを振る舞うのも止めるだろう」
「兄さん……私は。私はどうなるんですか!?」
「ボリスを支えてやってくれ、兄弟仲良く」
「兄弟って……兄さん!私は!」
泣きそうな顔をするアーシャは、子供のころの面影を思い出させ、俺はその姿に嘆息をしてそっと頬をなでる。
「大丈夫だよアーシャ。俺はまだ頑張れるから、お前たちを一人にはしない。だから待っていてほしいんだ」
「……」
子供の用に涙をこらえる少女は、しばらくうつむいた後、コクリと頷いた。
「ありがとう」
納得してくれたアーシャに俺は笑いかけて、踵を返す。 今日は疲れた……もう寝よう。
白く短い廊下は、俺を退かせようとするかのように靴音を反響させるが、俺は目を閉じてそれを拒絶する。
恐ろしいのは死ではない。 未来が消えることの方が恐ろしい。
故に、切り開くのは孤狼の務め、本来なき物の未来を拓く。
我が刃は、虐げられし者の刃なのだから。
「っ!兄さん!」
そう覚悟を決めると、アーシャが俺を追いかけてその袖を小さく引く。
「……なんだ?」
振り返ると、アーシャは何やら口をしばらくもごもごさせた後。
「……兄さん……今日くらいは……一緒に寝ても、いいですか?」
消えてしまいそうな声で……アーシャは顔を真っ赤にしながらそう言った。
「……まったく、甘えん坊だな、相変わらず」
そんな可愛い妹に俺はため息をつき、頭を一度撫でてその願いを了承した。
◆




