第三章 カザミネ
巨大な浴場で疲れを落としたあと、俺は一度見回りをしてから床につくことにし、とっくに髪など乾ききっているだろうに未だに桜と取っ組み合っている石田さんに一言伝えた後、戦闘のあった中立の森に向かう。
大規模な戦闘の後はこの降り積もる雪でさえもその爪あとを覆い隠すことは容易ではないらしく、倒された木々は無残に雪に打ちひしがれ、えぐれた地面は痛々しく俺にその傷跡を見せ付けてくる。
「……特に異常はなさそうか」
なにか、敵の情報に関する手がかりのようなものが見つかれば幸いと思ったのだが、さすがに痕跡を残してくれるほど容易な敵ではないらしい。
この付近に潜んでいる気配もないようだし、今のところは安全ということか。
「帰るか」
そうと分かれば話は早く、俺は一つ息をついて帰路へつこうとする。
と。
「あれ?そこにいるのはシンクンじゃないかい?」
「……カザミネか」
見慣れた影が森の置くからふらふらと近づいてきて、相変わらず元気な声で忌まわしき俺のあだ名を呼ぶ。
「こんな時間まで見回りとは関心関心。でも、真面目なだけじゃ競争社会は勝ち残っていけないっさよん!?」
「余計なお世話だ……お前こそ何している」
「んー?決まってるっさ、夜は狩の時間! 獲物を狙う狼どもを逆に釣ってハンティングしてやるっさ!」
手に持った弓とハンターナイフを俺に自慢げに見せつけ、カザミネはどこか誇らしげにない胸をはる。
「そうか……しかし、ここら辺は危険だ。狼よりも危ない奴らがはいかいしている」
「そうなのかい?」
「そうなんだ。だからこうして遅くに見回りをしているんだろ?」
「なるほどねぇ。……じゃあその傷は、そいつらにつけられたのかい?」
「ん?」
カザミネはいぶかしげな表情をして俺の腹部を覗き込み、そんなことを言い出す。
おかしい。 術式は起動しており、包帯こそしているがカザミネに見える位置にはない。
「なぜ分かった?」
「ずいぶんないいかたっさね!私はお医者さんさね!分からないわけないさ!」
「医者?お前医者なのか?」
「知らないのかい!?狩人兼この村の名医! ドクターカザミネとは私のことよん!? 外科内科小児科なんでもござれ!!どうだ参ったか!」
「なるほど、それなら少しは納得できるな。医者の端くれか」
「そうっさ、医者の端くれさ」
「寝言は寝ていえ 」
「ひどい!?ひどすぎるよ!?シンくん人を見かけで判断するのはよくないってお母さんに教わらなかったのかい!?ほら見て!医師免許!!?」
ポケットの中の財布から取り出されたロシア語表記の免許証。よく読めはしないが、そこには白衣姿のカザミネが移っている。 どうやら運転免許ではなさそうだが……。
「こらこらこらーー!すかすな!偽物じゃないっさ!すかしても分からんでしょーに!というより私どれだけ信頼ないんさ?!」
「冗談だ」
いまだに半信半疑ではあるが。
「まったく。本当に失礼なやつっさシンくんは」
「しかし、医師免許なんてたいそうなもんを持ってんのに、お前はどうしてこんなところで狩人なんてしてんだ?」
「話せば長くなるっさ」
「まぁ、急いでるわけでもないからな聞いてもいいが?」
「そうかい。じゃあ話すっさ。 私は昔、狩人に育てられたんさ、その人に言われたんだよ狩人を続けろって。だから私はここで狩人を続けているっさ」
意外と短かった。
「あー、しかしずいぶんと汚い処置をされてるっさね……見てられないからちょいとうちよりんしゃい、特別にただで見てあげるさね」
「いや、しかし」
「いいからいいから、今日はなんか獲物がぜんぜんいなくてそろそろ帰ろうとしてたところさ、気にすることないよん!」
ずるずると引きずられながら、俺はカザミネに引きずられていく。
「さぁ、ついたっさ」
つれてこられたのはカザミネの家から少し離れたところにある小さな診療所。
あぁ、確かにカザミネ診療所と書いてある。
「本当に医者だったのか」
「嘘ついて何になるっさ?」
いや、そういわれればそうなのだが、この見るからに大雑把そうな奴が医師免許を取得しているといわれてもどうにも信憑性にかける。
「さ、はいったはいった。病人とけが人は私が見るからねー。まぁ、村に優秀なお医者さんがいるから私は狩人仲間の怪我の治療ばっかりが専門になっちゃってるんだけどねぇい」
カザミネはそういうと、楽しそうに笑いながら俺をいすに座らせ、慣れた手つきで包帯やら消毒液やらを取り出してくる。
とりあえず俺は治療のため痛いのを承知で術式を解除し、傷口をあらわにさせてカザミネが戻ってくるまで待つ。
白を基調とした診察室はできたばかりの家の香りがかすかに残っており、転がっている器具やかけられているものを見る限り、しっかりと手入れも掃除もされていることが分かる。
……がさつに見えて、案外そういうところはしっかりしているようだ。
「おまたせ……うっわひどい怪我ばっかりっさね。こりゃ少し麻酔も必要さ」
そういうと、カザミネは傷口を開かないように慣れた手つきで肩の傷をそっとアルコールを含ませた脱脂綿で拭き、続いて麻酔をしみこませた脱脂綿で周りを拭く。
だんだんと痛みが引いて軽く感覚が麻痺していき、俺は少しこわばった筋肉が和らぐのを感じる。
「君随分と薬が効きやすい体質見たいさね……」
「ああ、薬のお世話になったことはほとんどないからな」
「なるほど、それはうらやましいことっさ。 さて、縫合するからちょっと我慢してねん」
そういいながらも、カザミネはやさしい手つきで一針一針丁寧に傷口を縫合し、ものの一分で俺の切創の縫合を完遂する。
「……痛みもないし不自然さもない……医者だって言うのは本当だったんだな」
「失礼な!」
「いや、すまん。すごいよお前、一流の医者だったんだな」
「え……あはははは、そそそそ、そんなにほめても何もでないっさよ!でもまあね、私は一流の医者だから、君の怪我くらい者の二十分で全部治療完了させてみせるっさ」
見るからにうれしそうにカザミネは笑い、まったくとか仕方ないと何度も繰り返しながら、本当にものの二十分で俺の打撲や切創の治療を終了させる。
「……麻酔が効いてる間はあんまり激しいことはしないこと……って言ってもこの時間だし後は寝るだけさね。明日の朝にはもうきれてると思うから、そこからは縫合した針を引っこ抜くとかしない限り動いても問題ないさ」
「あぁ……ありがとう。助かった」
違和感もなく痛みもない。いや本当に驚いた、よもやカザミネにこんな意外な一面があったとは。
「うん、いいってことよ」
医療器材をきちんとしまいながら、カザミネはうれしそうにからからと笑い胸を張る。
「しかし、どこでこの医療技術を身につけたんだ?」
何気なく聞いた一言。
しかし、その言葉に一瞬カザミネは手を止め。
「?」
「実は、わからないんさ」
そう困ったように俺にそういう。
「分からない?」
「……うん。私はね、いつどこで生まれてどうやってこの村にきたのか……ぜんぜん覚えてないんさ」
寂しそうに、カザミネはそうつぶやき、俺ににっこりと笑みを見せる。
「記憶喪失なのか?」
「うん、三年前、この森で目覚めたのがはじまりっさ。右も左も分からなくて、できることはこの医療だけ……。ふらふらと森の中をさまよった挙句、私は寒さと飢えで倒れて死に掛けてた……そのときに、助けて私を育ててくれたのがカザミネっさ」
「……ん?」
「カザミネはとても優秀な狩人だったさ。 何でもできて料理も上手で……私をたったの一年で立派な狩人に育て上げてくれた。幸せだったさ。まるでお父さんができたみたいな感じで、あの場所とあの時間はとっても暖かかったさ」
……寂しそうな笑みを浮かべるカザミネは、口調こそ今までのと変わらないが、とても悲しそうで、だけど大切な詩を口ずさむかのように、一つ一つ丁寧に言葉をつむいで行く。
「……その狩人は今どこに?」
「……死んださ。去年……」
「……あ、すまん」
「いいさ、もともと私を拾った時点で余命半年って言われてたみたいで……。
私もあったときから長くはないって分かってた」
「……そんな状態でお前を育てたのか?」
「そうさ、馬鹿な話でしょ?自分がもう壊れかけてるのに、私を育てるために半年も長生きして……しかも最後に病気じゃなくて眠るように行ってしまったさ……私が一人で熊を取ってきた日……まるで何もかも悟ったかのように、静かに眠ってたさ。 本当……幸せな爺さんだったさ」
「……そうだったのか」
ただの能天気少女かと思ったが、案外しっかりしたところもあるようで、俺は初めてカザミネに会ったように感じる。
「さて、引き止めて悪かったね、治療はこれで終わりだからかえって言いよん」
先ほどのしおらしい話がなかったような明るいカザミネの声。
その明るさは記憶喪失のことなどまったく気にしていないようで、その元気のよさにはあきれながらにも少しばかり元気付けられる。
「ああ、ありがとうカザミネ。またくる」
そんなじゃじゃ馬に俺は別れを告げてゆっくりと雪の上を歩き、冬月の森へと帰っていく。
知り合いに医者がいることはとてつもない幸運だ……。
そんな幸運に感謝をしつつ、月明かりさす森の中、その中を俺は独りで歩き、帰路に着くのであった。




