第三章 魔導術式とお風呂
雪月花の森を抜けて、俺は長山と城へと戻る。
いつも通り石田さんが扉の前で待っているのを予想しながら扉を開けると。
「大丈夫だった!?」
顔をのぞかせたのは意外にも桜だった。
ずっと扉の前で待っていたのだろう。心配そうな顔をして俺達を見上げる桜の手は、固く握られていた。
「……俺は大丈夫だ。長山も出血はひどいが、傷は大したもんじゃない」
「……本当?」
「本当だよサクちゃん。こんなグロテスクなゾンビみたいな顔面してっけど、血が止まりゃ、またいつものイケメンに戻るから安心してくれや♪」
そう長山が冗談を飛ばすとようやく安心したらしく、拳を開いていつもの優しい笑顔に戻る。
「あ~……でも悪いんだけどさ、サクちゃん。血を止めっから包帯持ってきてくんない?」
「あ、うん。待ってて!」
そういって桜は着物を揺らしながら去っていく。
ちょうどいい、長山と二人で話すことがあった。
「長山」
「なんだ?」
まだ止まらない血を、コートの袖で拭きながら長山は返事をする。
なにやら真面目に聞いてなさそうだがまぁいいか。
「イージスが切り取られた時の話だが」
「?」
俺の意図したことを察したのか、長山はゆがませていた顔をひきつらせてこちらに顔を向ける。
先ほどの戦い。ジェルバニスと戦っていた長山が出した盾、イージス。
そこに含まれた術式は【種類問わず全物理的衝撃を吸収し四散させる】いわば絶対防御であるが……。
「ジェルバニスが所持していたナイフを見るに、あれを超えるだけの術式を埋め込むことは不可能だと思うのだが」
術式は、より高い神秘と相対したとき、その効力が消えてしまうが、15センチ程度のナイフと、人一人を覆うことが出来る盾とでは、刻み込むことが出来る術式の量は盾の方が多いに決まっている。
「う~ん……よくわかんねーけど。切られたっていうより、溶けたって感じの方がしっくりくるんだよな?」
「溶けた?」
意味の分からないことを言う。 ナイフで盾が溶ける?あのナイフに、発熱の術式でも付与されていたとでもいうのか?だとしてもそれは盾の防御範囲に含まれるはずだ。
「いや、熱とかそういうんじゃなくて。……みりゃわかると思うんだけどよ」
そういって首をかしげる俺に、長山は両断された盾を取り出す。
見事に一刀両断されたその盾は、もう一度傷口を重ね合わせれば元通りになるのではないかと思うほど太刀筋に乱れがない。
「ここなんだけどよ」
そんな感想を抱く俺に、長山は盾の切り口部分を指さす。
「……なるほど……溶けてるな」
指さす先。盾に切り込みを入れた部分が少しばかり盛り上がっている。
プラスチックを高熱を帯びた鉄線で切った時に生まれる盛り上がりのように、長山の盾も表面にわずかな盛り上がりが生まれていた。
「……??」
首をかしげる。
イージスの守りは絶対だ。 ファーストアクトをいくら叩き込んでも、跡を残すのが限界。
そんな盾がこうもたやすく両断されている。
「深紅?なんだかわかるか?」
「……推測だが、限定効果を持った術式だろうな」
「限定術式?」
「……お前、5年前に習っただろ」
「授業は基本的に寝てるんだよ」
「……。術式と術式のぶつかり合いは、お前も知ってのとおりより精密に術式を織り込んだものの方が打ち勝つのは知っているだろ? だが限定術式ってのは、指定した物体のみに発動する術式の事だ。たとえばこの盾の場合、ジェルバニス自身が【鉄の両断】という術式を発動していたとすると、この盾の術式防御範囲にならなくなる」
「なんで?」
「盾を両断したのが、ナイフではなく術式の効果によるものになるからだ」
「?????」
「……お前、もしかしてそこまで忘れてるのか?」
「えへへ」
ったく、なんでジューダスはこんなやつを卒業させたんだ?
「術式効果には2種類ある。 一つは俺達がよく使う【CUT】や【RAPID】のような、物質に作用するもの。そしてもう一つが、雪月花の森に仕掛けられてる【空調固定】や【感知】のような、術式単体で効力を持つ術式だ」
「……なるほどね」
この顔からして、全然覚えてないな。
「……術式で物を切るには、【CUT】の他に切る対象・状況・範囲・幅・
持続時間・その他諸々を組み込まなければならない。下手すりゃ自分をまきこんで爆発に近いもんを生み出す恐れもあるし、組み方を間違えれば発動もしない。時間もかかるし効果も応用が利かない、はっきり言って戦場では決して使えない。だから考案されたのが、憑依型術式……俺やお前の武器に施されてる術式だ」
「憑依型術式?」
「刀ってのは切るためにあるだろ?憑依型術式っていうのは、その切れ味を向上させる役割だけを刀に付与させるんだ」
少し長山は悩むような素振りを見せた後なるほどと両手を叩く。
「あ~……なるほど、術式で切れ味はものっそいことになってるけど、あくまで刀は刀ってこと?」
「そう、だから術式をかけられてても、お前の剣や俺の銃は物理攻撃扱いになる」
「ってなると限定術式ってのは、術式のみで形成された刃ってことか?」
「ほう」
長山にしては的を射た返答に、俺は少しばかり感動の言葉を漏らす。
しかし長山にしてみればなにやらバカにされたと思ったらしく、ジト目でこちらを睨む。
「まぁ大体そんな感じだが、何も斬撃に頼ったものばかりじゃない。お前も協会の奴らを知ってるだろ?」
「ああ、あの術式カルト集団か……変な本を持って術式だけで生活してるクレイジーな奴らの本拠地だろ?」
何か因縁でもあるのだろうか?長山が珍しくいやそうな顔をしている。
「……少しばかり偏見が入ってるがそんな感じだな。お前が言った変な本。あれが限定術式だ」
「?」
「正確にはあの本が彼らの武器と言った所だな」
「??」
「あの本に書かれているのは全部術式だ。さっき言っためんどくさい行程や設定を事細かに本にまとめて一つの術式に組み上げてる」
「まじかよ、俺ずっとあの本教祖の言葉をまとめた本だと思ってた」
「あのなぁ……教会と勘違いしてないか?」
「……似たようなもんだろ?【全身魔導】とかいう得体の知れないやつを唯一神とかあがめてんだから」
なるほど、こいつさては宗教関連で痛い目を見たことがあるんだな。
「お前、宗教でなにかやらかしたのか?」
一瞬長山は目を見開いて驚き、しばらく口をもごつかせた後
「……悪徳商法に引っかかった」
小さく顔を赤くして漏らした。
「……」
お気の毒すぎて反応できなかった。
「龍人くーん」
そんな長山を気の毒に思いつつ、何を買わされたのか聞いてみたいと思っていると、桜が戻ってきたようなので席を外すことにする。
友人になると約束はしてしまったが、立場は護衛。怪我がないなら仕事に戻らなければ。
「あれ?シンくんは?」
「外傷はない。仕事に戻る」
何か言いたそうな桜の表情を避け、俺は階段を上がっていき屋上の扉を開けた。
外の猛吹雪はいつの間にかなりを潜め、先ほどの喧騒が嘘だったかのように森は静寂に包まれている。
長山のゴーレムは依然反応なし……。森の結界からの危険信号も、いつの間にか体から去っていた。
「……すこし休むか」
さっきは桜にあんなことを言ってしまったが、現在の状況からして、注意は必要だが厳戒態勢を敷くほどではない。
反対にこちらも相手の動向を知る手段もないため、俺はその場に座る。
相手が動くまでどうにもならない状況なら、装備の充実にあてた方がいいだろう。
術式の上からでも寒さが伝わってくる森の中、俺は倉庫から拝借したドラグノフを構え、スコープ越しに森を除く。
見えるのは森の木々と白い雪。十字線の入った拡張された視界は、敵のいない森で索敵をしながら、感度を確認する。
「……長山のゴーレム発見」
とりあえず試し打ちがてら、一キロメートル先で飛び回っている鳥型のゴーレムを十字線の交差に合わせ。
タン。
その脳天にペイント弾を付着させる。
「ふむ……遠距離射撃は久々だが、腕は鈍ってないか」
エイムの速度も申し分なく、術式の補正を入れればこの対人兵器も、対戦車ライフル程度には強化できるだろう。
「銃身は長いからな……術式は二つまで入れられるか。……だとしたら貫通と……」
術式を書き込むには時間がかかるうえに集中力がいる……簡単な術式と言っても、最低で二時間はかかる。
「……」
術式用のレンズを右目にかけ、ミクロ単位で一文字一文字全二千五百文字を掘り込んでいく。これでも初級術式だというのだから笑ってしまう。
「……はぁ」
黙々と行う作業と言うのはなかなかに暇であり、書いているのも手慣れたものであるため、頭は自動的に状況整理を始める。
状況は最悪。ロシアのラスプーチンさん兄弟に、人形師ジスバルク・ゼペット。
そして謎の黒い仮身。
ラスプーチンと黒い仮身は負傷中につき、しばらくは戦闘になることはないだろうが、だからと言ってむやみにあいつらを探し始めれば、ゼペットに狙われる。
ゼペットを先に打てば、消耗したところをどちらかに叩かれる恐れがある。
今回の任務は暗殺による掃討ではない。守護による継続である。
守ることは正義にはなりえないと言ったが、その守る物が冬月桜ではなく、人口二百人の村人たちであるなら話は別だ。
敵六人の侵入を迎撃するこの戦いは、まぎれもない正義の戦いだ。
そう自分に言い聞かせ、自分の心を少しだけ軽くする。
レバノン紛争の事が消えたわけではないが、少なくともこの戦いは、自分が体験したことのない戦いであり、これを超えれば、自分の救える人間はさらに増えるようになると思うと、俺は高ぶりを抑えられない。
「……ああ、そういう意味では感謝するぜ、爺さん」
あくまで黙々と術式を書き込みながら、俺はジューダスの意図を理解する。
実践あるのみ思考のスパルタと、強大な敵が予想外に現れたという点では不本意ではあるが、用意してくれた土台だ。ここで拠点防衛のノウハウを学ばせてもらおう。
「……っと、危ない」
危うく文字を掘り間違えるところだった。
術式の織り込み作業と言うものはなかなか面倒くさいもので、金属で作られた銃身を、ダイアの研磨棒でちまちま削りながら意味不明な文字配列と言う複雑なことこの上ない暗号じみた文字の羅列を刻み込まなくてはいかない。しかもミスれば一発アウト、術式は発動せず唯の傷だらけの銃になってしまう。
何の戦略的アドバンテージも無い。
だからこそ、今のように集中力を切らせては……。
「シ~ンくん♪」
「!?!」
いきなり背後から声をかけられ、その拍子にダイアの研磨棒がゴリッと言う音を立てる。
「ゴリ?」
「……」
よく見ると、やけに撥ねの長いYがそこに刻まれていた。
「あ……あははははは……もしかしなくても、私やっちゃった?」
「……」
はっきりいって微妙なラインだった。一応文字としての原型はとどめているが、術式の文字の認識基準なんて協会と呼ばれる術式研究機関の最重要機密文書でも見ないと分からない、言い訳できるならこれは一応文字になっているから理論上は発動するはず……。
しかしこれ完全に、何か下に丸書いたら爆弾の導火線みたいになっている……。
「え……えと、シンくん?」
「なぁ、文字の導火線って、どうやって燃やせばいいんだろう?」
「ど……導火線?いや、それは知らないけど」
「じゃあ何しに来た?」
その言葉に、桜はきょとんとした顔をして。
「なにって?シンくんの怪我の治療だよ?」
「は?」
「ほら、包帯と湿布」
何を言っているんだ?桜は。
「俺はどこも怪我なんてしていないぞ?」
「強がりはよくないよ。エイ!」
「!?がぽお!」
桜の細い指が俺の腹部をつつき、同時に全身に激痛が走る。
「うそついても駄目だよ、シンくん体ボロボロなのに、どうしてやせ我慢するのかな~?」
いや待て……術式で塞いでいた傷口が、一気に開いたぞ?割と冗談抜きで意識が飛びかけた。
「ほら、傷口見せてシンくん」
「イダダダダ!?殺す気か」
「そんな傷放っておくほうが自殺行為だよ!傷は治さなきゃ」
「わかった!わかったから、その慣れない手つきで傷口をいじくるな」
「あ……手がすべた」
「イッッッッ~~~~!?」
綿をつまんでいたピンセットが、傷口に刺さる。
「わ!?ご、ごめん」
こいつ殺る気だ
「龍人君は、はじめは痛がってたけど、すぐ大人しくなったからやり易かったのに、シンくん少しは我慢してよ!」
なるほど、長山は死んだか。こうなると俺の人生もこれまでのようだ。
なかなか感慨深く濃い人生だったがこうなると。
「あ……」
「×○◆▽○□!??fkじゃえt???」
気が付けば、俺は元の怪我の1・5倍の重症になり、全身が痛むのを我慢しながら、桜に包帯を巻いてもらっていた。
流石に包帯を巻く工程で傷が増えることはなく、いつの間にか雪が止んだ穏やかな森のなかは、闇が染み入るようにひっそりと夜が訪れていた。
俺はそんな中で黙々と術式の書き込み作業を再開し始める。
導火線はもうどうしようもないが、やるだけやってみよう……。
どっちにしろ、これで駄目でも倉庫にはドラグノフはまだあるのだから。
「ACT」
不安と冷や汗のこもった声。しかし問題なくドラグノフの術式は発動した。
発動を知らせる文字から浮かび上がる光が俺の心の心配を拭う。一安心と言ったところだ。
「どれ」
ダン。
エイム無しで照準を合わせずに放ったペイント弾は、風の向きに逆らいながら三キロ先のゴーレムにペイント弾を命中させる。
「よし、まずまずだ」
満足し、ドラグノフを置いて俺は背後で伸びきった包帯と格闘している桜をよそにペイント弾と実弾を入れ替える。
「……ねぇ、シンくん?」
「なんだ?」
あ~呼ばれなれないな本当に。なんだかいろいろむず痒い呼び名だが……一度いいと言ってしまった手前、やめてくれともいい辛い。
「術式ってなに?」
「ん?お前、こんだけ術式に囲まれた生活してて、術式を知らないのか?」
「ふえ!?私の生活にそんなファンタスティックなものが介入してるなんて!」
恐らくファンタジックと言いたかったのだろうが、とりあえずそれは無視する。
「今現在、そんな着物だけでロシアの地に立ってられることを不思議に思わなかったのか?」
「そういえば……どうして?」
こいつ、寿命の前にいつか凍死しそうだな。
「この屋敷に張られている、空調固定の術式のおかげだ。まぁ簡単に言えば、この森一帯をビニールハウスにしたみたいなもんだ。これだけの広範囲に術式を立てるのは並大抵の技術じゃできないし、一年や二年でできるようなもんでもない。多分お前が生まれる前に作られたものだろうな」
「ほへ~、術式って便利なんだね?」
感心したように口をぽかんと開ける桜であったが……本当に理解してるんだろうか?
「いや、そうでもない。術式とは、科学に負けた方法だからな、今俺達が使ってる科学の方がよっぽど便利だ。たとえば凍死しないように火をつけるのだって、科学なら木とマッチさえあれば一日も待たずして温かくなる。でも術式はたったそれだけのことをするためだけに一週間以上時間が必要だ」
「ふぇ?」
やっぱりまだよくわかってないらしく、俺は一度考える。
これだけ術式に囲まれた環境で術式のことを知らないというのは、意図的に石田さんが隠してきたということだ。
ここで術式の事を教えるのは……桜をこちらの世界に引き込むことなのではないだろうか?
「?どうしたの?」
しかし、これからの一か月はそうは言っていられないか。
少しでもこちらの事を知ってもらった方が、極限状態で知らされるよりもパニックに陥る可能性は下がる。そう勝手に判断し、俺は術式についての説明を始めた
「桜、術式を語るには、魔術と科学の違いをある程度知らなきゃいけない。魔術についてどれくらい知識がある?」
「……魔術?指から火が出るとか?」
なるほど、全く知らないか。 まぁ当然と言えば当然である。
「そういう類の魔術は、ないことはないが、お前のイメージは恐らくは魔法だな」
「どこが違うの?」
「言葉は似ているが大違いだ。魔法と言うのはノーリスク・ハイリターン。つまり、触ったものを金に変えるとか、人の力ではほぼ不可能。もしくは現在の科学では到達しえない結果を生み出すものを、魔法と呼ぶ」
「よくわからない」
だろうな……。俺もこの説明を受けたときは初めて因数分解を教わった時と同じように、この教師は頭が狂ったのではないかという思考回路が展開したもんだ。
「つまりだ、科学も魔術も結果を得るための方法でしかないと考えればいい。たとえば火をつける作業。科学は火打石により生まれた火花を酸素を使って火をつける。そうやて生まれたのが科学の火だろ?」
「うん」
「だが魔術は違う。代表的なものを上げるとルーン魔術。術式の雛形とも言われてるこれは、古代文字の持つ文字の意味を使って火をおこす」
「シンくん、そんなおとぎ話信じるとでも思ってるの?」
からかわれていると思い始めたのか、桜は少しむっとしてこちらを睨む。
まぁ確かに、失われた技術だからそう思われても仕方ないのだが、運よく基本的なルーン魔術程度ならやることが出来る。
「見てろ?これがアゾルトの文字。術式と違って適性が必要だから、火柱は立てられないが」
そういって俺は体内の回路をつなげて魔術を行使する。
「わっー!?」
桜の驚きの声が響き、一瞬だけアゾルトに光が灯り、同時に小さなライター程度の火が紙をもやし、そのままあっという間に燃やし尽くす。
「す……すごーい!?本当に文字だけで火が出るなんて……すごいねシンくん!?ってどうしたの?」
「はぁ……はぁ……はぁ、言っただろ?魔術は適性がないと精神力を食う……要するにすごい疲れる」
「じゃあなんでやったの!?」
「クライアントに術式のことを知ってもらうためだ」
当然のようにそう言ってみるが、実のところ自分でもどうしてこんな無駄なことをしたのかわからない。
ただ、悪い気分ではない。
「とにかく、これが『方法』だ、本来世界には『火をおこす』だけに限らず、すべての事を科学以外の方法で行うことが出来る。もちろん逆もしかりだ、魔術で行うことが出来るものは全て科学で行うことが出来る」
「じゃあどうして魔術は普及してないの?結果が同じなら科学以外の方法を主流にする場所があってもおかしくないのに?」
「理由は今俺が見せたものだ」
「?火?文字?」
「違う。今俺はあんな火をおこすのに息切れを起こした。つまり、魔術っていうのは効率が悪すぎるんだ」
「あ~」
「元々、魔術と言うのは科学以外の方法の事を指す。つまり、最も効率よく結果をもたらす方法だから、人は科学を選んだ。魔術っていうのはその時すたれた方法の総称だ」
「でも術式は違うの?現にシンくんは術式を使ってるんでしょ?」
「あぁ、術式がすたれた理由は、その結果をもたらすまでに時間と労力がかかり過ぎるという点だ。しかし利点もある。術式と言うのは文字によって成る方法の為、文字を媒介にするルーン文字と違って一度発動しても減ることはない」
「あぁ、つまり一回発動しちゃえば、何度も使えるんだ」
「そういうことだ、材料が文字だから減ることもない。文字さえ健在なら劣化することもない。だから武器に登用するのには持ってこいと言うことだ」
「なるほど~急に必要になった時には役に立たないからすたれちゃたんですね?」
「そういうことだ」
納得したように笑う桜の顔に満足し、血の滲んだ包帯を見る。
怪我の箇所は約十八か所。うち二つが先の戦闘でついたものであり、残りは紛争の際についた傷だった。
術式で傷を止めていたせいで気が付かなかったが、知らないうちにこんなにボロボロになっていたらしい。
桜の言った通り、あのままだと本当に死んでいたかもな。
しかし、なんで術式が全部消えたんだ?
「はっくち」
そんなことを考えていると、隣でかわいらしいくしゃみが聞こえる。
「用が済んだならさっさと戻れ、術式がかかってるとはいえここはそれでも冷える。そんな格好じゃ風邪ひくぞ」
「そんなこと言ったら君だって、寒そうなカッコしてるじゃん」
「俺のコートには術式がかかってるから大丈夫だが、お前の服は唯の着物だ。いいからさっさと戻れ、体調を崩されたら俺が困る」
「ぶ~」
納得いかないと言った顔をしながら、桜はしぶしぶと屋上から下の階へと降りていく。
「ふぅ」
桜が階段を下りていくのを見送り、俺はため息をつく。
いくら友人と呼んでくれるとはいえ、彼女と接するのにはまだ少しだけ抵抗がある。俺は、彼女を殺すかもしれない人間なのだ。
「……」
もちろん彼女を殺すことには抵抗はない。その結果、何百人もの命が救われるならそれは紛れもない正義である。今まで自分が実行してきた正義と同じように桜に引き金を引くことが出来るだろう。
機械のように自分を殺して、人を救う。
それが自分の理想の姿であり、その姿に俺は何の疑問も持たない。
それなのに今、俺は冬月桜と言う人間と接することを嫌がっている。
その姿はとても滑稽で、ここまで調子を狂わされている自分に苦笑を漏らす。
「何か面白いことでもあったのか?」
「!!」
聞きなれた声に俺は慌てて表情を戻して振り返る。
「……おまえ、ここで何してる?」
「全身の腫れを引かすために冷たい風に当たりに来た」
のんきな声を漏らして白い包帯のまかれた頭を出す長山。
桜によって掘り返されたのだろう。包帯にはうっすら血がにじんでいる。
「そうか、夜間は休んでいいぞ。俺が外を見張ってやるから」
本当は何しに来たなんてことは聞かずに、俺はドラグノフのマガジンに銃弾を込める作業を始める。
「何言ってんだよお前。最近全然寝てねーだろ?もうお前も桜ちゃんと友達なんだから、夜の見張りは俺に任せて、ゆっくり休め」
「余計なお世話だ」
弾の詰め終わったマガジンをホルスターにしまい、次のマガジンを手に取る。
「なんでドラグノフのマガジンを送ってもらわなかったんだ?」
弾の入ったケースを拾い上げ、暇つぶしに一緒になって長山も弾を込め始める。
「やってると落ち着く」
「本当か?」
長山のいぶかしげな声は無視して、俺は黙々とマガジンに弾を込めていく。
カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ
カチ…カチャ……コトンカチ……ポロ……カチ。
「む~なんでお前そんなスムーズに入れられんの?」
「慣れだ」
どうやら日頃の不器用のせいか、長山の奴は割と苦戦を強いられているらしく。
「だああああああああ大学生の内職アルバイトか!!」
飽きたようでマガジンに詰めかけの弾をばらまく。誰がその散らばった弾を片付けるのやら。
「やってられんわ」
そういって長山はその場に横になり。
「サムッ!」
熱湯かけられた猫のように慌てて立ち上がる。
そりゃさむいだろうよ、コート来てないのにそんな凍った場所に寝っ転がりゃな。
「ったく……ところでよ~深紅」
「なんだ?」
本来ならば手を止めて話を聞くべきなのだろうが、あちらも横になっているため、作業をしながら話を聞く。
「お前なんで桜ちゃんの事嫌いなの?」
……いきなり意味の分からない質問だ。
「別に嫌いじゃない」
長山にしては単刀直入な質問だったが、桜に頼まれたのだと納得して返答する。
「そうなのか?お前にしちゃ随分と桜ちゃんに辛くあたってるから、てっきり桜ちゃんのことが嫌いなのかと思ったよ」
「それはあっちの勝手な思い込みだ。確かにあいつと距離を置いてはいるが、嫌いだからじゃない」
「じゃぁ、なんでだよ?」
「……血だ」
「血?」
「あいつは後1ヶ月くらいの時間しか残されていない。あんな純粋な少女に、俺みたいな血みどろの人間を退避させる必要はない。それに朱に混じわれば紅くなるように、あいつに血の臭いは移したくない」
「ふ~ん。案外優しいんだな?お前って」
「別に、俺のせいで早死にしたなんて後ろ指刺されるのはごめんだからな」
そんな事気にするたまかよと長山は苦笑して、俺の隣に座り、愛刀の手入れを始める。
取り出した剣は裏切りの剣、アロンダイト。アーサー王が湖の妖精から授かった宝剣、エクスカリバーと同等……いや、それ以上の力をもった剣でありながら、裏切りによりその刀身 を黒く染め上げられた呪われた剣であり、世界中を探してもこれ以上の宝剣はお目にかかれないであろう。美術的にも武装的にも至高の武器。そんな代物を片手間にさび止めの油を塗る。
「ただ、一つだけ言っておくけどお前から血の臭いなんてしないぜ?」
そう一言、何とも無いように言い放った。
「……何をバカな」
何人もの人間を切り捨て殺してきた。
全身に血を浴びて、しみついた俺の体から、血の臭いがしないわけがない。
「血の臭いってのはよ、人殺しが背負うもんだろ?だけどお前は正義の味方で血の臭いなんて不名誉なもんは寄り付いちゃいねぇよ」
「……長山」
「それでもまだそんな匂いがするってんなら、桜ちゃんに直接聞いてそのあとに耳鼻科に行け」
ぶっきらぼうに長山はそういいながら、手入れの終わったアロンダイトをしまい、今度は青龍円月刀を取り出し手入れを始める。
「……ったく、お前と話していたら疲れた……見張りは任せる」
「ああ、ちゃんと風呂入ってから寝ろよ?」
「お前はお母さんか!」
そんな軽口を叩きながら俺は見張り台を後にし、東側の廊下の奥にある大浴場へと足を運ぶ。
桜もこの時間じゃ寝ているだろうが、念のため中を覗いてから入るか。脱衣所に服があったらそのまま退散すれば大丈夫だし。
「コンコン、ノックしてもしも~し」
よし、反応なし。
「ガラガラ」
景気の良い音が控えめに響き。
「あれ?シンくんもお風呂?」
目前にタオル一枚を巻いただけの桜がいた。
「す!?すまん!???」
なんという最悪のタイミングに俺は扉を開けちまったんだ!?ってかノックしただろう!
なんで反応しなかったんだよお前!
慌てて扉を閉めようとすると。
「あれ?一緒にお風呂入らないの?」
なんて飛んでもないことをいいながら驚くことに桜は脱衣所からそのまま外にやってきた。
「っばか!入るわけないだろ」
「なんで?私よく石田と入ったよ?でも最近はそういえば忙しいからとか言って断られるけど」
なるほど、石田にお風呂に入れてもらった記憶しかないからこいつにとっての風呂は男女で入るものとインプットされてるのか……。石田さんよ、執事として主に教育とかするのは気が引けるのはわかるけど、せめてこういうことぐらいは教えておいてくれ……。
「桜、俺は後でいいから出たら教えてくれ」
「そう?みんなで入った方が楽し……」
「いいから!」
そう一言言い残して、俺はその場を後にする。
もちろんの事顔面は真っ赤。まったくお嬢様ってやつは……
なんてことを思いながら落ち着くために談話室へと入ると、中には石田がいた。
「おや、不知火様どうなされました?」
石田は、一日の仕事を終えて一息と言った所なのだろう。ウオッカを片手に何やら碁盤を見つめている。
「……いや、長山と見張りを変わって浴室に向かったら……桜が」
そう説明すると、石田はばつが悪そうな顔をしてちいさくあちゃぁと零す。
「やはりそうなってしまいましたか……お年頃故、他人であれば羞恥心も芽生えるかとも思いましたが……」
「それぐらいはせめて教えておいてやってくれよ……」
おかげでとんだ目にあった。
「すみません」
「まぁ……俺の不注意だという面もあるが……ところで石田さん、囲碁が趣味なのか?」
「ええ、ウオッカ片手の囲碁を打つのが私唯一の趣味でして、本当は桜様と打てたらいいのですが、どうにも桜様は囲碁はお嫌いなようで」
「……」
確かにジトして頭を使うなんてゲームは、あいつの場合耐えられないだろう。
「……桜が来るまでなら、相手をしよう」
「本当ですか?」
「ああ、同じように俺も相手がいなくてな」
餓鬼の頃は、よくジューダスの相手をさせられたもんだが、最近は会うことも少なくなった。
「それでは……」
「ああ……」
乾いた桂を叩く音が響き、会話もなく互いに白と黒の陣取りゲームが始まる。
談話室の明かりは薄暗く、集中力が増されていく。
「む……」
「この村に慣れていただけましたかな?」
「別に」
石田さんはその返答をイエスと取ったのか、満足そうに頬を緩める。
「桜様はあなた方が来てからよく笑うようになりました」
「そうなのか?」
「はい、男性の友人は初めてでしょうからね……昔から桜様は、一心様より村より出ることを許されない身の上でしたので、友人は村からたまに遊びに来る三つ子だけ……それも一心様に気が付かれてからは遊べなくなりました」
「ふ~ん」
あいつ、ずっと一人ぼっちだったのか。
「それでも桜様は父である一心様に酷く憧れていらっしゃったので……一心様が行方不明になられてから、ふさぎ込むようになってしまいまして」
「……」
想像はできないが、桜が執拗に友達になることを追ってきた理由がわかった気がする。
「それを見かねて、私はあなたがた二人を護衛するように知人であるジルダ・アーミカを通してジューダス様に依頼したのです。桜様のご友人と護衛をいっぺんに行える人間を呼んでくれと……」
「ジルダと知り合いなのか?」
「ええ、彼とは何度か手合わせをしたことがございまして……そのうちにいつの間にか酒飲み仲間へと……いやはや、あのころが懐かしいですねえ」
……ジルダ・アーミカと手合わせと言うことは、戦場で殺し合いをしたということ。あの爺さんと殺りあって生きているとなると、この人、相当な手練れだということだ。
「どうかしましたか?」
「いや……確かに、俺が護衛で長山が友人と言うのは正しいなと思ってな。あいつはいつもふざけた様にふるまう奴だが、誰とでもすぐに友達になれる」
「ふむ、確かに気のいいお方ではありますが」
石田は少しだけ間を開け、ちらりとこちらを見る。
「なんだ?」
「桜様は、あなたの方によくなついておいでですよ?」
「……冗談」
「執事は主絡みの事柄に嘘は申しません」
石田さんはにこりと微笑み碁石を打つ。その笑みはお世辞と言った風ではなく、俺は何か黒いモヤのようなものを心に覚える。
「第一、気に入られる要因がない」
思い当たるだけでも、桜を怯えさせたり、邪険に扱った覚えしかない。
「……ん~そうですね。桜様は目の良いお方です故、あなた様の優しさにお気づきになられているのでは?」
「人殺しなんて職業の奴に、優しい奴なんていないと思うが?」
「何を言ってるのですか?あなたは人を救っているのでしょう?」
なんだろう、他人に言われるとなんか気恥ずかしいものがある。
「人を殺して、その何百倍の人間を救っているのならそれは、殺したのではなく救ったというほうが正しいですよ?」
落ち着き払った声で、石田はウオッカを一口含み、同時に取られた碁石を悔しそうに見つめる。
「……それでも殺された人は、罪のあったものばかりじゃなかった」
取った白石を俺は指ではじき、ガラスのテーブルの上を滑らせる。
「中には勝手にリーダーとしてあがめられて傀儡のような人生を歩んでるものも、平和を望んで助けをこう人間もいた。そんな人間も構わず、俺は殺してきたんだ。確かに行っていることが人助けだとしても……人殺しであることには変わらない」
「……やはりあなたは優しい人だ……桜様がなつく理由がわかりました」
「?」
何を納得したか分からないが、石田さんは満足そうにうなずく。
「ですが、おせっかいながら言わせてもらいますと、もう少し、お心を軽く、肩の力をお抜きになられるべきですな」
「心を軽く?」
「はい……あなたは今、抜身の刃のようです。触れるものを皆傷つける。だから傷つけまいとするあまり、自分の存在を否定しかけている」
「……俺は、自分の理想は決して否定しない」
「存じております。私が言いたいのは、もう少し肩の力を抜くことです。正義を行く者ならば、自分の行為に責任などを感じてはいけません。理想とは他と協力しなければ手に入らぬものと、他との関係を排しなければ手に入らないものもある。あなたのは後者だったというだけの事、人々を救っている時点で、あなたはたたえられるべき人物なのですから」
にこりと笑みを浮かべ、まるで子供に語りかける祖父のような優しさを孕んだ瞳を向けて。
「はい、いただきます」
「っ!?」
俺の黒石を更地に変えた。
「っ……まいりました」
「いや、危なかったです。あと少し早く勝負に出られていたら私の負けでしたね。いやぁ、楽しかったです。またお相手をお願いしてもよろしいですかな?」
「ああ、こちらからも頼む」
ノックオン。
「シンく~ん。お風呂空いたよ~」
ノック音とともにドアが半分ほど開き、桜が顔をのぞかせる。
「ああ、分かった」
「おやおや、桜様、髪がまだ濡れております。そのままでは御風邪を召されてしまわれますよ」
「大丈夫!」
「いえ、やはり執事である私が」
「大丈夫だって!それぐらい自分でふけるから!」
……そんなやり取りを見ていると、本当に親子のように見えてきてしまう。
中で軽くもみ合っている二人を置いて、俺は談話室の扉を閉めて、大浴場に一人向かっていった。




