第三章 衝突
雪の城。その周りを囲むように立つ五メートルを超える針葉樹の森の中。
荘厳かつ神秘的な森は依然変わらず威風堂々とその木々を雪で飾り、眠るかのようにこれから起きることを静観する。この古の森にとっては、自分たちの中で暮らす人間のことなどさえも些末なことなのか、警告をすることも、警戒することもなく侵入者を気にも止めずに受け入れる。
冬月家の城を落とすべく集った者たちは互いに互いの存在を知らずに他方向から城へ向かい、その行動を長山龍人のゴーレムと森の術式により探知された。
深紅の誤算は長山がゼペットの顔を知らなかったこと。
その為……目的の入り乱れた深紅 ゼペット ラスプーチンは必然的に三つ巴の戦いになるはずだった。
……誰も予想だにできなかったこととでもいうのだろうか?
その原因はやはりと言うべきか……ジスバルクゼペットのものであり。
一人の男の計画を一月遅らせることとなった。
その出来事とは……。
ゼペットが、深紅の仕掛けた罠に引っかかったのだ。
周囲の木々をなぎ倒しながら連鎖爆発を起こした中立の森。不知火深紅の早い仕事があだになったのか、撤去されたばかりのトラップは一夜にして元通りになっており、ゼペットはうっかりとそのトラップを踏んでしまっていた。
というよりも、最初からトラップなど気にしていなかったと言った方が正しいか。
爆音は森全体を揺らし、流石の雪月花の森も、予想外の騒音に驚いたかのように身を震わせて音を森全体に広げていく。
中心地には爆炎が上がり、木々の葉に積もった雪がナイフとともにゼペット目がけて降り注ぎ埋め尽くしていた。
「うぬぅ」
その中からひょっこりと現れたゼペットはそう低く唸り、辺りを見回すと。
「主」
隣の少女はうまく回避したのだろう。頭に青筋を浮かべて震えている。
もはや怒髪天を衝くとはこのこと、あまりの怒りで声がなかなか出ない程彼女の怒りは頂点に達していた。
「……の」
「がっはっは、いやはや驚いた。よもや罠があるとわ」
しかし、そんな状態の彼女に気が付かずに気軽に謝鈴に声をかけ、同時にゼペットは後悔する。
「こんの!バカ主ー!」
響く怒号。先の爆発よりも響きそうな大声で、謝鈴は主に怒鳴り散らす。
もちろんのこと、ゼペットはその迫力にぐうの音さえも出るはずがない。
「なんてバカなんですかあんたは!よりにもよって敵の目と鼻の先で!こんなブービートラップに引っかかる人がありますか!これじゃあ仕掛けた側もあきれ返りますよ!第一主は昔っから」
しばらくは彼女の説教を黙って聞いていた彼であったが、不意に顔を上げ、謝鈴の口を塞ぐ。
「どうやら、居場所がばれたようだの」
真剣な面持ちでそう状況を確認する主に、謝鈴は誰のせいだと必死に訴えようとするが
その掌に口をふさがれて、何やら奇妙なうめき声のようなものが漏れるだけだった。
「数は二つ。なるほどのぉ……なかなかに鼻が利くようではないか」
ゼペットは不敵に笑みをこぼす。
覇王を体現する彼であっても、この異常を知りこちらへ向かうものの威圧感は強大。
王としての本能か?そんな強大な存在を前に、ゼペットはすでに血が騒ぎ、その脳は戦わせろと理性の檻を叩き鳴らす。
中立の森は依然変わらずに変化を見せず、ゼペットと謝鈴はしばし構えたまま視認できない敵に身構える。
「来たか。……謝鈴」
気配が移動するのを止めたとき、ゼペットはそれが自分達を発見したことを悟る。
距離が離れていたにもかかわらずなかなか早い到着にゼペットは眉を顰め、右腕に臨戦態勢を伝えて身構える。
「……なんだ、あいつは」
もちろん、その驚嘆はラスプーチンたちも同じであった。
雪月花に訪れる理由などまるで皆無な人間でありながら、なぜか殺気をむき出しにしてこちらを警戒している二人の人間……彼らにとってはイレギュラーすぎる存在に首をかしげながらも、三人はゼペットの様子をしばしうかがう。
目前に現れた見ず知らずの巨漢の迫力は絶大。森を埋め尽くす存在感は、彼ら三人とは別の向きを向いた殺気であり、その灼熱のごとき覇王の覇気に彼らはどうすることも出来ずにいた。
「むぅ?もしやとは思うが、貴様らは冬月の城を守る番犬か?それだとしたらごつい奴がおるのぉ……それでは姫君が不憫だろうに」
ガハハと笑いながらゼペットは顎を撫でる。無防備な笑いは、隣で牙を隠す側近がいるからこその余裕。抜身の刃のように鋭くも冷たく殺気を放つ少女は先ほどまでのかわいらしい幼子の面影はなく、ただ主人を守る一本の剣を思わせる。
巨漢の隣で静かに佇んではいるが、彼女の照準は、すでにラスプーチンたちを捉えている。
その瞳に射抜かれ、少しでも殺気を放てば一足で踏み込んでくることをラスプーチンは悟り、潔くゼペットの前に姿を現す。
「よくわかったな……」
「なぁに、貴様等ほどの殺気が固まっておれば正常に感覚が機能している奴ならば誰だって感知できるわい……して、もう一度問うが貴様らは我の敵か?」
その言葉と同時に、隣の少女の大剣が小さく音を鳴らす。
しかしジェルバニスはそのセリフに口元を緩める。
「お前たちと同じ目的だよ」
ジェルバニスの目的をゼペットも察し、切りかかろうとする少女に片手で合図し、
少女はそれに従い、ジェルバニスがゼペットに近づくことを許可するかのように大剣にかけた指を緩める。
「冬月に敵対するものか……随分な奇遇よのぉ。よもや我と同じ時に同じ場所を攻めようとする輩に出くわすとは……」
ゼペットは近寄るジェルバニスの質問にうなずき、目前の男の全身をまじまじと見つめる。
優男のような顔とは裏腹に、その右袖の隙間から除く素肌は傷だらけ。彼が強敵であることを察するのには十分すぎた。
「……そうか、ならばこの出会いはもしかしたら主の導きかもしれないな」
首からかけた信じてもいない形だけの信仰の十字。それを一度だけなでて、ジェルバニスはそうつぶやき。
右手をゼペットの前にそっと差し出す。
敵意のない、握手を求めるそれとそこにいる誰もが認識した。
「むぅ?」
「俺達と手を組まないか?遺産は半分お前にくれてやる。もちろん仲間になれとは言わない。共同戦線と言う奴だ」
ジェルバニスは手を差し出す。もちろん同盟は城を落とすまで、落としてしまえば生かしておくことはないが。
今ここで二つの強敵を相手にする理由はなおさらない。
そういう意図で同盟の証にとジェルバニスはゆっくりとその手をだし握手を求めた。
「なるほど。共闘というわけだ、しかも都合がいいことに我は金を求めてはいない。
つまりは主が考えているような連戦になることなく、我も背中を気にすることはなく安心してこの土地を貰い受けることができよう?互いの目的は合致せず、敵は同一。
なるほど、手を結ばないのは単なる愚者ということか」
ゼペットは納得したように首を縦にふりながら、右手をゆっくりと持ち上げる。
そのセリフに、ジェルバニスは生まれて初めて本心から主の導きに感謝をし……
それをすぐに撤回する。
雷の如く振るわれた右腕は、殺意はないが敵意をむき出しにその白い雪の大地に粉塵をまき散らしながらクレーターを作り上げる。
「!?」
ジェルバニスは理解不能のままとっさにその一撃を回避し、粉塵の中でひた笑うゼペットの鬼人にも似た純粋無垢な笑顔に、目前の覇王を理解する。
「悪いのぉ、我は覇王の道を行く者。ゆえに共に戦うは、我と契りを交わした仲間のみ。
同盟などという砂の楼閣のような姑息な手法で、自らの格を下げるのは願い下げよ」
ふふんと満足げに笑いながら、ゼペットは手を鳴らす。
その太く巨大な拳は、決殺を叩きつけるほどの威圧感。そこから漏れ出す王の気質は、威厳あるこの森でさえも敬服し、身を揺らし、葉を擦らせて称賛の歌を送る。
「なるほど……それは失礼した」
しかし、ジェルバニス、ボリス、アナスタシアは臆することなく戦闘態勢に入る。
胸元から取り出されたナイフを逆手に持ち、覇王の威圧を受け止める。
「酒も酌み交わさずに覇王と盟約を結ぼうなどと確かに非礼であった」
口では落ち着き払いながらも、しかしジェルバニスはナンセンスだと舌打ちを打つ。
ここでこの男と戦おうと何のメリットもなく、下手をすれば体力切れで雪月花の護衛たちに敗北するなどということもありえる。
正直ここはうまく戦意を喪失させて退却したいというのが彼らの内心であったが。
…………しかし、あちらのやる気は十分。
にらみ合いがしばし続き、互いが互いに出方をうかがう。
威圧は風となりゼペットとジェルバニスを穿つが、すでにロシアの自然でさえもこの二人の前には意味をなさない。
目前の覇王は俺達を撃ち滅ぼした後、冬月の城を落とすこともできる自信があるらしく、こちらが動けば襲い掛かるとその終始垂れ流される闘気から伝わってくる。
無駄な争いは避けたいが、逃げられそうにはない。
筋一本さえも動かせない硬直が続き、ナイフが雪を切り裂くたびに息がつまり。
心臓のの鼓動と同時にナイフが揺れ、ナイフが反射する光がゆらゆらと揺れる様子を見て、思い出したかのようにジェルバニスは呼吸を再開する。
その繰り返しが、数分間続いた。
動くことが出来ない。
後のことを考えてこの人間と戦えば、ジェルバニスは瞬時に地面にたたきつけられて果てるだろう。
全神経を集中して全力で当たらなければ、死あるのみ。
だからこそジェルバニスが動けずにいると。
「だが……」
とゼペットは笑いながら口を開く。
「我の配下になるというならば話は別よ。問おう、我とともに世界を獲る気はないか?ま
だ若い故に一国をも築けてはいないが、四十までには世界をこの手におさめて見せようぞ」
笑いながらゼペットはそんな話を持ちかけ、ジェルバニスは確かにこの男は覇王だと苦笑を漏らし。
「一つ聞こう。このロシアの土地も征服するつもりか?」
愛すべき祖国の行く先を問う。
「無論」
同時に、ジェルバニスの体が爆ぜ、示し合わせたかのように両脇の二人がそれに続く。
決裂は明白、嘘でもつけば丸く収まるのにと少女はため息をつき、巨漢の男と少女の一撃を同時に防ぐ。
「主!」
謝鈴の横をすり抜け、そのナイフを逆毛にゼペットに切りかかるジェルバニス。
「お前は未来を脅かす存在……ならば戦わん理由はない!今このとき、一時冬月の城を落とすことは忘れよう!」
敵を打ち砕くことのみを念頭に置き、ジェルバニスは迷いなく一閃を振るう。
「交渉……決裂」
屈託なく笑い、やっぱりななどと軽口を叩きながら、ゼペットは右腕でそのナイフに拳を叩き込む。
術式で保護されたナイフと拳がぶつかり合い、白雷のごとき火花を散らす。
「自己紹介が遅れたな……ジェルバニス・ラスプーチンだ」
「ジスバルク・ゼペット。世界を制覇するものだ」
一瞬の会話。火花が消えるまでというその短い時間で名を名乗り。
「ヌン!」
「はっ!」
その剛腕と銀閃を炸裂させる。
弾ける火花は術式の発動の欠片であり、そのナイフと拳が交錯するたびに、ゼペットの腕に刻まれる~粉砕~の術式とナイフに刻まれた~切断~という、術式による事象が、矛盾により互いを弾きあう。
術式の構成は互いに五分。なればこそ二人は互いにその身へと攻撃を与えなければ勝敗が決することはなく。
二人はそれを悟りながらも、互いに速度を下げることなく打ち合いを続ける。
「ほほう!我の拳をここまでたやすく捌くとは、貴様唯の軍人ではないな?」
その剛腕を振るいながらも、乱れることなく敵の急所を狙うゼペット。
その拳の速度は達人の振るう剣のごとき風切り音を発しながら矮躯を狙うも、ジェルバニスは姿勢を低くしてその拳をかわす。
「対大量破壊兵器専門部隊、最高司令官だ!」
からぶった衝撃により、巨木をなぎ倒すゼペット。その隙をついてジェルバニスはそのナイフでカウンターに合わせるように必殺の一閃を低姿勢から確実に狙う。
「ほほう!ロシアの最高司令官は他国とは比べ物にならんほど優秀だと聞いたが、成程確かにいい腕をしておる」
しかし、その速度をもってしてもゼペットの超人並みの反射神経の前に捉えることができずにゼペットが倒した巨木を両断し、舞い散る粉塵に紛れて両者は一度距離を取る。
「……俺もお前の事を今思い出したよ。流石は、たった一人で世界に宣戦布告をするだけはある」
「ふふん、褒めても何も出んぞ?」
「褒めるか……よりにもよって一番最悪なタイミングで現れやがって……資料通り、本当に何を考えてるのかわかんないよ、お前」
悪態のように舌打ちを打ち、ジェルバニスはナイフを構え直すと。
「構わん!偉大なる我の意向を、たかが軍人が理解できるはずもないわ!」
それに呼応するようにゼペットは拳を炸裂させる。
響くナイフと拳の乱舞はただただ無駄に森林を破壊していき、すでに五分近くの打ち合いを続けているにもかかわらず、二人の表情には疲れの色は見えない。
互いに一進一退の均衡状態が続く。
いや、続けさせていた。
【こいつ……手を抜いてやがる】
放たれる拳の速度と、反射の速度に差がありすぎることに、ジェルバニスはここにきて確信をする。
だからジェルバニスは彼の拳をいなすことが出来ていた。
そしてそれはつまりゼペットは、まだ遊び半分で戦っているということだ。
その事を内心で憤慨しながら、わかっていながら相手に本気を出させることが出来ない自分に苛立ちを覚える。
「そうれ!」
正面に放たれたゼペットの拳。
「なめるなああぁ!」
それをジェルバニスは、あえて大きく弾く。
「っ貴様!なぜ本気で来ない!!」
一喝とともに振るった一閃によりェルバニスは左の拳を切り上げで払い、ゼペットのあごを狙う。
「むっ!?」
先ほどまでのどの一撃よりも早い一閃に、ゼペットは間一髪で刃を回避するが、わずかに、ほんの刹那体勢を崩す。
「慢心は身を滅ぼすぞ!ゼペット!」
その好機を逃すことなくジェルバニスは体制を崩したゼペットに流動するように渾身の一撃を放つ。
だが。
「それは主とて同じであろうが!」
首の左頸動脈ををめがけて薙いだ渾身の一線を、ゼペットは指で受け止めて怒号を発する。
「……手加減など」
「否!!」
「っつ!?」
ナイフはゼペットの指から外れる気配はなく、ゼペットはナイフを引きよせ、ジェルバニスは眼前へと引き寄せられる。
「柄のみの剣で、どうして本気がだせよう!」
「!」
動揺の隙を見て、ゼペットは怪腕の一撃を左側から放つ。
ナイフは依然抜ける気配はない。
「っち」
それをジェルバニスはナイフを捨てて背後に飛び、その一撃を回避する。
「ガハハハ!どうした強きものよ! その刃を抜かねば死ぬぞ!!」
武器を失った男へ向けてのゼペットの渾身の一撃。
回避をした着地地点を狙っての一撃は、防ぐものがない今のジェルバニスには、その身に受けるという選択しか存在しなかった。
◆
「はっはぁ!」
走るボリスの拳は謝鈴の細き体を捉え、白き大地に叩きつけてその臓腑をぶちまける。
「よっしゃぁ!」
喜び勝利のポーズをとるボリスだが
一転。
背後に現れた少女により、大剣の一撃によって文字通り弾け飛ぶ。
振るわれた刃から発せられた爆発。グレネードなんてものではなく、至近距離にて無反動砲を叩き込まれたかのような爆風を一身に浴び、吹き飛びながら男は巨木にぶつかり、それをへし折るというパターンを3度繰り返して雪へと沈む。
「っつ!なんて固いんだ!この化け物」
しかし~爆砕~の術式保護を入れてもなお、その巨体へのダメージは皆無であり、痺れる自らの手を抑えて謝鈴はさらに疾走する。
風のように攻撃を重ね、大剣を持っているとは思えない速度で踏み込み、立ち上がる前に謝鈴は容赦なくボリスの全身に三度斬撃を叩きこむ。
「っぐあ!?」「ふぅう!?」
悲鳴にも近いうめき声は両者のもの。かろうじて刃はボリスの体に傷をつけるも、その代償に謝鈴は手の親指のつけ根が避ける。
「男の癖にガードが固いんだな」
謝鈴は軽口を珍しく叩き、目前の敵を見る。
その手には謝鈴だったものが握られ、ボリスはそれと目前の謝鈴を見比べ。
「ふぅん、幻影か」
とようやっと理解する。
「いかにも。もともとは誘導用のものだが、お前みたいなバカには有効だったようだな」
そう謝鈴はいうも、内心では仕留めきれなかったことに奥歯をかみしめる。
どうやら自分の所有する術式では、この男の体全体に掘り込まれている~硬化~の上位術式を超えることは出来ない。
「なかなかの女だなぁ……殺すのは惜しいや」
ボリス自らに刻まれたv字型の傷をさすりながら軽口を返すが。
「気色悪い!」
謝鈴は一括して刺突の構えのまま突進する
斬撃で力が足りないのであれば、その突進速度を加えた一点集中の圧力に頼るしかないと考えての疾走。
速度は吊り上り、暴走車の如く謝鈴は直進する。
「ハアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
「やっべ」
予想は的中。ボリスは今までとは違い、その硬度に任せた突進だけではなく回避行動を開始する。
「突きってのは頭いい考えだが、そんなに早くちゃ軌道修正は出来ねぇだろ!」
体を捻って正中線をずらしたボリスは、空振りし通り過ぎる謝鈴を両断しようと拳を振り下ろす。
が。
しかし反撃を試みる巨腕の手刀が放たれる寸前、少女はさらに加速しその場を駆け抜ける。
「っまだ速度が上がんのかよ」
通り過ぎた謝鈴の残像を切り、ボリスは即座に少女の姿を目で追う。
「こっちだ阿呆が!」
しかし、振り返るとそこには謝鈴の姿はなく、代わりにまたも背後に少女の声をボリスは聞く。
「んなぁ!」
いつの間に?という思考よりも早く繰り出された背後からの刺突は、背中の肉を裂き、赤きものを噴出させた。
◆
四十五度の角度で左上方から振り下ろされる、重さ推定二十トンで俺の脳漿をまき散らす十五センチの拳。
俺の望んだとおり、正真正銘本気で放った拳なのだろう。
武器はなく、その速度をかわそうにもどうやら俺の反射神経では避けられそうになく。
俺は自ら固有の術式を始動させられる。
拳の到着まで0.5秒……。
術式を始動するには十分すぎる。
この術式は言葉ではなく、自分の回路を【覚悟を】つなげれば【形にすれば】いいだけだから。
【自らは柄……刃は我に合わせ、変化し融解する】
◆
「きゃっ!?」 「むぅ!?」
吹き飛ばされる少女の小さな体は、同じく吹き飛ばされた巨漢に抱き留められて止まり、雪の上に着地する。
「ふむ、息災で何より」
「っけほ……なにのんきなこと言って……って主、血が!」
「うむ、打ち負けてしまったわい。がっはっは、なぁに大したことない」
その言葉から、謝鈴は彼が劣勢であることを悟り、自らも相手の骨に阻まれて軽傷を負わせることしかできなかったことに一筋の汗を垂らす。
正直まずい。
迫りくる敵へと謝鈴は剣を構え直し、森から顔を覗かせた自らの敵を見据える。
「形勢逆転だな。覇王よ」
「ふ~さっきのはなかなか痛かったぜ?お姉ちゃん」
二人の追跡者を睨みつけ、二人は背中合わせに臨戦態勢を取る。
「……主、剣は必要ですか?」
自らが構えている大剣に一度視線を落とし、謝鈴は背後にいるゼペットにそう問う。
それは、相手が本気を出さざるを得ない相手かを問う言葉。
「いらん」
しかし、背後の英雄は自らの心配が恥ずかしくなるほど頼もしく、見なくともわかる笑顔でそう断言する。
「そうですか」
それに彼女は負けじと笑い返す。
「主に負けていては右腕失格ですね。しょうがない、私ももう少し頑張りますか」
そう笑い飛ばし、謝鈴は自分の敵へと視線を戻す。
「俺の刃を見て、まだ本気を出さないとはな……」
ジェルバニスは苛立ちを覚えながらそう吐き捨てる。
「ふん、貴様の刃とは、この右腕にかすり傷をつける程度のペーパーナイフのことを言うのかの?」
「何?」
明らかな挑発にあれは度し難いものを覚えたらしく、殺気を散らしながらゼペットの間合い寸前に立つ。
「笑止!ならば見せてやろう。本当の技というものは、常に一撃必殺を謳わねばならぬと言うことを!」
その怒声とともに、ゼペットは右腕に刻まれた術式を起動する。
◆
黒き鎧は冬の森をひた走る。記憶はなく、体の感覚もなく、そして自由もない。
ただ命令のままに戦い、命令のままに死ぬ人形。守るべきものは既になく、壊すべきもののためにひたすらに蹂躙するそれは、今新たな命令のままに目的へと走る。
自らを呪ったことはなく、その運命を半ばあきらめている。昔は確かにもっていたものは今では完全に記憶から抹消されている。ならば憂うこともないと、荒れ狂う命令の奥で、彼はそう穏やかにつぶやく。
全ては遠き夢の続き。この暴走が終わるまで、彼はただ瞳を閉じていればいいのだからとその戦士は冬の森を走る。
ただ目的を叫びながら……。
戦いの音を聞きつける。
◆
「おいしいところは!俺がいただくぜぃ!」
「ぬうう!?」
発動を始めたゼペットの腕が、無数の鎖により縛られ、術式が強制的にキャンセルされる。
それとほぼ同時に回避する間も与えずに、神代の宝具が天上より降り注ぎ、煙にも似た白煙をまき散らしながら標的を囲み、その場にいた人間の動きを完全に停止させる。
「宝剣の牢獄……時間をかけすぎたか!」
ジェルバニスは舌打ちをする。完全に想定外の展開……閉じ込めたということはこのまま今の段階ではこの刃がこちらに向くことはないだろうが……。
「ほう、無限の剣か……?しかしどこか……」
「主!これ全部本物です!」
剣の柵に戸惑う謝鈴とは裏腹に、ゼペットは落ち着きはらってその刃一本一本を興味深そうに眺め、腕に巻かれた鎖を見やる。
「ゴルディオスの結び目か……なるほど、術式が完全に停止しておる。何の因果か、我にこの宝具をあてがうとはのぉ、……あの小僧が今噂の英雄の体現者か」
長山龍人のうわさはゼペットの耳にも届いており、とんでもないものがいるもんだとゼペットは鼻を鳴らす。
【となると……あいつももちろん来てるんだろうな……やれやれ、これは骨が折れるのぉ】
そう思考を巡らせゼペットは一度その場に座す。
「主!」
何をしているのですか?と問い詰める謝鈴をゼペットは左手で静止する。
「まぁ、そう急くなシェイ。もしかしたら敵を減らせるかもしれんぞ?」
何を……と続ける謝鈴の言葉を遮るように、隣にできた檻から爆炎が巻き上がる。
「おりゃああ!」
どうやらボリスが宝剣に体当たりをして、剣を粉砕したらしい。
「やれやれ、もったいないことするのぉ」
あははと笑い、ゼペットは今しばらく傍観する姿勢を取る。
「この程度の刃物で、俺を倒せると思うなよ!」
凶悪な笑みを浮かべて、拳を鳴らすボリス。
「はぁ……どちらにせよこいつに様子見なんて言葉は存在しないか」
それに続くように、ジェルバニスが檻を破る。
「覚悟しろよ!」
ボリスは構えを取ってにやりと笑い 、長山はそれに二歩後退する。
「……こりゃまずいな」
冷や汗を垂らし、その姿を好機と二人は同時に切りかかり。
「なんてな」
長山はいたずらっぽく舌を出す。
『FIRST ACT!』
速力は雷。術式によって放たれた二つの弾丸は、両者の脳天目がけて走る。
唯でさえ避けることのできない弾丸を、完全に気配を消した状態で打ち抜かれたため、二人の侵略者は声を上げることも反応も間に合わずにその鉛玉を受け入れる。
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォン。
音速を超えた世界は、二人の体が吹き飛ぶのを確認してから銃声を迎え入れる。
「……やはり居たか。こんなにも早く死合うことになろうとはな」
「今の技」
驚愕する謝鈴と、笑みを浮かべて鎖を外すゼペット。
「此度の遠征はなかなかに骨が折れるぞ?」
その言葉に謝鈴はうなずく。
それほどまでに、雪の森に潜む狩人の一撃は、的確かつ驚異的な攻撃だった。
「ナイスだ、深紅」
どこにいるのかもわからない男に長山は称賛の言葉を送り、ゼペット達の柵へ体を向ける。
「まぁ、こういうわけだ。お宅らもああなりたくなかったらさっさと逃げた方がいいぜ?」
屈託なく気軽に長山は笑うも、その殺気は常に刃の如く走り、光る刃はいつでも殺せるという脅しを一部の隙もなく叩きつける。
「ふむ、確かに戦わぬ方が得かもしれぬが、しかしな貴様ら、日本人のくせに残心と敵付という言葉も知らんのか?」
「敵付?」
その言葉に長山が疑問符を浮かべると。
「長山!」
深紅の叫びに、長山が不意に振り向き……と同時に長山の頬を、折れた剣が掠り、鮮やかな赤色を染み出させる。
「うそでしょ?」
目を凝らして長山は未だに白い雪の煙が舞う場所を見つめ、死んだはずの人間が立ち上がるのを見る。
「……っかぁ……死ぬかと思った」
ロシアに雪が降る。そんな当たり前の事さえも神秘的に、さりげなくかつ怪奇に、その場に雪は舞う。
雪は立ち上がる二人から……いや、二人を包み込むようにその雪は生命の息吹とともに、二人の男の無事を喜び、長山龍人を威圧する。
「っつ!?」
ここにきて長山は、自らの失態に気付く。
予想外の敵の登場に加えて、その敵が何やら強大な術式を発動させようとしていたため、深紅の意思を組んで村に被害が出ないように発動を強制的に止めたが……。
本来ならばイレギュラーな存在よりも、あらかじめ予告を受けていた人間の人数に気を配るべきだったのだ。
そうすれば、今現在目前で渦巻く氷龍の術式を発動している人間を。
深紅と同じく森に紛れている第三者の存在を確認することができ、先ほどの必殺の一撃を阻まれることなく、二人の敵を排除することが出来たのだ。
「っくそ」
絶対的な優位は、絶望的な劣勢へと変わる。
敵は三人。インファイトをすれば圧倒的に不利な状態で長山は捉えた巨漢の事も気にかけなければいけないのだ。
「ふい~死ぬかと思ったぜ」
首を鳴らし立ち上がる巨体は、胸にめり込んでいる弾丸を摘みとる。
「氷の壁を突き抜けて吹き飛ばすとは……相当な破壊力だが、惜しかったな」
それに続くようにスーツの襟を正しながら、ジェルバニスはゆるりとナイフを拾い構える。
殺気は十二分。雪に紛れる第三の殺気を合わせれば、現在三つの銃口が長山龍人に向けられている。
「どうやら、雪で火薬が湿っちまったようだな……」
この極寒の地で汗を垂らしながら、長山はそう冗談を漏らし、剣を補充する
深紅は何を考えているのかは、この状態では長山は理解することはもはや不可能だ。
しかし、一つだけわかることは、恐らくは動かないということであり、本気で見捨てられるかもしれないという冗談にならない冗談で心を落ち着かせる。
「残念だったな小僧!この術式はロシア伝統の絶対防御!いくら早い銃弾だろうと、これだけ吹き荒れる吹雪の中では、流され軌道を変えて速度を落とす!そうすりゃあとは手持ちの障壁程度で攻撃は防げるし、近接戦闘をしようと飛び込もうものなら吹雪であっという間にその身を切られるぜ!ってか本当にぎりぎりで間に合ったな!」
「自らの手の内をさらすなバカ野郎」
勝ち誇り自慢をするボリスに、ジェルバニスはそう叱責した後にその身を構え。
「っく!?」
結界を出て、刃を構えようとした長山の背後を取る。
「っはっ!?」
空振る一閃。その銀色が体に触れるよりも早く長山は身をかわし、
側転をして間合いを取る。
「早いなぁ……まいっちまうぜ」
長山はその速度にさらに汗の量を増やし、自らの幸運に感謝する。
今の一撃、長山は完全に見えていなかった。
ただ殺気を感じてよけたら後ろにいた。
そんな感じに九死に一生を得た長山は、すぐさま走り寄る巨体に気が付く。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
拳を振り上げて走り迫る巨体から繰り出される、長山の頭部目がけての粉砕の一撃。
「!?」
横に飛ぶと同時に響く轟音。
空振り大地をえぐった衝撃により、長山は雪の上に投げ出され白い雪の冷たさを二~三度全体に染み渡らせたところで体制を当て直す。
「もらったぞ!!」
「しまっ!」
そして同時におびき寄せられてまんまとジェルバニスの足元に倒れこんだことを呪う。
「イージス!!」
長山は反射的に振り下ろされた刃に盾を出す。
取り出された盾は最硬を誇る歴史上唯一無二の絶対防御。いくら達人といえど、ナイフに敗れることはありえず思考を反撃に切り替える。
が。
その絶対防御は、ナイフが触れると同時にバターのようにナイフの侵入をゆるし、融解する。
「!?イージスの術式が……」
長山は驚愕よりもはやく、盾で隠されたその身をさらけ出す。
回避はおろか、反撃に転じようと武具を取り出す彼は無防備、剣はまだその手にはなく、ナイフの一撃が首へと走る。
◆
首へと走るナイフ。逆手ではなく真っ直ぐに俺の喉元を突き刺しに来た。
その銀色の薄い鉄板は、俺の鎖骨と鎖骨の隙間をとおって、奥へと入り込み、俺に風穴を開ける。
はずだった。
ナイフが走る瞬間。長山喉に刃が届くギリギリのところで、その刃は空を飛ぶ。
鋭利な刃物で切り取られたようにナイフは切断面がきれいに現れ、そしてその場には、折れたナイフ以外の刃物は見当たらない。
「あ……」
ジェルバニスから言葉が漏れる。長山に対してではなく、このナイフを折った者に。
そう、目前には黒い人型がいた。
ジェルバニスと俺の間に割ってはいる形で、頭上からそれは何の前触れもなくあらわれて、二人の前に跪いている。
そして気づく。術式をかけられたナイフを、これは手刀で切り取ったのだ。
「……SA」
黒き怨嗟の言葉は深く、どこまでも底の見えない憎しみははっきりとした色を以て目の前に漏れ出す。
ナイフを切ったのではない。
自分が目前の男を殺すと同時に、こいつは私の首をはねようと現れたのだ。
頭上の影に気付いて動きを一瞬止め無ければ。
「まずい」
こいつはやばいものだとどうやらジェルバニスは悟ったらしく、とっさにその場から一歩退く。
しかし
「なんだてめえは!」
ボリスは突然の異邦者に怒号と共に拳を放つ。
「止せ!!」
ジェルバニスの静止は間に合わない。
放たれた手刀はボリスの渾身の一撃を左腕でいなし隙だらけの体へ、まるで乾く前の紙粘土の人形に腕を突っ込むかのようにあっさりと、肉を裂き貫く。
噴出する赤い液体。 その光景はまるで赤い雪のようで、高く高く舞い上がった血飛沫は、吹雪の中で凍り、雪のように飛散する。
「ボリイイイイイイイイイイイス!?」
「――――――――――――――――――――――!」
顔のない怪物は生物ではありえない咆哮を上げ、ボリスの体が倒れるよりも早く、有無を言わさず長山の頭部へと手刀を走らせる。
「ふ……う?」
もはやその速度は人では視認できない。
だが。
「え?」
自分でも驚愕の声を漏らしながら、英雄はそれを避ける。
「っつ」
心臓がうなる。
ジェルバニスの攻撃を止めさせて降ってきた黒いもの。
長山その一撃を避けた後で、これを敵として認めた。
つまり完全に無意識の反射だけで、この一撃をここまで的確に避けたのだ。
その直感は危機察知能力を超えて、未来予知にも近い偶然。
しかしそのおかげで彼は頭部切断を免れて頬を抉られるだけで済んでいた。
「なんだってんだこりゃ?」
その叫びは敵と自分に向けてのもの。彼自身理解が追い付かない。
当たり前だ、自分の体で無いかのように、的確に敵の攻撃を回避しているのだから。
体と脳が離反してしまったかのような錯覚に陥り、英雄は軽い吐き気を催す。
しかし体は確実にその攻撃を回避し続け……それ以上のことをすることはできなかった。
反撃など思いつきもしない……それほどこの黒い物体はおぞましかった。
「っぐ!?」
初撃の手刀が外れたのを確認し、続く連撃も回避されると確認した黒い物体は体を回して回し蹴りを放つ。
「っ!?太極拳?」
軌道は緩やかに上へ上がる曲線。
しなるように放たれた蹴りは、速度を急速に加速させながら首を狙う。
それは打撃ではなく斬撃。金属音を掻き鳴らしながら標的を狙い撃つ。
「ぐっ!?!畜生が」
半身になった状態で放たれた一撃を、また反射のみで屈んでかわす。
いや、正確には反射とは違う。反射ならば、敵の攻撃をここまで正確に回避することなんて不可能だ。
英雄にはそこに攻撃が来ることが分かっている。理由は知らないが、確実かつ無意識に、攻撃を先読みし、敵の攻撃よりもワンモーション早く行動を開始している。
そう、まるで幾多の戦場を駆け抜けた英雄のように。
「SAAAAAAAAAAAAAAAAA」
しかし、未発達かつ生身の人間である長山が、仮身を凌駕する速度で攻撃をしかけるそれの速度についていける筈がなくその回し蹴りにより、こめかみを抉られる。
「がっ!?!」
傷は浅い。だが、吹き出る血は多量で眼前は赤に染まる。
「RAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」
視界を取り戻すために血を拭うが、それが完全なる隙だったことは明白だった。
赤が拭われると同時に迫りくる手刀による突き。
その瞬間に長山龍人の走馬灯が脳内を駆け巡る。
が。
「SECOND ACT!!」
「SAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」
一瞬だけ見えたのは俺と手刀のわずかな隙間から現れた一発の銃弾。
そのあとに聞こえたのはクロイモノの指が砕ける音。
「!?????????」
骨がひしゃげるような音が眼前で響き渡り、それが森に木霊する。
「AAAAAA」
クロイモノはすぐさま身を引いて間合いをはかろうとするも。
「逃がすか!」
全方向から先ほどの銃弾が追撃を仕掛ける。
「KUUUUUUAAAAAAAAAAA!」
吹き出る黒い液体は雨のように降り注ぎ、白い雪に染み込んでいき蒸発する。
「ZAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」
奇声を発しながらも、それはひるまずに体制を立て直して銃弾を弾き始める。
手刀・足刀・四肢という刀を駆使し、先の一連の奇襲以外の銃弾をすべて叩き落とす姿は化け物以外に形容は難しい。
だが、そんな化け物にも負けない程寒気のする暗殺者がもちろんのことその程度で攻撃を止めることはない。
指が引きちぎれるのではないかと長山が心配してしまうほどの速度で不知火深紅は銃弾を打ち続け、あの化け物の動きを完全に停止させている。
なにより、この銃弾の嵐の中で誰一人としてその暗殺者の居場所を特定できずにいるという事実がその場にいた全員を震撼させる。
セカンドアクトは不知火深紅が所有するハンドガン・クローバーの特殊弾丸の一つであり、発砲と同時に放たれた弾丸は一度異空間へと飛ばされ、任意の空間から角度・方向を指定して放つことが出来る弾丸。
射線、銃声、薬莢、その全てが異空間から現れ、発砲の痕跡は死体と共に横たわり、
場所 時間 痕跡その全てを敵に気付かれること無く穿つその弾丸は、不知火深紅と銃弾の関係を完全に隠蔽し、常に死角から銃弾を叩き込めるという特性は、暗殺武器至上最悪の兵器と呼んでも過言ではなく、仮身でさえもこの銃弾を回避することは不可能である。
しかし、その空間判断能力は並大抵の人間には扱うことは到底不可能である。
一発だけならばまだ使えるものもいるであろう。だがそれを戦闘中に、リロード込みで絶やすことなく常に死角から化け物に叩き込み続けるとなるとどうだろう。
放つタイミング、リロードの時間を含めた効率的な波状攻撃方法、そして何より、敵がどの銃弾をどのように弾くかの先読み……。
深紅は今、その全てを一つ一つをこなしながら、敵を包囲するように銃弾の全方位波状攻撃を仕掛けている。
この状況判断能力こそ、彼を最強の暗殺者 死帝たらしめている所以である。
「長山!」
どこからか声が響き、気がつくと目前には
リロードと速射を繰り返しながら敵へと失踪する暗殺者の姿があり。
ここにきてその場にいた人間全員が不知火深紅の姿を捉える。
「下がってろ!」
深紅はこちらを見ずに長山に離れるように命令する。
「言われなくても近づくかよ!」
彼の眼前でさらに深紅は跳躍し、目前の敵に特攻を仕掛ける。
「ガッ!?」
速度は高速……引き金を引いていないのに今なお敵に降り注ぐ銃弾に
黒い者は全能力を注いでいるそれは、見えていながらも深紅の到着を阻止することはできなかった。
「RAAA!」
最後の銃弾を弾き切り、とっさにクロイモノは拳で深紅に応戦しようとするが。
「遅い遅い……」
既に深紅はそれの頭上に到達していた。
「邪魔だ」
開かれる黒い瞳は闇よりも深く。 命を刈り取る事を本能的に敵は察する。
「!」
反射的に放たれたクロイモノの拳。
しかしそれを上回る速度で深紅は反転をし、拳は空を切るのみであった。
晒される無防備な体。その心臓部に銃口を重ね。
「キエロ!」
黒きものに牙をむいていた術式が五つ折り重なるように、銃口の前に姿を現す。
拳を粉砕した弾丸が計7発。
その全てが心臓部の一点にほぼ同時に連続で着弾する。
銃声は爆発のような音を立てて空間を歪ませ、甲高い音に続いて粉塵が光り輝き舞う。
「ぬ……これはこれは」
「……綺麗」
その美しいまでに洗練された一撃は、ゼペットと謝鈴でさえも驚嘆するしかなかったようで、戦場であることを忘れたかのような間の抜けたつぶやきが聞こえてくる。
「っち!」
しかし、深紅は舌打ちを打った。
全身全霊の一撃を心臓に叩き込んだというのに、そのクロイモノはまだ倒せてはいなかったのだ。
「SA……ZA」
深く食い込んだ七つの銃弾はは厚い装甲を砕き体に大きな空洞を空けるも、両断には至らず、体が繋がり、動くというだけでもそのクロイモノは戦闘を続行可能だった。
「RAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」
雪の霧から延びる腕、それに深紅は吹き飛ばされて吐血をする。
「ウグ………ハァッァ!?」
ここから見ただけではすこし掠っただけにしか見えなかったが……深紅は臓器を直接傷つけたような吐血をする。
「深紅!?」
「っつ、化け物め」
深紅の傷が深い。
相棒の状況に気づいて駆け寄ろうとしたときには遅かった。
長山龍人の引き抜く剣よりも早く、その黒きものは自分の血で黒く染め上げた左腕をかざし深紅を射程距離に入れており……。
「!?」
「GURUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」
覇王の一撃により、黒い者は顔面を殴りつけられてひしゃげる。
「!?」
現れたのは赤き髪を揺らす巨体。
いつの間に宝剣が散らされたのか?そんな長山の疑問よりも早く。
その巨漢の一撃は、その場にいた人間全員が苦戦を強いられていた敵をいともたやすく叩き伏せた。
その強さ、まさに覇王。
力の塊に近いそれは、何事もなかったかのように拳を一度払い。
「この戦い!仕切りなおそうぞ!」
ロシア全土に響き渡るのではないかと思ってしまう大声で、そう叫ぶ。
驚愕の声はもれず、雪月花に集った者たちはその姿をただみつめてしばらく呆けていた
「FGKEAJGEKEGAEE#GLKJSFWJEFKEWFJF」
雪の上を何度も転がりながら数十メートル吹き飛ばされた黒きものは聞いているだけで不快感を覚えるような呪いの言葉をまき散らし、数センチの皮だけでくっついている胴体を上下させながらくねくねと機敏に体をくねらせている。
さながらホラー映画のゾンビの焼死体だ。
「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」
そんなことを思いながらしばらく様子を見ていると、黒きものは一際大きな奇声をあげて這いつくばったまま跳躍する。
「!?ぬぅ?」
真上への跳躍ではなく、カエルのような斜め前に飛ぶ跳躍。
そんな気色の悪い体制で飛び上がった黒いものは、そのまま木々を蹴って森の奥深くへと消えて行ってしまった。
その手際は見事の一言であり、最初の跳躍から二秒かからないうちに、全員の視界は黒色を見失っていた。
「主!」
「ふむ、もう動けまいと油断したが……まぁ捨て置け。あのような輩は追いつめられると何をするかわからん」
「……は」
しばらくその姿を呆けてみていたジェルバニスは、我に返って斬られたボリスに駆け寄る。
「……ひゅー……ひゅー」
ボリスは生きていた。切られる寸前致命傷を避けたらしい。
「バカ野郎が」
ジェルバニスはそんなボリスを抱きしめ、術式を起動し始める。
今は絶好の機会。ここで隙だらけの二人を殺してしまえば、これからの仕事は楽になるんだろうが、いかんせんゼペットがあずかると言った戦いだ。ここで手をだすのは野暮ってもんだ。
まぁ、深紅がそんな感情論で止まるかどうかは別の話だが……。
そう長山は思案し、相棒の姿に目をやるが。
「ふん、死帝よ。あの二人を殺すのは、野暮と言うものだぞ?」
「……むやみやたらに殺す気はない。あの大男、即死を回避しているが肋骨を砕かれて肺が片方つぶれている。いかに術式を持ってしても、一ヶ月以内の戦線復帰は不可能だ。そんな人間を改めて殺す必要はない」
「ほほう、なるほど。流石は戦場の死神。ここからで二人の傷の深さがわかるのか?お前人殺し続ける正義の味方なんかより医者になった方がいいのでは……」
言いかけてゼペットは口を閉じる。
どうやら深紅の前で正義と言う言葉を軽々しく扱ってはいけないことに気づいたらしく、コートの下からのぞいている銃に一度目をやって、口を閉じる。
「……今撃たれてたら、死んでたのぉ……」
そう割と冗談にならない冷や汗を流し、ゼペットは話を変える。
「ところで死帝よ、なぜここにいる?」
「お前には関係ない」
「つれないのぉ」
無愛想な深紅にそうゼペットはカラカラと笑い、ぐるりと一面を見渡す。
「万物に死帝。ロシアの英雄に得体の知れない化け物。なかなかに面白そうだのぉ」
「……そうかい。お前こそなんでここに来たんだ?お尋ね者が観光もないだろうに?」
「うん?まぁ観光と言えば観光だの」
「なっ!?」
「しかしのぉ、気が変わった。我はここが気に入った。ここを奪うぞ?」
「……ふざけてんのか?」
「我は戯言は使わん」
ゼペットは挑発するようにそう笑いかけ深紅は銃を取りだす。
「そうか」
「だがまぁ落ち着け。戦いは仕切りなおしと言ったであろう?ここで軍人アレスの言うなりに戦えば村人が死ぬぞ?」
「……」
「貴様が正義で動く人間ならば、ここで戦うのはおろかと言うものぞ?暗殺は失敗し、奴らも今は戦える状態ではない。退き時としては妥当だと思うが」
深紅は一度ゼペットを睨むも、その屈託ない笑いを飛ばされ、瞳を閉じる。
「……わかった」
深紅はその言葉に納得したようにクローバーをホルスターに収め、踵を返す。
「長山、帰るぞ」
「……ああ」
深紅はそう一言だけ俺に告げて森へと消えていき、長山は赤くなった視界を戻すためにこめかみの血を拭い始める。
「主らも退け。その傷、早く治療しなければ死ぬぞ冥府より来たりしタナトスに見初められたくなければ、早々に治癒を施すしかない」
「言われなくたって分かってる!」
ジェルバニスは叫びながら、ボリスの傷に術式を施しはじめ、次いで現れた少女を見る。
どうやらあの少女がさっきの吹雪を巻き起こした張本人のようだ。
「さて、我もそろそろ退散するとしようかの……城攻めはまた今度よ」
ゼペットも何やら拍子抜けしたようで、雪月花村とは反対方向へとゆっくりと歩いていき。
「主!」
それを追う甲冑姿の少女ともども白に消えていく。
「くそ」
吹雪の音しか聞こえない森に、残ったのは四人だけ。
「……こいつはここでリタイアか」
傷ついたボリスの止血を終え、ジェルバニスはそう呟く。
雪の降り続く森は、いつの間にか風が強まり、その積もった白にさらに重なっていく。
森は静寂に満ち、風の音は雪に座れて、戦いの騒音を忘れていく。
戦いは今終了し。そして、これから戦争が開始されるのだ。
「やれやれ、こりゃ大変だわな」
そんなことをふと思い、長山龍人は肩をすくめて冬月の城へと戻っていった。
冬の森は英雄の称賛の歌を止め、雪はまた静かな静寂のものへと姿を戻す。
まるで先ほどの殺し合いを白昼夢のように、もしくは夢であったと思い込もうとするように、戦いの爪痕と赤色を白い雪で塗りつぶしていった。