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第三章 集結

屋敷に戻り、石田さんに醤油を渡して二三度どうでもいい言葉を交わした後、屋上へ向かうために階段を上がっていく。


先ほどの重労働により、体は休息を求めてあちらこちらの筋肉に激痛を走らせおり、手に持ったチョコレートをかじりながら今更ながら労働と対価の不釣り合いに気が付き始めていると。

「あーー!シンくんチョコレートなんか食べてる!」

背後から元気なもはや聞きなれた声が響き渡り、俺はややうんざり気味に背後を振り返ると、言うまでもなくというかなんというか当然そこにはこの家の当主冬月桜が餌をねだる子犬のようなまなざしでこちらに尻尾を振っている。

「……くうか?」

産業革命時の労働者の賃金にも負けずとも劣らないこの血と汗の結晶を。

「いいの!?」

両手を上げて喜ぶ桜は本当にうれしそうに喜び、半分に割ったチョコを渡すと幸せそうにぺろぺろと舐め始める。

「うまいか?」

「うん!」

まるで子犬の相手をしているみたいで面白い……。

「ところで、長山は何してんだ?」

「ふえ!だ、大丈夫だよ!ちゃんとお仕事してるよ!今私が一人なのは、ご不浄にに行ってただけで!」

いや、何をしているか聞いただけなのだが、なんでそんなに慌てているのだろうか?

まぁ、サボってないならいいか。

「そうか。一応確認だが、長山の奴になんかされてないか?」

「何かって?」

「いやらしい目で見られたとか、体を触られたとか、ベッドに入って来たとか」

「んなことしねえよ!!お前、俺の事どんな目で見てんだ深紅このやろお!」

やかましい。

「部屋に居たんじゃなかったのか?」

「遅いから心配で見に来たんだよ!ってかナンダ今の質問!!どれだけお前は桜ちゃんに俺に変なイメージを植え付けんだよふざけんな!」

「いや、お前ならやりかねないし」

「やらんわ!ねー桜ちゃん?俺そんな事してないよねー」

「んー確かに視線はいつもいやらしいかも」

「よし、殺す」

懐からクローバーを引き抜き、長山の額に当てる。

「えええええええええええええええ!なに?俺の視線ってそんなに気持ち悪かった!?ってかそれ酷いよね!視線がいやらしいって!?男の方言われたらどうしようもないじゃんかー!?生まれつきだよ!この眼は生まれつきだよおお、そんなことで殺されちゃうなんて、法治国家日本はいつの間に世紀末になったの!?」

「ここロシアだから」

「桜ちゃあああああああん!」

……なんだか段々可哀そうになってきた。

「で、本当のところはどうなんだ?」

「うん、冗談。降ろしてあげて、銃」

「了解」

命令に従い、俺はクローバーをおろし、裁判にかけられた哀れなセクハラ容疑者は晴れて死刑を免れて無罪放免となった。

いやしかし、とんだ魔女裁判だったな。

「冗談で眉間に銃口押し付けられてたまるかってんだよ!?」

「えへへ、今のはぼけるところかなーと思いまして」

「ぼけるところじゃねーだろーが!?下手したら頭飛んでましたよ!?飛んでますよね!?」

意外と悪乗りするんだな……桜って。

「まぁ、良いじゃないか。疑いも晴れたし」

「お前らがでっち上げた冤罪じゃね―か!だいたいなぁ……」



瞬間、長山の表情が変わる。 

それと同時に襲い繰るような悪寒と、何かが森に侵入したことを告げる鳥の鳴き声のような耳鳴りが脳内に響き渡る。

「!……深紅」

「ああ」

不意に全身に走る悪寒にも似た警告は、はじめてにもかかわらずそれが敵を感知したものなのだとすんなりと体が受け入れた。

冬月の森の周りに張り巡らされた感知の術式の中で、敵を感知したのは西の森。それと同時に雪月花の森にばらまいたゴーレムと視覚情報を共有している長山も敵を確認したらしく、双方からの包囲攻撃と俺は認識する。

「ど……どうしたの?」

「ん~どうやら仕事の時間が来ちまったみて―だ」

「ふえ!?もしかして……」

どうやら大体は状況を察してくれたらしく、桜は動揺しながらもパニックを起こさずに静かにしていてくれている。

「反応は?」

「ゴーレムの配置場所はまだ雪月花の森だけだ……雪月花の森には二人確認できたけどよ。冬月の森は、侵入者がいることしか分からねえ」


「冬月の森と雪月花の森双方からの挟撃か……敵の姿は確認できたか?」

感知の術式を超える隠密術を用意できないから挟撃で戦力を分散させるつもりか……。

内心で感心しながらも、俺はすぐに状況を長山と確認する。

「こっちの敵は二人。細身の女と大柄な男一人が森の中を直進してる。

あーダメだ詳しい装備まで見てやりたいが、やっぱりゴーレム全部の視界を共有してると解像度が落ちる……ぼやけて詳細までは見えない」

「この吹雪の影響もあるだろう、そこはおいおい対策を考えよう。特徴から考えて雪月花の森にいるのは次男のボリスに長女のアナスタシアだろう、森の結界はお前のゴーレムと違って敵の姿までは認知できないが、石田さんの情報から考えて背後にいるのがジェルバニス・ラスプーチンで間違いないだろう」

長山のゴーレムが気づかれることは恐らくない。

となると敵の狙いは背後から来る囮を迎撃に俺たちが出た間に、城を攻め落とすという陽動作戦か。

「前方に二人後方に一人か。少しばかり俺が不利だなぁ……」

長山の言う通り相手はロシア支部3トップ、一人で相手をするのは難しい。

「一度に二人を相手取ることはない。まずは桜の安全を確保することを優先する。

長山、お前はすぐに雪月花村へと続く道を封鎖して、この城まで一直線に誘導しろ」

「いいのか?城の中に敵を入れちまって?」

「あぁ……幸い脱出経路の方位に敵はいない。お前が封鎖を行うと同時に、俺は桜をチクシに続く脱出経路に送り出す。その後城の庭で敵を迎え撃つ」

「……あくまで人命最優先ってことだな」

相手は途中で襲撃されることを予想して手の内を用意しているだろう、ならば長山が逆に誘い込めば、相手の手の内を少しばかり殺すことができるはず。

城は損壊するかもしれないが、うまくいけば三人まとめて殺すことができる。

リスクに見合ったリターンは十分にある。

「決まりだな……いけるか?長山」

「んま、死なない程度に頑張りますよ」

「よし、桜。お前はすぐに石田さんと、この城から逃げるんだ 途中まで俺が護衛する」

時間はまだ残されている。幸いまだ距離が離れているため、桜を逃がす時間は十分だ。

だが。

「いや!」

俺の耳に飛び込んできた言葉に、俺は一瞬理解が追い付けず、沈黙をする。

「……な?」

「私一人逃げるなんてできないよ!」

「サクちゃん、村の人は絶対に傷つけさせない!だから安心してまかせて」

「違う!シンくんたちが戦ってるのに、私一人だけ逃げることなんてしないわ!

私は雪月花村領主!守られはしても逃げ出すことなんて許されないの!」

「桜」

「お願い!」

それは頭首としての誇りか、それとも使命感か?どちらにせよ桜は頑なにそう言い放ち、一歩も譲ろうとしない。

「桜、俺はお前の命を一ヶ月どんな手を使っても守りきれと言われている。つまりその手段を決めるのは俺だ……」

「そんな!シンくん!私は……」


そこで、桜の言葉は途切れた。

その理由は俺が黙らせたわけでも、ましてや桜が口をつぐんだわけでもない。

桜の声は、不意に起こった爆発音によってかき消され、そしてその時俺はどういうわけか先日の東京のことが脳裏をよぎったのだった。

                    ◆


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