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第二章 冬月 桜 15

夜。俺はいらだちながら森の見回りをする。

当然のように人の侵入した気配はなく、神の森には動物の息づく気配もない。


こんな日に限って、吹雪はそのなりを潜め、しきりに身を振るっていた木々は座禅の修行でもしているかのように押し黙って重圧に耐え忍んでいる。


上を見上げれば月光。

初めてみるロシアの月は、森の中からでも十分にその存在感を知らしめ、木々の葉の隙間からのぞく月明かりは、天から帯が垂れ下がって来たかのような神々しさを放っている。


まぁ、そんなものに感動する感性は持ち合わせてはいないのだが。


「……はぁ」

本日も森は異常なし。

何事もないのはとてもいいことなのだが、今日ばかりは冬月の城に戻ることはためらわれる。

原因は分かっている。


冬月桜の存在だ。

『私と、友達になってください』

その要求を、俺は蹴った。

……何故だ?

形だけなら、いくらでも演じられる。

なのになぜ、今回に限って俺はその言葉を拒絶したのだろう……。


考えれば考えるほど、頭の中は混乱していく。

思考は深く潜るごとにだんだんとぼやけて行き、気づけば意味もなく冬月の城を覆う森をぐるりと一周してしまっていた。


「……はぁ、何してんだ俺」

自分の馬鹿さ加減に呆れながら、俺は一度ため息を突き、空を見上げる。


神の森とは違い、今度ははっきりとその円形の形を見せる月光は呆れるように俺を見下ろしている。

ああ、いくらでも笑うがいいさ……。

「……ん?」

そう自嘲をしていると、森の木々の隙間から一筋の煙が立ち上るのが見える。


この場所からして、恐らくはあの墓守の爺さんの家なのだろうが、今の時刻は深夜二時……。

「こんな時間まで起きているのか?」

よくよく見ればうっすらと森の奥からは光が漏れ出しており、俺はふらふらとその光に連れられて爺さんの家まで向かう


どうせこのままでは、朝まで森の中を徘徊することになるのだ……ならば老人の夜更かしを気遣って様子を見に行くというのもいいだろう。


墓に足を踏み入れると、前回来た時同様、冬月の森に降り積もる白銀の氷の砂はその姿を消し、今は亡き先人たちが眠る墓標に刻まれた名前はしっかりと、その人間の生きた証を俺に知らしめる。


その墓を通り過ぎると、すぐに見える小さな小屋。

木でできた山の休憩所のような小屋は、墓とは打って変わって雪に埋もれかかっており、ライトも装備されていないのか、玄関前の電灯の代わりにランタンが一つ煌々と光を放っていた。


昼間に来たときは気が付かなかった、というよりも気にもしなかったが、この家は家と言うには少しばかり不便に思える。


村にはまだ電気が通っており、人里離れた村と言えど必要最低限の文明の恩恵は受けていた。

しかし、この家は別だ。

電気も何もなく、こうして夜でさえも明かりはランタンだけに頼っている。


……そんな過酷な状況の中で、ここに一人で住む老人は己の使命を守り続けている。


あの人の眼は、父親に似ている。

だからだろう。

このもやもやした気持ちも、もしかしたらここに住む老人なら原因を知っているのではないかと……そんな事を考えてしまったのは。


「おやおや?そこで何をしてるんじゃ?」

「!?」

聞き覚えのある穏やかなしゃがれた声は背後から響き、振り返るとそこには何やら荷物を両手に抱えたおじいさんがニコニコと笑いながら俺を見上げていた。


「煙が出ているから、てっきり中にいるものと思っていた」

「さっきまではそうだったんじゃがな、どうにもカザミネ君がシカを捕まえたからくれるというもんだからついお言葉に甘えさせてもらったんじゃよ」

「カザミネが?」

どうじゃ?珍しいじゃろお前さんには。と言いながら綺麗に切り分けられた生肉を見せてくるおじいさんだったが、俺としてはこのおじいさんがカザミネと面識を持っていることの方が意外だ。

「カザミネと知り合いなのか?」

「そりゃぁな。村に入らずにひっそりと森に生きる者同士仲良くさせてもらっておるよ。ほっほっほ」

夜の突然の訪問にも関わらず、おじいさんは気を悪くする様子一つ見せずにそう笑う。

「して話を戻すが、どうしてこんなところにお前さんがいるんじゃ?」

「あぁ。これからこの森で戦闘がおこるかもしれない……だから、見回りついでにあんたの安否を確認しに来ただけだ」

「おぉ、そうかそうか……気遣ってくれるとは嬉しいねえ……まぁ、せっかく来たんじゃ、入んなさい入んなさい。なんもないが、温かい飲み物程度なら用意できる」

「いや……しかし」

夜も遅く、恐らくこの老人は明日もあの重労働を行うのだろう……そう考えると、上り込んで邪魔をするのは悪く思え、遠慮しようとするが。

「いいからいいから、懐かしぃ故郷の人間と話すのは久しい……話を聞かせておくれ」

おじいさんはそう俺の手を引いて半ば強引に小屋の中へと招き入れた。


この感覚、どこかデジャブを感じるがまぁそういう時は思い出さない方が身のためだという格言だか迷信だかを聞いた覚えがあるので、先人たちの教えに今回は従うことにしよう。


温かい部屋の中には、当然のように暖房やらファンヒーターやらという文明の利器は存在せず、ぱちぱちと音を立てる暖炉からほんやりと流れ出る熱が、しみじみと冷えた体に染み渡ってくる。


「まぁまぁ、適当にかけなさい。今あったかい物でも入れるから……えーと確か……おぉあったあった。紅茶とコーヒーはどちらが好みじゃ?確かこっちに緑茶もあったの……あーじゃが、急須をこの前割ってしまったんじゃったなぁ」

「あまり気を遣わなくても……」

「ええんじゃええんじゃ、爺が勝手に好き勝手やってるだけじゃからな」

「……そう……ではコーヒーを」

「コーヒーじゃな……少し待っとれ」

そういうと、老人は楽しそうに鼻歌を歌いながら、慣れた手つきでコーヒーを入れ始める。

コーヒー豆を横に置いてある樽から取り出しているところを見ると、インスタントコーヒー等のような文明を象徴するようなものは無いらしく。

辺りを見回すと、やはりと言うべきかこの世界の時間は止まっていた。

電灯もなければ水道もない……。当然テレビやラジオと言うものも見当たらず、木でできた小屋にはぜんまい仕掛けの物は何一つ見つからなかった。


こうなると、エジソンの誕生がいかに世界を豊かにしたかがうかがえる。


「すまんなぁ待たせたわい」

そんなことを考えていると、老人はゆっくりと木でつくられた四角いコースターを俺の目の前に置き、その上に並々と入れられたコーヒーを置く。

「良い豆なんじゃが……少々癖がある味でな、お前さんの口に合えばいいんじゃが」

ニコニコと笑いながら、老人は俺の対面に座り、もう一杯のカップを一気に飲み干す。

「いただきます」

俺もその様子を見ながら、一度下の闇に眼を落とす。

まるでぽっかりとその部分に穴が開いたかのように深く、しかし曇りのない黒。

つやのあるその黒は、そっと持ち上げると少し波を作り、同時に深く濃い香りを届け、俺は一つ口をつけてみる。

「……!?」

一度口の中に広がる苦み……しかしそのあとにゆっくりと酸味が込み上げてくる。確かにその酸味に癖があるが、俺は気に入った。

香りも申し分なく、インスタントコーヒーの様にすぐに消えてしまうのではなく、喉元を過ぎてもその香りの余韻が鼻の中にじわじわと残り続けている。


……これは。

「うまい」

「そうじゃろそうじゃろ!?気に入ってくれたかのぉ!」

「えぇ、これほどにうまいコーヒーは飲んだことはない」

「ははは良かったわい。若い子にはあまりブラックは受け入れられないかと心配したんじゃがの、こればかりはそのままで飲ますのが一番うまいからの……いや気に入ってもらえてよかったわい」

おじいさんは嬉しそうにそうはしゃぎ、俺もそれに笑い返しながらコーヒーを楽しむ。

「こうして二人でコーヒーを楽しむのも、連れが先だって以来じゃのぉ」

コーヒーを片手に、おじいさんは懐かしむように暖炉の方を見て、ぼんやりと微笑む。

その微笑みは、幸せそうにも見えれば、どこか悲しそうな憂いも秘めており、ついつい俺は彼の過去について興味を持ってしまった。

「……そういえば、さっき日本を故郷だとか言ってたが……あんたも日本人なのか?」

「そうじゃよ。大戦がはじまる少し前にこちらに仕事の関係でうつり住むことになってのぉ……大戦が始まって、まぁこの村に隔離されたんじゃ」

「……そうなのか?」

「あぁ……日本とソビエトは一応は不可侵条約を結んではいたが、あくまでお互いに干渉しないことを取り決めただけ……にらみ合いは続いておったんじゃ」

……なるほど、あくまで相互不可侵……同盟国ではないから、終戦直前にああも堂々と北方に攻め込んだわけか……。

「つまりアンタたちは、スパイの容疑で?」

「そういうことじゃの。条約を結んだ以上、直接手出しは出来なかったのだろうが、日本人の一部はこうして極北の森の中に移住させられた……」

「……そしてこの雪月花村ができたのか」

「そんな簡単なもんじゃなかったぞい?家も休むところもない唯の森……。

財産も何もかも奪われて、儂らはここに捨てられた……。あの時の絶望感は……皆が皆……死を覚悟した」

……。

「でも、生き残った」

「あぁ、冬月源之助という馬鹿がおったからの」

「……それが今の冬月の祖父か?」

「そうじゃ。雪月花村初代党首冬月源之助……絶望して打ちひしがれてるやつらを無理やり立ち上がらせて……ここに村をつくるなんて言い出した大ばか者じゃよ……そんな大ぼら吹きの口車に乗せられて、何人も何人も犠牲を出しながら、やっとこさ人が住めるだけの集落を作り上げたんじゃよ……」

苦笑を漏らしながら、おじいさんは既に六十年以上も前の事を昨日のことのように話す。

やはりその表情はどこか嬉しそうで……やはりどこか悲しそうだった。

「……もしかして、外の墓は」

「あぁ、雪月花村ができる前……できた後。死んでいった儂の仲間たちじゃ……。

 凍死したもの、獣に食われたもの……天寿を全うして憎たらしいくらい幸せそうな顔して死んでいったもの……死に方、時期は人それぞれじゃったが……今はみんな同じ墓の下で眠っておる。みーんなのぉ……はぁ、まったく。どうして儂一人だけ残ってしまったんじゃろうのぉ」

コーヒーを飲みほし、おじいさんは笑いながら席を立つ。

「もう一杯どうじゃ?」

「あ。いただくよ」


カップを渡すと、おじいさんは台所へと戻って行きもう一度同じ工程を繰り返す。



「……そうそう。連れと二人で暮らしておるときはのぉ。こうしてコーヒーを作るのが儂の仕事だったんじゃよ」

興が乗ったのか、今度は背中を向けたまま話しかけてくる。

「……そうなのか。 道理でおいしいはずだ」

「ほっほっほ。まったく、若いのに世辞がうまいんじゃのぉ君は」


お湯が沸いていたからか、二杯目のコーヒーは先ほどの半分くらいの時間で出来上がり、俺は引き続きコーヒーの香りを嗅ぐ。


彼とその奥さんの幸せな時間が詰まったそのコーヒー……どおりで深くうまいわけだ。

「……なぁ」

「なんじゃ?」

「……あんたはどうして墓守なんてしてるんだ?」

「言ったじゃろ?ここにいるもの達を忘れないためじゃよ」

「……忘れない方法ならいくらでもある筈だ。なのになんであんたは、こういった形に残る方法で仲間を忘れないようにしているんだ?」


俺の質問に、老人は一つ考えるような素振りを見せた後。

ゆっくりと俺を見て。

「……それが儂にできる償いだからじゃよ」

そう……懺悔するように呟いた。

「償い?」

「あぁ……今でもな、時々思うんじゃ。もっとうまくやっていれば、犠牲になった仲間を救えたはずじゃと……もっともっと多くの人間を……救えたはずじゃと……と。

だから、儂は今もこうして……わしの所為で死んだ仲間の為に、墓守を続けている」


……同じだ。

心の中でそう呟く。

彼は俺と同じだ。


「……なぁ……一つ聞いてもいいか?」

「なんじゃ?」

「アンタは……どうして笑えてるんだ?」

「?」

「……俺は笑えない。間違っていないはずなのに……親父と同じように、生きてきたはずなのに……どうしても笑えない。なぁ、どうしてあんたはそうやって笑えるんだ?」

自分でも、支離滅裂な質問だという事は分かる。

しかし、それでも俺は、その答えが知りたかった。

と。

「……確かに、もっと救えたかもしれんし……この行動もすべて、償いかもしれん……じゃがの、少なくとも儂は楽しかった」

胸を張って、おじいさんはそう答えた。

「……楽しい?」

「あぁ。あいつらと必死に生きた時間は……何よりも楽しかった。じゃから今でもこうして笑っていられる。後悔だらけの人生じゃったが……其れだけは確かじゃ」

満面の笑みを浮かべたまま、そう誇らしげに胸を張る老人の姿はまぶしく。


そして俺にはまだ、彼の言っていることは理解できなかったのだ。



おじいさんと分かれ、俺は一人帰路につき、定位置である見張り用のテラスへと飛び乗る。

時刻はそろそろ一時を回ろうとしており、昨日から一睡もしていないため、少しばかり頭がふらつく。

「……楽しい……か」

ふらつき睡眠を欲している頭の中……俺は老人の言葉を思い出す。

楽しいはずだ……。

楽しくないはずがない……。

何故なら俺は、望み通り多くの命を救ってきた。

父の……憧れた者になれたのだ。

楽しくないはずがないじゃないか。


……だが……それならなぜ……俺は笑えていないんだ?

悩みは消えず、疑問は螺旋を描くように深まり、考えれば考えるほど分からなくなる。


「……よ、オツカレ」

「……あぁ」

俺の代わりに見張りをしている長山は、現在見張り用に使用するゴーレムを大漁生産中であり、辺りにはそれに必要なものが散らかっている。

今からこれを片付けろ……と言うのは酷だろう。

「……悪いが少し寝る……見張りを引き続き頼んでもいいか?」

「おぉ……任せとけ……あ、そういや言い忘れてたけど石田さんが、これからは急ぎの様があるとき以外は玄関を使ってくれって言ってたぜ?」

「……そうか……分かった」

確かに、よくよく考えれば屋上から飛び降りる少年と言うのはこの城には絵にならないな……。

「他は?」

「特にない。このゴーレム納品の期限を延ばしてほしいってこと以外は」

「そうか、それは無理だ」

「だろ?じゃあない。お休み」

「あぁ、お休み」

長山はこちらに目を向けずにそう言い、俺も同じように目を向けずにそう言って扉を開ける。

温かい人工的な熱風が俺の頬をなで、そのせいか、俺はふと老人の言葉をもう一度思い出す。


「なぁ……」

「ん?なんだ?やっぱり伸ばしてくれる気に……」

「俺は……楽しそうか?」

「はぁ?」

長山は少し難しい顔をして、何のことだかを割と本気で考えているが、

どうやら答えが出ないようだ。

当然か、意味不明すぎる。

「すまん。忘れてくれ」

とりあえず俺は正気に戻り、答えが出ずに悩んでいる長山を放っておき、中へと吸い込まれる様に入っていった。


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