第二章 冬月 桜 12
同時刻。 ロシアのとある教会。
経済衰退が目立ち、多くの人々が神ではなく、心を狂わせる紙切れのみが人々の中に巣くっている世界では、教会と言う存在は廃墟と変わらず。
当然のように、この長い歴史を持つ教会でさえも、例外ではなかった。
訪れる人々は無く、唯々廃れていくのみ。
そんな閑古鳥でさえもに出す教会。
しかし今日は、その教会に大量の人々が訪れ、まるで祭りの前夜を思わせるような賑わいと緊張感を有していた。
一つの銃声とともに、今までちょっとした興味と野次馬根性にてこの事態を静観していた人々に悲鳴が上がり、教会を包囲していた
男たちは市民を守るようにシールドを構える。
今からちょう五時間前、この教会から五百メートル離れた場所で強盗殺人事件が起こった。
大胆不敵、正面からの武装グループによる銀行強盗。
ショットガンを持った強盗達は、抵抗をした二名の従業員を射殺し、残りの従業員を人質に立てこもり事件を起こした。
そして、つい二時間前、警察側の交渉人との数時間に及ぶ交渉の結果、犯人グループは大型ワゴン車と引き換えに人質を解放。
逃走した犯人たちと警察とのしばしのカーチェイスの末、犯人たちはこの教会を第二の立てこもり現場としたのだ。
人質は、この廃れた教会を住みかとしていた子供達十数名。
ストリートチルドレンと呼ばれる……この国の汚点たちだった。
白銀の世界に覆われ、人々の心まで凍りついた国……。
「……」
そんな情景を見ながら、男は一人リムジンの中でその情報を聞いていた。
なんでもない大捕物。
明日のニュース番組をにぎわせ、しばらくしたら消えていく……第三者には関係のない些事。
『元帥。この先で事件が起きて渋滞しています故、少しばかり遠回りをいたします。少々時間はかかりますが、必ず会議の時間には間に合わせますので』
運転手は車の時計を確認しながら、後部座席に座っている人間にそう早口で伝える。
だが。
「そのまま行け」
男はそのなんでもない出来事へと干渉することに決めた。
「え……し、しかし危険ですので」
「いつ私が貴様の意見を聞いた……行け」
「は……はい!」
運転手は右に切ろうとしていたハンドルを慌てて戻し、アクセルを踏み込んだ。
『突入部隊の準備はまだできんのか!!』
シールドに囲まれた作戦本部にて、現場指揮官は一喝し、部下たちを振るいあがらせる。
銀行での包囲からすでに五時間。 本日最低気温はマイナス四十度を記録する極寒の地の中で働かされている事による苛立ちから、先ほどから部下たちを怒鳴りつけつづけており、部下たちは唯々押し黙り、心の中で不満を漏らし続けている。
要するに、対策本部は全く機能をしていなかったのだ。
人質解放の目途は無く、交渉人はこの事態を引き起こしたことを理由に任を解かれ、唯々突入の準備だけが続けられていた。
『しかし、まだこの教会には子供たちが、彼らの解放の後、突入する策を考えるべきかと』
『黙れ無能が!突入と言ったら突入だ!これ以上こんなくそったれた場所で糞野郎どもの相手などしていられるか!良いから突入部隊に突入をさせろ!』
『……』
誰一人反論はせず、部下は黙したまま支持を待っている部隊の無線に手をかけ……。
『警部!』
『なんだ!』
遠くから走ってきた部下に、その行動は制止させられる。
『……その……聞き違いかもしれませんが……』
『だからなんだ!早く要件を言え!』
『……じぇ……ジェルバニス・ラスプーチン元帥が……こちらにお見えになるとたった今連絡が』
『………は?』
その時、凍てついたロシアの大地はさらに温度を下げ、その場に居た人間全員が氷の様に動かなくなった。
「……ここで待て」
リムジンを止めさせ、男はドアを開けてスーツを正す。
本来ならば軍服に身を収めてしかるべきロシア連邦対大量破壊兵器専門軍元帥……つまり、この国の軍の頂点に立つ男は、何食わぬ顔で古ぼけた教会へと足を運び、それに続くように一人の少女と一人の巨漢の男があとから護衛するようについてくる。
『……ほ……本当に来た』
警部は呆けた表情で一度そんな間の抜けた言葉を発し、慌てて部下たちに敬礼を命令する。
『敬礼!』
一同は緊張しながら敬礼をして、元帥の到着を歓迎し、警部は直々に元帥を出迎える。
『よよ……よくぞいらっしゃいました元帥閣下』
『状況は?』
『えぇ、ショットガンと自動小拳銃を所持した犯人が六名……そして中に身元不明の浮浪者が十二名ほど……今から突入を決行します。ですので、こちらの方でゆっくりと』
『突入か……人質はどう解放する?』
『いえ、状況が状況ですし……中にいるのは十数名の浮浪者だけ。多少の被害は仕方ないかと存じ上げます』
へこへこと頭を低くしながらそういう警部の発言に、一度ジェルバニスは鋭い眼光を送る。
狼のように鋭い眼光は、まるで喉元を狙い定めるかのように殺意が漏れ出しており、その眼に圧倒され、警部は一度小さな悲鳴を上げ、その声と同時にジェルバニスはその殺気を収めて教会を見る。
『……お前は……あーいや、もういい。俺が行く』
『……はい?』
『行くぞ、アーシャ。ボリス……』
『はい』『おう』
ジェルバニス……と呼ばれた男はシールドの間を割って入り、それに続けてアーシャとボリスと呼ばれた二人もシールドの隙間を抜けて、武器も身に纏わずに教会の入口へと立つ。
『……げ!元帥!危険ですお下がりください!』
部下たちの後ろで声を張り上げる警部に対し、ジェルバニスは一度そちらに視線を向けてため息を漏らし。
『壊せ……ボリス』
『あいよ』
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閂が仕掛けられた教会の扉を、拳一つでボリスは粉砕する。
「――――――――――--」
現場は騒然。
大砲でも打ち込まれたかのような衝撃に、先ほどまで下馬評をしていた人間達は慌てて逃げ出し。
シールドの後ろに居た警部は、驚きのあまりその場に尻もちをつく。
『……お前はここで、あほどもが逃げ出さないように見張ってろ』
『分かった。気を付けてな、兄さん』
ジェルバニスはそう一言残し、ボリスを置いて教会の中へと入る。
先ほどの一撃により、教会のドア越しに待機していたのであろう男が二人ほど見るも無残な姿で転がっていたが、中に入った二人は眼もくれることなく、目的地へと優雅に歩き、先へと進む。
彼らはまだ運が良かったのかもしれない。
なぜなら、これから行われる名状しがたき饗宴を見ることなく、下であろうが上であろうが自らの信じる神の身元へと逝くことができたのだから。
教会は入口の正面の廊下を抜けた先に聖堂があるという作りになっており、ジェルバニスが聖堂への扉を押して開けると、老朽化し悲鳴を上げる扉の音と共にオレンジ色の蝋燭の光が差し込む。
もはや長年そこに信者が腰を掛けていない長椅子を超えた先にある巨大な神の像の下。丁度そこに犯人グループが立てこもり武器を構えていた。
『なんだてめぇは!さっきの爆音はてめぇが仕掛けたのか!?舐めやがって!こっちには人質がいるんだぞ!それに……』
ジェルバニスは犯人たちのセリフを無視し、子供たちの数を数える。
聖堂の丁度奥。子供たちは皆目隠しをされ、神の像に頭を垂れるようにして一列に並べられ、散弾銃の銃口を後頭部に押し付けられている。
『一度だけ言うぞ。子供たちを解放しろ』
犯人たちの言葉の途中面倒くさそうに言い放たれたセリフは、逆に犯人たちの感情を逆なでしたのか。
『ぶっ殺せ!このふざけたスーツ赤色に染めてやれ!』
『しねええええ!』
『うらあああああ!
『!?」
合図とともに、開かれた扉の裏に隠れていた犯人たちが、一斉にジェルバニスに向かって散弾銃を放つ。
巨大な音と共に、子供たちの悲鳴が上がり、両側面から散弾銃を喰らったジェルバニス・ラスプーチンは。
『……下らん。稚拙な罠だ』
当然の様にそこに立ち、スーツの埃を払う。
『え?』
何が起こったなど分からない。
しかし、放たれたはずの散弾は、ジェルバニスにあたることなく、姿を消した。
『ちっ!?畜生!』
再度ショットガンのバレルを引き、犯人はジェルバニスへと銃口を向けるが。
ぼとり。
『え?』
構えると同時に、ショットガンを取り落す。
いや。
ショットガンを持っていた腕ごと、地面へと落ちる。
『あぎゃああああああああああああああああああああああああ!?』
絶叫は断末魔に近く、教会に赤い色の液体がばら撒かれる。
『ななっ!?なななな!何しやがったてめぇ!』
もう傍らにいた犯人も、目前の男が異常だと悟ったのか、恐怖に困惑した顔で、再度ショットガンを放つが。
『見えなかったか?』
トス……。
『ならばよく見ろ』
其れよりも早く、その眼球に銀色の牙がねじ込まれる。
『いぎいいいいいいいいいいいい!?』
二つの絶叫がこだまし、二つの肉塊がまるでミミズのように赤い液体の上をクネクネとはい回る。
その男の手には、ナイフが一本。
犯人はここにきてようやく理解をする。
この惨劇は、あの一本のナイフだけで作り上げられたのだと。
『ふ……ふざけんなあ!!てめぇ何しにここに来た!?警察じゃねーだろ!?なんでここにいるんだよ!』
拳銃を構え、依然変わらぬ速度で迫る形となった~死~に対し、男は投げやりに言葉をぶつける。
それに対し、ジェルバニスは表情を変えることなくただ一言。
『子供たちを助けに来た』
そう呟くように犯人に告げる。
『そうかよ……だったら』
瞬間。犯人の持つ銃口が、ジェルバニスから子供たちに変わる。
『その必要をなくしてやるよお兄さんよオオオオオオ!』
錯乱状態からの人質への発砲。
距離は約十メートル離れており。
どう頑張っても、引き金を引く速度の方が勝る距離。
しかし。
その距離をジェルバニスは、たった一歩でゼロにする。
『……未来ある子供にキョウキを見せるんじゃあない!』
諭すような一言……。
氷よりも冷たいその一言は静かに……。
そしてその一閃は鋭く……拳銃ごと犯人の腕を縦に切り裂く。
『へ!?あぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ!』
白い骨が見え、筋組織がだらしなく両断された腕から垂れ、犯人はその場に倒れこみ悶絶する。
『ひっ!?ひいいいいいいいいいいいいいいい!』
その光景を見ていた最後の一人は、子供たちに向けていた拳銃を放り投げ、出口へと向かってわき目も振らずに走り出し。
『……アーシャ。食べさせていいぞ』
『わかりました、兄さん』
目に見える絶望を凝視する。
【……テケ……テケリ……テケ…リ】
『え……えぇ?会え?』
目前に居るのは、この聖堂には居てはいけない存在。
名状しがたく……冒涜的……そもそも、理解してはいけないモノ。
『あ……あぁあぁぁ……がJGくぇWJGKくぁWVK;んうぃRじぇGKFくぁKなQ!?』
其れを視た瞬間。
最後の一人は壊れ、人から唯の餌となる。
『ひっ!?ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!?』
『い……いやだ!?いやだああぁぁ!?』
腕の無い男、目のない男、三人はその光景を見て痛みを忘れ地面を這う。
まるで芋虫の様に教会の床を這い。
ある者は壁際で捕まり、ある者は転げながらおもちゃにされ、そしてある者は神の像に縋り付きながらその身を串刺しにされた。
子供たちが目を塞がれていたのは幸いだったのだろう。
その光景は名状しがたく……その光景の中で子供たちが正気を保っていることは、ほぼ不可能だ。
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骨を砕く音、脳髄をすすり、筋繊維をかみちぎり、眼球を口の中でつぶし、臓器をくちゃくちゃと咀嚼する。
その顎は人間に近く、すりつぶされぐちゃぐちゃになった肉塊を、化物は床にまき散らされた赤い汁の一つも余さずに弄ぶ。
これが彼らにとっての晩餐であり、そのことを理解している彼らは、何も言わずに彼等の晩餐会が終わるのを、子供たちの安否を確認しながら待つ。
ほどなくして、晩餐に終わりをつげ優雅な一時を満喫した異形の者たちは、思い出したかのように姿を消す。
『片付いたか……』
そして誰もいなくなった。
犯人は皆消え去り、子供たちは何が起きているのか分からずに震えている。
ジェルバニスは、そんな子供たちの元へとゆっくりと歩を進め、一人一人丁寧にさるぐつわと目隠しを解いていく。
泣きじゃくり、衰弱しきった子供たちは、まるで死人のように蒼い顔をしていた。
『大丈夫か?怪我のある奴はいないか?』
恐怖で震える子供たちに対し、ジェルバニスはそう問いかけると皆首を横に振る
『そうか……よかった。なら早くこんな所からでて、温かいところへ行こうか』
その笑顔はとても温かく、子供たちの涙はその男の笑顔により何処かへ消え去っていた。
『……ねぇ、おにいちゃん』
『ん?なんだい?』
手を引かれながら歩く一人の男の子が、ジェルバニスに向かい、質問をする。
『そういえばお兄ちゃん。だれ?』
……その質問に、ジェルバニスはもう一度笑いかけ。
『君たちの味方だよ』
そう……優しく言い放ち、手を引いて子供たちを外へと連れ出していった。




