プロローグ2
暗い世界の奥は更に広がった闇に覆われ、唯ひたすらに男は無限の螺旋を下るような、通路にしても下水道にしても広すぎる巨大なトンネルを闊歩する。
歩くたびに広さを増す空間に少なからず驚きを覚えるも、彼は畏怖の念に駆られる事も、ましてや足を止めることなく先へ進む。
分かれ道も無ければ脇道もない、道中に人形が散りばめられただけの空間。
「ガ……カ」
殴り飛ばされ壁に衝突した仮身が、流れ出る歯車混じりの赤いオイルで壁を赤く染める。
壊した仮身は数十体にものぼり、背後は既に多くの仮身によって灰色と赤の奇怪なアートのようなものを作り上げている。
正直コレを逐一相手にするのは面倒臭い。
こうも簡単にあしらってはいるが、この人形は戦争用に作られた殺人兵器。
外に出すわけにも行かず少し後悔を覚える。
「こんなことなら、シェイは連れてくるべきだったかのぉ……」
本来なら二人で潜入をするつもりだったゼペットであったが、万一仮身を取り逃がした時、水際での撃退と都市の人間の避難の指示 を同時に出来る人間がこの作戦には必要になってしまい、ある意味では 仕方なく単独潜入という形になってしまっている。まぁ、その意思は彼女には一切伝えられていないのだが。
「だがまぁ、仕方ないか」
しかしながら別段苦戦しているわけでもなく、纏わりつく仮身の最後の一匹を肘鉄で粉砕し、機能が停止したのを確認して更に奥へと進む。
止まった背景の中を歩き続け大きな門の前へと出る。
「まさに壮観・・・・・・」
神話の一ページをくり抜いたかのようなその扉は、高さも幅も軽く十メートルを超え、
その面全てに神話を取り扱ったファンタジー映画に出てきそうな彫刻がなされている。
下部には逃げ惑う動物達が、上空にはその動物達に向かって悪魔を放つ神々が描かれ、中央には悪魔を食い殺し立ち向かう黒き獣が描かれている。
「……神が悪魔を放つ……か」
この悪魔はまるで人間のようではないか、そんなことを思い扉に手を当てる。
「……」
詳しい厚さは謝鈴のように割り出すことは出来ないが、大体三十センチ位だろうと推測し、腰を落として拳を構え。
「牙が如く(カウリオドゥース)」
左腕に刻まれたもう一つの術式を始動させ、スクランブル交差点にしたように殴りつける。
「GRUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
破壊。
その言葉しか思い浮かばないほどの大爆発が拳と扉の接点に生じ、打ち抜くように扉を吹き飛ばし、扉の向こうに広がる光景を見る。
「まさか。これほどとは」
それは、巨大な人形の館。
複製された仮身たちが、ハンガーに掛けられた服のようにあたり一面に綺麗に吊るされており、まるで絞首刑に掛けられた人間のようにゆらゆらと揺れている。
スリープモード中らしく、獲物が入り込んだにもかかわらず動く気配が無い。
「……胸糞悪いのぉ」
男はその光景に眉を潜め、なおのことこの工場を潰さなくてはいけないと決心をして足を踏み入れる。
門を失った工場は侵入者を拒むことなく、気にすることも無くひたすらに人形を生成し、何十という兵士が作られては商品のように運ばれ壁の隙間に吊るされていく。
その数はざっと見ただけで4000を超え、視力を強化した目でも見通せない。
「確か、200体で町が一つ地図から消えたんだったんだったのう?」
目前の光景に嘆息をしながら、アメリカ合衆国が実験と称して行った虐殺を思い出す。
それだけ圧倒的な兵力。それだけ強大な兵器が、世界で唯一軍隊を持たない国に存在している。
「……一体、何処を消すのか?」
仮身達を見渡すようにそう呟き、吊るされた仮身を無視して歩を進める。
「ふん……」
吊るされた人形はユラユラと揺れ、機械は頭上をせわしなく駆け抜けてゆく。
流れる空気は鉛のような重いものから、血のように体中に染みこんで来るものへと変化し。
その窒息してしまいそうな空気が全触覚を逆撫でしながら嫌悪感を植えつける。
充満した鉄の臭いは血の臭いと混ざり合い、その所為で生々しくねっとりとした柔らかいものを踏みつけているかのような錯覚を起こし、神経を蝕む。
そう、例えるなら中身【臓腑】の中を歩いているような錯覚で……。
「……死が満ちておる」
まるでどこかの生贄の祭壇のようだと内心でつぶやき、生臭い空気を掻き分けながら先へと進む。
仮身を作るのは全て機械。
人の姿はもちろん無い。
当たり前だ。こんな空間で働ける人間などいない。
どんな強靭な精神の持ち主も、この空間では一日と正気を保つことは出来ない。
もしいるとすればそれは狂人か、すでに死んでいる人間のどちらかだけ。
それはもちろん男も例外ではない。
「く……」
血の臭いに充てられ、男は軽く目眩を覚えて喉を低く鳴らす。
工場の広さも精神を磨耗させる要因の一つ。
コレだけの人形を、絶えることなく見つづけるのは、正直拷問に近い。
もしこの中に閉じ込められたら、人は一日で人ではいられなくなるだろう。
「まったく、本当に趣味が悪いったらないわい」
二三度頭を振り、眉を潜めてコンクリートの道をまた踏みしめる。
コツ、コツ、コツ、コツ、コツ……。
踏みしめるごとに増えていく死体のように並ぶ仮身。
代わり映えしない道を越えていく度に強くなる異臭。
「一体この臭いは何なのやら」
男は首を捻りながらそう呟き、吊るされた仮身の一体に触れてみる。
本来、仮身を作るのにこんな匂いなどは発生しない。
あくまで仮身は人形のため、使用される酸素循環用の液体は血液ではなく赤いオイル。
人に限りなく似せた仮身を作るときは本物の血を使用するが、それでもこんな血を撒き散らしたような臭いはしない。
「……まぁ、良いか」
だがそんなことはどうでもいい。今回の目的はあくまでこのプラントの破壊。
余計なことは考えず闇へと潜り続ける。
と。
「ぬ?」
首吊り死体のようにゆらゆらと揺れる人形の中。
たった一人だけ、地にうずくまる仮身がいた。
動く気配は無く、かといって止まっている気配も無い。
まるで、生まれてすぐに親に捨てたれた子犬のように、
死を待つだけの命のように。
「かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち」
その存在は当たり前のようにそこに座っていた。
「かちかちかちかち」
仮身からはプラスチックがぶつかり合う様な乾いた音が響く……。
一定の速度で打ち鳴らされるその【かちかち】と言う音は、よくよく耳を澄ますと次第に速度を落としていっている。
闇に飲まれながら機能を停止させようとしているそれは明らかに。
「かちかちかち かち」
他の仮身とは違う。
見てみればその仮身には、辺りにぶら下がっている仮身に存在する巨大な刃物は無く
きちんとした両手で、刃渡り二十センチ程度のナイフを握っていた。
「……?」
疑問符を浮かべながらその仮身に近づき、しゃがみこんで様子をみる。
瞬間。
「____!」
振り上げられたナイフは一直線に前傾姿勢になった獲物の喉を狙い走る。
「っは!」
切り取られる前髪。 体を後ろに倒してナイフをよけた男に、その仮身はナイフを突き立てるように振り下ろす。
「甘いの」
だが、そのナイフはあっけなく目前で止まる。
「!?」
ナイフを握った細い腕が握られて動きを止め、仮身はそのままナイフを落とす。
「弱すぎるのぉ……」
先ほどの必殺の間合いで、刃を外したこと。
止め とばかりに振り下ろされた刃は、心臓ではなく腹部を狙っていたこと。
そしてなにより、腕をつかまれただけで動きを止めてしまっていること。
「……」
兵器にしては弱すぎた。
「かちかちかちかち」
腕をつかまれた状態で仮身は動きを止め、少女の腕から男の腕へ振動が伝わる。
「……震えて……おるのか?」
一度ビクンと身を強張らせる。
だがそんなことには構わず、男は兵器を引き寄せると優しく仮面を外す。
「ぁ……」
落ちる仮面……。仮身を象徴するその仮面を外した瞬間、驚愕に声を漏らす。
その下に現れたのは、年端も行かない黒色の髪をした少女。
その姿は痛々しく、かちかちと歯を鳴らしながら恐怖と闇に震えている。
あるのは絶望、伺えるのは死への恐怖。そしてその口から漏れるのは、
「た……すけ……て。 たす……け……て」
救いを求める蝋燭の灯火のような鳴き声。
「……大丈夫だ」
そんな少女を抱き上げ、優しく子供を褒めるように笑みを溢す。
「……死にたく……ない。 イタイのは……もう……やだよ」
少女の瞳に光は灯っておらず、その腹部からはじわりと血が滲む。
「怪我をしているのか」
顔を上げると、少女の倒れていた場所には致死量を超える血痕。
それでも、少女は必死に生きていた……。
「仮身か?」
その言葉に少女は一瞬体を反応させ、恐る恐るコクリと頷き、ゼペットを仰ぎ見る。
「安心しろ、我は仮身だ人間だとギャーギャーわめくほど小さい人間ではない。この世に生きる人型は、皆が皆オリュンポスに住む神から認められる。だからそんな不安そうな顔をするな」
そう豪快に笑顔を作り、男は治癒術式を展開する。
血溜まりの血は致死量ではあったが、仮身の生命力ならばこの程度なら命に別状は無い。
「……」
少女の表情が少しだけ柔らかくなる。
「がんばったな……。本当に良くがんばった。もう安心していい、今傷も塞いだし、じきに痛みもひく。なぁに、ここで我がおぬしと出会えたという事は、タナトスはおぬしを連れていくことを諦めたという事だ。故に訪れたのは安らかなるヒュプノス。甘えて甘い眠りにつき、今までの苦痛を忘却の彼方へと沈ませるが良い」
「う……ん」
小さな声に震えは既に無く、傷は五分を待たずに回復をするはず。
だが、外側だけ直せても、内側まで完治はしない。
「もう寝ろ……。起きた時には歩けるようになっておる。だからもう、怖がる必要はない。神々はそなたの命を認めたのだ」
「あり……がとう……あなたは?」
「我か? 我が名はゼペット。人形を導くものだ」
名前を聞いたか聞かないかは分からないが、少女は力強く自分を抱きかかえている腕の中で、瞳を閉じて、寝息を立てる。
自分を助けてくれたこの人が、一体どんな人なのかを瞼の裏で想像しながら……。
「……寝たか」
一体どれだけの間眠ることが許されなかったのだろうか?
その少女の表情は、眠るだけだと言うのに、何処までも幸せそうな顔をしていた。
「……少しここで待っておれ。 すぐに、戻ってくるからのぉ」
眠った少女を起こさないように小さな声でそう呟き、
ゼペットと名乗った男は少女を壁に寄り掛かるように寝かせマント を掛けて、歯軋りをする。
この少女に何があったか……そしてこの奥に何があるのか。
ゼペットがそれを理解するのには充分だった。
「本当に……この場所は虫唾が走る…………」
許せない……。
何よりもこの監禁された少女の抱えた悲しみが……。
許せない……。
何よりも少女にこんな仕打ちをした人間が……。
許せない!!!
何よりも、この少女の心に深い傷を負う前にここの存在に気付いて助けられなかったことが!!
理屈ではない。
そんな下らないものはとっくに投げ捨てた。
だから、彼には仕方がないという考えは存在しない。
あるのは自分の誇りのみ。
あるのは民への思いのみ。
助けを求めるものは全て己の民……。悲しみにくれる人間を救うのは王の務め。
だからこの少女も自らの民。だからこの悲しみも己が背負わなくてはならないもの。
だけど自分は、民が苦しんでいるのに気付けなかった。
だからゼペットは憤慨 する。
己の愚かさに、そして、己の弱さに。
「なるほど……我がここに訪れたのは必然であったか……クロノスの御子ゼウスはどうやらここを破壊させるために、軍神アレスを使わせたらしい……」
「……我は覇王……」
自分の世界、自らの支配する世界を守ることこそが、己が課した正義だから。
「この地獄を許した責任は、自ら背負い償おう!」
ゼペットの怒りに全身の術式が呼応し、辺りにぶら下がっている仮身達が恐れおののくかの如く、ユラユラと揺れていたのを静止させ、覇王の進軍を静かに見送る。
一歩一歩が進むたびに重くなる空気、血のにおいでさえも逃げ出すほどの怒りをまとい、
ゼペットは文字通り、その空間の侵略を開始する。