第二章 冬月 桜 8
「……さて、行くか」
食事を終え、丁度腹の中にたまっていたものが全て消化された頃になると、冬月と長山の笑い声も収まっており、俺は冬月が眠りについたことを悟る。
俺は寝静まった冬月の身辺警護をしている長山に一声かけ、雪月花の森へと足を運ぶ
昼にいけなかった雪月花の森の様子を今のうちに確認しておくためだ。
何の見張りも障害もない森は、隠れるところも多く冬月の屋敷への侵入が容易となっている。
その為、見回りもかねて下見は十二分に注意をして行わなくてはならず、気が付けば俺は森の深いところまで足を踏み入れていた。
森の姿は昼と夜ではまったく違う姿を見せる。
昼は少なからず光が差し込み、暗くとも自分の周りは見回すことができた。
しかし、夜は違う。空からこぼれる光は両手を伸ばす巨人にさえぎられ、自らが吐き出した白い吐息でさえも……何かの力を借りなければ満足に見ることもできない。
完全な孤独。
自らが歩む音は身を揺らす巨人にさえぎられ、体は徐々に魂を抜かれて行くように徐々に感覚というものを忘れていく。
何も見えず、何も感じず……今、目を閉じれば自分が生きているのか死んでいるかも分からくなるだろう。
ぞくりと背中に悪寒が走り、俺は自分の想像を術式の出力を上げることでかき消す。
命のやり取りを常にしていて、いつかは自分も死ぬという覚悟もできている。
しかし、それでもこの森には気を抜けば命をも忘れていきかねない……そういう恐ろしさがつねにそばで寄り添い歩いている。
術式によってその脅威は少し遠ざけることはできているが、俺は術式を持たずここで生活をする雪月花村の人間達に尊敬の念を覚える。
「……ん? なんだあそこは」
冬の森の中を彷徨う事しばらく……。少し先に俺は光らしきものを見つける
それは民家にともるような火の小さな赤いともし火ではなく、くっきりと大きな青白い光……それを月の光だと理解するのにはさして時間はかからず、光に誘われるがごとく広けた場所に俺は足を踏み入れる。
森の中をぽっかりとくりぬいたかのようにあるその空間は、人工的に作られたようには見えず、マツ属の木々に覆われた針葉樹林は、避けるようにその場所を明け渡しているようにも見える。
そして。
「……む?」
別段伐採されたわけでも、人の手が加えられたようにも見えない小さな空間には、小さな小屋がぽつんと立っていた。
丸太で組まれた小さな家は、人々から忘れられたようにその場に存在し……草も木々も眠りに落ちる時間であるのにもかかわらず、光りが煌々と漏れ出していた。
「?」
恐らくは、カザミネのような狩人の家だろう。
そう、別段不思議な話ではない……この家自体は。
だから不思議なのは。
「……キィ」
と音を立てて、俺がくるのが分かっていたかのように扉があいたことだ。
「……」
まるで俺をいざなうかのように、ひとりでに開く扉。
それにつられる様に、ふらふらと光に群れる虫の様に、俺は吸い寄せられていく。
……細心の注意を払い、クローバーに手を触れながら。
中はいかにもと言わんばかりの異界。
生活感がなく、本棚と思しき場所にはおよそ理解できない見たことのない言語が背表紙に書かれた本が、縦横関係なく詰め込まれている。
その本の量と汚さにも驚きはするが、それ負けず劣らず存在感を示すのが、大量の酒とアルコールの匂いだ。
例えるなら関ヶ原、本と酒がこの場所の覇権を握るためにせめぎ合っている。
「……星のそろう月の下」
不意に、部屋の奥の戸が開き、蒼い影が現れる。
「!?」
「黒き正義が門戸をくぐりて蒼を見る」
現れたのは、長い黒髪を伸ばし、チャイナドレスだか和服だか分からない服を身にまとった絶世の美女であった。
不敵な笑みを浮かべる口元と、少しばかりとろんとした瞳。
体系も出るところはしっかりとでて、引っ込む所は引っ込んでいる。
非の打ちどころのない美人であり、異性の好む部品ばかりをかき集めたかのようなその女性の美貌に一瞬心を奪われそうになる……しかし。
「う……」
その美しさに致命傷を与える程の酒の匂いに、おれは理性を瞬時に取り戻す。
「……ごきげんよう、守護者さん。あなたがくるのはちゃんと覚えていたわ」
敵意は無く、ろれつが回っていない状態で少女はふらふらと椅子の上に座り、人さし指で座ってと俺に合図を送る。
「……む」
見回り中であるが、勝手に入っといてそんな言い訳もない。
言われるままに俺は無言で向かい合うように木製の椅子に腰を掛ける。
「まぁまぁ、あなたが来た理由は知っているわ?唯の偶然、そうよね?」
何やら含みのあるような言い方をして、少女はすっとヒョウタンを渡す。
「あなたと私は偶然出会ったの、奇跡的に。ふふ、これも何かの縁よねぇ?だから一緒に飲みましょう?はい、飲んで?」
ニコニコと笑いながら、怪しすぎるセリフを吐く女性。
しかし不思議と邪気は無く、悪い気も感じられない。
全てが唐突で意味不明であるのに、全く違和感を感じない。
そう、まるで最初からこうなることが決まっていたかのように。
「……ふふ。どうしたの?ぼーっとして……ホラ、飲~んで?」
「……悪いがまだ未成年だ。そんな事より先ほどから俺がここに来るのが分かっていたみたいだが?」
「ええ。知ってたわ」
残念そうにヒョウタンの中の酒を一口含み、目前の女性はにやりと笑う。
「いつから監視していた」
「……職業は占い師なの。そうね、貴方を監視していたのは星の流れとでも言っておきましょうか?」
「真面目に答える気はないようだな」
「……あら、残念。お気に入りだったのに。でも気にしないで?あなたの所為じゃないわ」
「?何?」
瞬間
「!?」
自分の傍らにあった酒瓶が倒れ、砕ける。
飛び散った破片は俺に牙を剥くことはなかったが、中に入っていたアルコールがコートを濡らす。
「あ、すまない」
「気にしないでって言ったでしょう?そうなる運命だったの。ちなみに今、あなたはその酒瓶に一切触れていなかったわ」
にやりと笑いながら、女性はそう言ってヒョウタンの酒を飲み続ける。
「……なんでわかった?」
「星の導きよ。信じないでしょうけど、私には未来が見えるの」
「……」
嘘を言っている用には見えない。
言っていることは現実離れをしているが、自分のいる世界も十分現実味がない場所だ。
というわけで、そういうものがあっても不思議ではない。
そういうことにしておこう。
「そうか、それなら確かに、この出会いは偶然だな」
「そうよ。出会うことは知ってたけど、あなたがここに入ってきたのは気まぐれですもの」
彼女の笑顔は邪気がなく、まるで子供の様だ。
「というわけでお酒を飲まないなら座ってお話でもしましょう?久しぶりのお客様なの」
気にしなくてもいいと言われたが、酒瓶を割った手前断れそうにはないな……。
しかたない、付き合うとするか。
しかし……。
「構わないが、未来が見えるなら何を話すのかくらいは分かるだろ?」
「いいえ、私は未来の事を知れるだけで心は読めないの。そして、自分の事は見えない」
そう少女はつまらなそうにヒョウタンの中身を飲みほし、新しい酒瓶を手に取る。
「ちなみに、今日見回りをしなくてもあなたに不利になることは何も起こらないわよ?」
にやりと少女はいたずらっぽく微笑み、俺も苦笑を漏らして頭を掻く。
「なるほどね。そういうことなら付き合おう」
カタン……と椅子を引いて座り、俺はそれからよくわからない星の話や酒の話を聞かされる。
内容理解は三パーセント、そのため相槌も曖昧、こちらからの会話はゼロの、おおよそ人の楽しめる会話ではなかったが、それでも楽しそうに酔っぱらいは色々な話を俺に叩きつける。
そんな不思議な月の綺麗な夜の話。
俺はアルコールの匂いとか意味不明な話とかで夢心地のまま刻刻と時間が過ぎて行っており、気づけば時刻は深夜零時を回っていた。
「……もうこんな時間か、悪いがそろそろ戻る」
「ええそうね。分かっていたわ。私も十分満足できたし、楽しかったわ……幸せな時間をありがとう。守護者さん。また来てね」
「……ああ、それで構わない。またな……えーと」
そこに来て初めて気づく。そういえばまだお互い自己紹介もまだだった。
本当に変な話だ。
「……ミコトよ。息吹ミコト」
「そうか、俺は不知火深紅だ。 では、又な。ミコト」
「えぇ」
見送りはせず、ミコトはヒョウタンを机の上に置いて、小さくひらひらと手を振った。
小さな音が響き、穏やかな図書館兼酒蔵は月明かり差し込む雪の森へと姿を変える。
……不思議な感覚は消えて、その余韻に首を傾けながら見回りに戻る。
「む……」
見回りを終えた帰り道……俺はふと思い出す。
そういえば、自己紹介の時ミコトは……知っていると言わなかったな。
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