第二章 冬月 桜 6
11月25日 ~東京~
対大量破壊兵器専門部隊。その兵力は兵器ではなく、古来より伝わる術式と呼ばれる方法によって鍛え上げられた兵士である。
その戦力は力を持ちすぎた個人、若しくは国家に対して『全面戦争』を引き起こす前に圧力ないし殲滅を行う軍隊を超えた抑止力として働き、そして最も効率よく世界の戦力を均衡させる。
その強大な力と存在理由により、皮肉を込めて我らはこう呼ばれる。
【調律師】と。
そんな文献の内容の一文を思い出し、調律師准将 ジューダスキアリーは日本支部最高司令官がいる、最深部の廊下を歩く。
深海のようなくらい廊下は、自らの足元のみを照らし、常人ならば精神を蝕まれる闇の中を、彼はその覇気を緩めることなく突き進む。
最高司令官がいる最深部は、幾重にもかけられた術式により、存在が完全に隠匿され、招かなければ最深部に到達することも、そこに行こうなどという気も起きない。
それだけ重度の警備が敷かれ、そんな最も安全な場所から最高司令官は安穏と兵士を戦場へと送り出している。
そんな怒りと呆れを感じながら、ジューダスは目の前に現れた扉を開き、大きく開けた空間へと出る。
「……良く来た。ジューダス」
響く声と同時に青白い光がともり、目前には椅子に座った男と、その両脇に聳え立つ二人の巨大な偉丈夫が現れる。
どうやら今の今まで、この空間に自分は光を奪われていたのだということに気付き、改めてここに敷かれている術式に感心をする。
「……ほう、懐かしいのぉ。ジューダス」
聞きなれた声に顔を上げると、そこには世界最強の生物ジルダ アーミカがいた。
「イラク戦争のとき以来か。ふむふむ、元気そうで何よりだ」
傍若無人の言葉通り、ジルダはジューダスに豪快に笑いながら語りかける。
それにジューダスは呆れたようにため息をつき、完全に無視をする。
「んん?どうしたジューダス。とうとうボケたか?がっはっは」
「オイ。口を慎め~快楽者~最高司令官様の御前だぞ」
「何を固いこと言っとる?カルロス・ヴァーチャー。旧友との再開に喜ぶのは人の道理であろう?そんな無粋な言葉は、~生き英雄~の名を貶めることになるぞ?」
「貴様……その口を今すぐそぎ落としてやろうか?」
「おぉ怖いのぉ……」
「それくらいにしておけ二人とも」
最高司令官が二人を制止し、こちらに向き直る。王の玉座のように部屋に一つだけある巨大な椅子に腰をかけるのが対大量破壊兵器最高司令官。
その姿は丸々と太った、何処にでもいそうな老人である。
この部隊は一応国の下について活動をしているため、その指揮を執る上層部。
つまり大佐以上の准将 中将 大将 元帥 最高司令官の役職は、ジューダスキアリーを除いて全てが政府の役人によって固められている。
そうすることで軍部の暴走を抑えているのだが、この男は違った。
「して……作戦は順調か?」
背後に立つ二人から殺気が放たれ、ジューダスを囲い込む。
それを受け流し、ジューダスは最高司令官を見据えて返答をする。
「はい。東京に作り上げた仮身工場をROD襲撃されたのは予想外でしたが。準備は滞りなく進んでおります。この後、我らは仮身により東京を占拠。国会議事堂内の人間を抹殺、その後我ら対大量破壊兵器専門部隊の人間を総動員し仮身を殲滅。政治の主導権は司令官殿に渡ります」
その報告に満足をしたのか、最高司令官はそうかと一言頷いて二人に目配せをする。
最高司令官は二人に、ジューダス・キアリーの抹殺命令を出していた。
准将以上の地位に、政府の人間以外で始めて到達したこの男
ベトナム戦争の英雄、ジューダス キアリー。 その戦跡はすさまじく、この対大量破壊兵器専門部隊も、ジューダスが作り上げたと行っても過言ではなく、アメリカではすでに生ける伝説として大統領にさえも顔が聞く大物。
なぜそんな男が日本などにいるかは知らないが、最高司令官はその強大すぎる彼の存在感を恐れていた。
なによりも恐ろしいのは、部隊の人間はほとんど……いや全ての兵士はこの男に付き従っている。
この男は必ず障害になる。
だから最強と名高い二人の護衛をこの男の抹殺に当たらせた。
二人は殺気を潜めながら、感づかれないように武器を手に取る。
ジューダスは気付く素振りも見せずに報告の詳細を語り、語りの終わりは。
「……ようやく、我々の望んだ国が作り上げられるでしょう」
そう締めくくる。
「そうだな……俺の望んだ国が」
適当に相槌を打ち、最高司令官は抹殺決行の指令を目でカルロスと ジルダに送り。
同時に二人の武器が光り、疾駆する。
「……まぁ、その我々に、貴様は入っていないがな」
振り上げられた二つの必殺の一撃がジューダスに走る瞬間、彼はそうなにやら不吉な言葉を発した。
「え?」
その呟きは最高司令官のもの。
槍の一突きは玉座を貫通して彼の心臓を抉り穿ち、ジューダスを殺そうと踏み込んだ
カルロス・ヴァーチャーは、何処から抜き出されたかも分からぬジューダスの刃の一閃によって声も無く首を跳ねられていた。
首が床を叩くと同時に老人の死体が玉座から崩れ落ち、ジューダスとジルダは互いに口元を緩める。
「よくもまぁ、ああも口から出任せをポンポンと並べられるのぉ、ジューダス」
護衛対象であった肉塊を跨いでジルダ・アーミカは階段を下りながらジューダス・キアリーに語りかける。
「大きなウソは付いていない。作戦を行う場所の位置をずらしただけだ」
「ふん……しかしこの男も、良くあんなおとぎ話で国が盗れるなどと信じたものよ」
「その程度の人間が我らの頂点にいたのだよ」
「ふむ……まぁ仏をとやかく言い過ぎるのも風情を欠くゆえ話を変えるが、この死体はどうするのだ?お前の言うとおりに動いたが、こいつをこの場で殺すのは色々と問題があったんじゃないか?」
「殺してはいない。こいつらは仮身を所持したテロリストに殺されたんだ」
「……相変わらずの嘘つきよのぉ。しかし、作戦はまだ先ぞ?いくら冬っつってもその時期には腐っちまうぞ?」
「こうすりゃいい」
そういってジューダスはカルロスの首をはねた刃を軽々しく振り上げる。
シンプルな形状でいてどこか気品を漂わせる古き武器。
かつて マケドニアの侵略王が持った大剣。無名の剣であるが、ジューダスが~ゴルディオス~と呼び愛用する剣であり、先ほどカルロス ヴァーチャーを殺したのもこの剣である。
ゴルディオスの結び目を断ち切り、ゼウスが授けたとされるその古代の術式は、既に魔法の域に達しており、その術式をジューダスは一閃と共に解放する。
「侵略せよ……」
同時に、術式が解放され、その部屋は一斉に凍りつく。
「なるほど、こんだけ冷凍すれば死亡時刻を誤魔化せるか。しかし、この氷が解けてしまっては意味が無いぞ?」
「ふん、心配はいらん、この部屋だけではなく、この空間全てを凍結させた。いわば天然の冷凍庫。二年はこの温度を保ち続ける」
「そりゃぁもう魔法の領域だろうに……まったく、マケドニアの王が世界征服なんてもんを本当に成し遂げかけるわけよ」
ジルダは感心したように頷き、ジューダスと並んでその部屋を後にし、
凍てついたその部屋は、時間を止めていた。
「さて、はじめるかジルダ」
「……そうだのぉジューダス」
不適に笑みをこぼし、二人はエレベーターに乗り込む。
【調律師】その皮肉は、やがて現実となる。
◇
とある戦場で、男は迷い無く引き金を引いた。
何度も 何度も 何度も 何度も。
それで救ってきた人間は恐らく千を越えただろう。
戦場で命を落とす運命だった人間達は、殺された数人のお陰でまたいつもの生活に戻れるだろう。
しかし、彼らはその正義の味方を知らず、助けられたことも知らずに笑っている。
あぁ、戦争が短くてよかった。
そんな声が聞こえ、酒瓶を片手に美酒に酔う。
男が殺した兵士の遺族は、ひたすらに死を悼んで涙を流し続けていた。
何故死ななければならなかったのか?一体誰が殺したのか。
そんな恨み言は、被害が少なければ少ないほど大きくなっていく。
聞こえるのは怨嗟の声だけ。
助けた人間の喜びは男には向けられず、殺した人間達の恨みのみが男を包み込む。
もちろん、それを背負って生きていく覚悟は男にはあった。
だから、彼は正義を諦めるわけにはいかない。
なぜなら、ここで彼が正義をやめたら、殺された人間達はどうして殺されたか分からないじゃないか。
■
11月 26日 ロシア ~雪月花村~
浅い仮眠を負え、俺は右まぶたを重々しく持上げる。
時刻は当然四時十三分、時差の分もしっかりと考えてくれる分、この機能はとても便利だ
少しばかり期待をしていた朝日は、当然のように顔を覗かせているわけ無く、どんよりとした分厚い雲から、しんしんと雪のみが俺の体を叩いていた。
「一時間くらい寝たか……」
いくら術式がかかっているとは言え、―40度の世界で眠るのはまずかった。
雪が肩に積もり、多少体も冷えている。
昨日は屋敷到着と同時に執事に襲撃されたり、護衛対象に振り回されっぱなしの一日だったが、今日からは本格的に護衛を始めなければならない。
「……」
雪が絶えず降るその屋敷の屋上は何も無いが、その分落ち着ける。
全ての色を白に染め上げる白は、俺の赤色で染まりきって黒くなったコートでさえも白くしてしまう。もしかしたらこの村は俺に合ってるのかも知れない。
立ち上がると、思っていたよりもしっかりとアスファルトの感触が足に馴染む。
「……?」
足元を二三度踏んでみると、屋上は凍結しておらず、雪も積もっていない。
昨日見張りに付いたときには気がつかなかったが、森の一本道同様術式が張られているらしい。
目前には雪が降っているのにここだけ切り取られたように何もない。この場所から見る外の風景は、まるで映画のスクリーンを見ているかのようで、
視界がホワイトアウトする雪の中、俺は屋上の手すりに手をかけて村のほうを一度見渡してみる。
術式によりホワイトアウトが解消されると、そこから雪月花村が良く見渡せた。
「いい見張り台だが、やはり問題があるな」
見回すとそこには広がった森があり、雪化粧をしたその森の向こうには村がある。
一直線に作られた村から城に入る道はたった一つであるが、森を通れば誰でも城へと入ることが出来る。
石田さんの話によると敵は少人数で攻めてくるだろうから、この森はかえって俺達に不利になる。
「……道具は早いうちに用意するとして……」
敵がいつ襲ってくるかも分からない状態なのだから、今のうちに下見程度はしておくか
「よっと」
屋上から飛び降り、森の中へと入ってみることにした。
道案内がないと迷いそうな森だが、まぁ大丈夫だろう。なんて軽い考えでちょっとした散歩気分のまま、俺は森の中へ入っていく。
「不思議な森だな」
森の木々は整列をしたかのように規則正しく並び、森を歩くのに苦労しない程度に枝が切り落とされている。
暫く進むにつれて雪の量は増えていき、数分歩く頃には木々の数も増していく。
おおよそ城から二キロ程度はなれた場所になると、とうとう木の間隔は人一人が通るのがやっとになり、その場所で俺は足を止める。
「……とりあえず罠を張るのはここか」
あまり上質なモノは張れないだろうが、正面から突破せざるを得なくなる程度の罠は仕掛けられる。
そうだな……ワイヤートラップなら、気付いても気付かなくても森からの直進を妨げることは出来る。
そうなれば後は、一直線の道で長山が戦っているところを見張り台から狙い打てばいい。
「……場合によっては長山も貫いてしまうが、まぁいいだろう」
「良かねぇよ!?何こっそり恐ろしい作戦組み立ててんだお前!?」
ぼそりと呟いた独り言に間髪いれずに入る突っ込みに背後を確認すると、長山が赤いコートをなびかせながら後ろに立っていた。
「冬月の護衛はどうした?」
「まだぐっすり寝てるよ。だから石田さんが今日はここらの把握を優先させてくださいって」
「……本当か?寝ている冬月にセクハラして追い出されたんじゃないのか?」
「お前の目に俺が一体どう映っているのか、一度腹を割って話す必要性を感じるな」
「その必要はない」
青筋を浮かべている長山を無視し、俺は一人森の奥へと足を踏み入れる。
「あっこら!?」
もちろんのこと長山は追いかけてくるが、何も言わずに並んで歩く。
既に森と同じく深くなった雪は気をつけていても確実に足を取り、歩みを遅くさせる。
冬月家の森の更に奥。
村人からも忘れられた、ロシアの本当の永久凍土の未開の森。
歩くたびに人の気配が薄れていくその森に、これ以上進んでも意味はないなと戻ろうと思案した頃。
「?」
足を取る雪がふと消え去る。
雪は絶えず降り続いている。
それでも、積もる雪はなく代わりに悲しい思いが積もり積もっていた。
そこは墓地だった。
「……なんの墓だこりゃ?」
長山はズボンに付着した雪を払いながら、英国式の墓地に積もった雪を払う。
「ソーニャ……名前からしてロシア人の墓地みたいだな」
「……そうだな」
「どした?」
「気が付かないか?長山」
「なにが?」
「この場所……雪が降っている」
「そりゃな」
「……なのに、ここだけ雪が積もっていないということは、誰かが雪を掻き出したってことだ」
「あ~」
長山も理解したらしい。冬月の屋敷のように、空調固定の術式がかけられているわけでもない、数歩先の森と変わらない永久凍土の森の中。
さして広くはない墓地といえど、この人気のない森の奥深く。人の通った形跡さえも乏しいこの忘れ去られた墓地の雪を掻き出すという行為は、それだけで充分異常だ。
「そうでもねぇんじゃないの?」
そう言うと、長山は感慨深げにソーニャと欠かれた墓に手を合わせてそう言う。
「?」
どういう意味かは良く分からないが、俺はその言葉が正しい気がして、同じようにその墓に手を合わせる。
と。
「おやおや、客人なんて久し振りじゃのぉ」
スコップを持った老人が、雪の中をゆったりと歩いてやってくる。
白い髭にしわだらけの顔。 敵ではないことは一目瞭然であり、俺は警戒を解く。
「……墓守の人か?」
「いやいや、そんな大層な者じゃない。見ての通り、この墓に未練がある爺じゃ」
自嘲めいた言い草とは反対に明るく老人は笑い、初対面の俺達をまるで友人のように接してくる。自然に、違和感無く。
そして、何故かそんな笑顔は何処か冬月と似た感覚を感じさせた。
「爺さん一人でこの墓地の雪を掻き出してんのか?」
「ああ、この墓地はわしの連れが眠ってる墓でのぉ。わししか知らん場所じゃから、こうして一人で守っとるんじゃ」
そういって老人は雪にスコップを差し込み、雪を掻き出し始める。
「……なぜ、墓を守り続けるんだ?」
「お前さんはまだ若いからのぉ。分からんでも無理はないが、それが残されたものに課せられた、最後の仕事だからじゃよ」
老人はスコップで雪を掻きながらそんな事を寂しそうに言う。
「最後の仕事?雪掻きがか?」
「……そうではない。死んでいった者達を、忘れないことじゃ」
「死人を忘れない?」
長山は理解できないといったような素振りで首を傾げるが、俺にはその心を少しだけ理解できた。
「生きた証を、消さないためか」
「うぬもう随分昔になるかの……仲間達の命を守るためここに眠る連れを見捨てたのは」
その言葉は、俺達にではなく墓石に向かっていた。
「本当は彼女を守るために行ったはずだったのだが、気が付けばわしは多数の人間を救うため、一番大切なモノを犠牲にしていた。もちろんそこに後悔はない。正しいことをしたと今でも胸を張って言えるだろう。じゃがの、だからこそわしはここを守るんじゃ」
「……」
「……」
「正しいことをしたからこそ、その犠牲になったものは忘れてはならない。その人生を記憶し、最後の最後までそれを奪ったものは犠牲になった者の生きた証にならなければならない。
そしてこの墓が、その犠牲になったものたちだと老人はスコップを動かしながら続けた。
「まったく、どいつもこいつもバカな奴じゃった。こんなわしに最後までついて来て、
こいつらの為にわしは頑張ってきたというのに、結局わしが最後まで生き残った。本当に……いい奴らじゃった」
老人の顔は明るい。きっと、ここで最後の仕事をしているうちに、涙は枯れてしまったのだろう。
彼のことは良く分からないが、しかし俺は、個人的に彼に興味を持った。
「じーさん、スコップあるか?」
「?その先にある家に予備があるが、何でじゃ?」
「手伝うよ」
「どうせすぐにまた積もる。手伝っても無駄になるだけじゃぞ?」
「いいんだって、俺が唯手伝いたいだけだからよ。なぁ、深紅?」
「……お前ひとりでやってればいい」
「んな!?この人でなし!!どうしてお前はそういっつも冷めてんだよ!」
「無駄なことはしたくない」
「ええい!健全な若者がそんなんでどうする!意地でもやらせてやっからな!さっさと来いこの野郎!」
「あっ!?こら離せバカ山!?」
「ふぉっふぉっふぉ……仲がええのぉお前さんら」
『よくない!』
その後、長山と俺は爺さんの雪かきを手伝った。当然、無駄になると分かっていた雪かきであったが、それでも、長山の言う通り悪い気はせず、三人でやっても、驚くくらい時間がかかった。
「いやぁ、助かったわい。大変じゃっただろう?」
「いやいや、これぐらいどうってことねーよ気にしなさんなって」
「そろそろ俺達は戻る。邪魔をしたな」
「いやいや、久し振りに若いもんと話せて楽しかったわい、また来るんじゃぞ?」
「ああ、そうさせてもらう」
生き残った正義の味方が行き着く場所。犠牲者を弔い、その生きた証を守り続けること。
もし父が生きていれば同じことをしていたのだろうか?
そんな疑問と、あの老人への共感を持ちながら、俺はその墓地を後にする。
名もない森の 忘れ去られた無名の者達の墓地。
きっとここには何度か足を運ぶことになるだろうという予感を胸に、俺は自然と村へと歩を進めていた
■
村は、昨日と変わらぬ賑わいを見せ、雪の降りしきる永久凍土の森の真ん中だというにも関わらず、温くも忙しなく動き続けている。
先の散歩で分かったことだが、ここに生えている木は日本の異なった種類の木が乱立してるのではなく、同じ針葉樹のみが生息している。
こうなると非常に似た木が多く、いざという時に迷子になる可能性がある。
敵の迎撃に赴いて迷子になりました……では話にならない。
そのため、雪月花付近の森を知るために、村人に案内を頼もうと足を運んだわけだが。
村に赴くと、意外と言うべきかもしくはやはりと言うべきか、長山は到着三十秒で子供達に連れ去られた。
子供というのはああいったいい加減な人間を好く傾向があるのか、はたまたあいつの精神年齢が子供程度なのか?
真剣に考えて論文でも書けばそこそこ面白いのではないのだろうか?
そんな冗談をわりと真面目に考え始めながら、長山の同行を諦めて村を見て回る。
道案内を頼むとは言え、村の人々は忙しなく自らの役割を休むことなくこなしている。
その姿には一分の隙というものが無く、限界まで研ぎ澄まされた集中を中断させてまで森の案内を頼もうとは到底思えない。
「へい、そこの兄ちゃん」
そう、多少悩んでいると、なにやら異様になれなれしい声に呼び止められる。
「あり? オッサン臭いコート着てっから年上かと思ったけど、なんだ年下さ」
振り返るとなにやら背の高い細身の女がやや見下ろす感じでこちらを見ていた。
薄い茶色の髪をなびかせるその姿は、美人の女性というよりは健康的なスポーツマンを思わせ、なによりも驚くべきは、この寒さで色々と着込んでいるはずなのに、細いなんて感想を抱かせるスレンダーな体型だ。
「なんのようだ?」
「ありゃ?ちょいとご機嫌斜めかい?」
……冬月とは一味違ったフレンドリーさだが。
こちらのは少々強引な気がする。
まぁ、どちらにせよ絡みづらいのには変わりないんだが。
「悪いな、元々こういう顔だ」
「ありゃりゃそれはお気の毒」
……。
「用が無いなら俺は行くぞ」
「まぁまぁ、ちょいと待ちなんせ、私と少し遊んでかないかい?少しばかりヒマなんさ」
「……悪いが、こんなガキでも一応仕事で来ているんだ。遊んでいる暇はない」
「……仕事って?」
「……なんでお前にそんな事を教える必要がある?」
「冷たいね~。まぁでも、大体分かるけどね?森のほうに行くんでしょ?」
「……」
「あれ?なんで分かったとか言いたそうな眼だね?でもここにいる人間だったら誰だって分かるよ。だって、お兄さんのいるこの道は、ここからどこに行っても森に繋がってるし、唯一村へと向かう道に背中を向けて歩いてるんだもん。だけど、森へ行くんだったら手ぶらってのは感心しないかなって思って、だからちょいっと呼び止めたの。感謝して欲しいさねぇ」
……どうやら森に詳しく、かつ何度も足を運んでいるような口ぶりだ。
「あんた、この村で何をしてる?」
「およ? 私はしがない狩人っすけど?」
ふむ、森に詳しく暇人。 適任だろう。
「気が変わった。少し付き合ってくれ」
「あやや~?どういう風の吹き回しさね?もしかしてこの私に恋心が芽生えた?」
「それはない」
「即答?!」
「仕事の一環でここの森のことを詳しく知る奴に案内を頼もうと思っていたところだ。
この森の狩人なら申し分ない。 是非案内を頼む」
「おやや、森の中を案内して欲しいだなんて言われたのははじめてっさ。けど、そんなことで良いならお安い御用さ!任せときな!一日でこの森の狩人にしてあげるよい!」
「狩人にはならないんだが」
「細かいことは気にするな!さっそく行くよ!」
「おい!?ちょっ」
その小さな矮躯からは想像も出来ない程の力で、俺はそのまま森へと引きずりこまれていった。
「そういえば自己紹介がまだだったね。私はカザミネ、この森で猟師をしているものさ」
森に入ってしばらくたって、そうカザミネと名乗る少女は会話を切り出した。
いや、正確には一人語りから会話と言うものを開始したと言うほうが正確か。
「不知火深紅だ」
「ふぅん、変な名前だね」
「そうか?これでも気に入っているんだが」
「それは失敬」
ちょろっと舌を出しながら、カザミネに連れられてさらに森への道を進んでいくと、途中で道が途切れていた。
「ここが森の入り口。柵も何も無いけど、ほら、この二本の木、綺麗に曲がってて
入り口みたいになってるっしょ?これをみんな入り口代わりにしてるっさ」
「……」
見上げてみると、確かに、道の両脇に位置するように立つ針葉樹が、綺麗な曲線を描いて
門のような形をしている。
「さっ、こっちだよ」
そんな自然の神秘に感動している間に、カザミネはさっさと森の中へと進んでいき、
それに俺は黙って続く。
雪月花村東側に存在する森への入り口。
「ん?雪が……弱まったか?」
俺達が入ってきた入り口とは正反対の位置にあるこの道は、一見すると西側の入り口にある森とは変わりないが、なにやら降る雪の量が少ない気がする。
「おや、この中立の森に気がつくとは、お兄さん中々やるっさね」
「中立の森?」
「そう、何でか知らないけどここには動物が寄り付かないんさ。だからこの村を作った冬月の初代頭首は、大事な話し合いはここでしていたらしいさ」
「冬月の祖父か」
「おやや?まるで桜様を知ってるみたいな口ぶりさね?」
「……あいつの護衛が俺の仕事だ」
「!!?なんですと!?」
「ん?言ってなかったか?」
予想以上に驚きを見せた少女は、それから俺の顔をじろじろと観察し始める。
まるで、猟師が獲物のでかさを確認しているかのような、そんな眼だった。
「随分と貧弱さね……こんなんに桜様の安否を任せるだなんて……石田さんも年かぁ」
心の中の言葉が漏れている。いや、裏表の無い正確なのかも知れないが、どちらにしろ、こいつに道案内を頼んだのは間違いだったかもしれない。
「……どうでもいいが、とりあえずここら辺の地理を教えてくれ。ここからどう抜ければどの村へ抜けるか。何処の森と何処の森が繋がっているか。出来れるならこの、一見全部同じに見える針葉樹の見分け方を教えてくれると助かる」
「……ほう、君は頭脳派なんさね」
「まぁ、そんなところだ」
まぁ、あのバカの分も頭脳労働を任されていることは本当だから、ウソではないだろう。
「ふぅん、じゃあ説明するけど。いいかい、耳をかっぽじってよ~く聞くさ」
そういいながらカザミネは森を進みながら説明を始めた。
「ここ、中立の森は雪月花村の森の北東に位置してるっさ。さっきも説明したように、ここには動物が寄り付かない。木の量も他の森よりも多くて、太陽が出ててもほとんど真っ暗さ」
「ああ、どうりで少し暗く感じるわけか」
「うん、そんでもってここから南に進むと、君達が入ってきた道。この村で唯一森の外まで道が繋がっている場所、放浪の森。動物達が一番多くて、木の数も比較的少ない森。
そんでもってさらに南に進むとこの森で一番複雑な森、神の森さ」
「わざわざ名前なんて付けてるのか?」
「そうさね、この三つの森は中立の森はモミ属、放浪の森はトウヒ属、神の森はマツ属ってな風に、三つの純林が綺麗に固まってこの巨大な森を形成してるからね、聞くところによるとこれって、村が出来る前からそうなってたんだって」
誰も手が加えられていない森で、混じることなくキッチリと純林が並んでいる。
なるほど、確かに森に名前をつけるのは当然な運びか
「不思議な話だな」
「日本人なら分かるっしょ?自然で起きた不思議なモノには敬意を払う。八百万の神を信じる心は、大陸に住んでいるとは言え、私達にもキッチリ根付いているんさ」
自慢げに胸を張るカザミネの姿とその笑顔から、本当にこの森が好きなんだということは充分伝わった。
森の猟師というだけあって、やはり森に対する思いも人一倍なのだろう。
「さて、口で行ってもしょうがないさね、実際に現場を回ってみるさ あ、ちなみに分かってるかもしれないけど、西側全般は桜様の所有する雪月花の森だから、私じゃ案内できないよん」
「そうなのか?」
「桜様は良いって言ってくれているんだけどねん。一応当主様の領地だから、本当に困ったときか頼まれたとき以外は入らないって狩人たちの暗黙の了解になってるんさよ、桜様あっての私達だからねん」
「そうか……。そうなると雪月花の森のことはあまり詳しくないのか?」
「そういうわけじゃないよ?猛獣とか熊が出たときは私達の出番だからね」
「それなら、聞きたいんだが隣町に通じる道は、入り口から伸びる道しかないのか?」
「隣町は無いさねぇ。北にあるチクシの港に行くんだったら、この道を北に登っていくルートと、雪月花の森から地下道を抜けていく道があるけれど……あ、チクシって言うのはここから北に進んだところにある小さな軍用港のことさね」
軍用港……となると、北側からの進入ルートもありえるということか。
「ふむ……その地下道を使って誰かが雪月花村に侵入する……という可能性は?」
「誰を想定するかによるけれども、ある程度この村に住んでいて桜様とある程度近しい人間しか不可能だと思うよん?まず両方ともチクシ方面からの入り口だって、ここから北にあるタイガの林の中にあるし、まず見つけられないと思う。……元々あそこは通路じゃなくて昔の村人達が食料保存したりする場所を、雪崩が起こった場合の一時的な避難場所兼、村がなくなってしまった場合、チクシの港町まで逃げるために作った通路だからね。実際、チクシの港まで逃げたって話は聞いたことないし、チクシの人間も知らないと思うよ?」
「……なるほど、つまり外部の人間は、この道を必ず通らなきゃいけないって事か」
「そういうことになるさね」
「良く分かった。ではカザミネ、この通路周辺の森についてできるだけ詳しく案内してくれると助かる」
「ほっほい!任せておくさね! じゃあいくよ、ついてくるっさ!!」
そういって雪の中を颯爽とかけていく姿は、薄い茶色の髪と服装もあいまって、雪の森を駆け抜けるトナカイのようであった。
■