第二章 冬月 桜 4
手を引かれながら、俺は二人で住むにはあまりにも広すぎる屋敷の西側廊下を進む。
赤いカーペットと高そうな絵や甲冑が飾られている廊下は、さっきの東側廊下とは少しばかりディテールが異なっていた。
「まずはここです」
五十メートルはある廊下の奥。右側に現れた巨大な扉の前で冬月は不意に足を止める。
「ここは?」
「舞踏会専用の舞踏会場、ちょっと狭いけどまぁ飾り程度だから」
「あぁ……そう」
ぱっと見、中学校の体育館程度はありそうなだだっ広いホールが飾りとは。
ある程度の想像はしていたが流石超大金持ち、そのちっぽけな幻想を簡単にぶっ壊してくれる。
「踊ってみる?オーケストラはいないけど、レコードとかはあるよ?」
「悪いが、踊れない」
正確には踊ったことが無いというのが正しいが、ウソではない。
「なんだよ~深紅つれないな~♪もっとスマイルスマイル。そんな仏頂面ばっかしてっから友達できねぇんだぞ~?お前だって笑えば少しは……」
そういって長山は俺の頬を引っ張り、無理やり笑顔を作り。
「……うわ、なんて不気味な笑顔」
プチッ
「あだぁ!?手っ手刀で殴った!?殺す気か!?」
「何度も言わせるな、死んでも構わない」
「ひでぇ!?」
「ぷ……あははは」
と、不意に冬月が声を上げて笑い出す。
「あ……ごめんなさい。でもなんか、良いよね?二人とも仲良さそうで。私、村の子達のお姉ちゃんの立場だから、ちょっとうらやましいな」
その笑顔の意味は、何故か俺の心をつついたが、俺は何も言えず。
「何言ってるのサクちゃん。俺たち三人、もう友達だろ」
「長山さん……」
「ノンノン友達だから龍人君だろ?敬語なんて使わないで、石田さんと話すのと同じように気軽に話しちゃっていいぜ」
驚いたように、瞳を丸くした後、冬月は笑顔を見せる。
冬月のことを慰めたのは、やはり長山だった。さりげなく下の名前を呼ばせているところには少し下心が見えているが……。
これで確信した、長山に任せておけば大丈夫だ。
「な、深紅」
「好きにしろ。まぁ、その方がいつもの口調と敬語が入り混じった変な話し方を気にする必要がなくなるな」
そう言葉を漏らし、俺は次の場所へ案内してくれる冬月に続く。
「素直じゃないね~もう」
苦笑を浮かべる長山を無視し、先ほど通ってきた廊下と良く似た場所へ今度は出る。
「龍人君はもう通ったけど、ここが東側廊下。廊下の奥にあるのが露天風呂で、いつでも入れるから気軽に入ってオーケーだよ。時間は一応決まってるけど、まぁ私気にしないから」
「いや、そこは気にしたほうが良いんじゃないか?」
今さらりと冬月はとんでもないこと言ったぞ。
「え~?だってもうお風呂なら石田と何度も入ってるし」
はぁ……何か冬月を納得させるだけのことを思い付いて説き伏せれば、彼女のためにもコレからにも大変良かったのだろうが、生憎俺にはそんなスキルは備わっておらず、あけた口からため息だけを漏らして諦める。
そもそもこいつは同い年の男に会うこと事態初めてなのだ。周りの人間がみんな家族みたいな仲じゃ、そりゃ羞恥心もあったもんじゃないだろう。しかし親子間でも羞恥心は発生するはずだがまぁいい、こっちが気をつければいいだけだ。
「あれ?もしかして深紅照れちゃってる? エッチだな~もう、知ってるかサクちゃん。こういう真面目そうな奴に限ってムッ」
「死ぬか?」
「……あ……えと、調子乗ってスミマセンでした」
「?よく分からないけど、目の前にあるこの扉の先が厨房で、あんまり二人には縁の無い場所になるかな?衛生面を気にして石田締め切りにしてるし。
それで隣が談話室。夜は私も石田も大抵ここにいるから、娯楽関係は一通り揃ってるから、みんなで集まって何かするのも楽しいかもね」
そう部屋を軽く紹介し、冬月は東廊下を歩いて行く。
「遊びに来たわけじゃないんだが……」
「まぁまぁ」
長山になだめられてその言葉は飲み込むが、しかし彼女はどうやら俺達の役割を勘違いしているらしい。
……まぁ、どっちでもいいか。
「それでここが倉庫」
冬月が勢い良くドアを開けると同時に、暗い部屋がなにやら異質な空気を吐き出し頬を撫でる。
「……」
例えるならば魔獣の吐息。 ねっとりとした感触を持ったその息は、獲物をなぜるように全身を覆っていく。
この部屋……冗談抜きでやばそうだ。
「気味悪い部屋だな……本当に倉庫?」
見える範囲だけでも倉庫を倉庫たらしめるための『物』というものが存在せず、唯むき出しのタイルが敷き詰められ、この家とは扉一枚を隔てて完全に隔離されたような部屋。
倉庫というよりも、独房のイメージに近い。
「さぁ、私も良く分からないんだよね。部屋の奥に地下に続く階段があるみたいだけど、立ち入り禁止だって。昔ボディーガードの一人が帰って来れなくなっちゃったんだ」
「…………」
どうしてそんな危険な場所を簡単に出入りできるようにしておくんだろう。
と不思議に思ったが、あえて突っ込まないことにしておいた。
冬月につれられて倉庫の反対側の扉を開けると、俺たちが入ってきたエントランスに戻ってきた。
「次は二階か」
「うん、一階はさっき案内したので全部だから。次は上の階」
そういって装飾の凝った階段を上がっていく冬月。
階段の手すりを見てみると、黄金に輝く手すりに、神話の一部を書き写したように絵が掘り込まれている。
「……?」
ん?……この絵。
「深紅?どうかしたか」
「いや、なんでもない」
一瞬頭の中に何かがよぎったが、長山の声でそれが彼方へと消え、冬月の後を追う。
二階は、下の階とは違い、広い廊下が一本あるだけで、その壁にいくつもの部屋が存在するだけであった。
「丁度大ホールの真上か……」
「うん。だから奥に下に下りる階段あるでしょ?あそこから大ホールに出られるよ」
なるほど。脱出経路確保の際に役に立ちそうだ。
「冬月、登りの階段もあるようだが」
「ああ、あれは屋上へ行くための階段だけど、寒いから使ったこと無いかなぁ。
もし行きたいなら内鍵だから好きなときにいつでもいけるよ?」
「ふ~ん」
「何か変かな?この家。私、外のこと知らないから良く分からないんだけど」
「いやそういうわけじゃない。ただ、あまりにも広い家だから迷わないかと心配になってな」
「だいじょうぶ、すぐに慣れるよ♪それに、迷ったら私がすぐに駆けつけて行って案内するからね♪」
「……そうか」
「サクちゃ~ん、この部屋なに~?」
「あ、そこは医務室で……」
長山のほうへ冬月が走っていくのを確認し、俺は息をつく。
冬月の言葉をうまくかわしたが、正直この屋敷に違和感を持っているというのは確かだった。
この広い廊下にしろ、先ほどボディーガード達との一戦をしたエントランスにしろ……。
この家は少し、戦いやすい。
確かにコレだけの資産家になれば、強盗なども気をつける必要はあるのだろうが、
それにしてもここの家はセキュリティーというよりは、誰かが戦うことを想定したようなつくりになっている。
辺りを見回し、壁を触ってみても、見た目に反して相当頑丈に作られている。
「げっ!?この部屋手術も出来んの!?」
医務室から聞こえる長山のアホらしい声が聞こえ、俺は一度思考を停止する。
……考えてもしょうがないか。
どうにもここに来てから、余計なことを考えてしまう。
この家の詮索は必要ないとか言いながら、何故かこの家のことが気になってしまう。
……この家も……そして。
「それで、ここが龍人君の部屋で、隣が不知火さんの部屋。荷物はそれぞれ石田に運ばせて置いたから。何か不備があったら石田に言ってくれれば何とかするから」
はぁ……どうにも調子が狂う。
「うっわ!?なんだこれ!広っ!俺たちが二人で使ってた寮よりも広いじゃん!?」
「不知火君も!そんなところにいないで見てみて♪」
「ん?ああ」
冬月に呼ばれ、中を覗いてみるとなるほど、
恥かしいくらいはしゃぐ長山は多少オーバーであったが、確かに広い部屋だ。
ベッドにテレビにラジオ。 本棚はもちろん何故か冷蔵庫とコンロまである。
ここだけでも充分生活できそうだ。
「それで、隣が最後。私の部屋」
ドアを閉めて、隣を見ると一際大きな扉があった。
職人が心を込めて作ったのであろう装飾がふんだんに掘り込まれた茶色い扉には
~さくらのへや~と汚く掘り込まれており、その豪華な扉の威圧感を削ぎ落としている。
まったくもってかわいそうなことだ。
「……冬月」
「気にしちゃ駄目よ」
俺の質問はどうやら無視するらしく、冬月は扉を開けると。
「……」
目の前にあるのは白い大きなベッド。それ以外には見当たるものが無く。
俺達の部屋よりも広く、そして充実しているはずなのに……その部屋には恐ろしいほど何も無かった。
「ここが私の部屋。昔はお父さんと二人で使ってたんだけど。もういなくなっちゃったから今は一人で使ってる。 少し広くてもったいないんだよね」
冬月はそう言いながら、机ではなく扉の正面にあるベッドに座り。
カーテンが開けられたガラス張りのスクリーンに雪の森が映し出され、
雪の中にいるかのような錯覚を覚えさせる。
「……うほ~……すげーいい部屋だな?深紅」
「……そうか?」
先ほど、石田と話したせいだろうか?どうにもこの部屋は、綺麗というよりも悲しみのほうが似合ってしまう。
一ヶ月の命しかない少女は、雪の中で一人寂しく埋もれていく。
そんなことを思うと、余計に彼女を汚したくないと……思ってしまう。
「……部屋の案内はすんだようだから、俺は見張りに行かせて貰う。長山、後は頼んだぞ」
そういって部屋の中ではしゃぐ長山に一言残し、何か言いたそうな冬月を無視してその場を後にする。
赤い廊下。 似ているようで決して相容れない真紅色のその赤は……血で染まり、深紅色に染め上げられた俺を拒絶するかのように、自然に屋上へと歩を進ませた。
重い重厚な扉を閉じて、俺は辺りを見回す。
「……視界は良くないが。高さは十分だな」
三階に作られた小さな空間は、屋上と言うよりは小さなベランダであり、幸いなことに入口の村からこの城へと続く道が完璧に見渡せ、狙撃が可能だ。
正面突破を仕掛けてきたときはここからの狙撃だけで対応ができる。
まぁ、バカ正直に正面から突っ込んでくるとは思えないため、問題なのは身を隠すには事欠かないこの広大な針葉樹林だ。
この周り一体に術式の痕跡は感じられたが、空調固定と監視の術式を同時に施行することは不可能だ。
「……となると、問題は森か」
この針葉樹林は防衛にはあまり向いていない。
身を揺らすその木々は敵を覆い隠し、背後からの攻撃にはこの場所からは対応が出来ない。
ここの気候こそが最大の防御なのだろうが、今回の敵からして、それは期待は出来ないだろう。
「ふむ」
一つ言葉を漏らし、森とこのベランダのような屋上を見比べていると、ふとノックをする音が城の内側から響き、間を空けて一人の老人が顔をのぞかす。
「防衛の方針はお決まりですかな?深紅様」
「……石田さんか。見ての通り、考え中だ」
「えぇまぁ当然ですね。見ての通りこの森は敵を隠す隠れ蓑になってしまいます」
「あんたは今までどうやって護衛を?」
「恥ずかしながら、私は護衛よりも暗殺専門でして、森に入る前に叩くべしと先ほど手合わせをされた護衛を各ポイントに配置していました」
今さらっととんでもないことを彼が口走ったかのように聞こえたが、とりあえずそれは置いておいて。
「成程。しかし今度の相手はボディーガード程度では相手にならないな」
「ええ残念ながら」
「……となるとここでの見張りだけではなくて、森の中の見回りも必要だな」
「何か入用なものはございますか?」
「そうだな……あぁ、石田さん。さっきのボディーガードはどこで寝泊まりをしている?それを教えてくれ」
「村はずれの小さな寮ですが、其れが?」
「そうか、わかった……行ってくる」
「行ってくるって……」
そう一言残して、俺は柵の外へと身を乗り出して飛び降りる。
「深紅様!?ここは三階!?」
雪が降り積もっているため、コンクリートと違って足に来る衝撃は少ない。
「まずは戦力の確認と行くか」
術式の上からでも感じる寒さに一度身震いをして、俺は目的地へと向かって歩いて行った。
◆
「いやーイタリアってのはもう情熱の国だね、どこもかしこもいい女だらけ。特に三番街の酒屋のミランダって女がこれはもう気が強いのなんのって、話しかけただけで平手喰らっちまってさー。歳二つくらいしか違わね―のに、俺の事バンビ―ノだってよ。日本人ってやっぱ外人からしたら子供っぽく見えるって実感したわ。あれだけいい女がいるのにこっちには見向きもしねーんだもんよ。まぁだからもし行くんだったら美術館だよなやっぱ。予約しないと見れないってのが少し難だけどよ。フィレンツェにベネチア……あぁ、そういや最後の晩餐もあるんだっけか。そういや桜ちゃんは、宗教は?」
「うーん、私宗教は良くわからないな」
「ふーん。ロシア領土でもやっぱりここは日本人の集まりなんだな」
「そうだね、キリストも孔子もブッダも、人としての在り方を学ぶ上では参考になるけど、どうしても神様っていうのが理解できないかな。成功は努力と実力で奪い取る物だし」
「……流石は資産家の娘だな」
知り合ってから一時間。
深紅のそっけない態度にしばらくは落ち込んでいた少女だったが、今では俺の旅行の話を食い入るように聞き入っている。
なんでも村からあまり出たことが無いらしく、隣町までが、彼女にとっての世界だったらしい。
自家用ジェット位持っていてもおかしくない資産家のくせに、飛行機を生まれてこの方見たことがないというのだから驚きだ。
「おや、随分と打ち解けていらっしゃるようで」
と、不意に談話室の扉を開けて、石田さんが笑顔でやってきた。
「あら石田。お疲れさま。何か変わったことは?」
「いえ、依然変わりなく。しかし、社長の不在は社内でも少しばかり社員の不安をあおっているようでして、どこも薄々社長の行方不明に気づき始めているようです」
「そう……変な噂を立てられると面倒ね。イタリアとイギリスには私が。アメリカとベネズエラ、あと韓国の会社には石田、貴方が冬月一心として方針命令を提出して父の存在を確認させなさい」
「了解しました。後程手配させましょう」
そう言って石田は、ニコニコとした顔で談話室にあるカウンターへと歩いて行き、おもむろにティーカップとお茶菓子を取り出す。
「……しかし今は客人をおもてなしを優先させたいのですが、よろしいでしょうか?」
「当然。客人を放って仕事を優先するなど、私が許さなわいわ」
イタリア人顔負けのウインクをして、桜はこちらに向き直る。
石田さんは鼻歌のようなものを奏でながら、三人分の紅茶を入れている。
見たところ、仕事ではなく趣味の領分の様だ。
ほのかに香るダージリンティーの匂いと、高そうなクッキーの甘い香り。
そんな香りをおかずに、桜ちゃんに世界の広さを教える。
と。
「そういえば」
紅茶をいれ終えた石田さんが、カップを机に置きながらそう言葉を漏らす。
「何?石田」
「先ほど、不知火様が屋上から出て行かれましたよ?」
「屋上から?」
「えぇ、屋上から」
冷たい石田の視線と、何のことかよくわからないと言ったような桜の表情。
「飛び降りたの?」
「えぇそれはもう見事な飛び降りでしたよ」
「まったくあいつは……」
「龍人様、お出かけの際は玄関を」
「いや、使うからね!俺達が全員あいつみたいな変人ってわけじゃないからね!?あいつがおかしいだけだから!」
「そうなの?どっちかっていうと真面目で普通の人ってイメージだったけど、深紅くん」
なるほど、あのクールな表面に騙されてしまったのだな、少女Sよ……。
「いや、確かに堅物の仏頂面の宇宙人だけどよ、突っ込むのが面倒くさいって理由一つで友達に構わず銃ぶっ放すわ、面倒くさいの一言で建物一つ爆破するわ!そのくせなんか自分のルールでなんでもかんでも物事判断しようとするわ……もうとにかくあいつは変だから!変人だから!桜ちゃん気をつけろよ?下手したらボディーガードに殺されるなんて笑い話にもならないことになるからな!」
……いや、冗談抜きで起こりそうだから困る。
「でも、それって相手が龍人君だからじゃなくて?」
「あー……まぁ一般人とそうでないやつの区別はつくけど……なんていうかなぁその。
とにかくあいつは物事全てに効率を優先するというか……」
要するに、極度の面倒くさがりなのだ。
屋上から飛び降りたのも、一階に戻る手間を惜しんだだけであり、恐らく帰ってくるときも三階の屋上に飛び乗るだろう。
そして、そうやって、桜ちゃんと一か月間二度と顔を合わせることなく生活するつもりなのだ。
それが、桜ちゃんの為とか勝手に自分の中で自己完結をして……桜ちゃんが傷ついてることに気づこうともしない。
「まぁ、とりあえず。深紅の奴には俺から言っておくんで」
「えぇ、桜様がマネされたらことですので、お願いします」
「そんなことしないわよ!」
「あはは」
石田さんと桜ちゃんのやり取りに苦笑をして、俺はこれからの前途多難な桜ちゃんと深紅の関係に一抹の不安を覚えながら、クッキーを一口かじった。
◆