第五章 冬月一心の遺物
案内をされ、俺は一階の倉庫の扉を開ける。
整理をされた棚には数多くの品が存在し、中を少し覗いてみるとそこには古びた書物やら、子供の玩具やら、はたまた見るからに高級そうなものが投げ込まれたとしか思えない程煩雑に並んでいる。
「なぁ、桜……もしかしてこれは全部」
「うん。お父さんの遺品。……物の管理は全部自分でやってたみたいなんだけど、何分お父さんものに愛着ってものがないみたいで、すぐに適当なところにまとめてしまっちゃうの」
呆れたような表情をしながら、彼女は段ボールが山積みにされていた通路をかき分けるように進んでいく。
しかし、本当に色々なものがごちゃ混ぜに積まれている。
「っと……なんだこれ?」
ガラスでつくられた美しい騎士の像と、どこで手に入れたのか小さなこけしの人形の間に挟まれた、茶色い葉っぱのようなものを見つける。
「……」
ふとその物を拾い上げてみると。
なにやら黒ずんだ異臭を放つものが目の前に現れる。
「……バナナの、皮?」
一体どれだけ放置したのだろうか?
茶色くなった皮はパリパリに乾燥しており、何故自分がこれをバナナの皮と認識できたのかが不思議なくらいに別の物質へと進化している。
……何より恐ろしいのは、それがこの棚の中にしまわれているという事実だ。
これはもはや整理整頓が出来ないというレベルではない。
「愛着は無いのに捨てられないとは……難儀な性格だな」
そうぼやいて、俺は桜の後を頭上に気を付けながら追いかける。
「あ……あった」
「ん?」
埃にまみれた倉庫の隙間を縫うように、するすると先に向かった桜は何かを発見したようで、俺は段ボールやら釣竿やらにコートを引っかけたり、頭をぶつけたりしながら、おたおたと桜の元に急ぐ。
「何があったんだ?桜」
邪魔な荷物をぞんざいにどかしながら、ようやくたどり着くと。
「これ、多分ここの鍵だよ」
桜が指を刺した先にあったのは、ふるい扉だった。
「ほう」
荷物に隠される様に不自然な位置にあるそのドアは、うっすらとカビの臭いがただよい、 不気味な感覚に全身が弛緩する。
扉を開けたら、死体の山が出てきた。
なんてことがあってもおかしくない……そんな感覚だ。
……それほどどこか不自然で、とてつもなく不気味。
「……えと、シンくん開けてくれる?」
ジェルバニスや仮身、そしてゼペット達との対峙のおかげか、何かやばいものを桜は肌で感じ取れるようになっているらしく、そっとかぎを手渡して俺の後ろに素早く隠れる。
「……部屋に戻っていても……」
「やだ」
いつも通りというか期待通りというか……。
この桜の二文字の返答はもはや慣れたものであり。俺は言葉を返す代わりに一つため息を突いて気を引き締める。
……案外、こちらの方が集中力が高まっていいのかもしれない。
そんなことを思いながら、ゆっくりとドアノブに手を伸ばす。
……小さな鍵穴は、常闇を凝縮したかのように暗く、そこに鍵穴を差し込むと、ゼリー状の何かに鍵を突き刺しているかのような……軽い反発が鍵から手に伝わってくる。
「……ぬ……」
その感触を無視し、俺は奥まで鍵を入れて……
ゆっくりと回す。
がちん
「っふ!?」
小さな鍵穴にしては重いロックの外れる音が倉庫に響き、素早く鍵を引き抜いて確認をしてみる。
特に変わったところはない。
唯の鍵だ。
ゼリー状のようなものは付着しておらず、それどころか錆び一つついていない。
「……錯覚?」
だとしたらこの部屋にはよほど恐ろしいものがあるということだ。
気が付けば扉の隙間から黒色よりも深い色の霧のようなものが漏れ出し……ドアを強調するかのように、輪郭にそって靄がかかっている。
「……開けるぞ」
ドアノブをそっと握り、回して引く。
ぎいいい
古びた木のドアが不安をあおるようにうめき声をあげて口を開く。
……暗闇。
漏れ出していた靄と同じ、闇よりも深い純粋な黒が目前で大口を開けている。
……術式を起動すればその闇は晴れるだろう。
しかし、それでもこの闇は明かりが欲しくなるほど無気味であった。
「……桜……ランタン」
「……」
「桜?」
「ふえ!あ……うん」
慌てて桜は、手に持っていたランタンのスイッチを入れる。
炎のランタンではない、電池入れ替え式の蛍光灯が、甲高い音を鳴らして白い光を放つ。
「し……シンくん どうぞ!」
慌てながらランタンを手渡し、桜はまたすぐに俺のコートの端を掴む。
怖いなら来なきゃいいのに……本当に、意地っ張りな奴だ。
「桜、絶対に俺から離れるな?」
「うん」
桜は一度だけ震えながら頷き。
「あ……ストップ」
中に足を無みこもうとする俺の袖を引いて止める。
「なんだ?」
「……一応。罠があるかもしれないから視るね。物理的な罠だとシンくんの分野だけど、術式の方じゃシンくん対応できないでしょ?」
「む……それも、そうだが」
「?どしたの」
「…………村の御姫様が今ではナイフ一本で化け物退治したり、トラップ解除を進んでするとか言うんだもんな。この二週間で、随分とたくましくなったもんだ」
この分だと巨大兵器と一騎打ちでも始めるかもしれない。
「ちょ!私を君達みたいな世界びっくり人間と一緒にしないでくれないかな!?」
「十分俺よりもびっくり人間だよお前は」
「私君みたいにビルの間をぴょんぴょん出来ないもん!」
「俺は素手で氷の狼は両断できない」
「むーーーーもういいもん!」
頬を膨らませながら桜はそっぽを向き、赤い瞳を開く。
闇の中でも爛々と輝くその瞳は、決して威圧的ではなく、ルビーを埋め込んだかのように美しく、いつまでも見ていたくなるほどだ。
「うん……特に術式の作用はないみたい」
「……そうか、じゃあ下がってろ」
しかし、こちらに向き直った桜の瞳は既に元の青色に戻っており、俺は内心で舌打ちをして桜を背後に回して中へと侵入する。
……暗く、かび臭い隠された部屋は、倉庫とは違い整頓されている。
しかし、長い間忘れられていたその世界は、風化により倉庫よりも不潔なイメージを直接肌に刻み込んでくる。
「うっわ……石田さんなんで鍵持っているのに掃除しなかったんだ?」
歩くたびに埃が肌をなぞり、呼吸をする度にに肺が異物の混入に悲鳴を上げる。
「けほっ……けほっ」
「桜、口元を隠しておけ……下手したら肺炎になるぞ」
「……うん」
中の広さはさほどではない……といっても、この豪邸の各部屋に比べれば……だが
とりあえずは軽く見て十畳程度……部屋の中は明かりになるようなものはなく、唯真ん中に机が置いてあるだけで、壁に沿うように棚が並び、天井まで本が敷き詰められている。
「すごい本の数」
桜は部屋中を一回り首を回して見渡、驚嘆の声を上げる。
こいつの部屋にも大量の本があったが、この部屋はその半分以下の面積で、倍以上の蔵書量があるだろう。
「っと」
ランタンの光の強さを強めて、机の上にランタンを置く。
俺と桜の影が壁に大きく描き出され、部屋全体に白い光が飛び交い、部屋の陰影がくっきりと浮かび上がる。
「さて桜。この部屋は一体なんだ?」
「わかんない。……ただ、ここにある本は全部お父さんのだと思う」
そう呟くと、桜は一冊の本をおもむろに取り出し、ぱらぱらとめくる。
「なんでわかる?」
俺も桜と同じように、目に留まった本を手に取って一ページ目に目を通してみるが、どうやらロシア語表記の為諦めて元の棚に戻しておく。
「……これ見て」
「いや、俺はロシア語は」
「いいから」
読めないというのに桜はランタンの置かれた本まで俺を引っ張る。
俺は嘆息をしながら、本を覗き込み。
「理解できない?」
「……いや、できた」
息を飲む。
その本に書かれていたのは、戦闘用の仮身だった。
両手には刃が生え、全身は鋼鉄の装甲に覆われたマスクの異形な形をした兵器。
「む……」
しかし俺は違和感を感じて首を傾げる。
「どうかした?シンくん」
「何か違うな」
「?」
桜も首をひねるが無理もない。
違うと言っても、それは装甲のデザインと、腕から生えた刃の形状が少しばかり変だっただけで、それ以外は何も変わらない。
つい最近ギアを見たばかりの桜が、その違いに気づけるはずもない……。
それほど些細な違いだ。
「桜、この本、いつごろ書かれた本だ?」
「ふえ?えぇと、詳しくは分からないけど……多分二十年前くらいかな、さっきソビエトっていう表記がちらっと見えたから」
「……そうか、確かにこれはお前の親父さんが書いたものらしいな」
「なんで?」
「三年前、ギアは新兵器として兵器実験に駆り出された……と言うことは、気長に見積もって形になったのは五~六年前。それあのに完成形の絵が二十年前に書かれているということは」
「……ある筈のないものを絵にできるのは、設計者だけってことかな?」
「そういうことだ」
難しい顔をする桜の顔を一度撫でる。
「な!?何するのいきなり!?」
「え……あ、すまん」
む……この反応は意外だな……いつもなら声を上げるだけなのに。
今回は顔を赤くして頭を押さえている。
……もしかして少し力が入りすぎてしまったのだろうか。
「もしかして、痛かった?」
「そ……そういう問題じゃないよ!?い……いきなり触るからびび……びっくりしたの!」
「いや……いつもこんな感じにお前の頭をなでていたような気もするんだが」
「!!?う……ぁ、もういい!他を探すよ!」
「?」
結局、桜が何を怒っているのか分からないまま、俺は他に何か役に立つものを探す。
……桜の父親なら、桜についての資料が見つかるかもしれない。
「ふむ」
まぁ、いくら必死に探しても、結局はロシア語と言う言葉の壁の前に屈服せざるを得なくなるのだが……。
まったく、なんで昔の人間はバベルの塔なんて作ってしまったんだろうな。
「やれやれ……仕方ないとりあえずは日本語か英語の文献を探すか」
自分のくだらないやつあたりに。また一つため息を突き、俺は背表紙に自分が理解できる言語が書かれている本のみを重点的に探す。
まぁ、ロシア本土でそんなものがそう簡単に見つかるわけがないのだが。
「ん?」
半ばあきらめかけて、ここの探索を桜に任せて俺は掃除でもしようかと思い始めたころに、ふと、一冊の本が目に留まる。
……ロシア語のよくわからないアルファベットのような文字の中、俺にも分かる日本語で表記された背表紙のタイトル。
そこには。
「新兵器の開発について……」
それは、冬月一心のレポートであった。




