エピローグ
あの後、バイトを切り上げてアパートに戻ると、周囲は消防車と野次馬に囲まれていた。
地上では怒号が飛び交い、赤いパトランプがぐるぐると光を浴びせかける。
二階にある桃原の部屋からは黒煙と炎が上がり、暗い空を異常に照らしていた。鎮火するまでの数時間、桃原はただそれを呆然と見つめるしかなかった。
火は両隣の部屋の壁も燃やしたが、幸い、住民はどちらも外出中だったため、死傷者はいない……と思われていた。
翌日のニュースで、一名の医学部生の死亡が確認されたという報道が出るまでは……。
火事から二日後。桃原は警察署に来ていた。任意の事情聴取のためだ。
殺風景な取調室に通されると、桃原は中年の刑事と机を挟んで向き合った。格子の窓から差し込む陽射しが、無機質な床を部分的に照らす。
火災の原因は、老朽化によるガス漏れだったらしい。そこに何らかの火が引火し、爆発した。
その話を刑事から聞かされたとき、三島が以前言っていた腐った玉葱の臭いがどうのこうのという話を思い出した。あれはたぶん、ガス漏れの臭いだったのだろう。
「桃原くん。知っている事を素直に話す事が、キミの無実の証明にも繋がる。だから、偽り無く話してくれ」
「わ、分かりました」
「まず、キミの部屋で亡くなっていたこの男性は知っているかな?」
刑事は一枚の写真を見せてきた。学生証のモノだろうか。そこに写っている人物に桃原は見覚えがあった。でかい荷物を三日間だけ預けたいと言ってきた、あの医学部生だった。
「は、はい。名前はよく覚えてませんが、何度か面識がありました」
「そうか……キミの部屋には、ダンボールが沢山置いてあったそうだが?」
桃原は、ばつの悪さに沈黙したが、やがて、荷物を預かって金を稼いでいたことを正直に話した。
「……ですから、もしかしたら火事になったことを知った、その人が、自分の持ち物を取り出すために、燃える部屋に入って……亡くなってしまったのかもしれません……」
拳を握り締め、俯き加減で言葉を絞り出す桃原だったが、刑事は腕を組み、首を捻った。
「それは……違うと思うなあ」
「えっ?」
「キミがきちんと話してくれたから、こちらも話すけれどね、実はこの人物、司法解剖の結果、爆発の衝撃で亡くなっていたことが分かったんだ」
そう言われても、桃原は意味が分からない。
「衝撃で、って……ど、どういうことですか?」
「つまりだ、燃え盛る部屋に飛び込み、煙を吸い込んで亡くなったわけじゃなく、爆発が起きる前の時点から、すでにキミの部屋の中に居たってことなんだよ」
「そ、そんなの、無理ですよ。ドアや窓にはきちんと鍵が!」
すると刑事は、動揺する桃原とは対照的に、神妙な顔つきで、口を開いた。
「実はね、事件の可能性も視野に入れた我々は、その人物の自宅マンションを調べてみたんだよ。すると、妙なDVDを数枚発見してね……」
「DVD?」
桃原は首を傾げた。
「うん。ビデオカメラで撮った映像を焼いたものだったんだが……」
「それがなんだって言うんですか?」
言いにくそうな刑事の態度を、桃原がせかす。「……実は映像にはね、キミと、キミの部屋が映し出されていたんだよ」
「…………は?」
桃原は一瞬何を言っているのか理解出来なかった。
「おそらく、キミの部屋は、彼に『盗撮』されていたんじゃないかと、我々は見ているんだ」
「盗撮! そ、そんな……」
なぜ? どうして? そんな感情が駆け巡る中で、あることに気がついた。それは大量のダンボールだ。
あの中のどれかにビデオカメラを仕込んで盗撮していたとしたらどうだろうか。だからバッテリーやメモリーが切れた際には、必要な参考書があると言って、部屋を訪ねては、それを交換していた……? だとすると、物の配置が微妙に変わっていたり、見覚えのない皿や歯ブラシがあったのも……まさか。そいつが?
しかし、なぜそんなことを?
刑事はその疑問を、本人が亡くなってしまっているため、理由は定かでは無いと前置きした後、驚く姿を見たいというイタズラ心か、刺激を求めての行為だったのかもしれないと桃原に説明した。そして新たに何らかのイタズラを仕掛けようとしたところで、引火、爆発してしまったのだろうと……。また、大量のダンボールのせいで、ガスが部屋の隙間から抜けていかず、籠もってしまったことも、爆発した要因の一つかもしれないと推察された。
数時間後、精気が抜けたような虚ろな眼差しで、桃原は警察署を後にしていた。セミの鳴き始めた街中を歩いている途中で、最後に預かった荷物の事を思い出した。
もしあの中に入っていたのが、『本』じゃなくて『人』だったんだとしたら……? 自分の真後ろに置いていたあのダンボールの中を想像した瞬間、桃原はぞっとして、全身が粟立った。
だが、そのダンボールの中身を知るすべはもう無い。
なぜなら、箱は開ける前に、燃えてしまったのだから――――――。
了。




