二の姫と色男の恋の行方
本編に登場するルシールとランベルトの物語。
時系列は本編終了後なので、読了後推奨です。
まるで頬紅をさしたかのように薄らと自然に赤らんだ頬。気が付くとゆっくりと上がってしまう口角。優しげに光を灯す瞳。今までの鋭く作られたような美しさから、大輪の花がその花弁をついに咲かせたかのような美しさへと変化していた。
というのも、近頃ルシールの心にはまるで春が訪れたかのようにあたたかい。それは他ならぬ、クロヴィスとの関係が変わったことに理由があるだろう。
控えめながら、それでも力強さを感じるノックが聞こえて、ルシールはぱっと顔を上げた。それまで落ち着かない様子で、カップを持ったり、置いたりを繰り返していたのだが、そんなことも感じさせない様子で自ら扉へ駆け寄る。
「姫様!」
「いいの。――クロヴィス!」
「ルシール様。自ら扉を開けられるなど、無用心です」
侍女が止める声も聞かずに自ら扉を開けて、部屋へと招き入れるとクロヴィスは開口一番に注意をし始めた。
「大丈夫よ」
「確かに今は私でしたが、私じゃなければどうするおつもりですか?」
「クロヴィスが扉を叩く音と、そうじゃない音くらいは聞き分けができるから大丈夫」
「……ルシール様」
悪びれもせずに言い放つルシールにクロヴィスは呆れたような表情をしながらも、その目元は優しい。そんなクロヴィスの表情の違いにルシールは気付いて、ますます笑みが深まった。
「それで、今日呼び出したのは……」
「お茶のお誘いであればご容赦くださいね。私も職務中ですので」
クロヴィスはくすりと笑って、ルシールが言い切る前に告げる。姫の誘いとあれば、その誘いを受けてクロヴィスを罰する者はいないのだろうが、あえてそれを断ることが二人の仲の良さを示しているかのようだ。
「もう!今日は違うわ!今度の夜会の時、またエスコートをお願いしたいの」
「今度の夜会となると、ユリシア様のですね」
今度の夜会。それはユリシアがランベルトと婚姻をして王族の身分から離れる際に開かれる夜会だ。ユリシアが王女として出席する、最後の夜会。その時にはガルヴァンへ留学している末の妹も帰国する。大事な夜会である。
「ええ。そうよ。もしかして警備の担当になっていた?」
「――いえ。そうではないのですが、難しいです」
「……そう、なの」
思えば、近頃の夜会などの際にはほとんどクロヴィスにエスコートをしてもらっていた。そのため断られるということは正直考えてもいなくて、ルシールは落胆の色を隠すことができなかった。
「はい。申し訳ありません。そして、一つ。姫に申し上げておかなければならないことがございます」
「私に?」
クロヴィスは急に真剣な顔になって、ルシールを見た。いつもは優しげな笑みを浮かべていることが多いので、このように真剣な顔をしているクロヴィスを見ることはなかなかない。思わず心臓を跳ねらせて、クロヴィスを見上げるとその瞳と視線が合った。
「――騎士の職を辞することになりました。ユリシア様の婚礼の前には城を出ます」
その一言の後、ルシールはどうやってクロヴィスと別れたのか覚えていない。気が付くと、ベッドの上に伏していてカーテンの隙間からは光が差し込んできている。ベッドサイドの照明は光を失い、夜が明けたことを示していた。
元々、叶わない恋だと知っていた。王女と騎士、それこそ物語の中では結ばれることがあろうとも、現実もそうであるとは言えない。確かに姉のユリシアとランベルトはその特殊な例に当てはまるのだが、それも二人の努力の結果であるだろう。ランベルトは王に結婚を願い出れるほどの功績を上げ、ユリシアは王女の中でも身分が低かった。――それだけの話だ。
いつか恋をしてみたいと思っていた。だけど、現実の恋はこんなに苦しいものだなんて誰も教えてくれなかった。
そうしてルシールは涙に濡れる夜を過ごした。
「――姉さま。素敵よ。このヴェールのレースがユリシア姉さまらしいわね。でも、ここをもう少し詰めてもいいんじゃない?その方が身体のラインが綺麗に見えると思うけど」
その日、ルシールはユリシアの婚礼衣装の衣装合わせに顔を出していた。純白の衣装に身を包んだユリシアは神々しいまでに綺麗だった。少し照れたような表情を浮かべ、困ったようにはにかんで笑う。
「いいの。ルシールみたいにくびれてないんですもの」
「そう?私は気にするほどじゃないと思うわ。私は姉さまみたいに細くないし。……あ。胸が小さいの嫌だからそんなに隠すようなデザインなの?」
「ルシールみたいな身体に生まれたかったですわ」
ルシールがじっと見つめるそこには首元まですっかり覆ったドレスがある。胸元にはフリルが飾られ、心なしかボリュームアップしているようだ。ユリシアはふうとため息を吐いて、ルシールの身体を見つめる。
「姉さまは姉さまだからいいのよ。急に私みたいになったら、ランベルトに驚かれちゃうわ」
そう言って、ルシールは笑みを浮かべたつもりだった。
「ルシール……」
「あら。いやだわ。これも姉さまが結婚して離れちゃうから、一種のマリッジブルーね!妹を泣かせて、幸せにならないと許さないわよ!」
ルシールの頬には一筋の涙が流れていた。それを慌てて拭おうとすると、その手をユリシアが掴んで柔らかい絹のハンカチで雫を吸い取った。
ユリシアの幸せそうな婚礼衣装姿を見て、何故だか涙が溢れてきた。本当は叶わない恋だと知っていても、彼とこの衣装を着る日を夢見ていた。叶わない恋だなんて思いたくもなかった。
「あんまり擦るともっと真っ赤になってしまいます。ね、ルシール。姉さまは王族ではなくなってしまうけれど、ずっと貴女の姉さまですわ。だから、大丈夫。私は貴女の幸せをいつも願っているわ。それが人に認められない道でも、姉さまはルシールの味方よ」
「……ユリシア姉さま……っ」
涙するルシールをやんわりと抱きしめて、ユリシアがルシールの背を撫でる。同じ父を持つ姉妹ではあるが、誰よりも近い友人と言っても良い。王族という孤独な身分にいる姫にとって、同じ姉妹たちは親友でもあった。
そして、ユリシアの婚礼の日がやって来た。
挙式を行う式場には、すでに身分の低い貴族たちから順に会場に入って着席している。ルシールもリリアナに次いで会場へと足を進める。ルシールの席は一番最初の列のリリアナの隣だ。そのすぐ後ろには近隣諸国の大使が続き、そしてフォンディア貴族たちが続く。
ゆっくり、ゆっくりと王女らしく歩いているとふいに強い視線を感じる。だがここで顔を上げるには、少し相応しくない。ルシールはその視線を素通りして、着席した。
「ねぇ、リリアナ」
「何?姉さま」
「――ううん。やっぱり、なんでもないわ」
リリアナに視線のことを聞こうとして止めた。自分に視線を向けてくる人がいることが格段珍しいことではない。その視線の正体は王族に近づきたいとか、ただ単にルシールの容姿についてなど、くだらないことばかりだ。こんなめでたい日に話題に出すようなことではないと、首を振った。
「そう?……あ!ランベルト様がいらっしゃったわ。ユリシア姉さまももうじきね。お父様、とても緊張していらしたけど大丈夫かしら」
「今頃、ユリシア姉さまのドレスを見て泣いてる頃じゃない?」
「ふふ。そうかもしれないわね」
そうして姉妹で話していると、婚礼の儀式が始まった。
ユリシアはとても綺麗だった。長い金の絹糸のような髪は綺麗に結い上げられて、白の可憐な花がさされていた。薄化粧で純白の衣装を纏ったその姿は、我が姉ながら女神のようだと称されるのも納得できる清廉さだ。父は威厳を保とうとして、それでも涙を堪えきれないような複雑な顔をしていた。思わずリリアナを顔を見合わせて、二人で笑いながら一緒に涙を流したのも良い思い出になることだろう。
そして儀式は粛々と進み、ユリシアはランベルトの妻となった。
婚礼の儀式が終わると、少しの時間を置いて城の大広間で祝いの夜会が開かれた。広間には見知った顔の貴族達に囲まれている、今日の主役の新郎新婦が見える。ユリシアは髪を解いて、ゆるく片方に流してまた違った印象に見える。でも幸せそうなその表情は変わらない。
「姉さま。おめでとう。とっても綺麗よ。お幸せにね?」
「ルシール。ありがとう。私、絶対に幸せになりますわね」
「当然よ。――ランベルト様、姉さまをよろしくお願い致しますね」
「はい。我が身をもって、ユリシア様に尽くすことを誓います。……そう言えば、ルシール様を探している者がおりましたよ」
「私を?悪いけど、私疲れたみたいなの。少し休んでくるから、姉さまも辛くなったら休むのよ?その方にもそのようにお伝えしていただけますか?」
「ええ。分かりましたわ」
ルシールはユリシアにそう声を掛けて、会場を後にする。近くには休憩のために開放された部屋がいくつかあり、侍女に声をかけてその中の一つに身体を滑り込ませた。中には三人がけほどのソファとテーブルがワンセットあるだけのシンプルな部屋だ。ソファの背もたれに身体を預け、ふうとため息を吐く。
少しずつ、気持ちの整理はついている。それでも、こうして人の多いところで笑顔を作り続けているのは辛かった。
その時。扉をノックする音が聞こえた。控え目で、それでも力強さを感じるノックの音。ルシールにとって聞き間違えようない、聞き慣れた音だった。
恐る恐る扉に近づく。そして、ゆっくりと扉を開けた――。
「ルシール様、無用心ですよ」
「……クロヴィス?」
扉の前に立っていたのは確かにクロヴィスだった。だが、彼が身に纏うのは見慣れた騎士服ではない。若い貴族の間でよく見かける形の、貴族の男性が夜会などの際に着る服とほとんど同じだ。
思わずぽかんと見てしまったルシールにクロヴィスは小さく笑みを零す。
「驚かせてしまってすみません。少し、お話をしたいのですが、お時間をいただけませんか?」
「え?ええ。その服の理由を聞かせてちょうだい」
そう言って中に招き入れた彼が話した言葉はこうである。
「クロヴィスが家督を継いで、クロヴィス・オリオール伯爵になるっていうこと?」
「はい。私には兄がいまして、彼が家督を継ぐはずだったのですが、急な病で亡くなってしまいまして。それで私が実家に呼び戻されたわけです」
「それは大変だったわね。……でも、城を離れる前に一言あってもよかったんじゃないの?」
労いの言葉を掛けつつも、ルシールの顔には不満の色が滲む。拗ねた顔のルシールにクロヴィスは困ったような顔をして、言葉を続ける。
「話すべきだとも思ったのですが、全てが決まってから貴女にお話したかったことがあるのです」
「話したいこと?」
首を傾げたルシールにクロヴィスは緊張したような顔で身体を固くして頷いた。そしてゆっくりと片膝をつくと、ルシールを見上げる。
「はい。――どうか、私の妻になっていただけませんか?」
「……え?妻?え?ちょっと待って。何を言っているのか分からないわ」
ルシールの頭の中には混乱の文字が駆け巡っている。もう逢えないと思っていた想い人の登場、それだけでも驚きなのに彼は今何と言っただろうか?
「愛しています。王族の身分を離れさせてしまうことになってしまいますが、それでも貴女に不自由な思いも不幸な気持ちにもさせたりしません。私にとって、貴女が傍にいて笑っていてくれることが最上の喜びなのですから」
「……そんなの、断れるわけないじゃない」
「それでは?」
「答えは『はい』よ」
赤らんだ顔で頷くのと同時にクロヴィスは立ち上がり、ルシールの身体を抱きしめた。扉の外からは夜会で奏でられている音楽が薄らと聞こえる。それはユリシアとランベルトを祝うための明るい曲調のものばかりなのだが、それらはまさに二人の心情を表しているかのようにも思えた。
「ルシール様!一介の騎士の身分では貴女に愛を囁くこともできなかった。貴女の言葉が今、私をどれだけ幸せにしてくれていることでしょうか」
「も、やだ。恥ずかしいから離れて!止めてちょうだい」
「嫌です。折角想いが叶ったのに、私たちを分つものなど神ですら許されません」
そう言ってルシールの髪に口づけを落とそうとするクロヴィスから逃れようと身体を捩るが、一向に離れることはできなそうだ。その抱擁が柔らかく本当に力を入れればすぐにでも離れられる程度の力だったことや、ルシールの腕には全然力が入っていなかったことは二人だけしか知らないことである。
本編では触れなかったので、問い合わせの多かった二人の恋の行方について。
楽しんで頂ければ幸いです^^