ローレンスの幸運
ローレンス視点のお話です。本編8話までの内容を含みます。
ローレンスがリリアナの専属騎士になった次の日。ローレンスはそれまで与えられていた騎士団宿舎の片付けを行っていた。専属騎士になると、それまで与えられていた宿舎から移らなければならないのだ。それは専属騎士という立場が王に仕える騎士からも独立したものであることからなのだが、面倒であるのは隠せない。思わず零れるため息を吐きながら、少ないはずの荷物の量にげんなりと気持ちが萎えるのを感じる。
そんな中、換気のために僅かに開けておいた扉が大きな音と共に開かれるのに気付いた。何事かと振り向けば、見慣れた顔が一つ。
「ローレンス!」
「何だ。そんなに大きな声を出さなくても聞こえているよ」
ローレンスが振り返った先にあるのは見慣れた同僚の顔。それは同じチームで仕事をしてきた仲間のユーグだった。ユーグは短いはずの髪を振り乱し、まるで猪の様に部屋へと突入して来た。
「――おい!聞いたぞ、末の姫様の騎士になるって本当なのか?」
「ああ。そうだけど?」
「お前っ……!せっかく騎士になったって言うのに、なんで専属になんか!姫様だってそのうちご結婚なさるんだぞ。お前どうする気なんだ!」
想像通りの反応に苦笑を浮かべながらユーグを見ると、ユーグはまるで掴みかかりそうな勢いでローレンスに詰め寄って来る。
この国の軍の階級は大まかに一般兵と騎士の二つい分けられる。一般兵になるのにはそこまで難しいことはない。自ら軍に志願し、身元を保証する人間が居れば兵として入隊することができる。
しかし、騎士になるには一般兵になるのとは違い騎士学校に入学する必要がある。試験を受けること自体は難しいことではなく、この国の国民ということが証明出来れば誰でも受けられるということになっていて、入学した後の学費も無料だ。
もちろん入学するためには入学試験を突破しなければならないのだが、その試験とは実技試験であった。つまり初めからある程度の技量が無ければ試験を突破することは叶わないのだ。その後、無事に入学できたとしても騎士学校を卒業するためにかかる年数は人による。つまりは、1年で卒業出来る者もいれば3年で退学してしまう人もいるということだ。王と国の治安を守るための組織であるから中途半端な者はいらないということであるが、かなり狭き門なのであった。
「どうするもこうするもそのうち考えるさ」
「そのうちって、ローレンスお前なぁ!」
のらりくらりとした様子のローレンスにユーグは余計に苛立ちを募らせているようだった。
「まぁ、落ち着けよ。ユーグ」
「落ち着いていられるか!姫様って滅多に人前に出てこない大人しい姫だろ?そんな何でもない姫に仕えていても仕事なんて無いじゃないか!それにいつお払い箱になっちまうかも分からない。専属になるなんて止めておけよ。俺からも隊長たちに頼んでやるから!」
「――ユーグ、そんなことを言わないでくれ。確かに姫は人前にあまり出てこない姫だが、何でもないとはなぜ言い切れる?俺はリリアナ様をお助けしたくて専属になることにしたんだ」
初めてローレンスがリリアナに会ったのはフリアンという王都から外れた田舎町だった。離宮はあるが、町とは名ばかりの小さな町で自然に溢れ景色が良いだけの場所。そんな町の出身である子どもには文字が分かる平民が多いのだという話を聞いた。実際に我が屋敷で雇い入れた下働きにもそんな者がいて不思議に思ったのがきっかけだった。
その者に聞いてみると、フリアンの孤児院で町の子どもを集めて文字を教えている女性がいるというのだ。もし王都で文字を教えられるとなればそれなりの給料がもらえる仕事だ。それなのに、その女性は金を一銭も要求せずに文字だけでなく簡単な計算まで教えているというのだ。そんな人間が本当にいるのであれば見てみたいと思ったときに休暇が重なったのは、今思えば嬉しい偶然だった。
見に行ってみれば、そこに居たのは身なりの良い年若そうな、ただの普通の女性だった。町の住民にそれとなく聞いてみると彼女は城で働く父に着いて来た娘だと言うが、離宮で働いている者に聞いてみるとそれに該当するだろう女性は全くの別人だった。
「それに当てはまるのはマリーだろうね。たまにお店に来ているのを見ますよ。赤毛の子じゃないかい?」
町唯一の商店の女主人に聞いてみると、女主人は忙しそうに動きながら言う。女主人に訪ねたのは、父親に着いて来てこの町に来ている年頃の女性についてだ。
「赤毛の?」
「おや、違ったかい?でも、他にこの町にいる若い女なんて言ったらあとは王女様くらいじゃないかしらねぇ。王女様の侍女たちも若い子はほとんどいないっていう話だし。町の若い男どもが残念がっていたからよく覚えていますよ」
女主人はそう言って楽しげに笑った。だが、ローレンスの胸には疑問だけが残っている。てっきり王都育ちの貴族令嬢だと思っていた女性は、その人ではない。それは一体何を指すのか。
「ありがとう。そこの林檎を二つと、そのチーズをもらっても?」
「はいよ!」
女主人への情報の礼にと商品を購入し、店を出た。町にある店からあの女性がいる孤児院までは徒歩では少しだが、馬ではすぐだ。考える時間はそう無く、あっという間に孤児院に着いてしまった。
彼女の正体に疑問を感じながらも、その女性がいるという場所へ行き彼女を見た瞬間に昔読んだ童話がふいに頭に過ぎた。
それは心優しい姫の話だ。自らが持っていた物を民へ分け与え、民の生活を誰よりも憂いている姫。その姫の物語は少年だったローレンスに強い印象を残した。彼が騎士を志そうと思ったのは自身が次男であることが大きな理由であったが、いつか姫の手助けがしたいと思った少年の思いもかすかな記憶の隅に残っている。だが、それは厳しい訓練の中ですっかり忘れていることだった。人のために、国のためにそう思っていた気持ちはいつしか記憶の片隅にへと追いやられていたのだ。
なぜ、その時になってそんな幼い頃に読んだきりのおとぎ話を思い出したのかは分からない。だが、優しく真っ直ぐに子どもたちと向き合う女性の姿に心が打たれたのは紛れもない事実だった。
ローレンスはそれから休みの度にフリアンの街を訪れ、その中に溶け込むことに成功した。孤児院で教える彼女はどこかの貴族の女性だろうと初めは予想をしていたのだが、調べて分かったのはまさかの自らが仕える国の姫であった。そして身近でないはずの王女は自分が考えていた王族というものよりも身近で人間味のある人だったことを知った。自身の妹でさえ、日に焼けることを嫌がり日傘がない場所では滅多に外に出ようとしない。それなのに王女であるリリアナは街の子どもたちと同じように日に焼けることも嫌がらずに、笑顔で外で働くのだ。ローレンスがそんなリリアナのためにであれば、自分の命を賭けることも厭わないと思うようになり、その気持ちに憧れの気持ちが付属してしまうのも自然なことだった。
ローレンスにとっては全て幸運な偶然だった。その日は舞踏会場内の警備を任され、極力目立たないように気を配りながら警備にあたる。戦もないこの国は平和なもので、警備というのも形式上のようなものだ。騎士がそこに立っているだけで僅かに緊張感が生まれ、何かの気の迷いを起こしても踏み留まる。
その日もいつものように会場内に視線を遣っていると、リリアナがバルコニーから出て行くのが見えてすっと後を追った。リリアナはバルコニー脇の階段を降りて、噴水の傍に立っていた。月明かりで見るその姿は儚げで清らかでまさに水辺の妖精のようにも見えた。リリアナに声をかけた時にはすでに全てを決心していた。
「――リリアナ様、こんなところでどうされたのですか?」
「貴方はローレンス様……」
「はい。外に出るお姿を見つけ、追って参りました。いくら城内とは言え、こんな暗がりに居ては危険です。中へお戻り下さい」
驚いた表情を浮かべるリリアナに何でもない顔で告げる。だが、リリアナの反応次第ではもう二度と言葉を交わすこともなくなってしまうかもしれない、そんな不安がローレンスの胸に過ぎっていた。
「……私の名を知っていたの?」
「いえ。実は初めから存じておりました」
「初めから知っていたの……?」
ローレンスの言葉にリリアナは驚いていたようだった。それもそのように気付かせないように細心の注意を払っていたこともあったのだが、ここまで上手く行くと嬉しいものだ。
「フリアンを調べていたのも個人的に興味があって調べただけのこと。他の者にはなかなかリア様とリリアナ様が同一人物だとは気付きません。分かっております。このことはベルリナーズの名に懸けて、他言は致しません」
「でも、何故そこまでしてくれるの?」
リリアナは本当に意味が分からないと言いたげな顔だった。そんなリリアナに対して、可愛らしいと思うことは不敬にあたるかもしれないと思いながらも、つい笑みを浮かべてしまった。
「それはリリアナ様が自由に羽ばたく姿を見ていたいからです。――どうか、私を姫の専属騎士にしていただけませんか?」
「……あなた、それがどういうことが分かってるの?できないわ、そんなこと。貴方にとってそんなに簡単に言える言葉じゃないはずだわ」
そう願い出ると、リリアナは戸惑った顔でローレンスを見た。専属騎士になることに対して、自分でも驚くほど躊躇いは無かった。専属騎士になれば、その後の保障は全て無くなる。王太子の専属騎士にでもなればそれは生涯の忠誠になるのだろうが、姫であればそれは別だ。姫の婚姻によってローレンスの未来は左右されてしまうだろう。それでも、だった。
「はい。分かっております。姫様が飛ぶ先をお側で見ていたいのです。私は側で仕えていないと何を言うか分かりません。私は役に立ちますよ」
ローレンスの顔には笑顔があったが、それは脅しのようにも聞こえただろう。しかし、ローレンスの申し出はローレンスには不利なことが多いがリリアナには不利なことは少ないはずだった。リリアナは少しの間じっと考えた後、覚悟を決めたように頷いた。ローレンスは前に跪いてリリアナへ自身の腰へ挿していた剣を抜き差し出した。
「……分かったわ。リリアナ・メル・フォンディアがローレンス・ベルリナーズに専属騎士となるよう命じます」
「剣に誓います。リリアナ様に忠誠を」
ローレンスが差し出された剣の先へリリアナがそっと唇を落とした。儀式は月明かりだけが見守る中で静かに終わった。この後は騎士団にいくつかの書類を出せば、ローレンスは正式なリリアナの専属騎士になることができる。
「後悔しても知らないわよ?」
「私は後悔という言葉を存知ません」
リリアナはこそがローレンスを選んだことを後悔しないのだろうか。だが、そうさせないようにこれからも忠誠を尽くすだけだ。ローレンスが笑顔で応えると、リリアナは諦めたように小さく笑った。
「――ユーグが心配してくれるのは嬉しいよ。でも、俺は決めたんだ。それにもし何かあったら、お前が隊長にでもなって俺を拾ってくれればいいじゃないか」
そう言いながら最後の私物を箱に詰めて、箱を持ち上げた。一箱で足りるかと思ったが、思っていたよりも荷物が増えていて二箱になってしまった。それを黙って見ていたユーグが持ち上げる。
「本当に、貴族様は簡単に言ってくれる。……ローレンス、これもなんだろう?」
「ああ。頼む」
そう言って笑うと、ユーグは大きくあからさまなため息を吐いた。騎士の中では身分は関係ない。実力と勤務態度が悪くなければ、ある程度までは本人の努力だけで昇級することができる。だがそれもある程度までだ。それ以上の昇級を派閥や後見としてくれる人を見つけなければなることができない。そういう意味では平民のユーグには厳しい道のりであることは明らかだった。
宿舎の外に頼んでおいた荷馬車まで歩く。ユーグは怒っているのか黙ったままローレンスの後ろを歩いていた。
「ユーグ、助かった」
「……ああ、もう分かったよ!お前は姫様のお守りでもなんでもしたらいい。少ない同期が野垂れ死ぬことになったら困る。お前がいつでも騎士団に戻れるようにしててやる!」
荷物を置いてユーグに礼を言うと、ユーグは自棄にでもなったような顔でローレンスを見た。
「ああ、頼んだぞ」
「俺がお前を顎で使ってやるよ。騎士団辞めなければ良かった!って後悔させてやるからな」
「はは。それは怖いな」
そう言って二人で顔を見合わせて笑う。
騎士団を辞めたことを後悔する日がやって来ることはないだろうとローレンスは思う。それでもユーグの気遣いは嬉しかった。ローレンスは厳しい訓練の日々の中で、自らを惜しんでくれる仲間を見つけることができたのだから。
ローレンスがリリアナを好きになったきっかけに触れたいなと思って書き始めたお話だったのですが、結局あまり触れていないですね(笑)またそのうちリベンジします。