二の姫と色男
その日のルシールは一際心が荒れていた。その心は王女に有るまじきことだが言動にも表れ、侍女たちはただおろおろと翻弄されるのみだ。
「――アンナ、もういらないわ」
「でも。昨日もあまり召し上がっていっらしゃらないのに」
なおもルシールに声を掛けるのは側仕えの侍女のアンナだ。濃い茶色の髪と控えめな性格が妹姫のリリアナを思わせて気に入っている侍女である。ルシールよりも少し年若い彼女だがよく世話をしてくれているので満足している。
ルシールは体型のために等の理由で食事をあまり食べないなんてことはしないタイプで、普段からよく食べよく動くことを心がけているので健康と体力には自信がある。幼少期は少しお転婆が過ぎて、木に登ったルシールを見て侍女が悲鳴を上げるなんてことはよくあることだった。そんなルシールがここ最近はすっかり食欲が減退してしまっている。それも理由が無いわけではなく、きちんとした理由がある。
「全然喉に通らないのよ。料理長には謝っておいて」
「……分かりました」
スープと少しのフルーツにだけようやく口をつけただけの食事だ。それがここ数日に渡っているのだから侍女が心配するのにも無理はないが、アンナも諦めたように食器を片付ける。
「ねぇ。アンナ」
「はい。何でしょうか?他のものも召し上がられます?」
「ううん。それはいいの」
はっと嬉しそうに顔を上げたアンナに断ると、アンナはあからさまにがっかりした様子だった。
「私って美しくないと思う?」
「な、何を仰られているのですか!ルシール様のように美しい方を他に見たことがございません。王妃様譲りの黒髪は絹糸のように艶やかで、王様譲りの碧の瞳はまるでエメラルドのようです。それだけでなくお顔立ちだってそこらの貴族なんて霞んでしまうほどですし、肌は張りがあって滑らかで体型だって素晴らしいのは私が誰よりも存じております!」
「……ありがとう。でも、アンナがそんなに褒めてくれる私でもダメなのね」
アンナの勢いに苦笑しながらぽつりと漏らす。
「ルシール様……あのっ」
「いいの。ありがとう。しばらく一人にしてちょうだい」
「……かしこまりました」
アンナは食器を下げると、心配そうにこちらを見やりながら部屋を出て行った。
想い人であるクロヴィスがルシールの妹姫リリアナと城下から帰って来たと聞いたのは数日前だった。それを聞いた瞬間、ルシールは足場ががらがらと崩れ落ちるような衝撃に見舞われた。
ルシールは自分が美しいことを誰よりもよく分かっていた。そしてそれはほとんどの場合有効な手段として利用できることも。だがそんなルシールの美貌を持っても通用しないことがあった場合、どうすれば良いのかルシールは知らなかった。皆、ルシールが少し口角を上げて笑って見せるだけで虜になってくれた。それなのに、クロヴィスだけはルシールがいくら微笑んで見せても話しかけても飄々と変わらない。こちらを見てほしいのに、ルシールをその心に写してくれることはない。
今まではずっとそんな飄々とした彼が面白いと思っていたし、ただ美しい彼が傍に居ればそれで満足だったのだ。だがそれは彼を想う気持ちに気付いていなかったからこそ平気だっただけだ。彼への想いに気付いてしまった今はただ苦しい。
「――ルシール様。体調を崩されていると侍女に聞きましたが、身体は大丈夫ですか?」
「クロ、ヴィス?」
コンコンと叩くノック音の後に聞こえてきた声は誰でもない、今考えていたクロヴィスその人だった。当然、ルシールがクロヴィスを呼んだわけではない。誰がと考えてアンナの顔が浮かぶ。きっと気を遣ったつもりなのだろう。
「はい。ご気分が晴れればと花を持って来たのですが、入室してもよろしいですか?」
「……ええ。どうぞ、入って」
ドキドキと急に胸が騒ぎ出す。それを出来る限り表情に出さないようにしてクロヴィスに向き合う。
「確かに顔色が悪いようですね。医師にはもう診せたのですか?」
「医師に診せるほどではないのよ。侍女たちが少し大げさなだけよ。…あらソーレイユ?」
クロヴィスが持って来た花を手渡されて見ると、その花はソーレイユ。古語の太陽という名前がつけられた花だ。花は大きくルシールの顔ほどにもあり、黄色の花弁は一枚一枚は小さいが沢山ついている。大きな葉も元気な緑の色である。
「そちらの花よりもこちらの方がルシール様にお似合いですよ」
そう言って侍女が見たら黄色の悲鳴を上げそうな笑みでにっこりと笑う。クロヴィスが視線だけで指した花とは近くの花瓶に生けられた花だ。今朝知っている貴族の男から送られたもので礼儀的に活けていただけだったのだが、その花の名はレオンレーヌ――王妃の名を持つ花である。母である王妃がフォンディアに嫁いで来た際に記念として作られた花で、母の真紅の瞳のような色合いと豪華な花弁を持つ。その葉と茎の色も緑というよりは黒みがかっていて、レオンティーナとルシールに共通する黒髪をイメージさせる。
確かにレオンティーナとルシールはそっくりだと言われる。母の若い頃を知ってる人が見れば、母の若い頃にそっくりだと皆口を揃えて言う。母はフォンディアだけでなく、他国でも名の知られた美女であったから似ていると言われるのは嬉しい。
だがその花を贈られるということは、ルシールにとってそれは外見しか見てもらえていないということに等しかった。外見はよく似ているが、レオンティーナとルシールの内面はまったく似ても似つかない。母は外見こそ妖艶な美しさを持つと言われてはいたが、性格は真面目で厳しい。口数も少なく、伴侶である王の後ろに静かに控えているような人だ。それに比べてルシールは活発で喜怒哀楽がはっきりしていて賑やかな方だろう。
「……貴方にはそう見えているのね」
そう漏らしながら自然に口角が上がる。ルシールとレオンティーナは似ているが、まったく違う人間だ。この花はルシールにも似ているのかもしれないが、ルシールにとってそれは正しく別物だった。
「はい。だから早く元気なお姿をお見せしていただきたいです」
片目を閉じててにっこりと笑うとクロヴィスは慣れた手つきでルシールの腕を取って、手の甲にわざとらしく唇を落とす。
「クロヴィスには敵わないわね」
「……!」
他の男性はルシールが少し口角を上げるだけで喜んで尻尾を振ってくる。しかしそれはルシールの外見ばかりに気を取られて内面を見ようとはしてくれないということだ。初めからクロヴィスに他の男性と同じ扱いをして上手くいくはずがなかったのだ。
彼はルシールの内面も見てくれている。ルシールを一人の女性として見てくれているのだ。それを思うと自然に笑みが浮かんでくる。花が咲いたようなその笑みがクロヴィスに衝撃を与えたことに彼女は気付かない。