とある護衛によるフォンディア滞在記録その2
26話から32話までの内容です。
アベルニクス暦594年○月×日天気晴れ
フォンディア王都より南方に馬車で二日程行くとある町、ディカード。ディカードはルリモという果物が有名な町で、そのルリモの栽培方法などを視察するために向かうらしい。この果物は水が少なくても良く育つ果物らしく、厳しい自然環境のガルヴァンでも育つ見込みがあるのだそうだ。ヴィルフリート殿下はそのことのおかげなのか、王城を出発してからというものとても機嫌が良い。つくづく、国想いの殿下には頭が下がる思いだ。それに比べて、私はリリアナ殿下がご一緒と聞いて、つい胸を躍らせてしまった。本当に情けない。気を入れ替えて、これからも殿下に忠義を尽くして頑張りたいと思う。
アベルニクス暦594年○月×日天気晴れ
馬車での移動は時間が掛かるので、楽なようで中々体力が消耗してしまう。馬車の中の殿下を伺うが、殿下は疲れた様子も見せずに優しい言葉までかけて下さった。何と、「休憩の際には私のことは気にせずゆっくり休め」とのこと。殿下は侍従にもお優しい、とても素晴らしい人だ。仰っていただいた通り、休憩時間にゆっくりしているとヴィルフリート殿下がリリアナ殿下の天幕へと消えたらしい。……気のせいだと思うが、まさか護衛を撒くためにあのような言葉をかけたのでは……?――いや、まさか、殿下に限ってそれはありえない!むさ苦しい護衛を置いて自分ばかりが女性たちのいる天幕へ行くなんて!軍に入って早数年、軍には女のおの字もほとんどない。思い返してみれば、母と妹以外の女性とはしばらく話していない……。店の店員は身近な異性の数に入れても良いのだろうか……?
そんなことで悶々としている内に、ディカード領主の屋敷に到着した。王都で見るような豪華な作りの屋敷ではないが、このあたりでは一番大きな屋敷だ。領主に挨拶するヴィルフリート殿下の後ろで控えていたが、領主は人の良さそうな男で安心する。意外に人見知りをするのだ。……私が。
そしてささやかな宴が開かれ、殿下は随分お楽しみだったようだ。私が一瞬目を離した隙にリリアナ殿下と席を外していた。隊長が恐ろしい目で睨むので後を追いかけ、庭園の入り口に立つリリアナ殿下の騎士殿から避けて少し離れた場所より様子を伺う。これ以上近づくと殿下に気付かれてしまいそうなので、東屋で見詰め合う二人を植木に隠れて見ているが声は聞こえない。心なしか、二人の距離は近いように感じる。というか、……甘い空気が見える。月明かりだけに照らされた東屋は舞台の上のスポットライトさながらである。そしてはっと息を飲んで、隊長の下に戻る。隊長には怒鳴られそうになりながら、二人が手を握り合って見詰め合っていたことを告げた。すると独身・彼女いない暦=年齢の私の気持ちを察してか、護衛の場所を変わってくれた。何だか、目から汗が流れる日である。……別に寂しくはない。
アベルニクス暦594年○月×日天気晴れ
今日の殿下は何だか少しそわそわというか、浮ついている。まぁ、それもそうかもしれない。本日もリリアナ殿下がお傍にいらっしゃるので、気持ちは分かる。気持ちは。
ディカードに到着して以来、ずっと晴れが続いている。重くため息を吐くと、隊長から肩を叩かれた。そういえばヤツも新婚なのだったと思い、さらにため息が出た。
アベルニクス暦594年○月×日天気曇り
王都へ向かう帰路の最後の休憩時間。その少し前にヴィルフリート殿下に言付けがあるとリリアナ様の遣いがやって来た。リリアナ殿下の直属の侍女の方らしく、とても綺麗でお淑やかな女性だった。彼女の受け答えやしぐさを見て考えるに、きっと彼女自身も貴族の令嬢なのだろう。だが、そんなことを鼻にかける風でもなく私たち護衛の者にも優しく声をかけて下さる。思わず、荒野に咲く一輪の花を思い浮かべてしまった。つい名前を伺ってしまったが、嫌な顔もせずに教えていただけた。ジゼルというのが女神の名らしい。ここ最近の荒んだ心が彼女の微笑みを見るだけでそれも癒される。
はっと気付くと、休憩時間は終わり隊列が動き出す準備が始まっていた。隊長は私を見てため息を吐いていたが、今の私はそんなことでへこたれはしない。馬に乗って、何気なくリリアナ殿下の馬車を見るとちょうどジゼル嬢が馬車に乗り込むところだった。彼女は私に気付いてにこりと微笑んで馬車に乗り込んだ。
……そして気が付くと、王都に着いていた。隊長は私の顔を見て、ため息を吐いた。
アベルニクス暦594年○月×日天気曇り
明日、ガルヴァンへ帰ることとなる。フォンディアに訪れるヴィルフリート殿下に付き従ってやってきて、幾日。殿下は王族としてご公務だけでなく、様々な植物の視察なども行っておられた。きっとさぞやお疲れなのだろう。早々に寝室に入られた殿下は、それから物音一つ立てずに眠っておられるようだ。いつもであれば、まだトレーニングを行っている時間であるということを考えてみても殿下の気苦労のほどが伺い知れる。
そう思いながら眠気と戦っていると、ガタリと音がする。念のためお声をかけさせていただくと、空気の入れ替えに窓を開けられたのだそうだ。今日の夜風は少し冷えるので、お風邪など召されないと良いのだが。昼間まで曇っていたのに、カーテン越しに外を覗けば月が見える。ふと中庭に目を向けると、女性と男性の姿が見えた……ような気がする。気のせいだ。こんな夜更けに逢引などあるはずがない。断じてありえない話である。
アベルニクス暦594年○月×日天気晴れ
すっかり出立の準備は整い……ということもなく、護衛の私も荷物積みを命じられ先ほどから忙しなく動いている。ちらりと殿下を見れば、その傍には隊長が付き従っているようだ。思えば隊長はこういう力仕事の時は率先して護衛の仕事をしていないだろうか。
そうこうしているうちにお見送りにユリシア殿下とリリアナ殿下がお見えになった。こうしてお二人の姿を見るのもこれは最後。そういえばと辺りを見れば、リリアナ殿下のお傍にジゼル嬢がいらっしゃった。彼女はまた私を見てにこりと微笑んでくれた。だが、私たちの間には距離という大きな壁が立ちはだかっている。これも愛し合う二人を妬む神の仕業なのだろうか。真面目に一生懸命、熱心に仕事に励む私に何たる仕打ち!思わず打ち震えていると、私の目にとんでもないものが飛び込んで来た。
「――どうした。出発するぞ」
「……隊長!今、今……!」
あわあわと震える私に隊長は絶対零度の視線を送る。だが、私が先ほど目に入れたのはヴィルフリート殿下がリリアナ殿下の手の甲に口づけをするシーンだった。これが仕事を真面目に一生懸命、熱心に打ち込む私に対する仕打ちなのですか!あまりの衝撃に隊長に詰め寄ろうとするのを、隊長はしっしとまるで犬を追い払うような仕草で跳ね除けた。
「煩い。お前は黙って殿下に付き従うのが役目なんだよ。分かってんのか!」
「は、はいー!」
これ以上続けると鉄拳が飛んできそうだったので、慌てて馬に騎乗した。決して隊長が怖かったわけではない。余計な傷が付くと職務に支障が出るからである。
「ったく、お前は余計なことばっかり考えやがって!」
「そんなこと言ったって、隊長は良いですよ……。奥さんは情報部にお勤めですよね。俺知ってますよ、報告書とか言って奥さんへの手紙も混ぜてること!それって公私混同じゃないんですかー?」
「煩い。黙れ。……それとも、もう二度と口が聞けないようになりたいのか?ああン?そうなんだな?」
「……失礼致しました!職務に戻ります!」
そう言って人生で最高の敬礼をして前を向いた。後ろからはまだ冷気が漂っているような気がするが、そちらには決して目を向けない。私はまだ死にたくない。
「第一情報部情報指令課 アニエス・ディカルド殿
フォンディア滞在よりまもなく一ヶ月が経過する。
これより以下、ヴィルフリート殿下の定期報告とする。――」
アニエスは届いたばかりの報告書の前書きに視線を這わす。逞しい見た目通りの無骨で力強い字がまるで書き殴るかのように綴られている。一見、読みにくいように感じるそれもアニエスにとっては愛しい男を思い出させるものだ。
くすりと笑みを浮かべて、報告書の入っていた封筒を持ち上げるとカサリと小さな紙が落ちた。
「追記として、我が司令官殿にも報告書を提出する所存である。――
第二護衛部隊所属 護衛隊長ルイ・ディカルド」
そこに書かれているのは愛しの夫の名前だ。
「……全く、職権乱用じゃないか」
「――どうかされました?」
くすりと笑ってその名を指で辿っていたところをどうやら部下に見られていたらしい。部下は不思議そうな顔でアニエスを見ていた。
「いや。何でもないよ」
アニエスはそう言うと、すぐに職務に戻った。その時、部下が見たことがない笑みで微笑んでいたことは彼女は知らない。
※職権乱用、ダメ・絶対!
隊長と奥さんのスピンオフ「きっと、恋に落ちていた」




