◆4◆
村の誰かに頼むのは気が引けるし、負けを認めなければならないが、ヴィンセントならば食事のお礼として働いてもらえばいい。負い目を感じることもないだろう。
「……いいかも!」
誰にも借りを作らず、しかも畑を手伝ってくれる人員を手に入れたことに、マルティナは自分自身を褒めたい気分になった。
自然と顔がほころぶのは止められない。
「ジョンおじさんの小麦畑、手伝ってくれる? もちろん助けたお礼としてよ」
ヴィンセントを振り返り、確認してみる。
じっと見上げていたけど、彼は何も言わずに黙ってしまったのでマルティナはあら、と首を傾げた。
そういう意味で言ったのではなかったのだろうか、と不安に思い始めた時――
「あんた、誘惑してるの? それともそれ無意識?」
「はい? 何がよ?」
「無意識か……あんたにそれやられた男はかわいそうだな」
なんだか、馬鹿にされた気がする。
「どういう意味よ! なんなのよ?」
ヴィンセントは一人納得するとくっくっと笑いだした。
「なんなのよ、教えなさいよ、ねえ!」
たまに、同年代の男性と会話をしていると不意に相手が黙る時があった。顔を赤くして目を逸らされることもしばしば。
自分が何か変なことを言ってしまったのだろうと思っていたが、いくら問いただしてもその理由を教えてもらえることはなかった。
「ねえ、何? 自分だけ知ってるなんてずるいわ、教えてよ!」
「あんた、強いよな!」
強いと言われて嫌な気はしなかったが、これでは意味が通じない。自分は一体何をして強かったのだろうか。
「で、どこでもいいから寝泊りできる場所も提供してくれると助かるんだが」
ひとしきり笑い、満足したらしいヴィンセントは勝手に話を戻した。教えてくれる気はないらしい。
「図々しいわね。まぁ、いいけど。寝泊りする場所を提供する代わりに、しっかり働いてもらうわよ? もちろんお金は払わないけど、その代わり毎日の食事は出すわ」
「ああ、かまわない。助けてくれたのがマルティナでよかった」
「あら、そう……?」
そう言われるのは、正直嫌いじゃない。
困っている人を助ける、それが騎士だった父の教えの一つだから、なんだかうれしくなった。
でもこれは一人で決めていい問題じゃない。おじさんとおばさんに相談しなければ。
反対されたらどうしよう、と思ったけれど、二人はあっさり快諾してくれた。
「あら、いいじゃない。手伝ってくれれるなら大歓迎だわ、ねえあなた?」
「ああ、傭兵なら体力もあるし、畑仕事でも問題ないだろう」
少しくらいは疑って欲しいのだが、マルティナが連れてきた人ならば問題無いと言うのが二人の結論らしい。
「おじさん、おばさん! もし極悪非道の大悪党だったらどうするの!?」
「本人を前によくそんなことが言えるな……」
隣でヴィンセントが呆れていたけど、こうもすんなり許可が取れると少し抵抗もある。
「本当に大丈夫かしら……」
マルティナは小首を傾げて自分の選択が正しかったのかを考える。
ヴィンセントを見れば見るほど、胡散臭い気がしてならなかった。
夕食後、マルティナは蝋燭を入れたランタンを手に、ヴィンセントと外へ出た。
満ち始めた月明かりの夜道を二人で歩く。納屋まではほんの少しの距離、明かりは必要なかったかもしれないと思った。
食事中も彼は人当たりの良い笑顔で、おじさんとおばさんと楽しそうに会話をしていた。どうやら西の村では羊毛生産が盛んらしかった。
チーズは好きだけど羊になんて興味はない。マルティナは食事中も抜かりなくヴィンセントを観察してみたけれど、怪しい動きは見られなかった。
疑いすぎるのはよくないことだわ、とマルティナは頭を左右に振る。
そんなマルティナの不可解な行動に、ヴィンセントは少し驚いていたが彼女は気付いていなかった。
「あなたは今までどこで働いていたの?」
「まあ……色々だな」
急に話かけられたヴィンセントは言葉を濁して答えた。
「そうそう、さっき食べたジャガイモのスープはうまかったな。マルティナが作ったんだって?」
「ええ、そうだけど……」
どうして彼は、傭兵の仕事の話になると話題を変えようとするのだろうか。
マルティナは眉間に皺を寄せてヴィンセントをじっと見る。きっと彼は何かを隠している。
暴いてみたい気持ちもあるが、マルティナ自身もあまり言いたくない秘密を持っているため、強要はできない。
「なんだよ……本当に色々だよ、西の方は領主同士での諍いが多いんだ」
ヴィンセントはそんなマルティナに気付いて取り繕った。
「雇われ傭兵は金さえ貰えればどこへでも行くんだ。ここは平和すぎて実感がないかもしれないけどな」
確かにこの平和な村以外では、マルティナは城での生活しか知らない。もちろん傭兵の仕事についてもそれほど知っているわけではない。
「わかったわ、ヴィンセントを信用する」
苦笑いのヴィンセントは嘘をついているようには見えなかった。
「マルティナ、もう一回言って?」
「だから、信用するってば!」
「そっちじゃなくて」
にこにこしながらヴィンセントはわけのわからないことを言いだした。意味が解らず首を傾げてマルティナは目で問う。
「もう一度俺の名前を呼んで。さっき初めて呼ばれた」
「は……?」
そうだったかしら?
呼ばれるのを待つヴィンセントを前にして、マルティナはもう一度名前を呼ぶことに抵抗を感じた。
意識すれば、それがなにか特別なことを意味する気がして恥ずかしくなる。
「ひ、必要もないのに言わないわよ!」
ヴィンセントを置いてさくさくと歩みを進めると、背後からくっくっと忍び笑いが聞こえてきた。
なんて腹の立つ男なの!
彼はマルティナをからかうことに楽しみを見出しているようだった。
「さあ、ここがあなたの寝泊まりする場所よ!」
ヴィンセントには納屋で寝泊りしてもらうことになっていた。まだ得体の知れない男を、自分の隣にある空き部屋に寝泊りさせるわけにはいかない。
畑仕事の道具が置いてある納屋の隅に、多めに藁を敷いて、ヴィンセントの寝床を作っておいた。
それを見て彼は問題ない、と答える。
「明日からちゃんと働いてもらうからね」
「ありがとう、おやすみマルティナ」
ランタンを手渡し、扉を閉めようとしたところで思い出す。
「そうそう、昼間言ったことだけど……あたしの父が騎士だって話、村の人は知らないの。だから誰にも言わないで」
念のため忠告をしたら、ヴィンセントは意地の悪い笑みを浮かべた。
「へぇ……内緒なんだ?」
「何よ、もしかして言いふらすつもり?」
月が雲に隠れたのだろう、ふいに辺りが暗くなる。
「これをネタに、マルティナに言うことを聞かせるのも可能ってわけだ……」
マルティナは身の危険を感じて、無意識に一歩後ずさった。暗闇から伸びた手が、マルティナの腕を掴む。
「どうしてやろうか……」
ヴィンセントの囁き声が耳元で聞こえる。いつの間にか彼は、マルティナの取った間合いを詰めていた。
「あ、あたしを脅そうっていうの?」
ランタンの明かりだけではヴィンセントの表情は読み取れない。
「自分の秘密をよく知りもしない人間に簡単にばらしたら、こうなるってことだ」
ヴィンセントがランタンを顔の高さまで持ちあげると、からかいの表情で笑う彼の姿が見えた。
「道が暗いから、ランタンはマルティナが持って行け。転んで怪我でもされたら俺の責任になりかねん」
掴んだ腕を持ちあげてその手にランタンを握らせると、ヴィンセントはおやすみ、と言ってマルティナの目の前で扉を閉めた。
「な、な、なんなのよ!!」
あとに残されたマルティナは、思いの限り大声で叫んだ。
幸いにも、納屋が村の中心から離れているお陰で誰も家から顔を出すことはなかった。