◆2◆
「ティナはなかなか自分の信念を曲げないよね……」
強い光を放つまっすぐな瞳に見つめられれば、マルティナがすでに決心したことは理解できた。
他人を巻き込みたくないという想いも、自分自身が狙われるという恐怖や不安だってわかる。
だからそれを取り除いて安心させてあげたかった。けれどマルティナは自分が行くべき道を既に選択してしまった。
誰にも頼らず一人で歩む茨の道を――もしも並んで歩いたら、道が狭すぎて二人とも棘で傷ついてしまう?
ならば――
「いっそのこと城に閉じ込めてしまおうかな……」
恨みことを言う口を塞いで、逃げないように自由を奪って、城の一番高い塔に閉じ込めておいた方がまだ安心できるのではないだろうか。
小さな声で呟いたそれは、近くに立つヴィンセントに届いていた。
彼は呆れ顔で振り返ると静かにため息を吐いた。
「まあ、確かに城も安全かもしれないけどな……なにも外からの敵だけ相手にすればいいってもんじゃない。城内だって身内にも気を付けなければならないだろ」
「城の者がティナに危害を加えるとでも?」
ジャスティンはむっとしてヴィンセントを睨んだ。
「可能性がない訳じゃない。オールブライト伯だって、あんたの父親だって欲しいはずだ、魔力を持つ自分の子孫が――それを作れる人間が傍にいるんだ」
その言葉はジャスティンに対しても牽制しているように聞こえた。
魔女が子を産めば、高確率で魔力は子供に継承される。
魔術師が子供を産ませても子供が魔力を持って生まれるとは限らない。
なぜ魔術師よりも魔女が重宝されるのか――それは魔力を持たない権力者達が、自らの子孫に魔力を持った者を欲するためだった。
魔女は魔術師よりも魔力が強いだけではない。見た目では老いを感じさせず、常に美しく妖艶でいて……それ以外にも利用価値は多いにある存在なのだ。
「や、やだ……」
マルティナは手で頬を覆いしゃがみ込んだ。彼女は初めてその意味に気付いたようだった。魔女が狙われる本当の理由を。
手の隙間から覗く真っ赤になった頬が可愛くて、つい笑みが零れてしまった。ジャスティンは急いで表情を取り繕う。
「そう、だね……」
かわいいマルティナ、妹のような存在だった彼女は、いつの間にか美しく強い女性に成長した。
いつからだっただろうか、彼女の存在が常に眩しく目に映るようになったのは――
次期領主という重荷を意識した頃から? ここに住む領民と領土を守るためならどんなことでもしようと誓った頃から?
それとも、領土に侵入した敵を、初めて自分の手で処分した時からかもしれない。
ジャスティンは大きく息を吐くと、ゆっくりと吸った。
「ティナ、魔女の集落に行く準備を手伝うよ」
マルティナは顔をあげてジャスティンを見上げた。
安心させるように微笑みかけると、マルティナも表情を緩める。
誰かに横から奪われるくらいなら――魔女の集落にでも地獄にでも、どこへなりとも彼女を無事に送り届けよう。
「そこへ行けば魔力の扱い方も教えてもらえる。力を内に秘めることができるようになれば、すれ違っても簡単に魔女だとは気付かれないさ」
「ほんとに? そしたら村に戻れるのね?」
頷くヴィンセントに、マルティナは顔を綻ばせた。
「ジャスティン、あたし立派な魔女になって戻ってくるわ! この力があれば簡単に畑に水をまけるし、怪我の治療もすぐできるわね!」
嬉しそうに話すマルティナが愛おしくて、ジャスティンは知らず知らずのうちに微笑んでいた。
「そうと決まれば、必要なのは馬と、食料と――」
「俺も一緒に行く」
黙っていたライナスが口を開く。きっと彼ならばそう言うと思っていた。
ライナスが一緒ならば心強いだろうと、ジャスティンは思った。
「なに言ってるのよ。明日出発するのよ? まだ動かない方がいいわ」
「責任を取らせてくれ。奴の目の前で魔女の力を使ってしまった――そのきっかけを作ったのは俺なんだ」
「責任って……責任って何よ! あたしライナスの重荷になんかなりたくないわ!」
「いや、そういう意味で言ったんじゃない! ティナを――村人を守るのは騎士の務めだ。だから、自分のためにとか、自分のせいだとか……う、自惚れるな!」
「な、なんですって! よくも言ったわねっ!」
そんな二人のやり取りを見ていると、ずっと離れて暮らしていても昔と何一つ変わっていない関係が可笑しくて、眩しくて……これが日常なんだと感じた。
「まったく、不器用すぎだよ二人とも」
大切な幼馴染二人を見やり、ジャスティンはため息を吐いた。
「本当だな、見ていてイライラする」
ヴィンセントも横で頷く。
彼は嫌いだが――もしかしたらこちら側の人間なのかもしれないとジャスティンは思った。
「不器用って、イライラって何よ! これはあたしとライナスの問題なんだから、外野は黙っててよね!」
「はいはい。邪魔はしないよ」
ジャスティンはくすくすと笑いながら扉を開けた。
「僕は明日の準備をしてくるよ。ヴィンセント、君も手伝って」
――マルティナの機嫌を損ねたのはライナスだ、後は自分で責任を取るべきだ。
罰として、怒れるマルティナと二人きりにしてあげよう。ちらりとライナスを伺うと、ジャスティンの気持ちを察したかのように彼は顔を青くした。
ジャスティンは静まり返った廊下をヴィンセントを従えて歩いていた。
屋敷内に人が少ないのは、多くの騎士が村に逗留しているせいだ。
「君は随分と魔女の集落について詳しいようだね?」
「ああ、まあな……」
そのことについてヴィンセントは多くを語りたくないらしい。
「行ったことはあるのかい?」
言葉を濁す彼にジャスティンは尋ねる。
「王都に、という意味なら答えはイエスだ」
「その集落に行った魔女は、本人が望めば戻ってくることはできるの? 王都に入った魔女の所有権は王のモノになるんじゃないだろうね?」
「それは……本人次第だな。彼女達は王都を好む。何でも手に入るし、魔女だというだけでちやほやしてくれる。だから田舎から出てきた娘は、それに慣れるとなかなか帰りたがらない。それから何度も言うが王都にあっても集落の自治権は魔女達にある。本人が出たいと望めばその通りになるから、マルティナのことを心配しているのなら安心して良いと思う」
「そう……ティナなら大丈夫だね。きっと帰ってくる」
帰って来て欲しい……何か約束をしておけば、彼女はその責任を果たすべく帰って来てくれるかもしれない。そのためだけに何か約束をしておこうか。
帰ってきたら結婚しよう――とか?
自分の馬鹿さ加減に呆れ、ジャスティンは嘲笑を漏らした。
そんなジャスティンに気付かず、ヴィンセントは階段の小窓から覗く遠くの村を見ながら顔を曇らせていた。
「そうそう、奴らは君を探してここに来たようではないらしいよ」
ヴィンセントはぎくっとして目を見開いた。
やっぱりね、とジャスティンは口元に笑みを浮かべた。
彼は何者かから逃げているようだ。
「村人に確認したんだ。奴らは誰かを探していたわけではなかったようだよ。ただ純粋に、そこにあった村を襲いに来たんだろうね」
「なら良かったよ、俺のせいじゃなくて」
ヴィンセントの目に怒りと悲しさの織り混ざった色が見えた。追われる理由はきっと誰にも、マルティナにも話さないのだろう。
「ヴィンセントの馬と食料も用意するよ。途中まではティナと一緒に行くんだろう?」
王都シャノンまでの道中、彼女を守るためにヴィンセントはきっと必要になる。
けれど、もしもマルティナにとって邪魔になったならば――
「助かるよ」
ジャスティンの思惑に気付いたかはわからないが、ヴィンセントは無表情でそう呟くと、また村へと視線をうつした。