◆1◆
「マルティナは、水の力を持った魔女だ――」
小さな声で、ヴィンセントはそう呟いた。
「どうして? どうしてわかるの?」
突然魔女だと言われてもマルティナに自覚はない。
「あたしじゃなくてライナスかもしれないじゃない。それか、村にいる誰かかも」
「見るやつが見ればわかるさ」
ヴィンセントは暗い声で言った。傭兵ならば簡単に見分けることができるのだろうか。
「それって――」
「その話は本当かい?」
「ジャスティン」
納屋の陰から気配もなく現れたのは、深刻な顔をしたジャスティンだった。
「……口外するなよ」
話を聞かれていたことに舌打ちをしたヴィンセントはジャスティンを睨む。
「するわけないだろ」
マルティナの前に立つと、ジャスティンは心配そうに眉根を寄せて顔を近づけた。
「ティナ、心配はいらないよ。必ず守るからそんな顔をしないで……」
ジャスティンの手がそっと頬に触れる。
自分はそんなに頼りない顔をしていたのだろうか……マルティナは表情を引き締めると、力強く頷いた。
そんなマルティナを見て、ジャスティンが少しだけ微笑む。
「さて、これが本当ならまずいことになる」
盗賊は魔女の――マルティナの力を目の当たりにしたのだ。一度は逃げたけれど、態勢を立て直せば再び襲ってくるだろう。魔女は子供や娘を誘拐するより何倍も価値があるのだから。
「村は騎士に守らせよう。それから追撃隊も編成する必要がある」
ジャスティンは心優しい幼馴染から、次期領主の顔に変わっていた。いつもにこにこしている彼は今はどこにもいない。
「ありがとう、ジャスティン」
「何を言ってるんだい、ティナ。騎士はこんな有事のために存在しているんだよ」
それでも嬉しいものは嬉しい。色々な心配事が少しずつ溶けていくようだった。
「ヴィンセント、盗賊はどっちに行ったと思う?」
「そうだな……ここに戻る前提で考えて、もし俺が盗賊だったら――」
マルティナは、足元の桶を見下ろした。
そっと水の中に手を入れる。すると今度はマルティナの身体で何かがざわめいた。
これって――
説明はできないけれど、直感的にこれが魔力なのだと理解した瞬間だった。
魔力の殆どは親から子へ受け継がれるものだと前にヴィンセントが言っていた。
ある日突然、力が目覚めたとしても、血を遡れば魔力を持つ先祖に行き当たるのだ、と。
ローレンス家は騎士の名門一族であるが魔力を持つ者の話は聞いたことがなかった。
「もしかして、あたしの母さま……?」
可能性があるとすれば、顔も声もぬくもりさえも知らぬ母親と、その一族――
けれどマルティナは母親の出身地はおろか、親戚が存在するかさえもわからない。
マルティナの母は、父が遠征の地で見初めて城に連れてきたのだと聞いただけだった。
母親が貴族出身ではなかったため、結婚する時は一族間でずいぶん揉めたのだとか。
「もしも母さまから受け継いだのだとしたら……嬉しい」
亡くなる間際にマルティナという名前を授けてくれた母親からの、二つ目の贈り物――それがこの魔力なのだとしたら、村を離れる原因になったとしても苦にはならない。
大切な母から受け継いだ、愛すべき力なのだから。
逆にこの力のせいで村に被害が出てしまう可能性を憂いた。魔女の噂が広まれば、オネット村を襲おうとする輩が後を絶たず現れるのだろう。
目を瞑ると、ジョンおじさん、リズおばさんの笑顔が脳裏によぎった。マルティナを今まで育ててくれた大事な家族だ。
アンやジェシカ、ジャック、リリーさん、村のみんな……
絶対に皆を危険に晒すわけにはいかない。ならば早く村を離れなければ――
村の守りはしばらくの間、騎士を数人逗留させるとジャスティンが教えてくれた。ほとぼりが冷めるまで村は騎士が守ってくれるのだ。
それにしても、腹立たしいのはあの男だ、
赤毛で悪趣味な外套の盗賊のことを思い出すと、鎮静化した怒りが再熱する。
火の魔術を扱う盗賊は村を襲い、ライナスを傷つけた。死ぬかもしれなかった。
魔術を悪いことに使うなんて許せない。
魔術が十分操れるようになったら、いつか絶対に復讐してやるわ! そう、氷漬けにして炎が出せないようにしてやるのよ――
マルティナは、そう心にかたく誓い、拳をぎゅっと握る。
「絶対にやり返す……」
自分に言い聞かせるように小さく呟いた。
「……ティナ、ナマルティナ! 聞いてるのか?」
「えっ」
ヴィンセントに名前を呼ばれ、マルティナは現実に引き戻された。彼は腕を組みこちらを見ていた。
「意見を聞きたい。それでいいか?」
「ええと……」
「明日出発するんだよ、ティナ。明日、村を離れる」
ヴィンセントの後ろでドアに寄りかかっていたジャスティンが付け加える。
「ああそうだ、できれば早い方がいい。明日の朝までにはここを出発した方がいいだろう」
「ええ、いいわ……」
マルティナは頭を振って必要のない考えを頭から閉めだした。母や復讐のことは時間ができた時に考えればいい。
「僕からの提案なんだけど、この際だからティナは城で守ろうと思うんだ」
どう? と微笑みかけるジャスティンを、マルティナは驚いた顔でまじまじと見つめた。
「お城で?」
戻れるというの?
「何言ってんだ。今度は城が標的になるぞ。城で匿うより魔女の集落に行くべきだろう」
そうだ、今度は村ではなく城が標的となってしまう。マルティナの淡い期待はすぐにしぼんだ。
「ねえヴィンセント、魔女の集落って何? それはどこにあるの? もしそこに行って、次にそこが狙われてしまうのなら……あたしは行けないわ」
もしも名前の通り、魔女が集団で暮らしていたら、それこそ格好の餌食ではないのだろうか。
「魔女の集落にはたくさんの魔女が暮らしている。けど集落といっても一つの村じゃないんだ。王都シャノンの城壁内にある」
高い城壁に囲まれた王都シャノン――集落はその中に存在するが、国王に管理されているわけではない魔女達の自治区だという。
もちろん、そこを襲えば確実に王への反逆と見なされ処罰される。また、王に仕える領主の領地に囲まれた位置に存在するため、他国から侵略される心配もまずない。
魔女が集落に入り、名目上保護されれば争いの火種になることはないのだとヴィンセントが説明してくれた。
「それなら安心だわ、あたし魔女の集落に行く」
「僕は反対だ、シャノンに行く間に襲われない保証はない。ここから何日かかると思っているの? 城でも十分守ることができるよ」
「でもジャスティン、お城の人たちに迷惑はかけられないわ」
城にはオールブライト伯爵に仕えるたくさんの騎士や、その家族も暮らしている。
衣食住の面倒を見る使用人だっている。もしも敵に攻められれば、戦えない彼らが真っ先に傷ついてしまう。
そして城が陥落すればマルティナだけでなく彼らの住む場所が奪われてしまうのだ。
魔女が城で匿われているという、たったそれだけの理由で……
それは絶対に避けるべき結末だ。
「ティナはどうして……他人のことよりもまず自分のことを考えなよ?」
そんなマルティナを見て、ジャスティンは怒りの感情を抑えたような声音で言う。
「ちゃんと考えてるわよ? だからあたしは村にも城にもいちゃいけないのよ」
「全然考えていないよ…………もう少し僕に頼ってよ」
ジャスティンの言葉の後半は、声が小さすぎて聞こえなかった。けれど自分の身を案じての提案だということはマルティナもよくわかっている。
ジャスティンはやさしすぎるわ――
マルティナは心を痛めると同時に、こうして優しさを表してくれる彼に対して心が温かくなるのを感じた。
だからもう誰も巻き込んではいけない――マルティナはジャスティンを見つめる。
「ねえ、ジャスティン――」
「それにほら、城の騎士は強いよ。ライナスだっているんだから!」
そのライナスはマルティナのせいで怪我を負った。死ぬかもしれなかったのだ。
あの瞬間を思い出すだけで何とも言えない不安に駆られる。
自分のせいで誰かが傷つくのはもう見たくない。
「ジャスティン、やっぱりそれはいけないことよ」
城で匿ってもらう訳にはいかない。あまりにも多くの人を巻き込んでしまうから。