◆4◆
どうして俺はいつもこうなんだろう――と思った。
最後の記憶は、降りしきる雨と空、それから目に涙を溜めたマルティナだった。
ライナスがマルティナを泣かせたのはこれで三度目になってしまった。自分の不甲斐なさにうんざりする。
――始めて泣かせたのは騎士団長だったローレンス卿が、マルティナの父親が亡くなった時だった。
ローレンス卿の亡骸を前にしたマルティナは、唇を噛んで涙を堪え、その事実を受け止めようとしていた。
体格もライナスと変わらなかったマルティナが、あまりにも小さく見えて震えていたから、我慢しなくてもいい、と声をかけた。
それ以上ローレンス卿の亡骸を見ていたら、ライナス自身が耐えられなかったからだ。
ローレンス卿はライナスを我が子のように誉め、叱ってくれた人だった。
自分の父親がくれなかったものを、彼はライナスに与えてくれた。
目に涙を溜めて振り返るマルティナの顔を見ていたら、自分が今にも泣いてしまいそうだと気付いた。
そんな顔を見られたくなくて、涙が零れそうになったその瞬間、咄嗟にマルティナを抱き締めた。
男が泣くなんて格好悪すぎる――確かあの時、そう思ったんだ。
先にマルティナが泣けば、自分は耐えられるかもしれない。
だから……
「こういう時は、泣いてもいいんだ」
だからライナスは、マルティナの耳元でそう囁いた。
もう少し背中を押せばマルティナが泣くと思った。マルティナが涙を流せば、自分が泣いてもきっと気付かれない。
思った通り、その言葉でマルティナはライナスの胸で堰を切ったように泣き喚いた。
騎士にあるまじき卑怯なやり方で、ライナスはマルティナを泣かせた。
今まで涙を見せたことのなかった強いマルティナを――
腹部の痛みはもうなかった。多量の出血で身体が麻痺したのかもしれない。
だけど今度は胸が痛い。
この痛みはどうして麻痺してくれない?
頼むから、もう泣かないでくれ……
涙を拭おうとマルティナの頬に手を伸ばした。
けれど、その手は空をかすめただけだった。
「ティナ……?」
ライナスの目に映るのは見覚えのある天井の模様だった。
「気がついた?」
ジャスティンの声が聞こえる。
声のする方へ顔を動かすと、ジャスティンは本を手に窓辺の椅子に座っていた。
「ここは……?」
「何を言ってるの、それともボケちゃった?」
ここはライナスが与えられている部屋の寝室だった。
部屋の隅にあるドアを開けば、廊下を半周回らずにジャスティンの部屋へ行ける造りとなっている。
一介の騎士が個室を与えられる――それは次期騎士団長としての周囲からの期待と、ジャスティンの近しい友であり、彼に一番最初に忠誠を誓ったライナスが賜った栄誉だった。
「何日たったんだ?」
ずいぶんと長い夢を見ていた気がした。
けれど、いくら夢の内容を思い出そうとしても、すくった水が指の間から流れ落ちるように、ライナスの記憶から消えていくのは止めらそうもない。
「すごい生命力だよね、まだ一日しか経っていないよ。それはそうと傷を見てごらん? 僕もさっき見て驚かせてもらったけど」
本をパタンと閉じてジャスティンが立ち上がる。
何を言っているのかわからなかったが、ライナスはベッドから半身を起こして掛布をめくった。
何も身につけていない上半身、腹部にあるはずの傷は、跡形も何もない。
「水の魔術だって。すごい治癒の力だと思わない?」
マルティナを捕まえていた男を切り殺したあとの記憶はなかった。
そのまま死ぬのだろうと思った。マルティナを助けられたのなら、死んでもいいと思っていた。
「そうか……治癒の魔術で助かったのか」
そんなライナスを見て、ジャスティンは切なげに微笑む。
「さて、ライナス。何か欲しいものはある?」
笑みの裏側にジャスティンの安堵の色を垣間見た。きっと心配させてしまったのだろう。
主を心配させるなんて臣失格だな、とライナスは思った。
けれど、どうしてだかこの安息感が心地良い。
「喉がカラカラだ、何か飲みたい」
「わかったよ。この僕に頼むなんて君はいい身分だよ、まったく」
ジャスティンは憎まれ口を叩きながら廊下へと続くドアを開けた。閉める直前でにやりと笑みを浮かべる。
嫌な予感がした。
「酒は持ってくるなよ」
「もっといいものを用意するよ」
音も立てずにドアが閉まった。
窓辺に目をやると小机に十冊程の本が無造作に重ねて置いてある。床には空になったワインの瓶が数本転がっていた。
「本当に、次期領主らしからぬことをするな……」
怪我人の面倒なんて使用人に頼めばいいものを、ジャスティンはずっとこの部屋にいたのだろう。
そういう優しいところは昔と何も変わっていない。
「ああ、くそっ」
傷の痛みはないが気分はすこぶる悪かった。
少し起き上がっただけで頭痛と吐き気に見舞われる。
これが貧血という症状か――
ライナスはベッドに倒れ込むと、こめかみを押さえながら目を瞑った。