◆3◆
騎士の集団が村に着くと同時に雨は止み、空には大きな虹がかかる。
遠くでジャスティンが騎士に指示している声が聞こえた。声を頼りに探してもどこにいるのかわからない。
我が子を抱き上げようと右往左往する村人や、互いの無事を喜ぶ人々の間から、マルティナ、と呼ぶ声が聞こえて振り向いた。
「ヴィンセント……ライナスが! 早く治療を――」
雨に打たれて冷えきったライナスの顔は青白い。
マルティナは泣きそうだった。もしかしたら泣いていたのかもしれない。髪から水が滴り顔に流れている。
「なんとかしないと……」
ライナスの横にしゃがみ、さっきまでしていたように傷口を抑えた。
「落ち着けマルティナ、ライナスは大丈夫だから」
「何を、言ってるの?」
こんな状態のライナスを見て、真面目な顔で大丈夫だ、と発するヴィンセントが信じられなくて、マルティナは声を荒げる。
「大丈夫なわけないでしょう! 大量に血を流しているのよ?」
「癒しの雨が降った、傷を癒す水の魔術だ」
「癒し……? 水の、魔術?」
意味がわからなくて戸惑っているマルティナの手を、ヴィンセントはライナスから離そうと掴んだ。
「ヴィンセント?」
マルティナの手は離れることを惜しむかのように抵抗する。
「傷の様子を見たいんだ」
大丈夫だから、と囁かれ、マルティナはやっと手を離した。血に濡れた手は、マルティナの意に反して小刻みに震えていた。
ヴィンセントが赤く染まった上着を破る。
「見ろ、傷は塞がってる」
ライナスの腹部にあるはずの傷はなかった。
「でも……目を覚まさないわ」
「貧血だろう。大丈夫、じきに目を覚ますから」
ライナスは蒼白な顔で横たわっている。
顔にそっと触れようとして、自分の手が血まみれだったことに気付いた。彼の綺麗な顔に血を付けてしまうことにためらい、マルティナは手を引っ込める。
ライナスの様子を見に来た騎士に、ヴィンセントは二言、三言何かを伝えると、しゃがみ込んでいるマルティナの腕を引いて立たせた。
騎士はさっきまでマルティナの居た場所に座り、ライナスの様子をうかがっている。
心配した面持ちで見守っていると、ヴィンセントはマルティナの腕を引いて歩き出した。
「や、ちょっと!」
逆らってもヴィンセントの腕からは逃れられない。
ライナスの周りに他の騎士も集まり、取り囲むとマルティナからは見えなくなってしまった。
「離して、ねえヴィンセント!」
ライナスが本当に意識を取り戻すのか心配だった。
「ヴィンセントってば」
聞こえているはずのヴィンセントは一言も発せず、マルティナの声に振り返りもしない。
「もう、離してってば!」
意識を取り戻すまではライナスの傍にいたいのに。
広場から遠く離れると、ヴィンセントはやっとマルティナの手を離した。
「お願い、あたしライナスの傍にいたいの」
ヴィンセントは雨で水がたまっていた桶の中にマルティナの両手を乱暴に押し込んだ。
急に腕を引かれて肘の関節に痛みが走る。
ヴィンセントは怒っている?
無言のヴィンセントに戸惑い、マルティナは抵抗できずされるがままにした。彼はマルティナの手を水の中で擦り、血の汚れを落とし始める。
無色透明だった水の表面にゆっくりと赤い染みが広がるのをマルティナは黙って見つめていた。
「魔力が目覚めたんだ……」
ずっと黙っていたヴィンセントが突然口を開いた。
「そう、なの……?」
村に来た騎士の誰かに水の魔術が目覚めたということだろうか。
「お陰で助かったわ…………まだ助かったかはわからないけど」
ライナスが心配だった。
汚れを落とされ綺麗になった両手を、身に着けていた前掛けで拭く。しかし水分を含んで重くなったそれは、マルティナの手を湿らせただけだった。
遠くの広場では、騎士や村人が行ったり来たりとまだ混乱が続いている。
早くライナスの様子を見に行きたかったけれど、ヴィンセントはそれきりまた黙ってしまった。
「ヴィンセント?」
彼は口を開き、再び閉じた。マルティナに何かを伝えたいけれど、言うべきかどうかを迷っているようだった。
村人は全員が広場に集まっており、ここにはマルティナとヴィンセントしかいない。
まさか――
「まさかあなたが水の魔術を?」
ヴィンセントはずっとおかしな態度だった。人気のない所にマルティナを連れてきて、その事実を伝えようとしたのだろう。
けれど、その疑問は違う、という否定の言葉で一蹴された。
「マルティナ……君が、だ」
「あたしが、なに?」
「君の力だ――」
ずっと目を合わせなかったヴィンセントが、マルティナを見つめた。
「あたし……?」
傷を癒した雨も、盗賊だけに当たった氷の塊も?
「あ、あたしがやったの?」
マルティナは自分の手を見つめ、握ったり広げたりを繰り返した。血の汚れは取れたけれど、爪には土と血の混ざったものがまだ残っていた。
「そんなはずないわ」
自分の身体に変化は特に見られない。
怒りと焦燥感で少し眩暈を感じたけれど、それ以外には何も感じなかった。
「あたしじゃないみたい。違う誰かよ」
もしもヴィンセントが誰かと勘違いをしているのなら、マルティナの近くに居た人物になる。
「ひょっとしてライナスじゃないかしら?」
「俺は間違えない。マルティナだ、君は……水の魔女だ」
ヴィンセントはマルティナをじっと見つめた。その眼光は揺るぎなく、目の前のマルティナを射すくめる。
その眼力に気圧されてマルティナは彼から一歩離れた。
「マルティナは、水の力を持った魔女だ――」
ヴィンセントは距離を詰めると、マルティナだけに聞こえる声で呟いた。