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空色の魔女  作者: 来栖ゆき
魔女の目覚め
14/22

◆2◆

 沈黙が続く。

 この現状をどうにか打破しなければ――けれど、マルティナは焦るだけで何もできないでいた。

「きゃあ!」

 その静寂を破ったのは他ならぬマルティナ自身だった。突然の彼女の悲鳴にライナスが振り返る。

 背後からそっと近づいてきていた男の部下に、マルティナも、ライナスさえもまったく気付かなかったのだ。

「いやっ離して!」

 腕をうしろに捻られ身動きができない。マルティナは呆気なく敵の手に落ちた。

 離れようと抵抗しても、腕をより捻り上げられれば痛みで何もできなくなる。いくら強いと自負していても、男の力の前ではこうしてされるがままだった。

 女であることが悔しくて、何もできない自分に対して嫌悪する。

「その汚い手を離せ!」

 マルティナに気を取られたライナスの隙を見逃さなかった。赤髪の男が剣を振り上げる。

「ライナス、後ろ!」

 はっとして降り返るライナスと、長い剣の動きのすべてが、マルティナの瞳にゆっくりと、そして鮮明に映った。

 鮮血が舞い眼前を赤く染める。

 痛みに顔を歪めバランスを崩して落馬するライナス。その向こう側で嘲笑を浮かべる男の冷たい瞳――

「ライナス!」

 地に落ちたライナスは立ち上がろうとするが、それさえもできず、脇腹を押さえて倒れ込んだ。

 ライナスの腹部から赤い染みが急速に広がっていく。

「ライナスっ!」

 マルティナは駆け寄ろうとした。けれど、腕を引かれて近づくことも許されない。

「離して! お願い、手を離して!」

 落馬しても剣を離さなかったのは、騎士の名誉を捨てていないから? 

 こんな状況でもマルティナの一部分はどこか冷静にライナスを分析していた。

 生前に父が何度も言っていたことを思い出す。立派な騎士は、何があろうとも、例え死を覚悟しても、決して剣を捨ててはならない――

 立派な騎士じゃなくてもいい……剣を捨てて止血をしなければ。

「お願い、血を止めないと死んでしまうわ!」

 マルティナは懇願するように赤髪の男を見つめた。

「当たり前だろ、殺すつもりでやったんだから」

 剣の切っ先からは、ぽたりぽたりと赤い雫が滴り落ちている。

 男の目には何の感情もない。

 殺すつもりでやった――それは真実だった。


「ティナを、離せ……」

 ライナスは額に汗を浮かべ、苦悶の表情で起き上がろうとする。身体に力を入れれば、その分だけ体内から血が流れ出た。

「やめて……だめ、それ以上動かないで!」

 ライナスは剣を地面に突き刺し、ゆっくりと片膝で立つ。

 彼を止めたくて掴む腕から逃れようとする。

 男は暴れるマルティナの首に片腕を回し、後ろから抱きかかえるように押さえ込んだ。

 首を軽く絞められると同時に、首筋に生温かい息がかかり思わず顔を背ける。

「それはオレの女にするんだ、余計なことはするなよ」

 赤髪の男は部下を一瞥すると、馬首をめぐらせて離れた。

「その手を……離せと言っている!」

 ライナスは剣に体重をかけ、渾身の力を振り絞って立ち上がった。

 滴る血は服を赤く濡らす。

 部下の男は、ライナスを挑発するかのように気色の悪い声で笑うと、マルティナの首筋を舐めた。

「ひゃっ」

 マルティナはあまりの気持ち悪さに驚いて声を上げた。

 それがいけなかった。

 ライナスの瞳に炎が宿ると、剣を地面から抜き振り上げる。

 そんな余力が残っていないと思っていたのだろう、驚いた男はマルティナを突き離して腰の剣に手を伸ばした。

 しかし、剣を抜く前に、男は断末魔の叫びを残して事切れた。

 倒れて動かなくなった男の姿を確認すると、ライナスはとうとう剣を手放して膝から倒れた。

「ライナス、ライナス!」

 マルティナは腹部の傷口を押さえ、止血しながら声を掛けた。

 けれど反応はない。

 耳を近づけ、ライナスのかすかな息遣いを確認する。まだ手遅れではないことをひたすら祈った。

 自分さえ油断しなければ、ライナスはこんなことにはならなかったのに―― 

 目頭が熱くなる。ぽたりぽたりと水滴がライナスの頬に落ちた。

「ライナス! 返事をして!」

 お願い、死なないで! 

「瀕死のくせに、やってくれたな」

 赤髪の男の声が頭上から聞こえた。いつの間にか戻って来ていたようだった。

 顔を上げれば怒りを抑えた表情でライナスをじっと睨んでいる。

「仇は討たせてもらうぞ」

 彼は剣を逆手に持ち替えた。振り下ろせばライナスの心臓を刺し貫くことのできる位置だ。

「卑怯だわ! 意識のない相手にすることじゃない!」

「オレ達は品行方正な騎士サマじゃないんだ。卑怯だろうと何だろうと関係ない」

 そうだ、彼らは騎士じゃない。卑怯な手段も卑劣な行為も何だろうと顔色変えずに行う盗賊だなのだ。

 男の片目がぎらりと光った。

「さっさとそこをどけ。それとも一緒に死にたいのか?」

 マルティナはライナスを庇うように身を乗り出した。意識のないライナスを守らなくては。

 あたしさえ……あたしさえしっかりしていれば――

 ドクン、とマルティナの心臓が大きく脈を打った。

 あたしが捕まらなければ、ライナスは怪我をしなかった――

 パチン、とマルティナの内側(なか)から何かが割れた音がする。

 その割れた何かは、マルティナの胸から、掌から、身体全体から溢れ出るようだった。

「どかぬなら一緒に殺すまでだ。少々、勿体無いが――」

 キィィィン、と激しい耳鳴りがマルティナを襲う。男の声が掻き消える。

 卵を内側から破るような、そんな不思議な感覚にマルティナはくらくらするほどの目眩を覚えた。


 ぽたりぽたりとライナスの冷たくなりつつある身体にまた雫が落ちた。

 青空だった空はいつの間にか曇天となっていた。空から落ちる雫は数を増し、あっという間に大地を濡らす大雨となる。

「何だ突然、雨? しかもこれは……水の魔術か?」

 そして、ゆっくりと、確実に大地が振動し始めた。遠くから(とき)の声が聞こえる。

「騎士が来てくれた!」

 誰かが叫んだ。

「チッ、ずらかるぞ。掴めるだけ掴んでいけ!」

 掴む……? 

 マルティナは目眩のする頭を押さえて顔を上げる。

 止めなければ――子供たちが攫われてしまう。 

「お前も来い」

 赤髪の男が馬上からマルティナの腕を掴んだ。

「お断りよ!」

 きらりと空が光ると、鋭利なガラスが赤髪の男めがけて降ってきた。ガラスの欠片を避けようと彼はマルティナの腕を放す。

 ガラスは彼の頬を切ると、地面に深く突き刺った。それは氷柱(つらら)のように先の尖った氷の刃だった。

 雨の他に氷の塊までもが空から降ってきたのだ。

 星のようにきらきらと瞬く氷の刃は、雨と共に暗い空から降り注ぐ。見上げれば流星群の夜のような、幻想的な光の筋が幾重にも流れていた。

 そして何故か無作為に降る氷は盗賊にしか当たらない。

 子供を抱える男の背中や腕に突き刺さると、彼らは悲鳴を上げて手を放した。身を守るのに精一杯で誘拐どころではない。

「クソッ!」

 腰に刺していた短剣で氷の刃を弾きながら、赤髪の男は森へと馬を走らせる。

 混乱した盗賊たちは彼に続いて蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。

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