◆3◆
「遅いぞジャスティン、伯爵がお待ちだ」
玄関のドアが開き、ライナスがイライラした様子で顔を覗かせた。
「あーあー、煩い迎えが来てしまったようだ。僕はそろそろ父上に彼を紹介しに行かないと」
ヴィンセントを探したら、彼は少し離れた場所で草地を蹴っていた。
「ヴィンセント、なにしてるのよ?」
「うん? なんだ、寸劇は終わったのか」
「なんのことよ!」
劇を演じた覚えはないのだけれども……
初対面のヴィンセントとライナスをお互い紹介した後で、マルティナは先ほど憂慮したことを伝えなければと思い出した。
いずれジャスティンの右腕となり彼を補佐するライナスにしか頼めない大切なことだ。
「ライナス、後で大事な話があるの。時間作れる?」
「だ、大事な話? あ、え? ああ、わかっ――」
「見て見てライナス! ティナにリボンを付けたんだ。かわいいって言ってあげて」
ライナスが返事をする前にジャスティンが割り込んだ。
「何を言い出すのよ、ジャスティン!」
「お、いいじゃないかマルティナ。似合うぞ」
ヴィンセントまでもが冷やかし始める。
「もう、そういうのやめてったら!」
面と向かって言われると恥ずかしい。
「か、かわ――……ティナなんかに付けたら、リボンが勿体無いだろ!」
面と向かって言われると……腹立たしいにも程がある。
「そう、よね……そうでしょうとも! ジャスティンには似合っても、あたしなんかには似合わないわよね!」
蝶々結びの先を引っ張ればリボンはらりと解けた。
「やっぱり返すわ」
受け取りそうもないジャスティンの手に無理矢理リボンを押し付けた。
「ライナス……僕からも大事な話があるから、あとで部屋に来てくれるかな」
「…………承知した」
なんとなくジャスティンのワントーン低くなった声音と、なんとなく顔色の悪いライナスが気になったけれど、これ以上伯爵を待たせるわけにはいかない。
「じゃあね、ヴィンセント、オールブライト伯爵様にちゃんといいところ見せるのよ」
「ああ、なんとかなるさ」
マルティナはヴィンセントから一歩離れると、革の鎧を身に付けて腰に剣を差す彼の姿を上から下まで眺めた。
「大丈夫そうね……あら?」
ヴィンセントの鎧の肩口に、マルティナの髪の毛が絡まっていることに気付いた。
「あの時のじゃない! ちょっと待ってヴィンセント、金具のところに髪の毛が付いてるわ!」
ヴィンセントも肩の金具を見るが、面倒臭そうに手を振った。
「いいよ別に、このままで」
「だめ、こんなのみっともないでしょ」
じっとしててよね、と忠告すると金具から自分の髪の毛を外し始める。伯爵にマルティナの名前までは伝わらないだろうが、身なりくらいはきちんとして欲しい。
「はい、取れたわ」
風に飛ばすと、ヴィンセントは名残惜しそうに目で追いかけた。
「なんだか女神の加護を失った気分だ。雇ってもらえなかったらマルティナが責任取って俺を雇えよ」
「なんですって!」
マルティナが怒ればヴィンセントはくっくっと笑い出す。
「もういいかな? そろそろ父上の堪忍袋の緒が切れるかもしれない」
「ああ、待たせて悪かった。じゃあなマルティナ」
領主でもあるオールブライト伯爵に会うと言うのに、ヴィンセントは楽観的すぎる。
「……まったくもう」
こんなことしか言えない彼は、果たして伯爵に気に入られるのだろうか。
ジャスティン、ライナスと屋敷の奥へ消えていくヴィンセントの背中を眺めながら、マルティナは彼に対してもいらぬ心配をしていた。
「はぁ、せっかくの誕生日プレゼントだったのに、見事に突き返されてしまったよ!」
誰に言うともなく、ジャスティンはわざとらしく大きなため息をついて肩をすくめた。
先頭を歩く彼の後を、ひどく落ち込んでいるライナスが続く。
「ただでさえ、ひと月遅れの贈り物だったんだけど。ねえ、ライナス?」
話が聞こえていないのか、茫然自失のライナスは無反応だ。
チッと舌打ちをしたジャスティンは、怒りの矛先をヴィンセントに向けた。
「ところでヴィンセントって言ったっけ? ティナとはずいぶん仲が良いようだね?」
「それほどでもないさ、マルティナは俺がティナと呼ぶことを許してくれない。まあ、それ以外は許してくれるけど」
「あっそう」
ヴィンセントは挑発するように答えるが、ジャスティンはたいして気にしていないような素振りを見せた。
「どうして鎧に髪が引っ掛かったんだい? “あの時”って何?」
そう尋ねるジャスティンは、やはり気にしているのかもしれない。
「野暮なことを聞くなよ。ここに、髪が引っ掛かるようなことをしていただけだ。次からは、そうならないように先に鎧を脱いでおくよ」
ヴィンセントはにやりと笑って答えた。
「ふうん……」
「なあ、俺からも質問して良いか?」
ジャスティンは冷笑を浮かべて振り返る。肯定、ということだろうか。
「あんたはマルティナには嘘ばかりだ。あんな回りくどい手段を使わないと贈り物もできないのか? 幼馴染が聞いて呆れるな」
「…………言いたいことはそれだけか?」
ジャスティンは射るような視線をヴィンセントに向けた。
「もしも父上が反対しても、ぜひとも君を我が城へ迎えたいと思うよ」
傭兵として何人かの領主に会ったことのあるヴィンセントでも、彼の豹変ぶりには驚きを隠せなかった。
きっとマルティナは、彼のこんな表情をまだ知らないのだろう。
「愛しのティナに悪い虫が寄り付かないといいな」
「虫は寄り付く前に僕が全部すり潰すから安心してくれていい。それから、君はティナと呼ぶことを許されてはいないよ」
底冷えする石造りの廊下で立ち止まる。
「さあ、ここが謁見の間だ。覚悟はいいかい?」
ジャスティンは、まるでここが絞首台だと言わんばかりの声音で囁き、扉を押し開いた。
オールブライト伯爵との謁見は、少し会話をしただけで呆気なく終了した。
明朝の狩りで実力を見せろとのことだった。
それで使える人間かどうかを判断するのだろう。実力主義な所は誉められるが、息子に似て狡猾な目をしていた。
マルティナがあの本性に気付かないのかが不思議でしょうがない。
「まあ、少し鈍感なところがあるからな……」
出口に向かって歩いていると、女性の声で名前を呼ばれた気がして振り返る。
「うをっ、いたのかよ!」
背後には気配の消えかかったライナスが立っていたのだ。
考えごとをしていたとはいえ、自分の背中をいとも簡単に取られていたことにヴィンセントは驚いた。
この村に長く居すぎて、ずいぶんと腕が鈍ってしまったのだろうか。
「貴様は……ティナの何だ?」
ライナスは思いつめた表情でヴィンセントをじっと睨んでいた。
「あー……安心しろ、何でもねぇよ」
先程のうなだれた様子を見てしまった手前、からかう気も挑発する気も起きない。むしろ、こんなにも不器用すぎると逆に応援してあげたくなる、とヴィンセントは密かに思った。
「……セント…………ヴィンセントったら!」
「なんだ、今度はどうした?」
廊下の向こうから、ばたばたとアンとジェシカが必死の形相で駆けて来た。名前を呼んだのは彼女たちだったらしい。
マルティナと仲の良い二人は顔が真っ青だった。
嫌な予感がする。
「どうしよう、マルティナが……」
「ティナがどうしたんだ!」
ライナスはアンの肩を掴み、続きを急かした。
「ラ、ライナス様っ?」
驚いたアンの横でジェシカが口を開く。
「村が……馬に乗った集団が森から来たの。すぐに煙も見えて……それでマルティナが村に行っちゃったのよ! 危険だから駄目って言ったのに!」
「あの馬鹿がっ!」
そこまで聞いたライナスは駆け出した。
ヴィンセントでさえ最後まで聞かずとも状況は理解できた。
恐れていたことが起きてしまったのだ――