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どうして女は年頃になったら結婚しなくちゃいけないの?
どうして剣を持って戦ってはいけないの?
おしとやかに、つつましやかに、女性らしく――
……もう聞き飽きた。
それに、知らない男と結婚なんて、絶対にする気ないんだから!
***
「もう少ししとやかな娘だったらねえ……」
だから、それこの前も聞いた。
「せっかく隣の村から求婚にきてくれた方なのに、突き飛ばすなんて……」
だって急に口づけしようとしてきたのよ? 思い出すだけでもおぞましい……
「怒って帰られたわ、こんな乱暴な娘とは結婚できないって」
結構だわ。あんな人と結婚なんて、こっちから願い下げだもの。
「マルティナが美人だって噂を聞いて、わざわざ来てくれたのに」
今度からその噂に『乱暴者の』ってつけておくといいわね。
「ねえ、ちょっと聞いてるの? さっきから黙ってないで」
リリーさんが怒りを滲ませた口調で話しかけてきた。
大声での独り言が終わったと思ったら、どうやら次はマルティナへの愚痴を言い始めたのだ。
よく晴れた空と同じ青色の瞳。腰まで伸びた髪はカラスの濡れ羽色を連想するような艶やな漆黒。
マルティナは先月十八歳になったばかりだった。つまり、結婚適齢期ということ。
こんなことが始まったのは二年ほど前からだろうか。村一番の世話役だと自負するリリーさんが、頼んでもいないのにマルティナに結婚相手を探し始めたのだ。
気付くと彼女は勝手に仲介役を名乗り、結婚適齢期の若者を捕まえては片っ端からマルティナを紹介してまわっていた。
当の本人は、結婚する気など毛頭ないというのに。
「はぁ、どうしてうまくいかないのかしら……理由はわかってるわよね、マルティナ!?」
そして、うまくいかないとこうして愚痴を言いに来るのだ。
彼女はようするに近所のおせっかいなおばさん。私はこの村のほとんどの結婚を仲介したのよ、が自慢だ。
嘘か本当かは確認したことがないからわからないけれど。
ここは領主・オールブライト伯爵が統治する領地内にあるオネット村。
川と森に挟まれた自然豊かな立地にあり、領主の城からも王都からもずいぶん離れている、のどかで平和な田舎だ。
森での狩りと羊やヤギなどの放牧、麦などの収穫を生業としている村人しかおらず、旅人さえもめったに通らない。
年に一度、狩りの季節になると領主が村に来る以外は、これといって行事もないつまらない村だった。
そんな田舎では、結婚相手も自然と子供の頃から見知っている人間に限られるのだが、村の若者が全員マルティナと結婚する気がないとわかると、リリーさんは諦めるどころか村外から探してきたのだった。
この人は、なぜこんなにも躍起になってマルティナを結婚させようとするのだろうか……
マルティナにとって、彼女の存在はここ最近の頭痛の種になっている。そして、リリーさんの独り言はまだ続いていた。
「それともなんだい、お城にいい人でもいたのかい? ここまで結婚を拒むなんて」
ああ、またこの話が始まった――
マルティナは沸かしたお湯に茶の葉を入れ、カップと共にテーブルへ運ぶ。
「マルティナ、いいかい? 昔は城に住んでたかもしれないけど、今はただの村娘だ。八年も経ってちゃ貴族サマだってあんたのことは忘れてる。それに身分相応ってものがあるだろう? きらびやかな世界は忘れるんだよ、現実を受け入れなさいな」
怒りに任せてガシャンと力任せに置いたら、リリーさんはわざとらしく驚いた顔をして、もう少し女性らしく……と小言を言い始める。ほんと、もう付き合いきれない。
それに、他人に過去の生活のことなんて言われたくはないのだ。
「あのねえ、リリーさん――」
「まあリリー、来ていたの?」
マルティナのイライラが最高潮に達しつつあったちょうどその時、リズおばさんがいいタイミングで帰って来てくれた。
「おばさんお帰りなさい。あたし畑に行ってくるわ」
笑顔を貼り付け、リリーさんに、ごゆっくり、と伝えると用意していた昼食のバスケットを持ちドアへ向かう。
「マルティナ、まだ話は――」
バタンと後ろ手に閉めると、リリーさんの甲高い声がプツリと途切れた。
「はぁ……」
やっと解放された安心感で自然とため息が出でしまう。リリーさんの話を聞いているだけで生気が吸い取られていくようだった。
「でもまさか、隣の村まで行くとは思わなかったわ」
リリーさんは一体いつまでこんなことを繰り返すのだろうか……少し考えただけでも背筋に悪寒が走る。
「もう結婚してもいい歳? そんなの、なんでリリーさんが決めるのよ。アンやジェシカが結婚したからって、何で私まで結婚しなきゃいけないの、よっ!」
ブーツで小石をコツンと蹴り上げたら、それはきれいな放物線を描いて飛んでいった。
黒髪によく映える薄水色のワンピースは、マルティナが大股で歩けば、裾がめくれ黒いブーツが見え隠れする。
この乗馬用のブーツは数年前、幼馴染であり、領主の息子でもあるジャスティンが譲ってくれたもの。紐で結ぶ編み上げタイプで脱げにくく、ほっそりしたデザインのお陰で動きやすい。
少し踵があって靴底も硬いから、蹴ればきっと相当のダメージになるだろう。靴底の硬さはまだ誰にも試したことはないけれど。
そんな便利なブーツも、リリーさんから言わせれば、女性の履き物ではないらしい。もちろん、小石を蹴るなんてもってのほか。
目撃されれば何を言われるかわかったものではない。
念のため、振り返って背後を確認したけれど、リリーさんはまだ家の中にいるようだった。
納屋に寄って鍬を取り、肩に担いで畑までの道を早足で歩く。空を見上げると、太陽は真上でさんさんと輝いている。
「急がないと、ジョンおじさんが空腹で倒れちゃうわ」
リリーさんの出現でずいぶん遅くなってしまった。