5話
朝、ゆめはいつものように登校した。
いつもはあれこれ夢想してすごす時間だったのだが、とにかく香澄のことが気になって仕方がなかった。
早く香澄に会って、傷つけ怒らせてしまったことを謝罪したかった。
あれからやはりメールも電話も返ってこなかった。
理由が今ひとつはっきりしなかったが、それでも香澄が相当腹を立てていることには変わりなかった。
携帯の画面を見ながら、ゆめはふぅ、とため息をついた。
教室に生徒が増えてきたころ、香澄はクラスの女の子と一緒に教室に入ってきた。
いつもならまっすぐゆめのところに来てくれるのに、今日は自分の机にも近づいてこなかった。
そのことに戸惑いつつもゆめは思い切って立ち上がり、香澄に声をかけた。
「…おはよ、あの、香澄?」
「…気安く話しかけないでくれる?お情けで仕方なしに相手してやってたのに…勘違いしないでよ。
あんたとはもともと友達でもなんでもないんだから」
ささやくようだが、まるで剣のように心を切り裂く言葉だった。
ゆめは、体の中心に冷たい芯が一本突き刺さったように感じた。
痛い。苦しい。
目を見ることなく憎悪を滾らせたささやきは、心を凍らせるには十分だった。
「…ごめんなさい、ほんと…」
謝罪の言葉も最後まで聞かないうちに、香澄は友達に向き直った。
そのうちの一人が呆然と立ち尽くしたゆめを見て、鼻で笑った。
「ばかじゃない?お邪魔虫が分をわきまえないから…」
「香澄の好意を向けてもらって、図に乗ったんじゃないのぉ?」
くすくすと小ばかにするような笑いがさざめく。
友達っていっても、こんなものかもしれない…。
そう考えるだけで、心は石のように重くなった。
人に期待するなんて無駄なことだと学んできたはずなのに。
弱い自分が情けなく、みっともないと嫌気がさした。
ゆめは力なく席に戻ると、ぼんやりと机を眺めていた。
まるで針の筵のような学校が終わると、ゆめはいつものように一人学校を飛び出した。
最悪の一日といってよかった。
もともと社交的な性格ではなかったところに、家庭の事情を知られたくなくて知らず人とは距離を
保ってきた。
だから一人でいることには慣れていたけれど。
それでも、大切な友達だと思っていた香澄の180度変わってしまった態度には、悲しみを通り越して
苦痛だった。
疲れた。
もう、何も考えることができない。
私はいかに価値のない、取るに足らないごみのような人間なのか。
なぜ決して人には受け入れてもらえない、ちっぽけな存在でしかないのか。
何度も自問しながら、油断するとあふれる涙をこらえた。
いつもの習慣で、自分の右手首に爪を立てようと手を伸ばしたとき。
指先に当たったのは、龍のブレスレットだった。
香澄が一緒にいてくれるようになってから、ずいぶんと引っかく回数が減っていた。
おかげで、傷跡は余り残らなくなったけれど。
周りにはアトピーだとごまかしている蚯蚓腫れの後がまだ薄く残る傷跡を指でなぞてみても、
いつものように体の内側からあふれてくるような引っかきたい衝動が、ゆっくりと引いていく
ような気がした。
ゆめは傷跡からブレスレットへと指先を滑らせた。
熱くて大きな気持ちが、こみ上げてきた。
そして、気づくと足が勝手に龍の店に向いていた。
なぜだか無性に龍に会いたかった。
青龍は、昨日と同じようにそこにあった。
ゆめはそのことに安堵して、そろりと店の中を覗き込んだ。
うまく暇な時間帯にあたったせいか、人の姿が見られなかった。
店の中はひっそりと静まり返り、カウンターの向こうに龍の頭部だけが見えた。
どうやら、今は何か作業をしているようだ。
時々横を向いて作業をしているが、その時は仕事に集中している龍の真剣な表情が見えた。
真剣に仕事に打ち込む、力強い視線。
ゆめは心臓がどきどきしてきた。
少しだけ龍の顔を見て帰るつもりが、ぽーっと見惚れてその場から動けなくなった。
するとゆめの視線が強すぎたのか、ふと作業を中断した龍が顔を上げて店の入り口の方に振り返った。
驚いたゆめはあわてて首を引っ込めた。
先ほどよりもさらに速度を増した心臓をぎゅっと押さえつけると、深呼吸を数回繰り返す。
見つかった?
店の中から見えない位置に体をずらし、体の緊張を解こうと深呼吸をした。
すると、龍がくすくす笑いながらひょっこり顔を出した。
「お嬢さん、そんな慌てて逃げなくても」
その一言に、頬にカッと熱がこもった。
きっと真っ赤になっているに違いないと思うと、顔も上げられなかった。
頭に龍の大きな手が伸び、ぽんぽん、とやさしく叩いてくれた。
「せっかく来てくれたんだし、ちょっと寄っていったら?」
龍はそう言うと、ゆめの背中に手を回した。
ゆめは身を縮こまらせながらも、ゆっくりと店の中に入っていった。
不思議と、ずっと感じていたうねるような胸の痛みがすっと引いていった。