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4話



翌朝、起きてみても母親の姿はなかった。

やはりそのまま会社に泊まりこんだようだ。


母は夫が家にいるときにだけ、どんなに仕事の予定が詰まっていて忙しくても、夫とともにうちに

帰って来た。

出張もあることはあるのだが、日帰りできるようにスケジュールを調整しているらしい。

だからゆめは昨夜もきっと母が帰って来ていないだろうと予測していた。

予想があたったことについては、諦めてはいるのにいまだ複雑な気持ちを抱えている。


母との関係はとても希薄なものだと、最近ゆめはそう解釈するようになった。




ゆめの父親と離婚してから、長い間母子家庭でやってきた。


母がゆめを産んだのは18歳、大学1年生の時だったそうだ。

母は学生結婚をして、優秀な成績で卒業したあと、所属していたモデル事務所でモデルとして本格的に

働き始めた。

モデルを引退してからは経営者として働くようになり、仕事一筋のキャリアウーマンとしての道を

まい進している。

片や父は大学3年の時にを中退し就職したが、長く続かず職を転々としたらしい。

両親の間に何があったかは分からないが、お互いの気持ちがすれ違い、ストレスをためた父は母や

ゆめを殴ることで発散させた。



そして、離婚。

ゆめが小学校1年生の頃だった。



両親がまだ大学生だったこともあり、ゆめは赤ん坊の頃からずっと同居していた母方の祖父母に面倒を

みてもらってきた。

父親の記憶は殴られたこと以外ほとんどないし、母が母親がらしいことをしてくれた記憶もあまり

なかった。

けれどゆめを女手一つで育ててくれた母には感謝しているし、だからこそ小さい頃から例え仕事で

帰らない日があったとしても文句一つ言わなかった。

ゆめが中1の時に祖父母が死んでからは、学業と並行して家事を一人で担ってきた。

それも、母の力になりたいと考えたからだ。



母が結婚したいと、会社の同僚である今の父を紹介された時も反対などしなかったし、心から祝福して

いた。

同じ屋根の下に住むことが決まっても、見知らぬ男と暮らすことに対する嫌悪感を何とか蹴散らし、

家に波風を立てないようにと自分を殺してきた。

それもこれも、母が幸せになってくれたら、大好きな仕事に打ち込んでくれたら、という思いだけ

だった。


ゆめは、母が大切だと思っている。

でも、自分が感じているほどに母は自分を大切に感じてくれてはいないことも知っている。


母に対する遠慮は、年齢とともに増してていくばかりだった。

その溝は、今のままでは永遠に埋まりそうになかった。


今の父の存在があるのだから、尚更。





義理の父と母がであったのが、今のモデル事務所だったそうだ。

ヘッドハンティングで会社に入った義父とあっという間に、気づけばそういう関係になっていた。


これまでの母の恋人とは違い、義父はゆめを邪険に扱うこともなかった。

むしろやさしくしてくれることが多く、二人の結婚が決まった時憧れの家族になれるかもしれない、

自分の居場所ももらえるかもしれないと、これまで抱いたことのない希望を感じた。


ゆめが中学2年生のときだった。




しばらくは幸せな生活が続いていた。

母は相変わらずよそよそしかったが、やさしく接してくれる義父の存在が支えになり始めていた。



義父の態度が変わり始めたのが、ゆめが高校に入学したころだった。

二人きりになったときに、妙に体を密着させてきたり、髪をなでたり、手を握ってきたりするように

なったのだ。


「父と娘のスキンシップは大切だから」と微笑む父を見ると、嫌悪感を感じていたのに我慢するしか

なかった。

大人しいゆめが抵抗しないのをいいことに、義父の手は日を追うごとにどんどん執拗になってきた。

入浴中突然脱衣場に入ってきたり、部屋に来たかと思うとゆめの太ももや胸を軽くタッチしたり。

その頃には、もうゆめの恐怖は最高潮に達していた。

お風呂は学校から帰ってすぐに入り、夕食後には部屋に鍵をかけて立てこもるなどの自衛措置を

とっていた。


そんな中、事件は起こった。


いつもよりも母の帰りが遅く、ゆめは義父の視線を避けるように部屋に入ろうとした。

扉を閉めようとした瞬間、突然義父が一緒に部屋に入り込んできたのだ。

驚いて呆然としている隙に、義父はゆめをベッドに押し倒した。


慌てふためき暴れたが、力強い力で抑えられ、逃げ出すこともできなかった。

首筋に吸い付き、舐め、服の上から胸を激しく揉んでくる義父に泣いて懇願するのに、義父は

ニヤニヤ笑いながらもうすぐ気持ちよくなるからと言って行為を続けた。

強い嫌悪感に吐き気がこみ上げてきた。


こんな形で、恋も知らないまま踏みにじられるのか?…ゆめの心はどんどん痛みを増していった。


絶望が胸いっぱいに広がり、心が死んでいこうとしていたその時。

「あなたたちっ!何してるのっ!!」という母の金切り声が部屋に響いた。


「お…っ!おかぁ、さ…た、たっ、す…っ!」

助かったと、安堵から涙があふれてくる。

助けてくれる、お母さんが来てくれた!

ゆめはこんな状況なのに、胸が熱くなった。


それなのに、しどろもどろに言い訳する義父には一瞥もくれず、母はゆめの胸倉をつかんで思いっきり

頬をたたいた。


「この売女!あんたをこんな薄汚い、人の夫に手を出すような餓鬼に育てた覚えはないよっ!

 誰に食わせてもらってると思ってるわけっ!?ふざけやがって…っ!!」



ゆめは驚きに目を見開いた。

涙なんて、一瞬で乾いてしまった。

何かが、心の中にある大切なものがきしり、と固まった。


最初は信じられなかった。

けれど、二度、三度と頬を叩かれているうち、ゆめは現実をしっかりと認識した。

母は最初から私を疑っていたのだ、と。

私が義父を誘惑したのだと。


義父は母を必死でなだめ、引きずるようにして部屋から出て行った。

取り残されたゆめの目には、もう何も写ってはいなかった。

頬がパンパンに腫れ、熱かった。


頭にリフレインされるのは、のしかかってくる義父の巨大な体と、汚いものを見るような軽蔑に

満ちた、そして獣のように狂気をはらんでにらみつけてくる母の瞳だった。


騒がしかった玄関が静かになり、やがて鍵がかかる音が聞こえた。

どうやら二人は出かけたようだ。



ゆめはもう、抜け殻になった気分だった。

とたん、寒気や震えがとまらなくなり、こらえられなくなったゆめは風呂場に駆け込んでごしごしと

何度も体をこすり、洗った。


叩かれた頬にお湯がしみる。

歯を食いしばろうとしても、腫れた頬の内側を噛んでしまう。

血の味がどんどん染み出し、惨めな気持ちが募っていった。


泣きたくて声を上げているのに、出てくるのはのどから空気が抜けるようなかすれた音だけだった。

それなのに、涙が止まらない。

声なく泣き叫びながら、ただただ洗い続けた。


体が真っ赤になって、引っかき傷がたくさんできた。

体中に引っかきすぎて出来た小さな赤い斑点やミミズ腫れが醜く浮かび上がっている。

心臓が痛くなるほどどきどきと早まる鼓動に、体全体に広がる尖った痛みに自虐的な喜びを感じた。

まるで、自分を罰してくれているようで。


自分の中で守り続けていた清らかさの証を踏みにじられ、自分が穢れきった人間だと胸に刻み込まれた。



”ゴミだ、私は、ゴミだ…”



部屋に戻った夢はもうベッドに横になることも出来ず、カーペットの上に胎児のように丸くなると

悪夢をさ迷った。



不安をかき消すように、無意識に右の手首を血が出るまで強く引っかきながら。





その日以来、ゆめが夜落ち着いて眠れたことはなかった。

ゆめを疑う母の目が義父から守ってくれている事実に傷つきつつも、まだましな状況だと自分に

言い聞かせてきた。

しかし、気を許せば義父はいつでも手を伸ばしてくる。

まるでゆめを追い詰めることを楽しんでいるかのように。



”早く、早くここから飛び出したい…お願い、私にチャンスをください”



ゆめは朝日が差し込む窓に顔を向け、神に祈った。













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