番外編7
腹いっぱい食べまくった上に、両手にパラソル組へのお土産ーーフランクフルトとたこ焼きを持って戻ったら、そこにはにーちゃんとゆめしかいなかった。
「…あれ?鷹にーさんといろはねーさんは?」
「あぁ…帰るってさ」
「は?来たばっかじゃん!」
「はるか、いろいろあるのよ、いろいろ」
視線を気まずそうに泳がせるにーちゃんを見て、志津子は全て承知しているようにそう言った。
わっかんねぇなぁ~!
パラソルのテーブルにゲットしたフランクフルトとたこ焼きを二人に渡し、腹いっぱいの私と志津子は空いている椅子に腰掛けた。
「二人の分は?」とゆめが聞いてきたけど、その言葉すら胃に入っていくような気がするぐらいに腹ぱんぱん状態だ。
正直、今水に入ったら吐く確立50%。
食べている人間を見るのも苦痛でプールに視線を向けていたけど、志津子につっつかれて二人の方を見た。
…あれ?
なんか、これまでとどこか違うんですけど?
妙ににーちゃんがゆめにぺたぺた触ってる。
…あ、いや、いちゃいちゃな接触じゃなくて、さりげなく頬にかかった髪を払ったり口の端についたソースをぬぐったり。
その度にゆめの視線が揺らぎ、頬がピンク色に染まる。
うわぁ~…なんか、これ、見てる方が照れる。
「あれはもう、ちゅーぐらいはしたね、絶対」
志津子が耳元でぼそっと囁き、私はぎょっとした。
やっぱり!?
やっぱりなのかっ!?
それを目標に今回の作戦を敢行したけれど、なんかうまくいくといったで妙に戸惑った。
胸がもやもやするというか、なんというか。
にーちゃんは、私が小学生の時に私のにーちゃんになった。
その頃から大人で、ちょっと近づきにくいって思ってたけど、でもにーちゃんが出来たことがうれしくて何も考えずに飛びついていた。
お父さんの再婚で複雑な気持ちを抱えていただろうに、そんなにーちゃんの気持ちに全く気付かないまま。
少し大きくなって両親とにーちゃんがうまくいってないってことがわかってからも、両親にかわいがられている自分に罪悪感を感じて戸惑っていた時も、どんな時も変わらず受け入れてくれていた。
いつでもなんどきでも、時には呆れつつ、きちんと話を聞いて、私という人間を大切に考えてくれている。
だから、好きにならずにはいられなかった。
感情表現が下手で不器用だけど、心優しい自慢のにーちゃん。
私の初恋はにーちゃんだった。
それが本当の恋じゃないってことがわかっても、やっぱりにーちゃんが好きだ。
うちにいるにーちゃんはいつもどこかよそよそしくて、心を開いているようで開いていない、壁みたいなのを作っていた。
私は出会った時まだ子供だから、たまたま壁の中に入れてもらえただけだった。
それなのに、ゆめは最初から壁の中に入る切符を持っていて、にーちゃんはためらいながらも、それでも確信を持って自分の領域にゆめを導きいれたのだ。
にーちゃんが自分から扉を開いたのは、きっと初めてのことだろう。
すごく…幸せそうだ。
志津子がぽんぽん、と頭を叩いた。
どんよりした気持ちで視線を合わせると、まるでなにもかもわかったと言わんばかりににやり、と笑った。
また心がずきん、と疼いた。
でも、それ以上に幸せそうな二人を見て、うれしくて、うれしくて。
だから、私には似合わない複雑な感情をプールでしっかり流してやる!と心に決めた。
「ねぇ!
みんなで流れるプールに行こうよ!!
私、今度は浮き輪使いたいし、ゆめのことはにーちゃん、よろしく!
…じゃないと、ゆめ、沈んじゃうよ?」
私は無理矢理ゆめの腕を引っ張って、流れるプールに向かった。
一緒にどぼんと飛び込めば、慌てたにーちゃんが追ってきた。
にーちゃんがプールに入ったのを見届けてからゆめを押し出すと、ゆめはしっかりとにーちゃんの腕の中に納まった。
実にお似合いだ。
私は小さく手を振ってから、浮き輪にしがみついて流れに身を任せた。
いつの間にか浮き輪にしがみついていた志津子が「ようやく兄離れする気になったみたいね~」と言った。
変な慰めの言葉を口にしない親友に感謝しながら、生まれて初めて欲したことを口にした。
「私も彼氏ほしいなぁ~!!」
「…そうそう、自分だけ見てくれる、超いい男ね」
こうしてまた季節は移ろい、輝きを増していくのだ。
龍のヤツ、めちゃくちゃ幸せそう。
作戦が最高の形で終結し、我ながら満足な出来栄えだといろはは自負していた。
自分が動いても素直になってくれないだろうと予測し、龍の義理の妹・はるかを中心に作戦を敢行したのが功を奏したのか。
はるかにはかわいそうな役割だった気もしたけれど、彼女には龍以外の男に目を向ける機会がなければ、このままずっとブラコン娘のままだ。
これはいい機会になるといろはは考えたのだ。
余計なおせっかいでしかないのだけれど、大好きな二人には幸せになってもらいたかった。
途中、どうしてもと言い張る一鷹を仲間に入れ、わけのわからないマッチョな男にナンパされる以外は、概ね計画通りに進んだ。
おかげで一番面白いところを見逃したいろはは、かなり損した気分を味わっていたが。
これから先龍がメロメロに融けてくれたら、それをいじり倒すことでおつりが来るだろうと思い直すことにしている。
しかし。
怒り狂った一鷹に浚われた後、プールに併設されているホテルの一室に連れ込まれ、あれやこれやと攻め立てられ、足腰立たなくさせられ。
光り輝くように元気な一鷹に生気の全てを奪い去られた状態で家に連れ帰られた屈辱は、しばらくの間忘れられそうにない。
いつの日か一鷹にはそれなりの報復を受けてもらうし、その原因を作った龍をねちねちいじめることも”やることリスト”の上位の方に書き込んである。
女の執拗さを嘆き苦しむが良い。
いいのか悪いのかわからない夏の思い出を思い返し、いろははため息を付いた。
結果オーライってところかもしれない。
少々イラついた心も、隣に座って今日入荷した商品リストをチェックしいているゆめを見た途端、穏やかなものへと変わっていった。
不安そうに瞳を揺らし、自信なさそうに怯えていた少女。
いまや静かに光り輝き、彼女本来の美しさが磨かれ始めている。
龍の愛情の賜物だ。
彼女がここに下宿した時、そしてその一連の事件を思い出すと、今でも憤りややるせなさ、苦しさや哀しさがどっと突き上げてくる。
長い間虐待を受けながらもそれに耐え、自分を失わずに生きてきたゆめが、いろはにはまばゆく、誇らしかった。
受けた理不尽な傷が完全に癒される日はまだまだ先のことだろうけど、これからはおつりが来るぐらいの巨大な幸せを受け取る権利がゆめにはあると信じてる。
そして、巨大な幸せの大半を龍がプレゼントしたいって考えているのも確かなことだ。
大切な存在を見つけ、認め、受け入れた心優しい龍は、もう腕の中に閉じ込めた乙女を手放すことは出来ないだろう。
乙女は龍の愛の象徴であり、人生の全てだから。
いろはは乙女思想に浸る自身に苦笑した。
一鷹にロマンチストと指摘されても、文句が言えそうにない。
それにしても。
こんなに美しい少女をやさしく閉じ込めた龍は、いつまで紳士でいられるのだろう?
ふとそんな下世話なことを考えていると、ゆめの髪がさらりと零れ落ち、少し日焼けしたうなじが現れた。
そこに見えた、赤い印。
自身の体にも数多く刻まれている見慣れた印に、いろははにやりと笑った。
へぇ…あの晩熟の龍が、ねぇ……?
「…春までに、めちゃくちゃかわいい祝儀袋をあと何種類か入荷しようかなぁ~?
種類が多い方が選ぶとき楽しいでしょ?」
突然話を振られて一瞬きょとん、としたゆめは、生真面目に少しだけ考えてから「それもいいかもしれませんね」とふんわりと微笑んだ。
<完>