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15話



ゆめがいろはの部屋に下宿するようになってから、1年が過ぎようとしていた。


すっかり今の生活に慣れ、過去の傷からも少しずつ立ち直りつつあるゆめは、いまだ心療内科の世話にはならなければならないものの生きている幸せを実感していた。




義父を恐れることもなく、安心して寝起きできるようになったのは、最近のことだ。

過去の自分への決別にと、まるで運命のように一目ぼれしたパジャマを思い切って買った。

3日前のはるかと志津子との定例・パジャマパーティでお披露目し、かわいいと褒めてもらえたことで満ち足りた気持ちが倍増した。

そのおかげか、一度も目を覚ますことなく朝まで熟睡する日が増えてきた。

リラックスした生活が、ゆめを心身ともに健康な状態にしてくれたのだ。



学校では相変わらず嫌がらせがなくならないが、はるかや志津子の応援もあり、二人の他にも友達が増えていった。

一緒に笑い合える友達に囲まれることが幸せすぎて、もう以前のように一人でぽつんといることなど考えられなかった。

昔なら、それを失うかもしれない恐怖が常に付きまとっていたに違いないのに、最近ではその中には永遠に続いていく関係があるのだと心から信じることができる自分が、好きになれた。



そういうゆめの変化は、彼女の表情やしぐさに如実に表れていた。

それが彼女の身近な人たちに、ちょっとした騒動を巻き起こしていた。



実はおとなしいけれども目鼻立ちの整ったゆめはひそかに男子から人気があったようで、雰囲気がやわらかくやさしげになったこともあり、近づこうと狙ってくる輩も出てきた。

はるかの言う所の”狼野郎”の魔の手から密かにゆめを守ることが、はるかと志津子の使命となっていた。


そんなことは露知らず、ゆめは今日も”女神の微笑み”とあだ名された微笑を幸せそうに浮かべている。




そんなゆめの様子を、龍は内心はらはらしながら見守っていた。

警戒心を解いて、その心のままにあるゆめはまぶしいぐらいに魅力的だった。

だから、ありとあらゆる複雑な感情を押し隠し、あくまでもゆめの保護者として振舞うことに若干の苦痛が伴うようになってきていた。


それはただひたすらゆめが心配で、心の傷をどうにか癒せないものかと思い悩む日々が去ったことを意味しているのだが、甘んじて受ける責め苦に耐え続けられる日はそう長くはないのではないか?と龍は考えていた。


『とりあえずは大学受験と高校の卒業』というのが龍の魔法の呪文になっていることは、本人しか知らない秘密だった。



妹のはるかが呆れるほどの過保護ぶりに、「にーちゃんは私のこと、そこまで心配しなかった!」と拗ねることは日常茶飯事で。

いろはが意味深な笑みを向ければ、むっつりと龍は不機嫌になるのも日常茶飯事だった。

ゆめの前では必死になってそんな姿をきれいに隠し、穏やかに微笑んでいる龍の様子は彼女たちをずいぶんと喜ばせていた。



こうしてゆめを中心に、楽しい家族との生活が形作られていった。

ゆめは、こんなごく当たり前の生活がありがたく、幸せで、みんなに感謝せずにはいられなかった。





心に余裕ができたせいか、最近ゆめはよく母親との関係を振り返るようになった。

大学生で、これからというときに子供ができ、通学しながら暴力的な夫との結婚生活を送ることは想像もつかないほど大変だっただろう。

そんな中で自分を産み、育て、さらに学業を修め、キャリアを積み上げてきた母親は文句なく立派だった。

おろすこともできただろうに、敢えて生み育てる選択をしてくれたということは、彼女なりの責任と愛情をゆめに感じていたのではないだろうか。


一度目の結婚に敗れ去り、次に出会った男は魅力的ではあるけれども浮気っぽくて。

キャリアを積み上げなければという焦りもあり、不安が徐々に積み上げられて。

誰にも相談できない孤高の女は、必死になって切り抜けようと試行錯誤を繰り返していたに違いない。


彼女は彼女なりに幸せになりたいと願っていて、そのための努力をしていた。

けれどうまくいかないそのもどかしさや怒りが、全てゆめに向いてしまった。

そんな哀しい連鎖の結果が、あの家族関係だったのかもしれない。





ゆめが勘当を言い渡された1ヵ月後、義父は未成年に対する強姦・暴行容疑で逮捕された。


中には強引に関係を迫ったという悪質なものもあり、世間の風は一気に冷たく、強くなった。

元人気モデルである彼に対して、マスコミの対応も容赦なかった。

そして、母は離婚を決意した。

時折妻としてテレビに映し出された母は疲れた様子も見せず、毅然として美しかった。




その事件以来、母親からは月に一回生活費という名目で現金が送られてくるようになった。

最初の封筒にだけ『返却の必要はない』というメッセージが添えられていた。


母親からの連絡は、一切ゆめにはなかった。

そしてゆめも敢えて連絡することはしなかった。


ゆめは寂しく思いながらも、母はこんな風にしか生きられないんだと理解していた。

それがたとえ風変わりであったとしても、これが自分たち母娘のあり方であり、生き方なのだ。


けれど、それがいいのかどうかと聞かれると、ゆめはそんな家族は要らないと答えるだろう。

ゆめにとっての家族は温かく、安心できる核のようなもの。

どんなに辛いことがあっても安心できる場所、喜びや幸せを分かち合いたいと思える場所だった。


いつかそんな家庭が、大切な人と持てたら…ゆめが初めて絶対に実現したいと願い、描いた”夢”だった。




こんなことを考えても冷静でいられるのは、常に自分のそばで見守ってくれている龍のおかげだとゆめはいつも感謝の気持ちでいっぱいになる。

きっと龍が辛抱強くそばにいてくれていなければ、とっくの昔に生きることをあきらめていただろう。



何度もくじけそうになったゆめに、”ゆめという存在自体に価値がある”と言い続けてくれたことで自分をちょっとずつ好きになっていくことができた。

ゆめは龍がいるだけで、自分が特別になった気持ちになれるのだった。



いつでも上等な布で包んでくれるような龍のやさしさに、ゆめは何よりも安心できた。

いつまでもずっとずっとこうして龍のそばにいたい。

龍の笑顔を見ると、この気持ちが強く、強くなっていくようだった。



でも近頃では、そんなやさしさが少し物足りなくなり、もっともっと龍に近づきたいと願っている自分に気づき、戸惑っていた。

毎晩、龍にもらったブレスレットにそっとキスを落とす儀式が、一体何時始めたものなのか。

ゆめにもわからなかった。



ゆめの恋心も、少しずつ少しずつ成長し、大きくなっている。

その未熟な美しさが龍の心を縛り付けているとも知らずに。






昨日の大雨が嘘のように晴れ渡った空。

宿題をしていると、龍がゆめを呼ぶ声が聞こえた。

玄関を開けると、そこには満面の笑みを浮かべた龍が立っていた。


ゆめの心臓がどきどきと加速していく。



「虹が出てるんだ。すごく大きいやつ。ゆめも一緒に見よう」


少年のような微笑がまぶしくて、ゆめの頬がばら色に染まった。



二人が並んで外に出て、ビルの隙間から見える空を見上げると、そこにはきれいな七色の虹が架かっていた。

どこか暗示的な光の帯に、ゆめは希望に満ち溢れた未来を見たような気がした。








<完>






最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。


本編は、これにて終了となります。

長い間温めてきたお話だけに、感無量です。

まだまだ拙い未熟な文章でいらいらさせることもあったと思いますが、この経験を今後に生かしていきたいと考えてます。


これからは短い本編後のお話をちょこちょこ書いてみようかと考えてます。

気まぐれにお付き合いいただけたら幸いです。


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