12話
「え…」
「だ・か・ら!そのブレスレットくれたら、許してあげる」
「でも、こ、これは…」
「もともとあんたのじゃないのっ!たまたまあんたのところにいっただけっ!
それは私のものよ!自分のものを返してもらうだけなのに、こうやって
下手に出てあげてるのよ?
…わかってるんでしょ?」
ゆめはブレスレットを左手でかくし、胸に抱え込んだ。
渡せなかった。
何がなんでもこれだけは守りたい、誰にも譲りたくない。
ゆめのそんな態度に、香織の怒りは頂点を迎えた。
「このっ!泥棒っ!身のほど知らずっ!とっとということを聞きなさいよっ!」
香織がゆめの左腕を思いっきり引っ張った。
痛めた足首が耐え切れず、ゆめは地面に倒れこんだ。
とその時、志津子の声が響いた。
「やめなさいっ!!」
香織たちが慌ててゆめから離れた。
蹲るゆめを志津子と、その後ろから走ってきたはるかが抱きしめた。
「あんたたち!何やってんの?一人に5人がかりで…っ!」
「なにしゃしゃっちゃってんの?そいつが悪いんじゃんっ!」
香織が叫ぶと、仲間の女の子たちが一斉に文句を言い始めた。
「この女があつかましく香織の彼盗ろうとするから!」
「そうよそうよ!」
「だいたい、こんなネクラキモイくせにあつかましいんだよっ!」
ゆめは「そんなこと、してない!」と左右に首を振った。
つまらない言いがかりで、大切な友達である二人に軽蔑されたくなかった。
抱きしめてくれる二人の腕から真っ直ぐに目を見て、「ホントなの!私、何もしてないっ!信じてっ!」と必死になって二人に訴えた。
はるかが落ち着かせるように、ゆっくりとゆめの頭を撫でた。
「ゆめは知らないっていってるけど?」
全てのものが凍ってしまいそうな冷たい声で、志津子が言った。
一瞬ひるんだ香織たちが、「…ブレスレットっ!」と叫んだ。
「この子、香織からそのブレスレットぱくったんだよ!」
「そうよ!香織の彼が香織のために作った、特別なブレスレットなのにっ!」
「私たちはそれを返してくれって頼んでただけ」
「部外者は出てくんな!うぜぇし!」
はるかと志津子の視線がゆめの手首に落ちる。
「…見せて?」
志津子が言うと、ゆめはゆっくりと左手を開いた。
ゆら…っと銀でできた乙女を抱いたドラゴンが揺れた。
「…これ……ホントに永野さんの彼氏が作ったの?」
眉間にしわを寄せたはるかが聞いた。
「そうよ、龍は私のために作ってくれて、それで…」
「龍?龍って…柳瀬龍?」
「え?」
「だからぁ、あ~…えーっとぉ、『青龍』っていう店の龍かって聞いたの」
「そ、そうよ!…知ってるの?」
「知ってるも何も…だったらこれ、永野さんのために作ったもんじゃないよ?
だって、ゆめのだもん」
「なんでそんなことがわかるのっ!?」
「だって、製作者が言ってたもん。ゆめにあげたって」
「あんた……」
「あ、龍って、私のにーちゃん」
香織の顔から血の気が引いた。
「うそ…」
「なんで疑うかなぁ?全然似てないけど紛れもなくにーちゃんだし。ね?志津子!」
「そうよ。今朝も会ってきたところだし」
「そんなに疑うなら、放課後一緒に行こうか?ついでににーちゃんに
聞けばいいじゃん。
このブレスレット、誰にあげたのか。…なんなら、私が聞いとこうか?」
「だめっ!龍には言わないでっ!!」
「だったらっ!」
志津子が割り込んだ。
「…だったら、もうゆめにちょっかい出さないでよ?…了解?」
がっくりとうな垂れる香織に、取り巻きの女子たちが口々に慰める。
ゆめたちは、時折悪態をつきながら遠ざかっていく5人の背中を見送った。
「さて…」
志津子が口を開いた。
ゆめはびくり、と震えた。
「なんでこんな厄介なことになってるって、教えてくれなかったの?」
「あ…あの…」
「志津子も私もゆめの味方だよ?いつだって力になりたいって思ってるんだよ?」
二人の思いがけない優しい言葉に、ゆめの顔がくしゃりとゆがんだ。
「だってっ…わ、私みたいに、どうってない人間が…結局私が悪かったの。
みんな、私が悪いから、周りの気持ち考えてあげられないから、こんなことが起こるんだから
…自業、自得だから……」
「ばかっ!何言っちゃってんの!?なんで自分責めんの!?
…何で、自分大切にしないの?ゆめだって大切にされるべき人間じゃん!」
「そうよ。全ての人を好きになれなんて言わないし、そんなこと不可能よ。
でも、好きになれないなら、なれないなりにうまく距離をとって付き合って
いくべきでしょ?
それなのに、たとえ相手に何かされたとしても、自分の気持ちで人を罰するのは、
ただの自分勝手。
あの子達がやってたことは、単なるいじめであり、嫌がらせであり、彼女たちのための
気晴らしよ。
そんなこと、許しちゃだめ。
ゆめは大切な友達なんだから、その友達をきちんと自分の手で守らなきゃ」
「そうよ!にーちゃんもいろはちゃんも、私たちだって悲しいよ?ゆめが苦しんでたら」
生まれて初めて言われた言葉だった。
ゆめはなんともいえない暖かな気持ちと安らぎで、頭の中が真っ白になった。
「あ…ありがと…私、うれし…」
二人の友のぎゅっと抱きしめてくれる力に、心からの幸せを感じた。
放課後、3人でカフェでお茶を飲み、散々おしゃべりをしてから帰宅した。
心を許した大親友が二人もできて、いつまでも終わらせたくないような、夢のような時間を過ごせて。
ゆめはこの幸運が信じられなかった。
3人でのお茶会がどれほど楽しかったのか龍に話したくて、ゆめの足は自ずと速くなった。
きっといつもの大らかな微笑を見せ、相槌を打ちながら聞いてくれるに違いない。
ゆめは自分の話をじっくり聞いてもらった経験がなかったため、初めは龍の態度が奇妙なものに写っていた。
けれど今では自分のことを心から大切に考えてくれるのだと、今日のはるかと志津子話を聞いて理解できるようになってきた。
自分のことを大切に思ってくれている人がいるという事実が、ゆめの心を舞い上がらせていた。
だから、油断していたのかもしれない。
最も警戒すべきことに対して。
店の前を通ると、龍はまだ店にいるようだった。
いろはは夫が早く帰ってくる日とあって、既に店じまいをし、家に帰っている。
ゆめは店の裏側に回り、二階の部屋へと通じる非常階段をリズムよく上がっていった。
いろはから預かっている鍵を取り出し、もうすっかりなれた動作で二つ並んだ扉の左側を開錠し、玄関を開けた。
すると、突然男が飛び出してきて、背中から抱きついてきた。
「きゃっ…!!」
小さな叫び声をあげた途端、大きな手で口を封じられた。
そして、漂ってくるたばこと独特の香水のにおい……。
ゆめの顔から血の気がどんどん引いていった。
「やっと捕まえたよ…今度こそ、逃がさないよ?ゆめちゃん」
聞きたくもない義父の声に、ゆめは一気に絶望に突き落とされた。