11話
朝起きて、ゆめはいつものように龍の部屋にもらった合鍵を使って入った。
簡単な朝ごはんを作り、龍を起こす。
寝ぼけてぼんやりする龍は普段と違いまるで少年のように見えて、愛しさがこみ上げてくる。
一度その気持ちに急き立てられ、はらりとおでこにかかっている前髪をなんどもすいてしまったことが
あった。
我に返ったとき、そんな自分の行動に心臓がどくん、と脈打った。
隠しようのない恋心。
ゆめはこの1週間で、自分の龍への気持ちが恋であることに気付いた。
もしかしたら、やさしくしてもらったからかもしれない。
ありえないほどの恩恵をくれたからかもしれない。
親愛と恋愛との区別がつくほど愛情について詳しいわけではなかったから、勘違いしてしまったのかもしれない。
それでも今この世に龍がいるということが幸せで、龍のために何かをしてあげたい、そう素直に思えることがゆめにとっては大きな幸せとなっていた。
いつ終わるかわからないおままごとのような関係だと胸が痛むこともあるけれど、それすらも愛しいと思えるほどゆめの心は龍に囚われていた。
誰かを気兼ねなく愛せることが、ゆめにとっては心躍る、新鮮な体験だったのだ。
足の方もかなり良くなり、まだ痛みが残っているものの、ゆめは学校に行くことにした。
このまま居心地の良い空間に慣らされてしまえば、もう二度と外に出られそうにない。
ゆめはそんな自分の弱さが怖かった。
一日も早く自立し、家を出て生活をするならば、まずは学校を出て仕事を見つけなければならない。
大学には、進むつもりだ。
母親は学歴を重視するタイプで「娘が三流大学に進学なんてありえない」と常々話していた。
ゆめ自身も進学を希望していたから、目的は違えど二人の利害は一致していた。
とにかく自立した大人になるため、自分自身を守れる武器を手に入れるため、やれることを必死に
やり遂げようとゆめはこれまでがんばってきた。
投げ出すわけにはいかないのだ。
それでも、クラスのみんなからの無視と香澄たちからの嫌がらせのことを思うと、身がすくんでしまう。
あの空間に身を置くにはかなりの勇気が必要だった。
蔑まれた目もまるで存在しないように扱われることも、身に覚えのない中傷も持ち物を傷つけられることも、全てなんでもないことだと割り切って考えることができない。
そして、そんな環境でも家よりはましだと思える自分がひどく惨めだった。
もし龍からもらったブレスレットがなければ、今頃心がどうなっていたかわからない。
香澄とは本当の友達と思って過ごしてきただけに、突然突き放されたことが必要以上に堪えていたのだ。
だからこそ、こうして傍で支えてくれる龍やいろは、はるかや志津子の存在がある限り、精一杯がんばろうと心を新たに出来た。
自分の弱さだとわかっているが、それでも人が恋しくてたまらなかった。
みんなが当たり前のように持っている友達や好きな人との関わりが、ほしくてたまらなかった。
『…とにかく、がんばろう』
ゆめは心の中で呟いた。
朝食が済んで、龍と一緒に食器を洗っていたとき、はるかと志津子がやってきた。
「ゆめ、にーちゃん、おはよー!迎えに来たよー!一緒に学校いこー!!」
元気いっぱいのはるかに「朝から元気よね…」と呆れかえる志津子の様子がおかしくて、ゆめはくすりと笑った。
それだけで、錘のような心がすっと軽くなった。
そんなゆめの様子を見て、龍がにこにこと微笑んでいる。
なんだか恥ずかしくなって、ゆめはうつむいた。
にやける顔が止められなかった。
龍がゆめの頭をぽんぽんぽんと叩き、「用意しておいで。後はやっとくから」と言った。
ゆめは赤くなっているであろう顔を隠しながら、そそくさといろはの家に向かった。
『なんだか…がんばれそうな気がする。きっとがんばれる』
ゆめはブレスレットを撫でながら、胸がわくわくするのを感じた。
それはゆめが長らく忘れていた、希望だった。
それから3人は学校に向かった。
ゆめは、それだけでも楽しくて、うれしかった。
自分からあまり話をすることはできなかったけれど、二人のおしゃべりを聞いているだけで気持ちが
明るくなる。
それに、二人は常にゆめの足を気遣い、荷物まで全部持ってくれていた。
恐縮して荷物を自分で持つと言い張ったとき、気を使うなと本気で叱られたことも新鮮驚きだった。
そこまで自分のことを考えてくれる友達がいただろうか、とゆめは改めて感謝した。
教室に入ると、いつもよりも遅い時間だったため、半分のクラスメートが登校していた。
やはり相変わらずよそよそしい空気で、小さな声だったが挨拶をしても一言も返ってこない。
ため息をつきながら席に着いたが、それでもいつもよりも辛いと感じることはなかった。
ゆめは本を取り出して読み始めた。
香澄と取り巻きたちが入ってくると、突然険悪な空気が流れ始めた。
ひそひそと話したかと思うと、くすくす嫌な笑い方をする。
それが全てゆめに向けられたものであることは、周知の事実だった。
いつもなら居心地悪そうに俯くゆめが何の反応を示さず、本を読み続ける姿に香澄は怪訝そうに見つめた。
しばらく続けてもそれが変わらないことに気付くと、腹立たしさに顔をゆがませた。
一気に増した凶悪な空気に、周囲のクラスメートたちも引いた。
ゆめが睨みつけられていることにも気付かないうち、始業5分前を示す予鈴がなった。
4時間目の体育が終わり、ゆめは更衣室の傍で志津子を待っていた。
授業が終わったとき、「お昼ははるかと食べてるんだけど、一緒に食べよう」と誘ってくれたのだ。
体育は2クラス合同で、3組のゆめは4組の志津子と授業が同じだった。
体育館に行くと志津子とその友達が声をかけてくれた。
足を怪我して見学するゆめに、みんな「大丈夫?」と心配してくれていた。
そして、「以前から声をかけてみたいと思っていたけれど、なかなかできなかったんだ」とうれしい告白をゆめは信じられない気持ちで聞いた。
授業が始まって頬をつまんでみても現実のままであることがわかり、泣きそうなぐらい幸せだった。
同じクラスの人たちからは相変わらず無視されていたけれど、4組に親しく話してくれる子が増えたことがゆめの心をより安定させた。
それも龍のお守りのお陰だと、ゆめはそっとブレスレットを撫でた。
その時、人の気配がしてゆめは顔を上げた。
そこには香澄とその取り巻き4人が、まるで般若のような顔をして立っていた。
「…ちょっと、顔貸して」
吐き捨てるようにいわれひるんでいると、体格のいい女子に腕をつかまれた。
痛む足をかばいながら引き摺られるようにつれてこられたのは、人気がなくなった体育館の裏だった。
不安であたりをきょろきょろと見回していると、突然突き飛ばされた。
痛む足をかばったため、肩から壁にぶつかった。
「ちょっと親切にしてもらったからって、いい気になってんじゃないよっ!」
同じクラスなのにほとんど面識もない女子にすごまれ、ゆめは首をすくめた。
女子の肩越しに、ニヤニヤと笑う香澄の顔が見えて胸が痛んだ。
「あんた、自分が何様だと思ってんの?」
「お前みたいなゴミは、教室の片隅で誇りみたいに丸まってりゃいいんだよっ!」
「嫌われもんなんだよ?なに勘違いしちゃってんの?身の程知れよ、バーカ!」
口々に投げつけられる罵声に、ゆめの心は凍りついた。
小さいころから繰り返してきた、両手で耳をふさぐことでつらい言葉をシャットアウトしようとしてると、手をぱしん!と叩かれた。
驚いて顔を上げると、そこには酷く睨みつけてくる香澄の顔があった。
「ねぇ、こんなことされるの、イヤでしょ?私だってやりたくてやってるわけじゃないのよ?
ゆめがいけないの。わかる?私があれだけ目をかけてやったのに。
でもね、許してあげなくもないのよ?」
「……え?」
ゆめが目を見開くと、香澄の手がゆめの右手首を龍のブレスレットごと握り締め、妖艶に笑った。
「…ねぇ、このブレスレット、ちょうだい?」